Monday, February 28, 2011

[台北] 原住民族電視台って...


最近はひたすら原住民族電視台からの話題ばっかりになっていますが、今の私には興味深い話題がいっぱいで離れられないですね。中国語の分からない方にはなんで?またかよ!でしょう。数年前の私ならそうでしょう、いくら画面下にテロップが出ていても疲れるだけよってんで見なかったでしょう。今でも十分とはいえませんし、テロップの出ない討論番組を見終わるとぐったりしてしまいます。ではほかのチャンネルはというと、日本と同じじゃん、で緊迫感がない。このチャンネルは何しろまったく知らない世界、歴史、文化、人々でいっぱいですから他とは違う。

[こちらの公共放送] 台湾はケーブルテレビが普及していて全世帯の75%以上が受けているといいます。チャンネルも百以上じゃないですか。そのなか10番台にDiscoveryとかNational Geographicsに混じって公共放送が入っている。公共電視台、HakkaTVそして原住民族電子台。公共電視台は既存のチャンネルに居候していたのを1998年から単独で放映開始。日本でいえばNHKですね。HakkaTVはたしか2003年客家人向けにつくられたと思います。そして原住民族電子台。原住民族電視台(原視台)が正式に放映を始めたのはわずか六年前の2005年、お互い異なる言語を話す部族に向けどう番組を組んだらいいのか試験的に始められた。それが今では充実した内容です。安い予算の中、番組の76%を自前でつくっているそうです。ただ再放送が多い。再放送の再放送、そのぶん私のように一回では理解できない部分を補ってくれているので助かります。

[すごいエネルギー] 長年にわたる同化政策でほぼ失われかかった原住民族のアイデンティティを取り戻すための表現手段の場として、多くの原住民が参加できる仕組みをもって運営されているとのこと。編集委員会の意向もあるんでしょうが、「自立」、そのために「族語」「族文化」を「伝承」「継承」させたいということがよく分かります。そのため重い話題が多いですけど。原視台を見ているとすごいエネルギーですね。司会者の方々も個性的。

[日本語が聞こえてくる原視台の番組] 日本占領期(こちらでは日治、日本統治といっている)の皇民化政策もあって徹底した教育がおこなわれましたので七十五歳以上の方の多くが日本語を聞いて解ったり話すことができる。当時なかった単語・用語はそのまま日本語で使われ今でも残っている。ですから番組を見ていると、オバーチャンオジーチャンの話し言葉から部族語に混じって日本語が出てくる。さらに蒋介石の軍隊が入ってきて漢人同化政策がおこなわれていますから中国語も混じってくる。そんなこんなで今の部族のおおくの子供たちは族語が話せない。自立を目指す部族民は言語教育に必死です。彼らが取り組まなければならない問題は他にもたくさんあります。原視台はそれをどう取り上げ、どう汲み取っていくんでしょうか......期待しています

[今日の原視台番組から] 今日放映された”不能遺忘の歌”は日治時代の話。布農族の部落で集団疫病が発生します。マラリアなんですが、日本から医師がやってくる。でもいくら治療をしても死者は増え続ける。看護婦の部族の女性が原因を語る。日本政府の政策として統治をし易くするため山に住む部族民を一箇所に集める。マラリアは蚊から伝染する。もともと水の綺麗な山の中で生活していた免疫のない部族民は容易に感染してしまう。そんななかで苦悩する若い医者と看護婦の悲しい別れを描いていました。実話らしいです。部族語あり、日本語あり、中国語ありのマルチリンガルなお話でした。挿入歌が綺麗でしたね。ちなみに医師役は当地に住む布農族を嫁さんにした日本人の方だそうです。

Saturday, February 26, 2011

[台北] 映像公與義 ”獨立之前”

[高砂国復国基地と書かれたタワーと陳陣営が送りこんだ漢人]
  [video:獨立之前(紀錄片) ★2009年第31屆金穗獎優等獎]
 http://www.youtube.com/watch?v=ozzNJUoDTx
もう一度”映像公與義”の主旨を復習しておきたい。

「(中国)時報文化事業の董事長余紀忠氏が、公共政策の 研討、国民のコミュニケーションの有効性、国民のコンセンサス、国の今後の重大な政策のための方向を確立することに役立てるため”時報文教基金會”を設立 する」。”映像公與義”は基金会が企画しているテーマの一つである。

[2004年5月”漢人”によって高砂国成立が宣言される]

今週放映された「映像公與義」のタイトルは”獨立之前(独立前夜)”。2002年、陳水扁陣営は総裁再選に向けて各原住民代表と「同盟関係」「国中 有国」という公約を掲げ、サインしている。これにより陳水扁陣営は原住民族の支持をとりつける。2004年総統再選をはたした陳水扁は、原住民政策として かかげた”国中有国”を実行に移す。
高雄市の台湾製糖工場跡地に、都市間を流れ動く原住民と山から下りてきた300人余りが自らの手で住ま いを建て住み着いていた。陳陣営はこの地区に漢人を送り込み、”国中有国”の”高砂国”が成立する。”高砂国”は原住民が自立した生活をおくれる自冶 区を意味していたはずであった。...映像は”高砂国”の消滅する一週間前から、”国中有国”の”滅国(亡国)”するさまと、関わった流亡(流浪するかつ ての住民)のその後を追って終わる。

