Thursday, November 29, 2012

台北:豊かな表情で手話ニュースを伝える聴覚障害者・王曉書




Taipei:Wang Xiaoshu, the hearing impaired is TV news presenter. She presents the news by sign language rich expressiveness.

ここ台湾でも障害者が広く社会に出れるよう、いろいろな仕組みが設けられているし、メディアに登場する機会も多い。

私が住む台北の大通り、白い杖を持って歩道を歩く方。車椅子で行き来する姿、それも電動だったり、椅子いっぱいに売り物を飾って物売りをする人も。視覚障害者はお互い肩を貸し合い一団となって動いている。馴染みの青空市場には、駄菓子をその場で作って売る言語障害者のオバサンもいた。

日本でいうNHKのような立場のテレビ局・公共電視台では聴覚障害者用の番組をいくつか用意している。一つはニュース番組。もう一つは「聴聴看」。男女二人の聴障害者司会者が町に出て、海外を訪れて、同じ障害者と時間を共にする。上海の若い聴障害者夫妻が、アニメ作成のアトリエを立ち上げ、障害者の社会復帰に役立てている姿を追っていたりした。

手話ニュースはNHKの番組でも見たりしていた。こちらの手話ニュース・「公視手語新聞」を見るのは、字幕が出て、かつ要点だけを伝えるので語学演習に向いているから。それに「聴聴看」の司会者でもあるアナウンサーの王曉書、表情が豊かで見ていて楽しいのだ。お気に入りの番組の一つである。ちなみに彼女の本業は大手物流企業の平面モデルである。

11月12日の公視手語新聞 (via youtube)



Friday, November 2, 2012

台北:中山北路二段


私が住む台北、そのなかでも古くからの目抜き通り中山北路の二段、三十数年前、初めて訪れたときからここの町並みの変化を眺めてきた。しかし移ろう。町並みも風景も店も道行く人の風情も。変わらないでいるのはうっそうと茂る並木。

車道巾30メートルに歩道と騎楼といわれるアーケードを含めると45メートルにもなる大通り。車路は片側四車線、歩道側二車線は慢車道と呼ばれるバス、バイク、自転車、そして右折専用車線(台湾は右側通行)。中央二車線が直進道となる快車道。慢車道と快車道には緑繁る樹木の分離帯。歩道にも立派な並木が立ち並ぶ。真夏は樹陰や騎楼が強い日差しを遮り、スコールがやってくれば騎楼のなかを歩けば快適に行き来できる仕掛けみになっている。

目抜き通りといえど、三十数年前は薄暗かった。民生西路との交差点に馬偕病院、斜め向かいに国賓飯店、目に付く建物といえばそれぐらいだったろうか。洒落た店構えなら国賓飯店を台北駅に向かって歩くと、ブランド物を置いている店の並んだ老翁飯店。向かい側には日本時代の民家が老木に囲まれてただづんでいた。国賓飯店を北に、圓山飯店方向に少し歩くと洋書専門店があった。確か敦煌書局という名前だった。日本書籍を扱っていたのは邱永漢の店だが、二段を外れ、一段にあった。


十年を経ると伝統的台湾建築を模した内装の茶館が目に付くようになる。おそらく民主化運動と台湾自立の風潮がそうさせたのだろう。店には若者たちで溢れていた。大きな店構えの洒落たケーキ屋ができ、生クリームのおいしさに舌鼓を打ったことを覚えている。このお店、そのあと民生東路に間口の狭い店舗へと移転、そしてさらに先日、中山北路の元の店から路地を入った小さな小さな場所へと変わってしまった。店の女将曰く、「家賃が七万に管理料、やっていけません」。

さらに十年、中山北路二段はブライダル・アベニューへと変身する。店舗前面総ガラス張りの、白一色の、純白のウェディングドレスをマネキンに着せ、ウェディングパーティーの仕切りを売り始める。昼も夜も煌々と照らしだされ、中山北路二段は輝いていた。

台北の発展はその後、市の東地区へと移っていく。信義地区が副都心として整備されるにつれ、仕事、ショッピングは場所を変えていった。古臭かった西門町は再開発で若者を再び引き寄せるようになる。高級店舗は101超高層ビル一帯へと移っていった。

そしてリーマンショック、世界経済危機、中国経済停滞の始まり、結婚願望のない若者たちの登場、ブライダル・アベニューは一つまた一つと歯が抜け始める。残ったのは古くからある裏通りの賑わい、古きよき台北だろう。

素食屋に向かったある日の夕刻、ある店が開店していた。華やかに宣伝を打っていそうにもない。See's CANDIES。米国カリフォルニアの高級チョコレート店。中山北路二段に毛色の変わった店の登場である。信義地区の、ブランド品販売で有名な誠品書店や三越ではなく、See's CANDIESは中山北路二段を台湾第一号店に選んだ。しかしいつ見ても店内は閑散としている。狙いはなんだろう。中山北路二段は更なる移ろいを見せるのだろうか。




Saturday, October 27, 2012

霧社事件: 花岡二郎宿舍牆上的遺書


今から八十二年前の今日、台湾高地原住民・賽德克族(Seediq)が、台湾中部霧社で、占領国日本に対して叛乱を起こした。1930年10月27日早朝、毎年恒例の学童運動会での出来事である。

事件の最中、優良蕃童として日本式の教育を受け、日本警察官として現地で職についていた賽德克族の二人、花岡一郎と花岡二郎は遺書をしたため、一人は賽德克族の習いに基づき首をつり、一人は日本刀で割腹自殺をした。

この写真は、その遺書と、花岡二郎の妻・高山初子および日本人警察官・石川某の妻の写真が合成されたもの。全員台湾原住民・賽德克族である。

[ 遺書:写真出典 ]
・標題:花岡二郎宿舍牆上的遺書(描述標題)霧社討伐寫真帳(機構標題)霧社討伐寫真帖(書名)
・創作者:海老原耕平(日本, 編撰者)
・創作日期:昭和六年(發行日期)
・地點:國立臺中圖書館(中華民國, 台中, 典藏地點)

[ 遺書全文 ] (引用: Wikipedia 日本語)

    花岡兩
    我等は此の世を去らねばならぬ
    蕃人のこうふんは出役が多い為にこんな事件になりました
    我等も蕃人達に捕らはれどふする事も出来ません。
    昭和五年拾月弐拾七日午前九時
    蕃人は各方面に守つて居ますから 郡守以下職員全部公学校方面に死せり
    (花岡二郎筆)
    花岡、責任上考フレバ考フル程コンナ事ヲセネバナラナイ全部此処二居ルノハ家族デス
    (花岡一郎筆)


[ blog内霧社事件関連記事 ]
GAYA:霧社事件 - 賽德克族 - 賽德克・巴萊 Seediq Bale - 莫那・魯道
台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民
「風中緋櫻-霧社事件」を演じた若者たち

[ Wikipediaから ]
・霧社事件 - Wikipedia 日本語
霧社事件 - Wikipedia 中文
Wushe Incident - English



Friday, October 26, 2012

台湾・礁溪:水田地帯に計画される町屋形式の高級別荘


昨日、ある計画地を見てほしいというので台湾東部の温泉地・礁溪を訪れる。一帯が水田地帯。その田んぼをつぶして四角いコンクリートの住宅が虫喰いのように建っている。ところどころ、うっそうとした竹林に囲まれた古農家が。覗いてみると、朽ち果てようとしている三合院形式の伝統住宅。有り余る土地に、老夫婦が畑の手入れをしていた。長閑で、水田地帯になじんだ風景。

話は1900坪の水田を埋め立て、600坪強の土地に150坪三戸の別荘にしたいという計画。しかし信じられないことに、道路に対し短冊のように区画、細長い、町屋のような形式で向う三軒両隣を建てようという。

辺りを見回して思い浮かんだのは、塀で囲われた園林(庭園)のなかに瀟洒な建物が配置されているという風景。そう話をすると、台湾人の、土地所有の、財産分与の方法にあわない、買い手がつかないという。解決方法はいろいろあるはずだが、残念なことに聞く耳持たなかった。

海に近く、海風が届き、強い陽射しに味のある空気。久しぶりに胸の中が洗われたものの、次の一歩を踏み出せないデベロッパー。いつもながらの虚しさを味わうほかなかった。

Wednesday, October 17, 2012

台北:害羞 - Shy - 馬志翔 - 甜‧祕密 Together


Umin.Boya(馬志翔)のFBで彼が久しぶりに映画に登場だと知りました。「甜‧祕密 Together」という題名。FBのコメント欄にひとこと「害羞」とだけ。Shy、はずかしい...。彼らしい。原住民の女性はドンドンドンと前に出てくる人が多い。しかし男性はどちらかというと控えめ。「害羞」なんでしょうね。

