Tuesday, May 10, 2011

[台北] "Bye-Bye莫拉克" - 八八風害後の子供たちの記録

[photo: 裏山から消滅した村の跡地を見つめる 渓流の手前灰色の部分がそれ]
昨日の共同通信の「東京の教員が被災地支援 宮城で心のケアや授業」という記事が目に付きました。子供たちは大人以上に多感で感受性が強いはずです。被災地の子供たちが今どう過ごしているのか、どのような心の痛手を受けているのか、現状を知るよしもない私ですが、もしそうでしたら早く立ち直る手立てに取り組んでほしいと願っています。

二年前の八月八日に台湾中南部で起きた水害・八八風災の規模は東日本大震災と比べようもなく小さいものでした。しかし僅か三日間で2メートル50センチもの降雨量は年間のそれを超えるものでした。その少し前台湾にやってきた私は、南部で起きていた災害を新聞などで知ったものの、山間部の一つの村が濁流と土石流で消滅した際の政府の対応の遅れに関心が移ってしまい、実態を知ることなく日を過ごしてきました。この災害が半世紀に一度という記録的な被害をもたらしたことを知ったのはつい最近です。

昨年秋のこと、偶然見たテレビ連続ドラマ「風中緋櫻」がきっかけでスポーツ番組以外のテレビを見始めます。以来時間が許す限りいろいろなチャンネルに目をやるようになりました。そうしたところ八八風災に関連した番組の多いことに気がつきました。山間部の多くの部落が、山崩れや土石流によって道路を寸断され、交通・水道水・電気などのライフラインを失しない、多くの人が亡くなりました。被害を受けた人たちは山を降り、避難先での生活を余儀なくされています。テレビ番組では、被災後の生活やこれからどこに住めばいいのか、祖先から受け継いだ土地に戻りたい、に始まり土地は誰のもの?にまで話題は及んでいます。

そんななか、番組表に変わったタイトルがありました。”Bye-Bye莫拉克”。莫拉克は八八水災の元凶、Morakot台風の名称、確か日本では2009年台風8号と命名されたとおもいます。”Bye-Bye莫拉克”に登場するのは子供たち。被災した彼らの生活と心の中を描きだそうとした意欲的な記録映画でした。四部構成で、五人の若い映像作家が取り組んでいます。子供たちはこの災害をどう感じ、どう受け止めたのか、一見すると朗らかで何もなかったかのような彼らの日常風景。あの悲劇に”サヨナラ”ができたのでしょうか。今までになかった視点でした。

Bye Bye莫拉克」は
・「想念的方式」
・「一條流到我家的河」
・「大雨過後的美勞課」
・「流浪小森林」
の四部作。昨年の四月に放映されたと思います。ただし私は「流浪小森林」は見ていません。一本だけ紹介すると・・・

・「想念的方式 The Way I Miss You」(私の思い出の方式)
は濁流と裏山の土石流で全村172戸のうち167戸を失った小林村から。この監督の黃嘉駿は、この村の一人の少女が毎日、失った親友・”蚊子”宛に手紙を書き続けていることを知ってその日常を記録していきます。

彼女は蚊子宛に手紙を書いては校庭の裏庭で燃やします。ちょうど台湾の慣わし、無くなった人を弔い、道中困らないようにとお札に見立てた「金紙」を燃やして送り届ける風習のように。映像には燃え尽きようとする間際、白い線描の蚊子が登場、手紙を手にして消えていく。裏山に登り、村の跡地を眺めながら蚊子に近況を報告する。蚊子が彼女の脇でそれを聞いている。渓流脇の、今では石ころだらけのさら地を、もとあった村の道沿いに歩く後姿に消え去った村の姿を書き加えながら終わります。

災害を受けた子供たちの心のケア、どの作品もケアに対処する方法は違っていました。涙はありません。ただ一度、撮影の最中、インタビューで一人の少女が「(被災地での共同生活の中)・・・泣きたくったって泣く時間なんか無い・・・」といって泣き出しました。画面は友人に寄り添われて校庭の端へ歩いていく姿をずっと映しだていました。

1 comment:

fumanchu said...

宮城県山元町-福島県南相馬市を見てきました。
http://www.tcp-ip.or.jp/~ask/urbanism/snc/index.html