[高砂民族共和国国旗 - 時間の流れと共にこの土地の名は変っていく]

作者はこの記録映画は彼らの運動のマイナス面しか見えていない、と語っている。しかしそこには原住民自治法の草案を受け入れられない原住民側の修正条項、「原住民と土地」の問題が浮き彫りにされている。

”映像公與義”の放映に先立ち、司会者の白芷(Paicu Yadauyungana,高慧君)が最初に口にしたのは「...高砂国、この名をあなたは覚えているだろうか...」。この問題は当時大きな出来事として報じられていたことだろう。しかし今では誰も口にすることはなくなっていますよね、という問いかけだろう...。

参考資料:
・以下の記事はこの記録映画の背景を冷静に語っているとおもう。中文だが興味のある方は参考に。
[《獨立之前》映後座談:都市中的漂流浪人-原住民族 http://e-info.org.tw/node/42988]
・「原住民と土地」の記事を探っていたところPaicu Yadauyungana・高慧君の文章を眼にした。Google”高慧君”検索46ページ目ぐらいに位置していた。彼女が社会活動している記事を探る人は数少ないということだろう。
[重回土地上 -- 白芷(Paicu Yadauyungana,高慧君) http://groups.google.com/group/yotu/browse_thread/thread/46bfaf079c231d80?tvc=2&pli=1]

Thursday, February 24, 2011

[台北] 八部合音 - 神への返信

神との会話は可能なのだろうか。この音を聞いているとそれができるような気がしてくる...。

”不能遺忘の歌”という番組がある。部族に伝わる古い歌とその由来をドラマ仕立てで紹介している。案内役に布農族出身の舞踏家でシンガーソングライターの朗蔚という女性。彼女が自分の出身地、布農族の部落を回って伝承しなければならない音楽を紹介するというもの。

布農族は賽徳克族や鄒族(ツォウ族)などの部族同様台湾の一千メートル級の高地に住む。かつての狩猟民族で、穀物に雑穀の小米・粟を食し自給自足の生活をしてきた。厳しい自然条件だ。小米の収穫は部族の存続に関わっていただろう。台湾南部の平地では年三耗作、より多くの人たちを賄うことができたが、千メートルの高地ではどうだろう。彼らは毎年収穫を天に祈るより他になかったのではないか...。
 朗蔚がここに住む布農族の文化を記録し続けている人を訪ねる。
彼は朗蔚に尋ねる。
「若い頃に部落を出て久しぶりに戻ってきたけれどもなぜ?音楽の霊感を取り戻しにきたの?」
「そうなの。どうでしょうか」
「それじゃ布農族の音楽的震撼を受けられるものをあげよう」
彼女が目をつぶり両手を差し出すと、手のひらに小米の穂がおかれる。
「pasibutbut(八部合音)...」とつぶやく彼女。

八部合音とは何だろう...言葉で表せない。まずは聴いてみてほしい。世界中の原住民族の音楽、現代音楽、宇宙に発信している合成音、どれにも属さない不思議な音を奏でている。
ここで奏でられた音は「祈祷小米豊収歌」と呼ばれる。小米収穫の感謝を神にささげる音である。神に応える音である。

八部合音について記した記事に

五線譜を学ぶ必要はない
和声を学ぶ必要はない
布農族にはいつからかわからないが自然天成の複合音の音楽が伝わって今に至っている
...
 その昔、私たちの周りには多くの神が存在していた。奥深い森に、深い海に...。多くの修行者はそのような場所で神との交わりを、霊感を得ていた。神がかりは今の日本では少なくなってしまったが、学者曰く、生後間もない幼児には霊感を受ける力があるという。しかしそれも人工的で複雑な社会構造の中、早々と消滅してしまう。もし、深い自然の中、シンプルなライフスタイルで、自然の恵みを受け、木を切るにも山中の動物を狩猟するにも感謝の気持ちで収穫をおこなっていたなら...可能かもしれない。

ちなみにここに登場する部族文化を記録する男性は、原住民族電視台で族語新聞布農語のアナウンサー倫敦・Landuun Ismahasanである。番組では民族衣装を纏い、八部合音の輪に参加している。舞踏家の朗蔚は、高慧君が主演を演じた「美麗晨曦」の主題曲の作詞作曲を担当している。

Monday, February 21, 2011

[台北] 高慧君からPaicʉ Yatauyunganaへ...