癖のある方々が演じています。大姐の李烈、硬派な巫建和、他には隋棠、鍾鎮濤、馬志翔、李千娜、吳中天、張少懷、などなど...。興行的に成功するかは、どうでしょうか。

それより、私は早くUmin.Boya(馬志翔)、彼が演出する作品を見たいですね。

Weekly fotolog - 東アジアは停看聴・厦門


10月12日から16日まで、厦門にGardening breakでした。通信事情の悪いあちらで何が出来るのか何が出来ないのか、試してみました。このbloggerサイトは依然として切断されたままです。そこで、イメージファイルを投稿している’fotolog - 東アジアは停看聴’を利用してみます。うまくいっていそうです。その際の投稿をWeekly fotologとしてまとめました。

October 13, 2012
Xiamen : Main Street at dawn
厦門:旅の疲れが早々と床につかせます。おかげで未明に目覚め、一寸下を覗いて…

October 14, 2012
Xiamen: Orange I bought at street market at last night.厦門:朝食前にカシャ!

October 15, 2012
Xiamen: See Weather Station tower at dawn.
厦門:明け方五時半、丘の上の気象台タワーを見る。台北と時差無しですが、西に位置しているぶん、厦門は同じ時間でも明らかに薄暗いですね。

October 15, 2012
Xiamen: The afternoon tea at the coffee shop in the lakeside familiar.
厦門:この珈琲店の女性マネージャーは五年来の知り合いです。厦門を訪れた際には一度は顔を出しています。清々しい午後、テラスでのんびりと語らいあってきました。

October 15, 2012
Xiamen: Window for bird watching on the lakeside.厦門:湖濱北路の人造湖(筼箪湖)には目当ての餌を求めてたくさんの鳥が集まってきます。湖畔際に立てられた壁にはそんな鳥たちを観察するための仕掛けがされています。

October 16, 2012
Xiamen: The floating boat for cleaning & management.厦門:湖面に係留されていた清掃管理用の浮き船

October 17, 2012
Xiamen: International Ferry Terminal after a rip.厦門:離岸直後の国際フェリーターミナル。後ろに聳え立つ建物群は一昨年には姿がありませんでした。
October 17, 2012
Jinmen Airport: Small turboprop airliner helped me again. Flyover near scenic on the ground was a good. Eighty seats of airplane was cozy.

金門空港:今回もお世話になった小型ターボプロップ旅客機。八十席と居心地のいい数のシート、高度1万五千フィートという地上に近く眺めのいい低空飛行、何もかもいいスケールです。

Sunday, August 26, 2012

GAYA:霧社事件 - 賽德克族 - 賽德克・巴萊 Seediq Bale - 莫那・魯道


一年落ちの話題。先日、日本占領期の台湾で起きた台湾原住民の叛乱事件・霧社事件の映画の第1部「セデック・バレ 太陽旗」と第2部「セデック・バレ 虹の橋」合計4時間半が二週間にわたりテレビ放映された。一年落ちとはいえ、これまでこのブログで取り上げてきた話題だけに放っておくわけにいかない。なにしろ台湾原住民を知るきっかけをつくってくれたのが、霧社事件を生き残った一人の原住民女性を描いた「風中緋櫻」というテレビドラマだったのだから。

「セデック・バレ」 (賽德克·巴萊 - Seediq Bale)は劇場映画であり、商業的興行的に成功させることを前提に作られている。一年前の台湾はこの話題で溢れていて、猫も杓子も右に習えのような状況だった。勿論私も期待した。しかし上映が近づき、TVで流される予告編を看ているうちに、あれっ寸違うなー感をもつようになる。

一年落ちで看た映画の印象でもそれは変わらなかった。粗っぽかった。脚本も演出も粗っぽい。一場面一場面はしっかり描かれているものの、プロットがどうなっているのかわからなかった。これでは霧社事件は霧の中だ。

そんなことはどうでもいい。私が知りたかったのは日本人女子供の虐殺をどう描いたかだ。私には弱者の代表女子供までも、という思いがあった。賽德克族の頭目莫那·魯道(モーナ・ルダオ)と叛乱に参加した国民学校の子供たちも含め、祖先の霊の命もと殺戮を行う。しかし映画を看ている限りでは抑圧された原住民族が叛乱に立ち上がった、だけにしか写らない。それでは抑圧する側と非抑圧民族の悲劇を描いた今までの映画と変わらない。劇中「祖霊が叫んでいる」的なセリフはあるものの説得力はない。

十年前につくられたテレビドラマ「風中緋櫻」では、叛乱にいたるまでの経過を丁寧に描いてくれたおかげで、賽德克族の歴史・風習・観念などを視聴者がある程度理解できるよう下準備をしてくれていた。莫那·魯道(モーナ・ルダオ)は配慮を尽くす戦略家として、優れた武闘派の頭目だったことを納得させてくれていた。「セデック・バレ」にはそれが欠けていたと思う。莫那·魯道は最初から英雄として登場する。

「風中緋櫻」を見た後、賽德克族について調べてみた。賽德克族に限らないが台湾原住民、それも山岳原住民には「文面」(顔の刺青)「出草」(首狩)の習慣があった。文面も出草も1950年代まで行われていた。

昨年「セデック・バレ」が上映されると、各テレビ局は特集を組んでこの映画の紹介を行った。ここ台湾には原住民族電視台という公共テレビ局がある。話題を扱うには最適なテレビ局である。ある番組、たしか「原地發聲」だったと思う。賽德克族の学者、識者、研究者が参加した討論番組が放映された。彼らのとった立場は当然ながら「映画は映画、歴史は歴史」である。彼らは先祖から受け継いだ知識や自らの研究を元に発言を行ったが、最後に一人の研究者の言葉が全てを語っていたと思う。

なぜ莫那·魯道は日本人の首を狩ったのか。映画や討論の中で「GAYA」という一語が語られる。GAYAは賽德克族を律する概念である。文献に目を通してみた。言葉として理解は出来る。しかしそれだけである。研究者は莫那·魯道が日本人の虐殺を行う前、必ず祖先の霊にその是非を問うたはずだと言った。その上の決断だったはずだと。彼は司会者に向かってこう語った。「私の顔に刺青はありますか?」「刺青のない族人が先祖の行いを真に理解できるでしょうか」。狩猟を棄て、都会に住む賽德克族の研究者は、すでにGAYAの外にいることを告げた。

台湾原住民の間にはいまだにアニミズムが色濃く残されている。そのどれもに私は惹かれる。時間と共に消え去るだろう興味深い話題を探ってみたい。しかし私にはもうそんな時間は残されていない。彼らと日本人との関係は思いのほかに深い。

[関連記事]
台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民
「風中緋櫻-霧社事件」を演じた若者たち
花岡両名の遺書
[台北] 原住民族電視台って...
[台北] 原住民族電視台はGreen Channel - ”ina的厨房”

Sunday, August 5, 2012

台北: 《桃姐》 如果有1天你老无所依


昨夜香港映画「桃姐」をTV局が放映してくれた。話題作だというのは聞いていたし、夏休み特別番組の一つとして予告も流れていた。土曜日の夜九時、しかしわたしはそのことをすっかり忘れていた。他愛もない内容の番組ばかりでチャンネルをあちこち合わせていたところ劉徳華(アンディ・ラウ)の姿を見つけた。すでに番組開始から十五分を経過していた。なんてこった!

