Monday, October 31, 2011

現地ガイドに・・・

携帯が鳴った。わが学友からだ。「あれこれ思い巡らせたんだが、同行した連中をフォーラムってのは・・・、悪いな午前中彼ら街中案内してくれない?」。何のことはない、ガイド役にされてしまった。
さて、しばらくしたら出かけてきますか・・・ (Oct 30)

[notes : burikineko]

友と再会 そして夜の湖濱北路

厦門の西端には迷路のように混沌とした老街がある

夕刻サービスアパートメントからタクシーを拾いコロンス島に渡るフェリー乗り場まで走る。大通りを向かい側に渡るには地下道を使わなければならな い。そこは自由市場のように出店が並び、本来ならゆったりと歩ける邪魔をしている。週末とあって若者たちの往来がそれに輪をかけている。老街の目抜き通 り、中山路の入り口の由緒ある鷺江酒店、その裏道に構える格下のホテルで友を待つ。

一風変わった海鮮料理

さあ食事に出かけましょう、何を食べましょうかね、とたずねる。大先輩は「ここは海鮮料理が美味しそうですね」と。一向三人、異口同音に「生ものは やめたいですね」。ではとタクシーで近場まで走る。『深海魚』。魚料理を「お粥」か「火鍋」で食わしてくれる店。一品料理に骨付き魚を細かく切り刻んだか ら揚げに煮込んだ豆腐、そして店の名物「魚のお粥」を注文する。どれもが舌鼓もの。酒が無くては食が進まないという大先輩とお嬢、青島の生ビールに紹興 酒。これだけ口にして340元。量は多くなかったものの、年寄り三人と食い物より酒という若者、これで十分でした・・・

湖濱北路を一本入ると・・・

伊太利住まいが長かった大先輩、「コーヒーですね」と一言。ハイハイではでは・・・またまたタクシーで厦門のもっとも瀟洒な一角へ。そこは人造湖畔 に面したグリーンゾーンに面して立ち並ぶコーヒー街。適当にあたりを照らす灯りの下、デッキテラスでのんびりカフェラテをすする。わが友が今日のフォーラ ムについて報告し、しきりに旅の本来の目的を告げるも、誰も話に乗ってこない。明日は彼が報告する出番である。総勢八人、そのうち直接フォーラムにかか わっているのは三人、二人は土楼めぐりに余念がなくいまだ遠方にいる。残りの人間は明日はどこに出かけるかなーと素気無い。加えて「この辺りは路地一本変 わると雰囲気がガラッと変わる不思議なところなんです」と私「後でちょっと散歩してみましょう」と話題を変えてしまう。あきらめ顔の友。

湖濱北路から人造湖に挟まれたここには三本の道路が平行してある。一本は今いるコーヒー街、ウッドデッキで舗装された歩道から見るコーヒー店はみな床から天井までガラス張り、暗闇の中、まるで客が演じるオペラを見ているようだと大先輩、しきりにシャッターを押していた。

その一本裏道はバー街。バーといっても女性がいるわけではない。カウンターバーかプールバー。どこも歩道いっぱいにテーブルを出している。空いてい る椅子が無いほど客で溢れていた。コーヒー街もそうだが、私が知る数年前には信じられない光景だ。何しろ当時は客のほとんどが外国人だったのだから。それ がどうだろう、今ではほとんどが中国人、それも若造たちである。

さらに一本の道路は打って変わって路地裏の味わい。自転車修理に部品を売る店あり、靴の修理屋あり、一席だけの理髪店あり、雑貨屋あり、小さなテー ブルを歩道に出して臓物を食わせる店あり、野菜屋に果物屋あり、携帯電話のSIMカードと山塞iPoneを並べる店あり・・・と一軒間口の雑貨街。

これほど特徴を持った街は世界中にもほとんど見当たらないのではないかと思う。不思議な一角なのだ。一行満足げにホテルの岐路に着いた。しかし明日のフォーラム参加者は何人になるのだろうか・・・ (Oct 30)

[notes : burikineko]

朗報!

tumblrの「ブログも、そこからツイッターにも転送されていますよ」とある古い友人からご返事いただきました。ありがとうございま す。ただ、自分ではどちらも確認できない。ただただ投げっぱなしです。それでもこの地で沈黙しているよりはいい、と、さらに挑戦いたします。

台湾を発つ前にtumblrの設定でツイッターの認証を取っておいた、tumblrに繋なげて投稿できたなら、その先はこの地からの発信にならないということで可能なわけですね。 (Oct 29)

[notes : burikineko]

繋がらない・・・

厦門到着。定宿のビジネス・アパートメントにチェックイン。早速ネット事情を確かめてみる。おおよそ考えられるあの手この手を試してみるも、すべて遮断されている様子。手も足も出ません。

G-mailにはメールが届いている。返事を書くも送られているかは不明です。

ブログの更新?bloggerは開けない、ダッシュボードも当然開けない。ということは投稿ができない。ほかの人のブログも覗けない。tumblr は?私のブログは駄目。ただしダッシュボードまでは行き着きました。そこでこの記事を書いています。まもなく投稿します。ほかにもメールで投稿可能なはず なので試して見ますが、果たしてこちらに滞在中に投稿できているでしょうか。確認できましたらどなたかメールをいただけないでしょうか。但し twitterやfacebookは機能していませんので・・・ (Oct 29)

[notes : burikineko]

Saturday, October 29, 2011

さて、フェリーに乗ってきますか・・・

数日前までの曇天が去って台北は快晴なり。厦門で Hakka Tulou Forum 2011 なる催しを覗いてきます。予報ではあちらも快晴らしい。いい船旅ができそうです。そして旧友と洒落たバーでスタイニーボトルの栓を捻って乾杯をしたいと思 います。 (Oct 29)

[notes : burikineko]

Thursday, October 27, 2011

都市原住民を描いた馬志翔監督の「看見天堂」

那一年曾做錯的事」は李佳穎という女優が不思議なキャラを演じていましたが、彼女、馬志翔監督の手で「看見天堂」という映画にも登場しています。
この映画は都市の空き地に原住民たちがつくりあげた部落のお話。強制撤去されてもされてもまた粗末な手作り住居を築き上げる。部落住民はへこたれることが無い。みな陽気に明日を見ている。そんな部落と彼らをひょんなことから取材を始めた漢人の映画作家の卵を李佳が好演していました・・・ 


ロケ地は台北郊外の新店の渓谷脇の三蛍部落という実在する場所です。映画では「天堂部落」と呼んでいました。意味は天国の部落ですね。都市原住民が直面する問題を馬志翔がドラマに仕立てたんですね。ここにはあの伝説の原住民歌手・巴奈がいっときを過ごしたともいわれています。できのいい映画だと思ったんですが映画祭では評価されなかったらしい。入賞はかなわなかった。
今年のGolden Bell・金鐘奨がつい先日決まりました。四部門にノミネートされていた馬志翔監督の「飄搖的竹林」ですが残念ながらやはり選考されませんでした。この映画は原住民と土地にかかわるお話。「看見天堂」もそうでしたが、正面きって原住民問題を描いてしまったからなのでしょうか。監督賞を受賞したのは同じ原住民出身の作家でした。彼の作品「失落的海平線」は、阿美族に伝わる寓話を映像化したものです。
[この記事はtumbleblog - "A Cup of Asian-Tea" から引用したものです notes : burikineko]