Tuesday, June 7, 2011

[台北] 「馬嘎巴海」 - 原住民の軽妙洒脱なライフスタイル

原住民のライフスタイルを軽妙に浮き立たせた短編「馬嘎巴海・Magabahai」、グリーンで省エネ、楽天的でミュージカル。見ていてホッとさせてくれること請け合いの映画が放映された。字幕がなくてもわかる環境映画といっていい。登場人物はアメリカ人青年とアミ族のおっさんの二人だけ。

あらすじはというと・・・

高機能サイクル車にサイクルウェアで身を包み、耳にiPod車にGPS装備で軽快に国道を走るアメリカ人青年。次から次へと他の車を追い抜いていく。と、前をおんぼろ自転車、仕事帰りの原住民のおっさんがふらふらしながら走っている。鼻であしらいながらシューと追い抜くと後ろから「臭小子!」(くそがき!)の一言。青年は意気揚々と先を行く。しばらくするとiPodの電池がなくなる。イヤフォーンをはずしさらに前を行くと、先ほどのおっさんがふらふらギコギコ。不思議に思いさらに追い越す。するとまた前をおっさんのギコギコ自転車。どうも近道を走ってきたようだ。それならと後を追う青年。

わき道に入いったおっさんを追っていったものの青年、道に迷ってしまう。迷ってはおっさんが休んでいる道端に何度も戻ってしまう。GPSが役立たないらしい。おまけにペットボトルの水も飲み干してしまう。見かねたおっさん、青年に自分のボトルを差し出す。青年、受け取り口にするも噴き出す。中身は酒だった。
仕方なく後をついて行く青年。見晴らしのいい平地で一休み。枯れ草を石でつぶしパイプタバコのおっさん。お前も吸えと差し出され吸ってみるも咳き込む青年。目を上げるといつの間にか木に登って周りを眺めているおっさん。口笛を吹くと小鳥たちがそれに答える。枝の上で指揮をとり始める。山猿がさえずりに合わせて首を振る。鷹がひと声。山羊が鳴く、山豚がブーブ。稲穂が音を立ててなびく。水牛がひと鳴き。声を出して歌いだすおっさん。生きもの交響曲。ついつい青年も付き合って歌いだす。
[photo: アメリカ人青年とアミ族のおっさん]
山を降りる間もおんぼろ自転車が出すガタピシャ、キーキー、チェーンでジャージャー、即興を楽しんでいる・・・。

別れ際、「一期一会」といって布袋からなにかをつかみ出し青年に渡すおっさん。海岸べりで青年が放置されたサーフボードで波乗りをしているあいだ、流木の端切れでサーフボードを抱えた青年の姿の木彫を刻んでいた・・・。

僅か二十分足らずの作品。「馬嘎巴海」はアミ族語で「好」という意味だそうだ。彼らが交わす言葉はほとんどない。だいいちアミ語と英語とでは会話の仕様もない。それでいて意思疎通をはかってしまう不思議なキャラクターのおっさん。

配役の対比も面白い。プラスティックで装備されたアメリカ青年に対し、生成りの衣装、ポットは麻布袋で、商売道具も布製のバッグで包むというアミ族のおっさん。GPSなしで自在に動き回る、iPodがなくても生き物相手に音楽を奏でる、おんぼろ自転車相手に即興で歌う。

監督は杜均堂。見るからに若い。世新大学放送テレビ映画学研究所卒業作品が「馬嘎巴海」。2010年金馬賞最優秀短編賞受賞。親父は映画の音響技師として知られる杜篤之。《光陰的故事》、《悲情城市》、《海角七號》などを手がけている安徽省籍の漢人。

馬志翔の”飄搖的竹林”もそうだが、昨今の台湾、若い連中による質の高い作品が多い。

Sunday, June 5, 2011

[台北] 菜食主義者の世界環境日・密かな試み

[video: 「地球を貪り食う」(Devour the Earth)2007年改訂版]
暑い。蒸し暑い。今年一番の暑さか。窓を開けても風もないので部屋の中は30度を越えている。それに回りじゅうクーリングタワーの音が入り込んでくる。これでは身体が持たない。クーラーのスイッチをオンにする。

ところで今日は「世界環境日」らしい。それにしては塑化剤が飲料品のみならず、食品にまで使われていると大騒ぎの最中である。反面教育らしい出来事だ。

世界環境日なのだから、自分は環境に対してどの程度やさしいのか、自問してみることにした。まず車を持っていないので二酸化炭素は出さない。移動は台北市にいる限り、地下鉄と専用レーンのある市バスでほとんど用が足りる。それに運動不足解消に、出かけた後できるだけ歩いて戻るようにしている。これで昨年までの足のむくみもなくなった。