静かに淡々と進むお話。劉徳華(アンディ・ラウ)の幹媽(乳母)桃姐 ディニー・イップ(葉德嫻)が中風で身体が不自由になる。仕事が多忙にもかかわらず、アンディ・ラウは生まれたときから自分の面倒を見てくれた幹媽を、彼女の最後の日まで見守ってあげる。人生のほとんどを劉徳華一家のもとで過ごした幸せな幹媽の一生。監督はそう描いていた。劉徳華と葉德嫻二人共演十作目だそうだ。実に味のある女優さんだ。

話の途中にカメオ出演でツイ・ハーク サモ・ハン・キンポー アンジェラベイビーなど香港映画界の知れた連中がちょこちょこ登場したりするのもアンディ・ラウの顔だろう。

桃姐の身寄りはみな米国に移民、面倒を見てくれる人間は周りには誰もいない。彼女は養老院での療養を選ぶ。日本の養老院を見てくるとその違い、お粗末さ。民間の施設だろうか、ここの経営者が「無限道」などで顔の知れたアンソニー・ウォン(黄秋生)だったりする。お粗末な施設の割には入院している人たちをおおらかに描いているのがいい。

今朝方早速「桃姐」の資料を探してみた。ウィキペディアには「タオさんのしあわせ(原題:桃姐 英:A Simple Life)は、2011年に製作された香港映画。アン・ホイ監督。日本では、2012年の第4回沖縄国際映画祭で上映され、ゴールデンシーサー賞(金石獅子賞)等を受賞」。この秋に一般公開予定だそうだ。

さらに大陸のあるサイトでより詳しく紹介されていた。
《桃姐》 如果有1天你老无所依 (もしある日よりどころを失ったら...)
このタイトルは私には厳しい。こちらの友人が先日私に問いかけた。「この先何かあったら娘さんたちは面倒を見てくれますか?」「私は子供たちに迷惑をかけないよう養老院に入るつもりでいます」。その準備は出来ていますか?

[追記:今日の午後六時半から再放送。ただしもともとの広東語ではなく吹き替えの普通語]

Wednesday, July 18, 2012

金門:フェリーの旅がうれしいのは金門名産のソーメンが食べれること

もともと船旅が好きでした。といっても大型旅客船でバケーションなんてことではありません。関釜フェリーとか、地元の人が日常利用している目と鼻の先の向こう岸に渡る韓国三十八度線近くの草束の引き舟とか、台湾高雄の渡し舟とか、布袋から彭湖島までの船旅とか、なにも海外でなくても東京下町水上バスとか、そんなささやかな船に乗るのも私には小さな和やかな旅になります。

台湾から厦門に渡る、またはその逆、の交通手段は二つある。一つは飛行機で一発一時間半近くという便利さ優先の方法。もう一つは金門島まで国内線、そこからフェリーに乗り換えて厦門へ。いくら急いでも三時間を切ることはない。ただ一発で厦門は飛行高度が高いこともあり、時間がかかる割には楽しみがない。ところが国内線ですと比較的低空で飛んでくれる。台湾西海岸沿いに南下し、台中を過ぎた先で洋上へ、そして彭湖島を上空から眺めながら金門へ。その間天気さえよければ窓からの光景は飽きることがない。

金門に着くと国内航空会社、なんと台北からは四社がサービスを争っている激戦区、が用意するシャトルバスでフェリー乗り場に連れて行かれる。航空会社は空港カウンターでフェリーへの乗り換えて続きを代行してくれる。そこでパスポートを手渡さなければならない。しかしフェリー乗り場で各自が出国手続きをする煩わしさがなくなるのでわたし的には楽だ。なおかつ客へのサービスとして途中お土産屋に立ち寄る。このお土産屋が金門名産、小さな島の風が強く痩せた土地でも収穫が望めるソーメンの試食をさせてくれる。醤は何種類か用意されていて自分で選んでぶっかける。これが実に美味しい。わたしは毎度お代わりをし、最後にわかめスープで口直しをする。

台湾沿岸を眺めながら、ときに新幹線の走行を目撃し、てんでんばらばらに白波を立てながら航行する船を眼下に眺め、ソーメンを楽しみ、フェリーの船倉でのんびりと波間を漂いながら厦門へと向かう。変化に富んでいて旅らしい旅ができる台湾
- 厦門です。

#tagged #Taiwan #China #Taipei #Jinmen #Penghu #Xiamen #ferry #Jinmen
noodles #台湾 #中国 #台北 #金門 #彭湖島 #厦門 #フェリー #金門名産 #ソーメン

Tuesday, July 17, 2012

厦門:台北と変わらず路上で買い物を...

こちらの超高層マンションには必ずといっていいほど便利店(雑貨屋)が付帯している。何しろ一つの超高層ともなると300から500戸の住まいが入っている。一棟で500人から1000人以上の住民が入っている計算だ。厦門のこの暑さ、シャワーを浴びたあとに冷蔵庫からビールを、おっと栓抜きを忘れた、といえばエレベーターで降りればいつでもたいがいな物が手に入る。そして都会の生活、夜に働く人たちも多い。便利店は24時間営業でまさに便利な存在である。

大通りに面した私が滞在しているサービス・アパートメントとマンション群の前にはバス停があり、人の行き交いも多い。夜になるとここに出店が出る。夜店の屋台。野菜果物魚介類になかには衣服も。便利店では生鮮食品は扱っていないので、私は果物をここで購入してみた。薄暗い路上、一見怪しげであるものの、こちらの人たちがしげく通っている様子なので私も加わってみる。

まずは林檎。味は台北で買う一番安い拝拝用の林檎よりしっとりとしていて歯ごたえもいい。但し値は台北と差がない。昨夜は葡萄を買ってみた。大通りを跨ぐ歩道橋に上で若い女性が籠いっぱいの葡萄を売っていた。当の本人は商売っ気なし。スマホをいじり続けている。客が目の前で立ち止まると始めて顔を上げる。「いくらで売るんだい?」「八元、一斤八元」。台湾言で四十元、、日本円約百円。安くはない。しかし見た目がよさそうなので購入する。

部屋に戻り、ビールのつまみに葡萄。これが結構美味しかった。それにしても来るたびに物価が上がっている。姐姐の話によると、厦門では今、一日平均三元値上がりしているという。一月百元、日本円で千二百円、尋常ではない。

Monday, July 16, 2012

厦門:相変わらず厳しいネット事情と台北より厳しい気候でバテバテです

一寸は改善されているかと期待していたネット接続事情、まったくその気配はありません。台北を出る前、いくつかの情報は掻い潜っていつものようにツイッターがFBがbloggerが使えそうだと教えてくれていましたが、結局全部ダメでした。そのような状況に置かれた時、どうやって他の人たちに伝えていけばいいのか、代替案を用意しておいたほうがいいでしょうね。

この記事はメールソフトを使って私のblogに送っています。bloggerは私の投稿記事のタイトルをツイッターとFBに転送してくれているはずです。しかしこの地にあって確認はできません。それだけ、一方通行なだけ。どのような反応が出ているのかわかりません。

厦門でのんびりしていたところ、台北での疲れがどっとでてきました。気温を台北と比較してみても2度は厦門のほうが高い。疲れと暑さ、何かをしようという気力が出てきません。先ほどまで部屋のベットで昼寝をしていたくらいです。体力を回復させねばと昨夜はカツカレーを食します。昼はこちらの姐姐家のテーブルで魚やアヒルの肉を口にしました。今年の夏は体力勝負ですね、きっと。

昼前、出かけるときは真っ青な夏日より。定宿のサービス・アパートメントから周りを見上げると写真のような風景を見ることができます。暑さが写真に出ていると思うんですけど。

さて夜はどうしますか。ザル蕎麦が食いたくなったな...。

#Xiamen #hot #summer #net #net solution #厦門 #夏日より # 通信 #通信事情

Sunday, July 15, 2012

厦門:尋常ではない台北の気候を逃れて厦門に向かったのですが...

厦門:ここ一週間の台北の気候は尋常ではありませんでした。連日三十六度辺り、週始めには三十八度を超えるという事態です。外に出ると息苦しい、部屋の空調を入れると身体がダルくなる。仕方なく夕食のあとは線条公園で夕涼みです。二十元の酸梅湯を片手に公園のベンチに座り行き交う人たちを観察しながら一息入れなければなりませんでした。早くここを脱出したい、で、ようやく昨日厦門へと向かいました。

金門島経由のフェリーの旅になります。いつものコースです。金門は真っ青な空と強い風とで暑いとはいえ日陰はヒヤッとします。気持ちがすこぶる爽やかになりました。そしてフェリーの客に。

フェリーの客は何か変な台湾人団体客が大勢です。一人のオバサンが私の脇にやってきて尋ねます。タバコを購入するか?ときくので「ええ」と答えると、「うんと?」「いや2カートン」「じゃさ、あたしが買うとき手伝ってくれない?」。「いいですよ」と答えたものの分けがわかりません。

買い物集団。大量にタバコを買い占めるんですね。一人の制限がどうやら十カートンらしい。それ以上の分を私に負わせようという事でした。免税店に引っ張っていかれ、いかにも私が購入するのを手伝っている風に振舞うオバサン。どのぐらい買ったのでしょうか、買い終えると私には目もやらづにさっさとどこかに消えていってしまいました。待合室ではあちらこちらで買い物荷物の詰め替えをする姿でいっぱいです。そんな風景を見ていると、昔釜山に渡ったときの関釜フェリーが目に浮かんできました。日本と韓国の間で小さな商売をしている人たちの日韓の人たちの姿です。