[写真:女性ユニット”鄒女”のアルバム”鄒女在唱歌”MTVから]
http://www.youtube.com/watch?v=WGvUkaPJhLA&feature=related
2008年末のクリスマスに一枚のレコードがリリースされた。アルバムタイトルは”鄒女在唱歌”。ツォウ族の女性ユニット”鄒女”が歌っている。アルバム十一曲はすべて自分たちの作詞作曲、このうち八曲は彼女たちの族語で書かれている。なかに五人のユニットが合唱している曲が一つ入っている。”取笑”。なんと訳したらいいのだろう。[kamisamaのいたずら]はどうだろう。ひじょうに綺麗な曲で、今では私の精神安定剤になっている。

[写真:アルバム”鄒女在唱歌”のMTV”取笑”のライブシーン 左から高蕾雅 安欽云 舌頭 拉娃辛逸 高慧君]

歌い手を紹介すると...

始めのパートを担当しているのは安麗娟(舌頭)。”舌ベラ”とは面白い名前をつけたものだ。この曲を作詞作曲。アルバムの中の線画のイラストは彼女が描いたもの。

次のパートは拉娃辛逸(拉娃)。彼女の作る曲はすべて母語のツォウ語。今では恒例となった”山地之夜”という台湾原住民が参加するイベントに尽力していた。残念なことにレコード発売から間もない2009年の二月、心臓病の手術も空しく亡くなっている。

三番目のパートを安欽雲(小安)、ファッションモデル。最近は故郷の阿里山に戻り、珈琲王子と呼ばれる彼と共に高地でしか得られない味の珈琲の生産を手伝っている。先日放映された”ina的厨房”に自分の部落の紹介役として登場していて驚かされた。

四番目が高蕾雅(Lea)、ジャズシンガー。ハスキーがかった声量ある歌声はまさにジャズ向きである。ライブハウスに出かけると彼女の歌を聴けるかもしれない。一度聴いてみたい。高慧君の妹でもある。

最後を締めるのは高慧君。このユニットの編成者である。ビデオクリップに挿入されているライブシーンは2008年開催された”山地之夜”のもの。ここでの彼女は実に活き活きしている。輝く瞳、まさに彼女の族語名Paicʉ、天空の金の星そのものである...。

高慧君がこのユニット編成とレコード発売までに至る道のりは簡単ではなかった。彼女自ら語ったところによると、自分の芸能生活は三つの段階に分けられると。

始めの一段階は、偶然が彼女を成功に導き、中華圏のスーパースター張学友との共演を実現している。彼女自身、自慢できることとしてこのことを上げているが、恐らく以前に書かれたプロファイルだろうから現在はわからない。そのときのライブフィルム”你最珍貴”を聴いてみた。いい曲である。当時のウェディングソング、結婚式で必ず歌われる曲だったそうだ。そして中正記念堂に十万人の聴衆を前にしている。日本でいえば武道館ライブに等しい。歌手として最も輝やいた瞬間だ。

公演を終えたその晩が二段階目の始まりでもある。彼女の言葉を使うならそのときから”迷失”、見失う、自分を見失ってしまう。あとは泥沼である。酒に耽り、酔いつぶれて部屋に戻り、一晩中泣きながら母語で何かを語りつづけていた...。さらに解っているだけでも飲み代のツケが600万元に達してしまう。「ほーら原住民はこれだから...」という陰口が聞こえてきそうだ。この原因を本人は”(成功すればするほど)故郷に戻れなくなった、父母に会えなくなっていった”からだと。
追い討ちをかけるように憂鬱症。次第に深刻になる。慧君の病状が重いという話を聞いた母親は”トランクを二つ持って”飛行機に乗り三人姉妹の住む部屋にやってくる。部屋に入るなり娘の病状を聞くも下の二人は答えない。ようやく”憂鬱症”という一言を聞きだした母親は高慧君の部屋に飛び込み、烈火のごとく怒り一言「原住民のアナタが憂鬱症になるわけないでしょ!」と言い残しさっさと戻ってしまう。
それから間もないある日、両親を招き家族で食事をすることになった。四階に住む娘たちの部屋の階段を”一跛_一跛_一跛”、不自由な足を引きずりながら一段_一段_一段と上がってくる父親の姿を見た瞬間、憂鬱症は完全に消えてしまったと語っている。この段階は六年間に及んでいる。

彼女はそのあと女優への転進を探り始める。徐々に徐々に実績を積んでいく。そして2007年テレビドラマ「美麗晨曦」続いて2009年「芳草碧連天」でその年のドラマ部門の主演女優金鐘獎を獲得する。「美麗晨曦」「芳草碧連天」は高家三代にわたる女性を下敷きに描いたものだという。幼少期に彼女の面倒を見てくれたお祖父ちゃんの高一生の話を聞かせてくれた祖母、厳しくしかし彼女の口からかわいらしいと語る母親、そして自分を。

[Paicʉ Yatauyungana 高慧君]
[写真:先日再放送された番組”火中の太陽”主持人の高慧君・Paicʉ Yatauyungana]

