Sunday, March 30, 2008

[廈門・656天] Another Country

三週間ぶりのblog更新、そして明日はもう一つの国、アタシの母国に向かう。

ここアモイの生活は快適で離れがたい。過ごしやすい気候、都市計画が成功し、美しい街並みと昔の姿を残す老街。旧正月に訪れた姐姐の故郷とは大違い、ごみが極端に少ない。そして人当たりのいい住民たち。バスに乗り込むと、白髪を見つけて席を譲る若者たち。それに何といっても安い物価。東京の三分の一の生活費は、今後のことを考えるとかなりの魅力である。しかし、離職して三カ月が過ぎている。いくら過ごしやすいとはいえ、蓄えに限りがあるかぎり、何らかの手を打たなければならない。アタシがもと住んでいた街でよくぶち当たる、実入りのいい乞食の集団に加わるのも手かもしれないが、人にものを乞うのは苦手である。

先週、上海のオバサンを訪ねた。オバサンとはいえ、年はまだ四十半ばに達していない。このオバサン、かなりのやり手である。地元の政府関係者のトップを片っ端から手なずけている。日本留学を活かし、ここでも多くの日本人が話を聞いてくれるという方である。彼女がしきりに上海に来て一緒に仕事をしないかといってきていた。台湾の大兄からの話が決まっていたので言葉を濁していたが、その台湾、始まりがまだ見えていない。では、上海へ・・・。おー、現在の中国を象徴するような、でかく、先端のキーワードを掲げた開発が彼女の手の内にあった。魅力的である。

もし「アモイに死す」つもりなら、ここアモイで仕事を探すのが一番である。畏友シンさんのアモイの友人、ガッコの先生は、アタシに留まれ留まれ仕事があるぞ、台湾のフィーに劣らない高給だぞと脅しにかかる。自分のコンセプトで売り込みができる仕事だが、実際はそんなに甘くないはずだ。彼はアタシに餌を捲いてきた。あたしがこちらの農村に住んでみたいという一言を覚えていた。先週の日曜日、農村の行政にかかわってきた方、農村出の二人のお嬢さんと、のどかで、空気のいいアモイ郊外に出かけてきた。なかには若くして都会の仕事を放棄し、嘘のように安い賃貸料の山間の地でニワトリやウサギやアヒルやガチョウと生活をはじめている方の理想郷にもお連れいただいた。帰りには、その場で締めた鶏、インドネシア華僑の村民の手作りバウムクーヘン、果樹園からもぎたての果物と、土産の山までおまけつきであった。

あたしは今だにうじうじと、この先どうするの?と悩んでいる。朝には上海へ向かえと、寝るときにはアモイに留まれと。不思議な事に台湾へ向かえとは言ってこない。あれほど世話になった台湾、十分自立可能になった国への魅力がなぜか薄れている。いつも高度成長を終えた国には、食指をしめさなくなってしまう。韓国もそうだった。ここ中国大陸にはまだまだ発展の余地があり、旧体制と新世代が入り混じり、かつての日本や韓国や台湾のように、混沌とした混乱と矛盾をはらんで動いていくに違いない。その様を見続けてみたい。

あたしはこの混乱した頭を整理するため母国に向かうことにした。母国に戻ってどのような結論を出すのか、自分ながら楽しみである。

おー、この年になっても東アジアにどん欲でいられる。

[ MEMO: アモイを離れる前の二日間、部屋を解約して数ヶ月前の開店したホテルに移った。アモイに戻った際に使う荷物は姐姐のおじさんが預かってくれた。部屋は元秘書がホテルの知り合いに掛け合ってとても高い部屋を用意してくれた。彼女は今、ホテルの営業部に所属している。このところ、毎日曇り空に霧が出る。ホテルの窓からは、晴れていれば絶景を望めたはずだ。照明でかたどられた建物は開業直前の国際埠頭。 ]

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