夕刻の厦金フェリー、風が強いせいでしょう波が荒い、始めのうちは大きく上下に揺れては歓声が上がっていましたが、そのうち静まり返ってしまいました。気分が悪くなったのでしょう。トイレに駆け込む人、座席に用意されたビニール袋を使う人...。

厦門に近づき湾の中に入ったようです。波は収まり、日没を迎える空はターナーの絵のような風景がありました。

#Taipei #summer #Jinmen #ferry #Xiamen #台北 #真夏日 #金門 #フェリー #厦門

Saturday, July 7, 2012

台北:こちらでは話も仕事も何もかもが早い

今週始めのこと、素食屋(ベジタリアン・レストランといってもビュッフェスタイル)を出て線条公園、変な名前ですね、で一服していると、人通りも少なくなった青空市場のほうに閃光の流れているのが見えました。訪れてみます。

市場の一角、確か雑貨や洋品を扱っていたお店がガランとして、屋根周りの鉄骨組み物をバーナーで焼き切っていました。市場通りでもこの建物は平屋、平屋の建物はほとんどありません。みな二階建て以上。商売にはいい立地です。おー建て替えかー。しかし建て替えとなると市場の一角が工事現場になって風景が寂しくなるなー、などと思いつつシャッターを切りました。

翌日だったかそのまた次の日だったか素食屋の帰りに公園で一服します。解体中の建物はまだ残ったままです。通りに面した屋根の先にピカピカしたステンレスのプレートが取り付けられていました。解体ではなく化粧直し。恐らく仕事自体は夕刻から数時間で終えてしまったのでしょう、翌日辺りにたったったと化粧。仕事が速い。品質どうのこうのは別の話です。商売を途切れさせないことが必須条件。このようにすばやく仕事をこなす、そんな風景はここ台北の街中ではよく目にします。

一年ほど前だったでしょうか、私の住まいの向かいに小料理屋ができました。日本人好みな設えでした。しかし半年ももちませんでした。しばらくして元々の店の看板の一部が書き換えられ新たな小料理屋の登場です。名前で客が来るような場所ではありません。これで十分なのです。

こちらの人は早口です。そして決断も早い。あれこれ考えた後に、は時代遅れ。思いついたら即、普通の会話にしても商売にしても即決が美徳なんですね。

#Taiwan, #Taipei, #outdoor, #market, #台湾, #台北, #青空市場, #線条, #公園, #END

Sunday, June 24, 2012

台北:何事も神頼み - 文昌宮の祈願札

小さいときから我が家には神棚はありませんでした。父親の考えだったのでしょうか。医者だった父は自分の診断以外に頼る方法がなかったからでしょうか。
我が家に神棚がすえられたのはそれから四十年あと、千葉の片田舎の農家に引っ越したあと。古農家ですからちゃんと神棚が用意されていました。部落のバッチャンがやってきては神棚が殺風景だね、と一言いっては消えていきます。
部落には神社があり、年に一度の初詣に出かけます。冬の農村地帯、息が真っ白になります。東京からやってきた娘ともども拍手を打ちます。終えて鳥居に出口で部落の男衆から杯を受け、お札と神矢としめ縄をもって帰ります。ちゃんと飾る場所がありますから不自由はしません。それに和紙と稲と白木は和小屋の室内によく合う。室内装飾としてもいいんです。そんな具合ですから信心で飾ったわけではありません。
台湾はちゃんと信心しているようです。商売で信心、家内安泰で信心、健康で信心そして多くのお願い事を廟詣でしてきます。日ごろ訪れる青空市場には文昌宮というそこそこ立派な廟があります。路地に、公園に直接面しいることもあり、通勤通学の帰路の際、一瞬足を止めて手を合せ拝んでいきます。若い連中はおじいちゃん、両親の姿を見て育ったからでしょうか、真剣そのもので向かい合っています。
昨日は参拝客が少なかった。端午節だったからでしょうか。久しぶりに石段を上がります。正廟の柱に願掛けの木札が無数に掛けられていました。一寸目をやると、受験シーズンですね、無事試験が通りますようにの文面が多かった。私はというと、そう傍観者、異国の傍観者です。

Saturday, June 23, 2012

台北:路上の高手 - 裾上げ

今日は端午節、休日です。といっても土曜日ですので多くの民間企業はお休み。休日ですのでいつもの素食屋さんもお休み。
食材を買いに出かけます。勿論いつもの青空市場。ただ一寸閑散とした風景です。みな家族で出かけているのでしょうか。それでもやはり飽きない風景が繰り広げられています。
いつもは見かけない仕事ぶりを見つけました。ズボンの裾上げ。小さな作業台の上にはこれもまた小さな電動ミシン。使い込まれています。どのぐらいつかっているんですかいなと問うとオニーサン、にこっと笑って十年と答えてくれました。手入れが行き届いています。金属部分がいぶし銀のように輝いています。それに仕事が速い。右側、左側、さっと片付け次のズボンに手が届きます。
どういう人が注文するんでしょうか、お客さんの姿はありませんでした。脇にズボンがうず高く積まれていました。きっと洋服の専門店なども頼むんでしょ。ひたむきに仕事する姿を見てうれしくなってしまいました。
あっと、タイトルにある「高手」はプロ 手練(てだれ) っていう意味です。

Friday, June 22, 2012

三芝:台湾歴史建築シリーズの切り紙絵葉書

友人が土地を見て欲しいと淡水の先にある三芝を訪れた。台湾最北端に近いこの土地、驚いたことにマンションが林立している。しかし友の話では、夜は真っ暗、人気のない幽霊建築だそうだ。開発ブームに沸いた二十年近く前のこと、開発会社は猫も杓子もと工事を始めた。しかしそれもつかの間、経済は坂道を下り始める。マンションを購入した人は、週末に部屋の様子を見にやってくる程度で、永住している姿はほとんど拝めないとの事。

ある大きな一角に販売用の大きな看板が立てられていた。どこかで見たマンション名だ。そう、最近テレビで広告を打っているマンションだ。友人曰く、以前売りに出したものの、売れ残り物件だったのを、名前を変えて再度売りに出したんだそうだ。いくらなんだろうか。

彼はマンションを購入するつもりはない。なだらかな丘が続く農村地帯を選ぼうとしていた。空気よし、緑多し、車少なし、地元で仕事をするなり、隠居生活をするなら格別にすばらしい。しかし友たちは彼に耳打ちするそうだ。「風が強いぞ」「雨が多いんだよなこの辺は」「車なんてすぐ錆び付くしさ」。

三芝には元総統・李登輝氏の生家がある。家は残されているものの、そのことを記した表示は見つけられなかった。ひっそりと残されていた。それでも観光客が訪れるのだろう、前庭の立派な榕樹の下では土地の作物を並べて売っていた。友は上さんへの手土産にと何がしかの野菜を購入していた。安い、台北の三分の一以下の価格である。生活し易すそうである。元総統の生家の前に文化中心舘が建てられている。三芝から輩出した四人のたちの業績を展示していた。

ホール脇に売店があった。そこには台湾の歴史建築シリーズの切り紙絵葉書を置いていた。B6版の大きな絵葉書である。売店のご主人、親切にも「カッターナイフは使わないでね、怪我するからね、鋏使ってよ」と助言してくれた。

台北:裏通りの道路標識

車だらけの台北です。そこで考えたのでしょう、表通りの左折禁止(こちらは車は右側通行ですから)の多いこと。そして抜け道として裏通りを走らないよう設置された道路標識。

この写真はのんびり走ってくださいな、と伝えています。一番上のサインは減速設備が道路に埋め込まれています、という意味です。硬質ゴムとステンレスでできた緩衝器。車もバイクもゴトンゴトンと乗り越えなければならないので運転手は仕方なく速度を落とします。

Tuesday, June 12, 2012

台北:梅雨前線停滞中です



久しく夏の雲が拝めていました。ところがここにきて前線が台湾本島にかかってきました。時期といえば時期なのですが、雨が降っても涼しさはともなわない。ジメジメムシムシ。雨季に入りました。南の都市・高雄では豪雨で町が冠水しているようです。これも毎年のこと。あと一月近く続くでしょうか。

夜、家で一人パソコンに向かっていても、キーボードを打つ指先がじっとりしてくるのがわかります。空調機を開けばいいと思うも、身体に合いません。すぐに鼻かぜ状態になってしまいます。そこで大家さんが用意した時代物・ビンテージ扇風機を使っています。高級電扇、雰囲気が出ていいものです。プレートには保護用のフィルムが貼ってあります。いつごろのものなんでしょうか、かなり薄汚れて見えます。しかし拭いても取れません。


Monday, June 11, 2012

台北: あまりの暑さに身体が軋みはじめたので酸梅湯の大瓶を購入...