同時期、彼女は原住民を主題とした記録映画番組の主持人を請け負い始める。自ら発言できる場を探し始める。2008年には原住民族電視台で《原視影展》、2010年はおなじく原住民族電視台の《火中的太陽》、そして今年原住民族電視台で《映像公與義》。私が始めて主持人としての彼女を眼にしたのは《映像公與義》の”静土”。興味深そうなフィルムらしいと見始めたが、番組のあとに作者を相手にテーマを掘り下げていく彼女の深い洞察力と鋭い指摘に驚かされてしまった。正直、この主持人と「風中緋櫻-霧社事件」に登場する馬紅役の彼女と重ねあわすことができなかった。

彼女のキャリアは歌手から始まる。今でもそれに変りはない。”鄒女”のアルバム”鄒女在唱歌”は自らが自立したことを証明した一つの回答だろう。”ツォウ族の女性”と名を打ったように集団での自立も見据えている。それはおのずと台湾原住民族の自力更生へ繋がっていくに違いない。私が見る高慧君は台湾原住民族の未来を探る一人の女性である。彼女の祖父、高一生が望んで実現できなかった「自立」と「自治」を実現するためなのか。もしかしたら、近いうちに、高慧君は部族名のPaicʉ Yatauyunganaを名乗る、かもしれない...。
[追記] 彼女が名前を名乗るときは始めに漢名を、続いて族名を使っている。さらに原住民向けと思われるサイトでは族名をはじめに記していることがわかった。Paicʉ,對不起你。

一つ心配なことがある。彼女の健康状態である。今彼女は心臓に疾患があるという。”一跛_一跛_一跛”は彼女の憂鬱症を救った。こんどもそうあってほしい...


Wednesday, February 16, 2011

[台北] 高一生と高慧君

[写真:高一生 原典:護國臺灣神高一生 ]
高慧君はある音楽会に参加している。2006年5月19日に開かれた『鄒之春神 高一生 音樂・史詩・歌』、サブタイトルには - 山なみを歌声で音符で春の風景を描く - 。原住民の著名な音楽関係者に混じって、高慧君は日本語で書かれた歌「長春花」とツォウ語・彼女の母語と日本語の曲「狩猟歌(鹿狩り)」を披露している...。

日本が台湾を占領してしばらくたった二十世紀初頭の1908年、海抜千メートルを超える阿里山(現在の嘉義縣阿里山鄉)の原住民ツォウ族の部落に一人の少年が誕生した。Uyongu Yatauyunganaという名の達邦蕃童教育所に学ぶ少年は、その聡明さで嘉義市内の旭小学校に転入する。父親が突然の事件で殉職すると、日本人警部の養子となり日本名矢多一生を名乗ることになる。日本の敗戦。代わって蒋介石の軍隊がやってくる。矢多は阿里山鄉の鄉長と駐在所の所長を兼任する。彼は漢名の高一生を選択する。高砂族の「高」と原住民の英才という意味で高一生とする。

矢多一生は台南師範学校に入学し、教師になる教育を受ける傍ら音楽と文学にも造詣を深める。特に音楽には深く傾倒していたという。卒業後は部落に戻り教師と警察の職を兼務、竹の子の品種改良など部落の農業の発展にも功績を挙げている。その傍ら日本語や族語で多数の作詞作曲をし、そのなかの一曲「狩猟歌」は当時台湾総統府で披露されている。

高一生のお嬢さんが父親のことを語っている。
「...朝、学校に遅れないよう子供を起こすのに普通の家ではお母さんが声をかけていましたが、私の家ではレコードなんです。」

[Paicʉ Yatauyungana 高慧君]
『鄒之春神 高一生 音樂・史詩・歌』の出演者紹介欄には

高慧君: 是當代流行音樂界一個難能可貴的歌手,
她純粹的唱腔與美麗的聲線, 都源自於她鄒族的家族傳承,
因為她是高一生先生的孫女,這也是她第一次公開演唱祖父的歌。

と紹介されている。高慧君は矢多一生・高一生の孫娘である。そしてこの音楽会で祖父が作詞作曲した歌を自ら初めて披露している。高一生の歌を孫娘でポップス界のベテランが”初めて”公開の場で歌ったという。
この音楽会の前年、「歳末総統府音楽会」が開かれ、総統を前に一生の二曲が披露されている。しかし歌ったのは高慧君ではなく阿美族の小美である。ビデオが残っている。非常に綺麗な曲である。民族衣装の小美も美しかった。

高慧君が祖父について語っている記事に目を通したが、彼女の誕生を前に孫娘の顔を見ることなく亡くなった祖父はやはり遠い存在なのだろうか、頭のよい彼女、祖母から聞かされた祖父のことをしっかり話していた感を受けた。むしろ仕事で不在な両親に代わって面倒を見てくれた祖母の印象、彼女が深く高一生を愛し続けたという思いを強く記憶している。祖母は高慧君に「當風吹向你的臉、像我撫摸你的臉、山林裡面的聲音就像我對你說話」と話しかけたという。私には詩のようなこの一節は翻訳できない。