電力消費のほうはどうだろう。住まいは八階、エレベーターを利用している。さすがに階段を使って徒歩に頼るほどの気力はない。データー交換用に一台のPCは四六時中オンのままだ。オフにすることはできない。あれやこれやで夜更かしもする。照明でどの程度電力を使っているのだろう。一番消費電力が大きいのは空調機に違いない。オンオフはこまめにしているものの、ここ亜熱帯の台北で空調機なしの生活は仕事はしなくていいですよ、というサインに近い。結局大して環境にやさしくないのかもしれない。

食事はどの程度環境に影響しているのだろう。

私は菜食主義だ。ただしいい加減な菜食主義なので、おそらくダイエタリー・ヴィーガン(Dietary Vegan)になるのかもしれない。ひと月かふた月に一度、身体が無性に肉を求めてくる。抵抗はしない。素直にKFCで激辛から揚げを口にする。そのときのチキンは旨い。実に美味い。味をしめて数日後にまた口にするとその脂っこさに辟易とする。やはりひと月かふた月に一度が身体にあっているようだ。
台北にいて菜食に困ることはない。大通りに囲まれたブロックに必ず一軒は菜食の食い物屋がある。看板には「素食」とでている。おおくがブッフェスタイルの量り売り。台湾に素食屋が多いのは宗教に関係しているからだが、Wikiによると、人口の10%が菜食主義者だという。にわかには信じられない。しかし私の部屋の向かいに住む方、その愛人は菜食主義者だ。おかげで彼は日々肉なしの生活を強いられ辟易としている。

原住民はダイエタリー・ヴィーガンに近い。その日の食材はその日に仕入れる的に過ごしているから菜食の質は高い。私には千メートルを越す「水よし・空気よし・土よし」な山あいで生活をする彼らのライフスタイルが羨望の的だ。

ベジタリアンは有名人にも多い。知られているところでポール・マッカートニーがそうだし、彼の音楽と違い、この方面に関してかなり過激な発言をしている。そしてこのフィルムでナレーターを務めている。

[video: 「地球を貪り食う」(Devour the Earth)2007年改訂版]
EN: "Devour the Earth"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=en
CN-zh.TW: "吞噬地球"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=zh-TW
CN-zh.CN: "吞噬地球"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=zh-CN
JP: "地球をむさぼり食う"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=ja

「・・・
政府は行動を起こさないが
あなたにはできる
単純に肉・家禽・魚
これらを諦めればいい
この苦しみ 残酷さと破壊を
終わらせることができる
ベジタリアンになれば
殺りくを 食い止めることができる
選択権は
あなたにある
残酷さと破壊を
止める助けができる
ベジタリアンに
なりましょう
命のための戦いに
力を貸してください」

またWikipedeiaの「ベジタリアニズム」の項目には以下のような記述がある。

[環境破壊]
・2006年、国際連合食糧農業機関 (FAO) は畜産が環境破壊への主な脅威であるという報告をしている。
・畜産に限らず、先進国など大消費地の需要を賄う大規模プランテーションを含む収穫量の増大を目指した近代農法も、農薬の大量使用による環境への負荷を発生させている。
[温室効果ガス排出]
・2008年1月、自身がベジタリアンでもある気候変動に関する政府間パネル (IPCC) のラジェンドラ・パチャウリ議長は、肉は生産過程で二酸化炭素を大量に排出し輸送でもエネルギーを使用するので、肉の消費を減らすことは個人ができる温暖化対策の一つであると述べた。
・ラジェンドラ・パチャウリ議長は、畜産産業からの温室効果ガスの排出量は世界中の約20%であるとし、イギリス政府に2020年までに国内の食肉消費量を60%減らすことを求めている。
・レスター・R・ブラウンの設立したワールドウォッチ研究所の報告によれば、畜産業は輸送などを含め世界中の温室効果ガスの51%を排出している。

さああなたはどの程度環境にやさしい生活をおくっていますか?