さすがにこの蒸し暑さは厳しい。素食屋 ( Veggie Restaurant )に出向くも食が進まず、五穀ご飯も軽ーく盛り付け野菜ご飯、さっさと食べ終え夕涼みにと青空市場と並行する風通しのいい公園に。体中の水分はみんな汗になって消えてしまったらしくやたらとのどが渇きます。ではと公園脇の、お店の軒下をちょっくら貸してくださいな風の飲料屋さん。このところご厄介になっております。
と見ると列ができている。みな乾ききっているようです。みな大量に買い込んでいます。小カップ、中カップ、大カップ、そしてボトル詰め。品揃えは三種。酸梅湯に冬瓜茶、それともう一つはアタシ読めません。歴史があるお店らしい。こちらの友人が昔教えてくれました。
ジッちゃんとバッちゃん、二人が変わりばんこに店を仕切っている。でかいステンレスのケースから柄杓ではいよっとプラスティックのカップに移す。20元30元40元大瓶が100元。どの飲料も価格差はありません。量り売り。店の脇にはじか置きのプロパンガスコンロで砕いた梅をゴトゴト煮立てている。十分にエキスが出るとケースに移されるんでしょうね。煮立てては水を足していく。
そんな風景を眺めながら順番を待ちます。そして私。思わず「酸梅大瓶」と注文してしまいました。今は部屋の冷蔵庫に収まっています。日ごろはミネラルウォーター類を持ち歩いておりましたが、これからはギンギンに凍らせた酸梅湯にすることにします。



Saturday, June 9, 2012

台北:青空市場 運転の達人


今日の午後のこと。人と屋台と商品で溢れかえる青空市場、昼の一時過ぎれば荷物の片づけが始まる。店によっては車で運び出す。四メートルに満たない路地の両側に出店となれば人が歩けるのは二メートル弱。雑踏の中にある路地のT字路に入り込むバンが一台、ギュンとハンドル切ってバックでも一度ギュン、更にもう一度。車の先っぽ十センチ足らずに屋台の角が、五センチ足らずで別の屋台をやり過ごす。毎度のことなのだろうがお見事と言うより他にない。

路行くわれわれ路を塞がれ動くに動けず、そのさまを見ております。運転していたのはオネーサン、私の脇を通り過ごす際にアタシ、思わずにこっと笑って親指を立ててしまいました。彼女、微笑み返しで「謝謝!」。



Saturday, May 19, 2012

台北:日本の伝統菓子は工芸品


友が日本よりやってきました。社員旅行とのこと。しかしあいにくの天気、滞在期間はずーっと曇天とスコールに見舞われることになりそうです。金環日食も一部拝めるだろうからとわざわざ観測用眼鏡も用意してきています。こちらのメディアが騒いでいないところを見ると、台北はルートを外れているのでしょう。もしかしたら桃園あたりならぎりぎりというところかもしれません。月曜日、台北の天気予報は曇り、期待できそうにありません。

ホテルで落ち合います。丁度チェックインの最中。ところがホテルが違う、あなた方が予約したのはこの先を曲がって云々...。何のことはない、ゆったりとした部屋のホテルと、別館でビジネス向けホテルの二つがあったんですね。一行、そうだよなーと納得顔で歩いて五分ほどの別館に。どの部屋も窓の先が小さな小さな吹き抜けか窓を開けると目の前がオフィスビルの壁。しかしシックな内装を私は嫌いではありません。なにより通りに面した車の音が入り込む部屋よりははるかにマシです。

ラウンジで珈琲の無料サービスを受けながら質疑応答。士林の夜市をコースの始めにあげます。私はここの夜市あまりお勧めできません。ただただ混み合っているだけ、料理はまずいし高いし、それに今は地下に移されたのではないでしょうか、こちらの人たちからは反対意見も多いと聞いています。

みなさんEasyCardという公共交通機関用のプリペイドカードを用意していました。台北に行くというと旅行会社が用意してくれるのでしょうか。チャージは現地で。このカード、初めて購入すると百元手数料がかかるんです。なかなかいいサービスをしていますね。

夕方の台北、丁度通り雨が過ぎ去ったあと。地下鉄まで同行、チャージングの際に一寸したトラブルがあったものの、みなさん台北の下町見学へと向かいました。

友は私にお土産を用意してくれました。虎屋の羊羹。空港限定販売だという一口羊羹。それでもずっしりと重い。久しぶりです。そして何より包装が美しい。日本の買い物は包装を買っているようなものだとよく言われますが、この包装は見た目の美しさでも楽しませてくれます。工芸品だといえばいいでしょうか。日本独特の文化といえるんではないでしょうか。これなら無駄使いとはいえないと思います。
部屋に戻って早速見て味わい口にして味わさせてもらいました。感謝です。 [burikineko]

Sunday, April 22, 2012

台北:金門の「貢糖」何故か人気があるらしい

落花生菓子「貢糖」
厦門に出かける前、宿の手配を元同僚の姐姐に頼むべくテキストメッセージを送りました。あいよ、と快く引き受けてくれます。あーと、来る時金門の名産お菓子買って来ておくれ、後で銘柄調べて連絡入れっからね。

私が読めない名前のお菓子です。ネットで調べて見ます。「貢糖」 [gòng táng]。便利ですねネットは。落花生のお菓子。写真がありました。おー見覚えある菓子だなー。よそ様の御宅でしばしば出てくるお菓子ですね。これなら厦門にもあるだろうにと思ったのですが、金門島の名産らしい。土地柄美味しい落花生を生産している。これに麦芽・砂糖・海苔(海草)芝麻(セザミ)などを加えたもの。砂糖の量加減では甘くなりすぎる。姐姐ご指名の「金升貢糖」はその辺が丁度いい加減らしい。

ただネットで売り場を探してみるものの、金門空港もフェリー埠頭も違う銘柄しか置いてありません。さらにネットして見ますと、この金升、小さな工場、伝統的な金門民家の一角で製造しているらしい。その旨姐姐に伝えておきました。

ところが、今回は金門島周辺が天候不順、濃霧で近寄れない、結局桃園空港の売店で違う銘柄の商品を手に出向いてきました。

姐姐の亭主の話によると、子供のころ、この貢糖、彼の村では家ごとで作っていたそうです。落花生を砕くのに棒を使ってつぶす。力仕事で子供も手伝わされた。たたきつぶす動作を中国語で「打」というのですが、これをミン南語(閩南語・台湾語)の発音に当て字をすると「貢」と同じらしい。「打糖」より「貢糖」のほうが見た目にもいい。ということで「貢糖」。

昨日昼間、素食快餐店をでて自由市場で買い物をしていたところ、丁度廟の向かいの屋台で「貢糖」を売っていました。こちらは台湾東部の町、羅東の製品です。「金少爺」「素食」「古早味貢糖」と印刷されています。私が厦門に届けたのと見かけが違う。いかにも素朴そう。お寺さんへの付け届け分が含まれた料金でしょうか、ちょっと高めでしたが購入してみました。手の込んでいないつくりが気に入りました。でも私にはやっぱり少し甘すぎました。 [burikineko]

Saturday, April 21, 2012

厦門:裸の酒瓶は「打包」を


[ このメモを厦門から送ろうとしましたが残念ながらbloggerに接続できず投稿できませんでしたので台北に戻っての再送です ]

そういえばそうだったよね、というお話。

厦門の姐姐がお土産にと自分が働く貿易会社で扱っているぶどう酒を用意してくれました。オーストラリア産の白。最近の中国、ぶどう酒ブームだそうで、一瓶千元、日本円で一万二千円前後のものが飛ぶように売れているそうです。勿論なかには百元二百元なんていうのもあります。私が頂いたのは、彼女曰く、普通のもの。白は私の指定です。赤にはプロテインが多く含まれているというので愛好者が多いようですが、私はアレルギー気味なんです、赤は。