日本の敗戦。蒋介石の軍隊がやってくる。矢多は阿里山鄉の鄉長と駐在所の所長を兼任する。彼は日本名に代わって漢名の高一生を名乗る。しかし映画「悲情城市」の背景となった二二八事件に巻き込まれ処刑されている。1954年のことである。

娘さんのお話。「...父はよく言っていました。中国人がやってきて、日本人がやってきて、そしてまた中国人がやってきた。私たち部族は...」。父は部族の自立が自冶が必要だと考えるようになったていたという。

原住民族電視台を見ていると感じられること。原住民の若者は町に出る、都会に流れる。職を見つけられず、都会生活になじめず、一部のものは部落に戻ってくる。部落に戻ったから生活できるかというとやはり難しい。仕方なく海辺で何をすることもなく時間を過ごす。しかしそのなかから意識的に部落に戻ってくる人間が少なからずでてきている、という記事をしばしば目にする。彼らの口からは「伝承」「部族」「族人」「族語」「現代化」「自立」という言葉が聴かれた。台湾全土2千3百万の人口のうちわずか50万人の原住民、彼らは何を考えどこに向かおうとしているのだろう...。

高慧君・彼女は自らの歌手生活は三つの時期に分けられると語っている。この三つの時期を見てみると、彼女が匿名の原住民に代わって彼らが彷徨してきた時代の代弁者のような気がしてくる。

こちらに「歳末総統府音楽会」のビデオがアップされている。10分と長いが、前半は高一生の紹介。紹介するお二方は原住民の歌手。女性はTV番組で司会者も勤めている林佩蓉。男性は素晴らしい歌唱力と低音が魅力の胡徳夫。ついでにWikipedia Taiwanからお二方の簡単な紹介をすると、林佩蓉氏は花蓮阿美族。2004年部族名「Ado’Kalitaing Pacidal 阿洛.卡力亭.巴奇辣」に戻している。TVでみる彼女のテロップは「阿洛」。胡徳夫氏は台灣卑南族。「台灣民歌の父」と呼ばれ「台灣原住民」運動の先駆者。彼の創作歌曲が歌う《美麗島》は戒厳令時代に禁歌とされ、長期間TVおよびラジオへの出演も禁じられた。]
(追記:正しい情報を得るのは難しい。「美麗島」の作詞と作曲はおのおの別の方がなさっておいででした。この題名は台湾の民主独立運動に使われたり、原住民族の運動に使われたりと歌自体が翻弄されてきた歴史がありそうです。機会があれば話題にしたいと思っています。 03/Apr/11)

Saturday, February 12, 2011

[台北] 「錬将」と高慧君 - II

 「練將 Teen Patron」は韓忠翰/鄒猷新/王振宇三人の映像作家によって2006年から2007年の元宵節までの約一年半カメラに収めた映像。時報文教基金會の公募「映像-公與義」に応募し入賞している。

この番組「映像-公與義」の主持人・司会者は高慧君、鄒族原住民出の歌手で俳優そして最近は記録映画の演出を手がけようとしている。番組の後半、主持人・ 司会者の高慧君とヤクザな世界に入り込んで撮り続けた映像作家との対談をとおして視聴者の疑問を解き明かしていく。高慧君が作家に問いかけ作家の本音、深 層心理を探り出そうとする対話は興味深かった。しかしその内容と答えをメモしたものの、正確にトレースできているとはいえない。私の中国語理解力の限界で ある。

メモから概略を書き記すと...
高:高慧君
作:映像作家

高:台東という地を選んだ理由は?
作:交通の便も悪く大都市から遠い僻地の都市ともいえる。伝統的な現代都市とは違う何かがある気がした。

高:主題が錬将なのは?
作:友人の老師が顔を神将のメークアップした少年たちが海岸べりで遊びまわっている、といわれたので来てみると錬将だとわかった。面白そうなので追いかけてみることにした。

高:ごろつきな若者の中に入っていけたのはなぜ?彼らの信任をどうやって得たの?廟の中に入り込めたのはなぜ?
作:始めは錬将する少年たちの様を撮っていた。撮っているうちに主催する廟と関係ができてきた。
作:あるとき少年が本音を吐いた。そのとき初めて彼らの信任を得られたと思った。彼らを追う方としてはやった!という気持ちになった。
作:廟の裏にまで入れるようになることに問題はなかった。少年たちを追っているうちに入っていけた。

高:錬将の文化的衝撃はなに?
作:少年たちは家庭では厄介者、学校では問題児。家では邪魔者、学校では先生から登校する必要ないと切り捨てられていた。廟と廟を形成する人間関係には(ヤクザ社会の決まりごとのような)独特な規律があり、厳しいながら錬将を続ける限り、彼らの決まりごとを守る限り少年たちは受け入れられた。そこには家庭にも学校にもない温もりがあったのだろう。