[追記] ベジタリアンとして知られている人にはステーブ・ジョブズ 氏がいますね。氏を崇拝される方が地球上に数千万人おいでになる。その人たちが彼のライフスタイルを見習ったなら、かなりの成果がでるのではないかと期待しています。

Wednesday, June 1, 2011

[台北] 映画 ”飄搖的竹林” - 土地を失った原住民族の悲哀

[photo: 飄搖的竹林-右が馬志翔]
F1モナコか馬志翔か・・・TVでガチンコの組み合わせ。レコーダーを持ち合わせていないので記録もできない。F1モナコは何が起きるかわからないのとドライバーが栄光を掴むためのアドレナリンが噴出すコース。一方の馬志翔は私のお気に入りの俳優。がっしりしたガタイ、原住民独特の精悍な風貌、それに彼が演出する作品となれば見逃すわけにいかないのだ。結局二日待てばF1モナコの再放送はある。そこで前半の一時間、モナコのトンネル内でF.マッサがアホにもガードレールに接触しセーフティーカーが入ったところでチャンネルを切り替えた。

馬志翔演出の”飄搖的竹林”(風になびく竹林)は期待を裏切らなかった。しかし、予告片を見て感じたほど深刻さが感じられなかった。本筋からそれた部分に軽妙さが取り入れられていたからだろう。

大筋はというと・・・
[video: ”飄搖的竹林”予告片3分版]
泰雅族(タイヤル族)の狩人だった老人は孫を連れて山に向かう。孫に族語を一つ一つ教えながら。山道を行く先の様子を鳥の声を聴いては判断(鳥卜占)しながら。昔父親に教わったように。だんだんと厳しい山道に孫は音を上げ動こうとしない。しかたなく老人は彼を肩に分け入っていく。目の前には族衣装をまとい猟銃を手にした今は亡き父親と幼少の自分が見え隠れしている。
[photo: 飄搖的竹林-父親に猟人として鍛えられた子供時代]
老人はかつて父親が育てた竹林にたどり着く。孫はうれしそうにあちらの筍、こちらの竹の子と数を数えながら掘り起こす。突然声が竹林に響きわたる。老人は孫に「タイヤルの子供は勇敢なんだ、今来た道はわかるな、いけ!」。孫は必死に一人山をかけ降りる。

[photo: 飄搖的竹林-現代っ子の族人]
老人は保護区(追記:”保育区”と呼ぶそうだ)内で許可なく竹の子を採取した件で逮捕される。顔写真を撮られ、調書に拇印を押す。その知らせを受けた息子、林務局の林班(現場管理)に勤める彼は、上司から国家財産に手を付けてはいけないことぐらいわかっているだろうと叱責される。族仲間の警察官や議員に手を貸してもらい、彼の父親は釈放される。孫が父親に聞く。どうしてうちの竹やぶで竹の子とっていけないの。父親はいらだたしく息子に答える。今では人の土地なんだと。




[photo: 飄搖的竹林-竹林を行くタイヤルの猟人]
その晩、息子は族仲間を呼んで食事を振舞う。迷惑をかけた代償として。彼らが去ったあと、息子は父親に愚痴をこぼす。尻拭いをさせられ、みなから笑いものにされた、オヤジは恥ずかしくないのかと。父親は何も言わずにいる。鳥のさえずりが聞こえてくる。老人はじっと聞き入り、そして立ち上がり「行っていいのか、行っていいんだな」と暗闇に向かって歩き始める。息子は何事かと父親に問いかける。どこに行くんだ。老人は静かに夜空に向かって指をさす。

老人は息子に語りかける。お前には聞こえないのか。竹林が泣いている。かつてお前を連れて行ったオヤジの竹林だ。あの竹林が震えている・・・。息子はうなだれ頬を涙が伝わっていく。

所有者不明ということで土地を取り上げられた原住民。管理はするも所有権も使用権もない族人。生業の狩りもできない猟人。彼らの悲哀がにじみ出た作品だった。

出色だったのは主人公の老人。実に自然に演じていた。あたかも「自分」を演じているかのように。

あらすじでは書かなかったが、他にも族人のエピソードが紹介されている。風倒木のはしっきれを盗みだす要領のいいオヤジ。足を痛め仕事につくことができず、寝たきりの父親から土地権利書に拇印を無理やり取ろうとする男の話・・・。この原作は原住民族文學作品《番人之眼-飄搖的竹林》タイヤル族の瓦歷斯.諾幹(吳俊傑)のなかの一節にある。

馬志翔は自費でこの作品をつくっている。独立プロ作品である。ここ台湾では多くの基金会や国レベルで優れた作品に賞を与えている。おそらく”飄搖的竹林”はその筆頭に上げられるに違いない。