その昔、パリの裏通りにある瀟洒なプチレストランでムール貝と赤ワインを楽しんだ。その付けが腹下し。かなりひどかったためか、その後赤ワインに身体が拒否反応を起こすようになってしまいました。

厦門高崎空港で出国手続きを終え、手荷物検査をいていると、検査官が盛んに「この酒瓶は誰のですかー」と大声を出しています。あいあい私です。裸のビン類の持込は禁止だよ、下に行って「打包」 [dǎbāo](pack) してもらいなさい。エーとどこにいってどうするんですか?聞いてもよく分かりません。とりあえず女性職員が通関裏口ともいうカウンターに連れて行ってくれました。すでに出国した身分になっていますから、まずはパスポートを預け、代わりに大きなカードを受け取り首にかけ再入国、搭乗手続き窓口に並びます。ここで「打包」してくれるのかと思っていたんですが違うんです。

こんな客を相手にする場所がちゃんと用意してあって、梱包不十分だったりするとやはりここに立ち寄らされるらしい。ちゃんとダンボール箱大小があって、専用の保護材があって、専用のテープ架けがあって...梱包料料金は二十元。その箱を持って機内手荷物持込にと手荷物検査カウンターに向かうと、かの女性職員が駆け寄ってきました。違う違うこれを搭乗カウンターで預けるんですよ。またまた裏口入国。今度は無事終了です。ハー、分けがわからん。

しかし考えてみればそうだよね、って出来事でした。ハー。 [burikineko]

Friday, April 20, 2012

厦門:うつむいて事をなす人たち


[ このメモを厦門から送ろうとしましたが残念ながらbloggerに接続できず投稿できませんでしたので台北に戻っての再送です ]

路行く人たち、バスのつり革につかまっている人たち、タクシーの運ちゃん、仕事でデスクに座っている人たち、仲間うちで家族で食事をする人たち、友人と珈琲店でお茶する人たち、みなうつむきながら事をなしておりました。おそらくお風呂の中でもベットの最中でもうつむいて事をなしているのではないかと思ってしまいます。

厦門の姐姐と湖畔沿いのベジタリアンショップで食事をとりました。五穀ご飯以外これといって美味しい料理がありませんでした。それでも久しぶりに会った姐姐との会話を楽しもうとしましたが、彼女、箸とiPhoneを交互に持ち替えながら話をします。会話が進みません。話をしてもうつむいたままです。仕方がない、私は彼女の横顔をカメラに収めます。そのときだけです、写真の写り具合を確かめるがために顔を上げて覗き込み、「あたしゃ右側からの写りがいいんでがす」。知るか...。

このお話は厦門に限ったものではありません。むしろ台北で多く見ることのできる風景です。

スマートフォンの普及は窓の外の新緑、雨の雫、電車の中での旧友との出会い、すれ違い際の新たな出会い、多くの人たちから会話を、そしてそれ以外の貴重な何かを吸い取ってしまったようです。 [burikineko]

Thursday, April 19, 2012

厦門:何もかもが高値な厦門この頃

[ 濃霧の中のマンション群 ]

[ このメモを厦門から送ろうとしましたが残念ながらbloggerに接続できず投稿できませんでしたので台北に戻っての再送です ]

フェリー乗り場から定宿まではいつもなら徒歩で十分もかかりません。しかし今回は違います。厦門島の反対側にある飛行場からです。タクシー乗り場に並びました。車の窓にステッカーが。ガソリン値上がりでメーターに三元(日本円約五十円)を加えてください...。宿に着きます。

F1上海の予選を見終えてさて夕食をどうしようか、三明治(サンドイッチ)程度でいいだろうと買出しに出かけることにします。アンデルセンというベーカリーのチェーン店が向かいにあります。クロワッサンのサンドに鳥のささ身のサンド、〆て十六元、日本円で二百円ちょっと。決して安くはありません。

ついでに屋台の果物屋で林檎を買うことにします。「いくら?」とオネーサンに聞くと「(一斤)六元」、二個を秤にかけてオネーサン「七円五十銭、七円でいいよ」。日本円百円。いい値段ですね。昨夜のことです。 *台湾・中国の1斤は500g

今日の夕飯は昔の同僚の姐姐がご馳走してくれるというので精進料理を指定しました。湖畔沿いにある瀟洒なお店です。菜単(メニュー)をあっちこっちめくって定食だいや単品だと悩んで選んだ結果出てきたのは大きなお皿の料理。台北でセルフに慣れていた私には量が多すぎます。二人で百八十元。私が支払いをしようとすると彼女、安い安いといってカードで済ませます。日本円で一人千五百円近い値段です。

話には聞いていたこちらの物価上昇。生活必需品の、それも生鮮食品の値上がりには驚かされました。私が始めて厦門にやってきた当時には考えられない値がついていました。高度成長期の日本、バブル期の日本、それが一緒にやってきたのが今の中国なのでしょうかね。人心が乱れないようにお願いしますね。

写真は宿のテラスから見た風景。この靄ですからフェリーを動かそうにも一寸先は闇状態だったんですね。直通便に変えて正解でした。 [burikineko]

Wednesday, April 18, 2012

台北:散々な厦門への渡航

[ 桃園国際空港出国ゲート ]

[ このメモを厦門から送ろうとしましたが残念ながらbloggerに接続できず投稿できませんでしたので台北に戻っての再送です ]

厦門へ向かうことにして、一番安いチケット<小三通>を購入しに旅行社へむかいます。いつも接客してくれるお嬢さんに「いつですか?」と問われ「えーと、13日の...金曜日...」と答えてなんとなくいやな予感がしました。その旨伝えますと笑いながら「ではこの暦で調べてみてください」。台湾暦を手渡たされました。案の定格安切符は満席、いつもと違う航空会社になります。

当日昼過ぎ松山空港へ。搭乗カウンターで手続きを終えたあとに一言ありました。今日は金門空港の天候が不順のため現在閉鎖されています。回復しだい搭乗のアナウンスをいたしますので、後方の私どものカウンターにある搭乗予約リストに名前を書き込んでおいてください。

珈琲でも飲んで待ちますかという間もなくアナウンスが流れます。中に入り搭乗ロビーで待ちます。なかなか次がありません。ようやくバスが到着、機上へ。すぐにアテンダントから空港閉鎖が続いているのでお戻りください。バスに乗りまた搭乗ロビーに。今度は長いです。じっくりと待つことにします。WiFiが無料で使えますのであれこれいじっていました。

隣の航空会社も金門行きはディレイ、と思いきや搭乗が始まりました。別の会社の便の客も飛行機へ。私たちの便の乗客が騒ぎ始めます。声高に航空会社の職員を問い詰める客たち、対応する職員。これは日にちが悪い、変更手続きをしておくか。旅行会社に明日の便の予約をお願いします。今回は小三通はあきらめ、直行便を選びました。ただ、松山からの便はみな満席、バスで一時間弱の桃園国際空港から、それも早朝便。しかし他に手はありません。

しばらくして再度機上へと向かった、のですが、何故か飛行機が違う。先ほどとは違う塗装の飛行機。なおかつ座席の配列も違う。またまた客は混乱。そんな騒ぎも落ち着きベルトを締め、時間がたつのを窓の外から眺めておりました。

時間は過ぎていきます。台北松山空港から金門飛行場まで一時間弱、そこから厦門へのフェリー乗り場まで半時ばかり。フェリーの最終便は5時過ぎ。ついに今日中に厦門へ到着は無理な時間になってしまいました。そんなアナウンスとともに一部の乗客は席を立ちました。私もそれに続きます...