高:この映像の深層的な意義は?
作:義憤・正義・公理。

高:錬将に取り組む少年を追いたかったの?それとも少年たちの自堕落な日常を撮りたかったの?
作:撮影は一年半にわたった。結局錬将に取り組む人間たちが独特な日常生活を送っていたということ。

この映像を理解するには最後の質問とその答えが核心をついていると思う。錬将に取り組むのは普通の少年にはできない。できるのは、溢れるようなエネルギーを持っていながらそれをどこに向けていけばいいのか解らないような連中なのだろう。また、そのような人間を受け入れる社会的基盤が我々の中にあるからだろう。

三十年近く、機会があるごとに、仕事に調査研究に気まぐれな旅に関わってきたが、私にとっていまだ知らない台湾が興味深い台湾があった。

[追記] fumanchuさんから「錬将」について問い合わせがありました。私の感じたところを書き足すことにしました。

錬将をどう説明したらいいのかわからなかったのでそのままこの単語を使いました。ただしタンキーのような神がかりとは違います。
「錬将」は廟がお払い、祈願のために武将・神将の一団が町々を巡って儀式を執り行う、その武将・神将を演じるための訓練を指しているようです。
一団が町に入る際には爆竹と花火が迎える。一団が舞いながら練り歩く際にはみな道にひれ伏す。そのうえを廟の神を載せた神輿がかぶさるように通り過ぎる。彼らが去る際にもまた爆竹と花火が。
武将・神将は顔に鬼のような化粧を施す。色はいろいろ。衣装は武将が着るものなのでしょうかそれとも神が着るものなのでしょうか華やかです。
「錬」は訓練・鍛錬の「練」です。

Friday, February 11, 2011

[台北] 「練將」と高慧君 - I

[写真:族群與青少年 《練將 Teen Patron》タイトル]
台湾の地方都市でよく目にする光景、若者たちのだらしのない格好、大人たちのがなり声、男たちはところかまわず口から檳榔(ビンロウ)の真っ赤な液体を吐き散らす、誰もかれもががさつな振る舞い、空き缶が転がりビニール袋は宙を飛ぶ...。そのような環境にいる少年たちは何を考えどうしようとしているのだろうか...。
原住民族電視台では今、かつて放映された「映像-公與義」のなかから、おそらく、原住民が関わったフィルムを選んで紹介している。このタイトルは仰々しい。由来を調べてみると、(中国)時報文化事業の董事長余紀忠氏が、公共政策の研討、国民のコミュニケーションの有効性、国民のコンセンサス、国の今後の重大な政策のための方向を確立する、ことに役立てばと「時報文教基金會」を設けた。そして「公與義」の核心とは、「身近な生活現場の研究、教育・経済・社会・環境・医療…等をテーマとした映像を記録し応募」してほしいというものである。

この「公與義」をどう日本語に置き換えたらいいのか戸惑った。基金会の英文をそのまま引用すると”Justice and Rightfulness”。多義な意味が含まれる一言で難解である。時報文教基金會は毎年記録映画を公募する。参加資格に制限はない。誰でも自分の意見を映像で紹介できる。数名が選ばれ、基金から奨励金がでる。

先日放映されたのは「練將 Teen Patron」、「公與義」に応募し入賞した作品。話の大筋は書けるがいい加減なところがあるかもしれない。私の語学力がついていけない。知りたいことがあるのに理解できない。しかしそれでも記録しておきたい。このフィルムは価値があると思う。
video
[映像:「練將 Teen Patron」最初の五分間]
原典:族群與青少年 《練將》 http://blog.xuite.net/cceforg/movie/28226661
台東にある小さな廟・聖賢宮が舞台。元宵節に執り行われるまつりごとで武将・神将を演じるため訓練に励む少年。映像が始まるとすぐ、彼らの下流・賎しい日常が紹介される。

海岸べりで自らを聖賢宮のごろつきと紹介する少年。むき出しの肩には伝統的な刺青が。

真夜中、廟からまつりごとに使う道具を引き出し太鼓を鳴らしている。と廟のあるじがくわえタバコでやってきて廟の宝を勝手に持ち出すな!と少年をなじる。小突く、頬を叩く。弁解するも聞き入れてもらえない。

廟の前の広場で神将の振りを練習する少年。カメラに向かってこれでもかという汚い台湾語で語りかける。字幕では標準語が、端々に伏字が。伏字には”x”が当てられている。

最初の五分間である。私はやりきれなくなって見るのを止めようと思った。作者は何を言いたいのだろう。ごろつき少年と地回り社会を晒そうとしているのだろうかと。何とか我慢しながら見続けているうちにいつの間にか画面の中に入り込んでしまった。

