Tuesday, September 6, 2011

台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民


「賽徳克・巴萊 / Seedic Bale」が間もなく封切られる。霧社事件を描いたアクション映画だと監督は語っている。私の興味はここに登場する一人の男・馬志翔。彼は賽徳克族屯巴拉社部落道澤群の頭目、鐵木・瓦力斯(ティエム・ワリス)を演じている。

馬志翔 [mǎ zhì xiáng] [ㄇㄚˇ ㄓˋ ㄒㄧㄤˊ] は台湾原住民の俳優で脚本家で演出家。彼の演技をはじめて見たのは昨年秋、再再再・・・放映された2003年の作品「風中緋櫻・霧社事件」というテレビ連続ドラマ。なかで日本政府台湾総督府により優良蕃童として育て上げられた賽徳克族の青年・花岡一郎を演じていた。個性的な容貌とどこか遠くを見続けているような視線が印象的で、以降注目するようになった。

[馬志翔]
彼は賽德克族の父親と、阿美族の母親のあいだに1978年花蓮懸玉里鎮で生まれた34歳。自身インディーズ系のプロダクション「影一製作所 - One Production Film」をもっている。

先日テレビをオンにすると、馬志翔との対談番組が始まろうとしていた。「新聞不挿電」、なんと訳したらいいのだろう、「ニュースに挿し込まれないニュース」、英文では「LAWA news」。LAWAは司会者拉娃・谷辛、泰雅族の出。二年前の再放送番組だった。
馬志翔と原住民に関する興味深い内容だったので紹介したいが、私のヒアリング能力と記憶力に限界があるので、どこまで正確に伝えられるかはわからない。まずはご理解の上読んでいただきたい。

番組の司会者の拉娃・谷辛は、歯に衣を着せず、しらっと厄介な質問を彼に向けていた。それを受ける馬志翔ははじめ、シャイで、話すことが苦手らしく言葉が続かず、舌打ちをしながら答えていたものの、対談の最後に話題が女性関係について聞かれた頃には、「それ、結婚のこと?次の機会、次の機会、次回ね」と交すまで口は滑らかになっていた。

対談が始まると直ぐ、司会者は「歌えないそうで・・・踊りも苦手とか・・・」。原住民のウリは歌と踊りと決まっている。それが苦手だと答える。それに「アイドル(偶像)といわれるのも興味ないっす」という。「だけど、俺、脚本書くし、(映画を)撮れるし。原住民だけどそれができる」と続ける。この自負はどこから来たのだろう・・・
(但しWikipedia Taiwan には、趣味:唱歌、専門:ギターとある・・・)

彼は中学時代父親を交通事故で亡くしている。その後台北・屏東・台北と都会を渡り歩きながら教育を受けている。本人は原住民という自覚はなく、”現代人”と自らを語っている。都市原住民として差別のない世界にいるんだという感覚だったのだろう。家庭でも、校長だった父親は子供が原住民らしく振舞うことを許さなかったという。しかし、その父親の死後、遺品の中にたくさんの原住民に関する資料を見つけ、それについて自らを問いはじめる。

原住民でありながら原住民族としての生活を送っていなかったゆえ、母語は話せなかった。当然風習習慣など縁がなかっただろう。仕事が忙しい母親に代わっておばーちゃんに預けられたときには会話に苦労している。おばーちゃんは原住民の言葉と日本語しかわからなかった。馬志翔が話せたのは国語と台湾語。歌も歌えず踊りもできずそのうえ母語も話せない原住民。「溝通」(コミュニケーション)のとれない、それが馬志翔だった。アイデンティティーを持たない、感じない原住民。現在台湾各地の都市原住民に多く見られる姿だ。

[李烈]
番組の中、彼は自分をここまで育ててくれた人たちに感謝を表している。女でひとつ大学にまで通わせてくれた母親、国民学校の女性教師、そして彼を映画人として成功させるための絶大な支援者で馬志翔の影一製作所 - One Production Filmの負責人で辣腕プロデューサーの李烈を挙げている。李烈は《亜細亜的孤児》などコメント性の強い歌で知られているシンガーソングライター・羅大佑の長年の伴侶であり前妻。本人は女優として《網路情書》で最優秀女優賞獲得、以降《艋舺》など多くの優れた作品をプロデュースしている。その李烈が番組で曰く、馬志翔には「幽黙感」(ユーモア感)がない、原住民は陽気でユーモアあふれているのに何故?と彼を評していた。

まったくもって原住民らしくない原住民の馬志翔の答えはこうだ。「・・・確かにそうだ。でも俺はそれを映画の中で表現している・・・」。

そんな彼が、自分が原住民であることを自覚するようになったのは二十二・三歳ごろだったという。しかしその理由については明確な答をもらっていない。ただ一言、「自覚するようになった」。

その後、彼は台北と実家のある花蓮の間を「回歸」(ルーツを求めて)、そして母語を原住民文化を学び始める。もともと好きだった脚本づくりをコツコツと始める。原住民としての自分を表現するために・・・

[ 次に続く・・・ ]

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