航空券のキャンセルにかかわる諸条件がどんなものかわかりません。とりあえず発券カウンターで手続きをします。「天候因素(って言うんですね、中国語では)ですので全額返却はありません...」の答えに私の前で手続きの男性、痛く憤慨しておりました。私は何しろ証明してもらえば後は何とかなるかとそのまま書類を受け取り、急ぎ明日の便のチケットを受け取りに旅行社に向かいました。

結論からいうと、直行便との差額支払いだけで新しいチケットを手にすることができました。家に戻ると待ち疲れがどっとでます。明日は早朝五時起きです。F1上海フリー走行の結果に目を通して床に就きました。

早起き早出で久しぶりの桃園国際空港...は人人人の群れ。小三通のローカル線が私には心和むんですけどね。船旅ですし。 [burikineko]

Wednesday, February 1, 2012

台北:いい加減にしてほしいこの天気

冬の台湾北部や東北部、台北や基隆は愚図つくのはわかっています。しかし今年の冬の愚図つき加減は半端ではありません。昨年十一月に始まって今でもそうなんです。旧正月の先週一週間、太陽が覗けたのはわずか一日限り、TVで中南部の明るい陽射しを浴びた風景が流れるのを羨ましく眺めていました。

もともと基隆という東北部の港町は「港都夜雨」と歌で唄われているように雨の多い場所のです。山ひとつ越した台北にまでそれが移動してきたのでしょうか。憂鬱というほか言葉がありません。物事はほどほどであってほしい、極端は生き物には厳しい。

いつごろだったでしょうかかなり前のこと、一月だったと思います、愛宕山の物書きと中部に旅にでました。帰路台北に向かう鉄道、北に進むに連れて乗り込んでくる乗客の衣装が冬着に。だんだん厚着になってくる。不思議そうに我々、彼らを眺めていました。台北駅に着き、地上に出るや寒風吹きすさぶ、薄着の私を見て友は自分のレインコートを肩にかけてくれました。

正月市内バスに乗りました。ここも薄ら寒い、いや寒い。何のことはありません、空調機が開いており、冷気が満ち満ちております。客の服装は東京の冬並みの装備なんですが空調機が動いている。お店によっても同様、空調機は冷風。不思議な風景です。文句を言う人はいないんでしょうか、見たことはありません。

昔、台北には暖房機は必要ないといわれました。十度前後の日は一年で一週間程度だからと。ところが今年は周期的に大陸からの寒気団が降りてきては十度をさまよう。それに、ただどんよりだけでなく湿気を伴った寒さなので身体によくないことこの上ありません。部屋の小さな電気ストーブが小さな救いとなっています。

日本の、太平洋岸のカラッとした冬、寒さは厳しいものの、縁側で猫を膝に日向ぼっこが懐かしいですね。

[burikineko]

Friday, January 27, 2012

Jean-Luc Godard & David Darling

 "Jean-Luc Godard / Éloge de l'amour aka In Praise Of Love(TRAILER)"

 Facebookで台湾原住民布農族霧鹿部落民とチェリスト・David Darlingがコラボレイトした曲を紹介しました。しかしDavid Darlingがどの程度日本人に認知されているかは私にはわかりません。私自身も昔映画のなかで流れている曲が印象に残っていたものの、誰の演奏だったのかは知りませんでしたから。ところが台湾でこちらの原住民に関心を持ち、彼らの音楽、特に布農族の「音」、天上と会話をする音を聴き、どのジャンルにも属さない音楽だと驚かされ、彼らの音をあちこち探し回っていたところ、一人のチェリストが布農族と合作している曲に出会いました。

それがDavid Darlingというチェリストでした。Wikipedeia日本では探せず、英語版から引用すると

David Darling (born March 3, 1941) is an American cellist and composer. He won the Grammy award for Best New Age Album in 2010......
In 2000 western famous cellist David Darling recorded an unusual collaboration with the Wulu Bunun 布農族霧鹿部落, a group of Taiwanese aborigines......

チェロという、どちらかというと表に出てこない楽器のせいでしょうか、引き立て役を担うことが多い。"勤快的小孩 Lugu Lugu Kan-Ibi" by 霧鹿布農 Bunun, Wulu and David Darling 2000では布農族の「音」を際立たせていました。彼のほかのジャンルとのコラボをみても そんな感がします。
ゴダール映画では、うーん、彼でなければ、という音を与えていますね。

ただ、布農族の音を採取して持ち帰りデジタル再構成した曲がありますが、布農族の天上と会話ができる「音」は消えてしまった感がありました。西洋的思考の限界かもしれませんね。台湾原住民にはまだまだアミニズムのもつ深い感性が残されているのでしょうか。

それはともあれ、ゴダール映画のこの音はとてもいい、あーフランス映画だなーって感じ入るクリップでした。

参考までに今まで私が書きとめた布農族のブログ記事を書き残しておきます。

[台北] 布農族の音楽作法でつくられた “美麗晨曦”
http://east-asia.blogspot.com/2011/04/blog-post_29.html

[台北] David Darling & The Wulu Bunun
http://east-asia.blogspot.com/2011/07/david-darling-wulu-bunun.html
[台北] 八部合音 - 神への返信
http://east-asia.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html

[burikineko]


Thursday, January 26, 2012

台北・巷の年始風景

こちらの正月は農暦の春節がそれにあたります。今年は1月23日でした。農暦ですので元旦は毎年ちがいます。それに農暦ですと季節感を感じられますね。西暦の元旦から季節は春ですが、実感としてはやはり二月前後なら梅も咲き始めますし感じやすい。ただこのところ台北の気候は愚図つき肌寒くそれが数ヶ月も続いている。いっとき快晴が三日続きました。総統選挙の後のことです。騒がしかった選挙活動が終わって、どちらに転んだとしても、天もほっとしたのでしょうか。しかしこの正月、またまた曇天湿冷が戻ってきてしまいました。

昔千葉の田舎で生活していたころ、部落のばっちゃんが生活の区切りを農暦でしていました。畑の準備やら田植えの時期やら遅霜の心配もみな農暦から図っていました。今の一般的な生活の中で農暦が活きているのはお盆ぐらいでしょうか。夏の終わり、秋の始まりです。八月十五日前後、海は土用波が出始めて海水浴はくらげが出るのでやめましょうね、なんてことを教わったりしました。

正月は正月らしい風景を見てみたいものです。しかし都会ではなかなかそれを見るのは難しい。三十年近く前の台北の正月は町中真っ暗、人影もありませんでした。ホテルのスナックもお休み。居残ったピアノの先生や従業員と一緒に、いつもはご法度の賭け事を夜中じゅうしていたものでした。子供も小正月までは賭け事に加わることができたそうです。今はどうなんでしょう。

現代の台北市内の巷の一角はというと、松飾があるわけでもありませんし、国旗が出ていることもありません。ごく普通の変わらない風景です。コンビには24時間営業、小売店も昼間は店開き、ブラウン珈琲だってダンテ珈琲も開いている。ただいつもより店じまいは早いようです。昨日は夜食を選びにコンビニに出かけてみました。お客さんは日本人観光客の若者、それとこれも自由旅行で訪れたと見られる中国人の一家。話す発音ですぐわかりますね。

ツイッターのフォロアーの方は台湾人と結婚した日本人女性。彼女のつぶやきには正月に一族集まって会食をする、その段取りをする風景を描写していました。手際よく12種類の料理を義理のお姉さんだなんだかんだ大勢で料理していく。彼女、あーいつかはあそこに加わって料理をつくるんだな、といっておりました。こちらの正月風景は外からはわからないんですね。

ワタシはというと・・・正月初二日、厦門時代の同僚が里帰りしてきておりまして、恒例になった彼との一日をしに新竹まで出かけてきました。あとはガランとしたマンションに大家さんと二人。初四日の今日はマンションのあちこちから会話が聞こえてきています。みな戻り始めたようですね。

[burikineko]


Wednesday, January 18, 2012

知らない事の幸せ - tumblr の reblog を見ていて

私の tumblelog にいろいろなニュースが reblogされてきます。それを見ているだけで楽しくなったり、いやなことを知らされたり、悲しいニュースに触れたりします。考えさせられたり、組み立てなおしたり、更に深く探ってみたりします。

ちょっと驚いたことがありました。「アラブの春」にまつわる話です。一昨年から昨年にかけて、地中海を取り囲む中近東の国々の民主化運動、といっても実際のところその民主化って言うのがどのようなものなのかわかりませんが、そこの地域の人たちが反政府運動を始めた。施政者たちは国際世論の声に関係なく人々を弾圧している様子がフィルムや写真で私たちのもとに送られてくる。映像は切り取られたものだとしても文章より説得力が大きい。そのなかにはブルータルなものも当然あります。

「blue bra girl」と題されたフィルムがニューヨークタイムズをはじめとした西洋のメディアに流れました。エジプトで抗議デモの際に一人の女性が警察とも軍兵士ともいわれる治安部隊によって棍棒で殴られ、引きずられ、ブルカがはだけ、上半身が露出してブルーのブラジャーだけの映像。ぐったりしている彼女に治安部隊の一人に胸を踏みつける・・・。映像の効果もあいまって世界中に知れ渡りました。昨年九月のことだったと記憶しています。

この記事は当然日本でも取り上げられただろうと思っていました。どのように報道されていたのかGoogleの日本語サイトで探ってみましたが一件だけで、あとはコスプレ関連の記事でした。Twitterでそのことを取り上げたところ、お一方から「ヨーロッパより遠いアラブ」、「アラブには冬が無いので春は来ない」と皮肉な記事を送っていただきました。