カメラは自堕落な彼らの生活を追い続ける。500元が手に入る。女友達と弟を連れてカラオケ屋に向かう少年。だらしなくマイクを握り唄う。酒が効いてきたのか歌いながら脇のゴミ箱にもどす。もどしては歌を唄う。家を無断で離れ、三日三晩、元宵節の行事を廟を取り巻く環境の中で過ごす。きつい廟での生活、しかしそこから離れようとしない少年。

不眠不休の時間を過ごした後、少年は家に戻る。戻ってきた少年を相手に父親が酒を飲む。父親は一晩中飲み続け、前後不覚になって夜を明かす。脇で幼い弟妹の面倒を見る少年。少年は作者の問いかけに答える。「...台東(市内)にいきた。仕事をしたい。稼いで女友達を養いたい...」。番組はここで終わる。

引き続き後半が始まる。主持人・司会者が映像作者から作品の狙いや背景について聞き出す。二人のカメラマンが参加した。そして主持人の率直な疑問が作者に問いかけられる。

この番組の主持人は高慧君、本名白芷·雅達烏尤安娜、鄒族原住民出の歌手で俳優そして最近は記録映画の演出を手がけようとしているという。台湾では有名だそうだが、私が彼女を知ったのはつい最近、TV連続ドラマ「風中緋櫻-霧社事件」のなかで賽徳克族の頭目の娘・馬紅役を演じていた。それから十年近くたっている彼女は、劇中の悲嘆にくれる姿とは打って変わって明るい。番組でのゲストへの鋭い問いかけ、核心を突く質問、締めで語る自分の意見。彼女の聡明さを表していた。

そんな高慧君とヤクザな世界に入り込んで撮り続けた映像作家との対談は続きで紹介したい。

Wednesday, February 9, 2011

[通霄・三義] 初三 - 人人人そして通霄米

 [写真:深夜の新竹駅]
厦門時代の同僚で台湾人、春節を前に彼が大陸から戻ってきた。戻るなり私の携帯に電話がかかってきた。「...どこにもいかない?それはよくない、私のところまでいらっしゃい」。

実は二年前も同様、春節に彼の誘いで出かけたことがある。その際には田舎の連中を相手に、身の程知らず、酒を飲み交わし酩酊してしまい、前後不覚になってしまった。後悔の念が残っている。気が進まなかったが強く誘われたのに乗って出向くことにした。

初三(正月三日)、青空の広がる晴天である。それまではひたすら厚い雲が立ち込めていたものの、春節を迎えたとたん暖かな日が訪れた。そんななか、台北から高鉄(新幹線)で新竹へ。そこで私をピックアップ、彼の奥さんの実家のある通霄へと向かった。通霄は苗栗の郊外、海岸沿いの町である。これといって特徴のある風景は見られない。その町外れにある実家でご両親と合流し、親戚一同の集まる街中の臨時に設けられた小さな宴会場へ。

集まった人たちは二年前の私のことを覚えていたようだ。私だけが記憶の彼方にある。なにしろ酩酊のなかにあったのだから。ただ不思議なことに、集まった方々のお名前も顔も覚えていなかったものの、ご両親の住む家やそこに至る道のり、前回宴席のもたれた場所や周りの風景は思い出せた。

会食が終わり、三々五々にみな家路に着いた。日はまだ高い。友人は奥様と子供たちを置いて山に向かって車を走らせた。苗栗郊外、山間にある三義に。ここ は木彫で有名である。かつて日本統治時代、木材を切り出し、樟の木から樟脳を生産する、そこで出た木塊を刻んできた歴史のある街である。快晴の正月休み、 三義に向かう道路は車の列。しかしわれわれは脇道にそれてさらに山間に。そこは鉄道ファンには馴染みの、今では観光列車しか走らない舊山線の勝興駅へ。ど うやらここも人気スポットらしく人人人であふれていた。駅前のおみやげ街に”狀元糕”を目にしたので食してみる。台北の自由市場で見つけたものより大き く、その分味も大味値も幾分高かった。
[写真:屋台の狀元糕。ネットに製法が載っていた。材料は比較的手軽に入るはず、もしくは代用品を用いてもよし、どなたか試しに作って食してみてはいかがでしょうか]

日が落ち、急速に気温が下がる。本来ならこのまま私を送り返すため、高鉄新竹駅に向かう予定だったが、実家に戻って夕食を、ということになった。通霄に着くと、外で、どこそこのレストランで食べるだろうと、予定外で満足な食事の準備ができていないとご婦人が口にした。

見た目、昼間の食事と比べようもないテーブルのうえの惣菜。いかにもあっさりしている。ご夫人もおばあちゃんもこんなものしか用意できなくて申し訳ないという。いつもの家庭料理ですよという。いやいや口にできればそれでいい、ありがたいのです。

