テレビのチャンネルをあれこれ行き来していたいた際に偶然見かけたチャンネルがありました。”原住民族電視台”です。これを機に「風中緋桜 - 霧社事件」という2003年に放映された連続テレビドラマの再放送を見ることができました。完結まであと二週間です。生き残った渦中の高山初子のその後が描かれるのでしょうか。
この”原住民族電視台”ですが、機会あるごとにチャンネルを合わせてみると興味深い番組で組まれていることがわかりました。(といっても私にとってなんですが)。たとえば報道番組で紹介される世界ニュースは海外の少数民族にかかわる報道。たとえば、アルゼンチンの元首相が亡くなった報道で彼が原住族出であることを知りましたし、オーストラリアで原住民基本法が制定され、前政権にいた高官が怠ってきたことに反省したスピーチで、一説の終わりごとに「・・・・・・・,I'm sorry.」と付け加えていたシーンが映し出されたりします。北朝鮮情報なぞまったくありませんしその必要もないのです。そのかわり、西域の人たちが欧州で自冶権要求のデモを行われたことについてはちゃんと紹介されていました。
族語新聞は異なる言語を話す部族むけの番組。一日ひと部族の言葉で流すニュース番組です。
”我們的故事”はいろいろな原住民族の”むかし昔話”。伝えなければならない部族の慣わしを子供たちに紹介するもの。昔話から彼らの習俗風習、宗教観を知るには最適です。
”超級部落客”は、数多くの芸人を輩出している原住民ですので、引き回し役の原住民の若いタレント男女二人が、彼らとインタビューしながら原住民のアイデンティティーを引き出して紹介してくれます。特に女性は見かけ辣妹(日本語だとなんて訳すといいのでしょうか)ですが、機転はきくは話題は豊富で核心を引き出すのもうまい。
そのほかにも海外環境問題ドキュメントの放映、高地でのエコツアー、平地でのアグリツアーの紹介など興味を引く番組がずらり並んでいます。高地エコツアーでは部族の言い習わしや宗教観などを実感できるようです。
このチャンネルのキャッチフレーズの一つに「原住民族電視台はあなたに最も原始的な感動をお送りします」があります。原始的な感動、都会に台北にいては得られない感動、原生林のなかで生き続けてきた狩猟民族の生活の紹介などです。無いものは自分でつくる、必要なものは店先にあるのではありません、創意工夫が必要だった生活の伝承......などなど。
台湾人が大部分なここ台湾にあって、原視TVにチャンネルを合わせる人がどのくらいいるのか。まあかなり限られているでしょうが、そのなかで恐らく彼らでも興味を引くチャンネルは”ina的厨房”ではないでしょうか。台湾人芸人、「海角七号」でバンドメンバーの一人勞馬を演じた民雄が、台湾中の原住民部落のvuvu(族語:オカーサン)ina(族語:シェフ?料理人?)を訪問し、その場で足を使い分け入った土地の野生の自生の食材を採取し、その場で料理をして見せてくれる番組です。
番組の特徴は、必ずその土地に自生、もしくは有機農場の野菜を用います。ということは、新鮮、季節もの、だから元気で身体にいい食材なのです。料理は目の前でvuvuの解説付きで出来上がっていきます。手の込んだ料理はありません。変に味付けもしない。紹介される料理のほとんどは部落の伝統料理だそうで、おばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんの・・・代から受け継がれてきた料理。番組の最後にvuvu曰く「養生健康美味」な料理ですと〆る。そうでしょう、空気が綺麗で、水がおいしくて、土地が汚染されていない高地なら、野菜はしゃきしゃきとして噛み応えあるだろうし、野菜本来の味は強いだろうし、なにしろその日の食い物はその日に採取して料理されるんですから。料理の基本でしょうね。
オッと、今日は木曜日、夜九時から「ina的厨房」が放映される!
7 comments:
原住民族電視台、Youtuveで見てみました。番組全編は見られないのですが、子供番組のショートクリップとか、歌番組の総集編などあり、「ぎゃはは」と楽しめますね。
「風中緋桜」で印象に残っているシーンは、高山初子が学生時代の花岡一郎に、珈琲豆をあげるシーンです。「大正モダン」そのもの、という感じがします。「非情城市」で歌われた「幌馬車之歌」にも同じモダニズムを感じます。
http://dehoudai.exblog.jp/12504430/
早速ご覧になったんですね、素早い!さすがですね。台湾のgoogleサイトから探すと結構いろいろな番組が見れると思いますよ、かの国と違って。私も先日カノ国のサイトから「風中緋桜」見てみようとしましたが広告が終わると切られましたね。
コーヒー豆=大正モダンっていうのは知りませんでした。いつも貴重な情報ありがとうございます。
思い出しました。台湾の山地でコーヒー豆が取れるんでした。占領時代、日本はこのコーヒー豆で商売していたようです。
最近原住民がこのコーヒー豆を使ってお店を開いたと原住民族電視台で報道していたことを思い出しました。独特な味がするらしいです。
高山初子さんと花岡一郎さんが、すっかり大正モダンしているので、そうかと思ってしまったのですが、中国は我々からは、ちょっと想像のつかないところがあるので、珈琲だってもっと古いのかもしれませんね。赤崁楼の分捕り品だったかもしれないし、大明国の頃に「アラブの偉いお坊さんが」持って来たのかもしれませんね。
高山初子さんと花岡一郎さんが、すっかり大正モダンしているので、そうかと思ってしまったのですが、御一新の折、売るものと言えば絹と茶くらいしか、思い付かなかった我々からは、中国はちょっと想像のつかないところがあるので、珈琲だってもっと古いのかもしれませんね。赤崁楼の分捕り品だったかもしれないし、大明国の頃に「アラブの偉いお坊さんが」持って来たのかもしれないし、史実はどうなっているのでしょう。
高山初子さんと花岡一郎さんが、すっかり大正モダンしているので、そうかと思ってしまいました。しかし御一新の折、売るものと言えば絹と茶くらいしか、思い付かなかった我々からは、中国はちょっと想像のつかないところがあるので、珈琲だってもっと古いのかもしれませんね。赤崁楼の分捕り品だったかもしれないし、大明国の頃に「アラブの偉いお坊さんが」持って来たのかもしれないし、史実はどうなっているのでしょう。
高山初子さんと花岡一郎さんが、すっかり大正モダンしているので、そうかと思ってしまいました。しかし御一新の折、売るものと言えば絹と茶くらいしか、思い付かなかった我々からは、中国はちょっと想像のつかないところがあるので、珈琲だってもっと古いのかもしれませんね。赤崁楼の分捕り品だったかもしれないし、大明国の頃に「アラブの偉いお坊さんが」持って来たのかもしれないし、史実はどうなっているのでしょう。
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