金正日死去の際にも、西欧のメディアは緊迫した写真を含めて実にすばやく反応していました。ほんの些細な出来事でもそれが政治経済に与える影響を推し量ろうとする姿勢がよく読み取れます。

知らなければそれで済んでしまう、それでも生きていけるもろもろの環境にある日本なんでしょうが、ちょっと寂しいですね。

参考までにエジプト・ブルーブラガールの映像が上がっています。[閲覧注意]
"Shocking Video: 'Blue bra' girl brutally beaten by Egypt military"
http://www.youtube.com/watch?v=mnFVYewkWEY&feature=youtube_gdata_player&skipcontrinter=1

Sunday, January 15, 2012

郷に入っても郷に従いたくないこと

厦門には日本味のカレー屋さんがあります。カフェ・レストランです。厦門を訪れると、一度は味わいに出かけます。オーナーは台湾人。そのくせ台湾にはお店も商品も出回っていません。ワタシ的には非常に残念です。

昨日の夕食はそのお店でカツカレーを注文しました。しかしとてもいやな光景を眼にすることになります。

その壱 : お店に入って席に着くと、斜め前に二人のお嬢さんが食事の最中でした。顔つきや着ているものからちゃんとした生活習慣を身に着けていると私は思いました。ところがテーブルの上を見て驚いてしまいました。そこには盛りだくさんの注文品が並んでいました。二人がけのテーブルでは狭すぎるので、隣のテーブルを横に足して並べています。

食べきれるのだろうかと余計な心配をしてしまいましたが、そんなことはお構いなしです。彼女たち、ほとんどの料理に手をつけていないのです。それでもお人方はそこそこ口に運んでいたようで、一皿だけは底が見えていました。こちらでは高価なモリ蕎麦はそのままです。傍ら、二人はお互いのiPhoneを手にああでもない、こうでもないと話が盛り上がっておりました。

そしてお勘定。余りに余った料理はウェイトレスによって片付けられていきました。お金を払うんだからこっちの勝手でしょ。そんな光景でした。

その弐 : 一人のおっさんがくわえタバコで入ってきました。今ではここ厦門の飲食店内での喫煙は禁じられています。店の人間は注意をしませんでした。なじみの客かその態度からかわかりません。横柄な口を開いてウェイターに席をあれこれ指示しています。

後ろからお上さんらしい人、その後ろにもう一人、彼は火のついたタバコを手に前後させています。その男性は一度店内に入ってから出て行きました。お上さんらしい人が丁重にドアを開けて送り出します。私が支払いを終えて出て行くところでした。しかしお上さんは男を送り出すと後ろで待っていた私にはお構いなくドアノブの手を放します。

ほんの些細なことのようですが、日本人の私には実に腹立たしいし、こんな連中が日本や他の国々で同様な態度をとっていることを想像することは簡単です。問題は自分自身そういう振る舞いが他の国では通用しないことを知らないことです。彼らの歴史が教えてこなかったのですから。私もこの地で生まれ育っていたらそうなっていたんでしょうか。

後味の悪い食事になってしまいました。

[burikineko]

Saturday, January 14, 2012

友へ

厦門老街のマンホール以来のお手紙ありがとうございます。

何の縁でしょうか、私現在厦門におります。といっても何も重要なことがあるわけではなく、友とひと時を過ごしているにすぎません。台湾は今日が総統選挙とあって、全島選挙モード、嫌気が差し、旅行客の少ないこの時期にということでやってきたってことです。しかし残念ながら小雨と濃霧、どこそこに出かけることも適いません。友のご主人にこんな天気が続くと帰りのフェリーは出ないですよ、と脅されたりしております。厄介です。

先ほど友と会食を終え、さあ洗濯でもするかとベランダの洗濯機をいじるんですが、うんともすんとも言いません。厄介です。

それとネット鎖国大国のこの地、ネット先の友人とも交流ができません。となると突然孤独感に襲われたりして、ネットで友達っていうのも良し悪しだなと思い込んだりしています。これも厄介です。

ではでは・・・お身体に注意されてまたお会いできることを楽しみにしております。

ブリキ猫


Friday, January 13, 2012

明日台湾は総統選挙 旅にでても風景が一変

小さな旅にでました。

大通りに出てタクシーを拾います。運ちゃんに空港までと伝えると、エッ明日投票しないの?と問われます。いや権利も義務もないからね、と答えると不審顔。外国人だからさ、と伝えると納得顔。続いて私、今回どっちだろうね、と問うと、どっちともいえないね。本音ではありません、すぐわかります。馬さんじゃないの?と言うと途端にべらべらべら。そうなんだよ、馬さんはなんだかんだ、ちゃんと答えだしているよね。で私はあなた台湾人?と聞くと答えません。

金門島に着きました。送迎バスで厦門に向かうフェリー乗り場まで向かいます。客はと言うとほとんどが学生。高校生らしい一団。厦門への小さな旅でしょう。学生以外は中国人らしいオネーサンが数人だけ。ガランとした車内です。高校生には選挙権はまだありません。大人たちは明日の直接選挙投票が控えていますからね。

バスが空港を出るとすぐ、ロータリーには昇り旗が円を描いて立っています。その間を埋めるように現政権の応援団が鉢巻に襷に手看板で我々のバスに向かって支援者の名前を連呼しています。いやいやバスの客は選挙権ないんですよ。道路沿いにも立て看板。現政権政党からの立候補者名と次期総統名のものです。対立候補のは?ありました、わずかですが。これでは見た目圧倒的な差ですね。

昨日の夜、厦門の天気はどうなっているかウェッブで探ってみました。その頁のバナー広告は「我投②号 馬英九」。別のサイトにも、そのまた別のサイトにも・・・。うんざりな風景です。

[burikineko]


Wednesday, January 4, 2012

正月といっても何も変わらない台北市内の風景でした・・・政治風景を除いて

元旦の日曜日、街に出てみます。私の住まいは中山北路といって目抜き通りの一角にあります。少しは変わった様子があるかと思いきや、いつのも日曜日同様開いている店は決まって開いていました。ただ街行く人の波はいつもより少なめ、なおかつ行き交う人が話す言葉の半数は日本語。正月休みを利用しての台湾観光でしょが、台北の冬は「湿冷」。じめじめして肌寒い。楽しみの半分がこの気候で失ってしまうんですね。

今月半ばの14日に総統選挙があります。テレビを見ていても青色の集団(国民党)、黄色の集団(民進党)ばかりが目に付く。一方で目先の優遇策を引き出すために動き回る集団ありでなんの面白みもありません。昨日お会いした方は本気で台湾の将来を憂いておいででした。もし今回、現政権が引き続いたなら、大陸との統一の方向が決まってしまうだろう、そうなればちっぽけな台湾、あらゆるアイデンティティーが失われてしまう。キャピタリズムの一部の人たちはどうすれば儲かるかがあらゆる政策に優先される、それが可能な体制を応援する、だから夜八時以降の番組(ニュース番組や特番)は見ないでいる、と話しておりました。

私は台湾が好きです。以前よりもずっと好きになっています。台湾の人は「とても小さな国」といいますが、そこにはとてつもなく大きな隣国に比する豊かな自然環境があります。すばらしい文化的背景を持つ原住民がいます。多元的で多様性のある国なんです。私も陰ながらそんな小さな島国がその独自性を残し続けることを願っています。

[burikineko]




Sunday, January 1, 2012

正月届いたメールに返信

Happy New Year 2012! - Indian children
 東京は快晴の元旦だそうで、うらやましい。
私は関東の冬が大好きでしたね。空っ風が吹いて肌を刺すようで、それでいて空は真っ青。勝間の縁側で猫と日向ぼっこが私の唯一無二の快楽だったんですけどね。しかしここ台北の気候は「湿冷」と呼ばれているように、曇天とじっとりと肌寒い。それと昨年十一月からは異常な長雨、気分も優れないまま年を越し、それでもやはり湿冷であります。

印度の犬をブログにアップしようとアナログフィルムからデジタル化を試みておいでのようですが、才能豊かな貴君としてはデジタル変換具合に満足いかない、理解いたします。しかしできないものはできないので、貴君の才気ある文章でそれを補っていただければと。写真の背景はその当事者しかわからないのですから。

それと風邪は万病の元であることは重々承知でしょうから、ご自愛くださいね。

ではでは・・・ 台北のジジ