白いご飯を口にはこぶ。ん?今まで食した白米とは一味もふた味も違う。
「このご飯おいしいですねー。どこのお米ですか?」
私の言葉は以外だったようだ。
「地元のお米ですよ、おいしいですか?」
「美味しいです!」
新米だったのか、それともこの地のお米がもともと美味しかったのか。

台湾の米は日本統治時代、台湾米(蓬莱米)の父と呼ばれた日本人農学者磯永吉によって品種改良が繰り返され、日本人の口にも合うお米が獲れるようになったという。最近では美味しいお米の銘柄は池上米だといわれている。寿司にあう米として寿司米という銘柄もあるものの、いままでこれはという食感を得たことはなかった。食事の際、米の銘柄について話したことがないので、池上米を口にしたことがあるのかないのか、自分ではわからない。比較はできないが、ここのお米、通霄米は私の口に合った。うれしい喜びである。それを口にできたことは今日最大の収穫である。

料理を賄ったおばあちゃんの細い目はさらに細まっていた。

高鉄新竹駅に着いたのは夜の九時、台北への切符は11時過ぎのものしか入手できなかった。二時間、暇をもてあまし、行き来する人を観察した。

[写真:列車の席につく。高鉄の雑誌と中には恵まれない子供たちへの寄付を募る袋。切符の裏側に舊山線の勝興駅の記念スタンプ。日付に100とあるのは今年が中華民国建国100年。]

Thursday, February 3, 2011

[台北] Happy New Chinese Year!

[台北文昌宮の絵馬:2月3日撮影]
 
 今日は漢人に習います。春節。農暦の正月です。そして久しぶりにのぞく太陽です。昼前、街中の様子を見に外にでてみます。暖かい。少し歩くと薄いジャケットでも汗ばみました。しかしやはり私は日の光が好きです。足は昨日、除夕・大晦日の街角風景を見に出かけていましたので、正月はどうだろうかと比較観察することにしました。

家の近く、地下鉄双連駅には路地状に屋台街が出来上がっています。主に野菜果物の類が多い。肉や魚も並んでいる。伝統的なとか子供時代のとか書き記したボール紙を目にする屋台では懐かしいお菓子も売っています。色とりどりの丁字褲[dīngzìkù][ㄉㄧㄥㄗˋㄎㄨˋ](Tバック)は特価で100元なんていうのもあるんです。オバサンお兄さんオネーサン、掛け声賑やかに客を呼び込んでいます。老台湾、古い台湾を味わえる場所なのです。

昨日大晦日の昼過ぎ、ここはいつにもまして出店が多い。品数豊富で狭い路地は人で身動きが取れないほどです。正月の蓄えを用意してるのでしょうか。今日はというと路地は実にサッパリしていました。ホンの一部に人溜まりとその客目当ての飲食の屋台が出ていました。そこには文昌宮という廟があり、老若男女の方々が祈願にやってきている。お供えをし、線香を手にいろいろな神様に向かってお願い事をして回っている。たしか七つか八つの神様が祭ってあったと思います。祈願する人の顔は真剣そのもの、信心の深さが見て取れますね。

廟の大門の両脇に祈願を書き記した、絵馬が描かれているわけではありませんが、こちらではなんと呼ぶのでしょうか、小さな板に願掛けが書き込まれています。写真を撮っていると母親に「日本語が書いてあるよー」の話し声が聞こえてきました。探してみます。一枚だけではありません、何枚か見つけました。「...英語が好きになれますように...」連名です。兄弟姉妹なのでしょうか、こちらのアメリカンスクールか日本人学校に通っているのでしょうか。「...早稲田渋谷シンガポール校が合格できますように...」中学部の生徒らしい。中学部というと中学生なんでしょうね。

新年快楽です。私も含め皆さんの願いがかなえられる年になるといいですね。ではでは・・・

Wednesday, February 2, 2011

[台北] 除夕 - 大晦日

[かつてはこの鉄路をヒノキの原木を乗せたトロッコが行き来したという。初めて訪れたときには朽ち果てようとしていた。昨年7月撮影]

その昔、都立大学建築課の院生が卒論に花蓮郊外に残る元営林署の日本官舎を選び、研究室の面々を引き連れて調査したことがありました。この官舎は誰かが記録に残さなければと口説いたような気がします。あれから十年近く経ったでしょうか、音沙汰のなかった彼女からメールが何通か届きました。昨年、その地、森坂を訪ねていた私は、当時、彼女の受け入れを担当していた荘さんと一緒の写真を送って近況を報告したところ、次のような返事をいただきました。どうせですので、いつもの通りブログに載せてしまいます。原文を少し加筆しておりますが......

> 荘さんとのショット、懐かしいですね。
> お二人ともお変わりなく、お元気そうで、お若いままで・・!

荘さんは変わっていませんが私は十分老人になっているはずですが。

> ブリキ猫さんは台北在住だそうですが、どのような生活していらっしゃるのですか?
> 日本では猫たちと晴耕雨読だったかと思いますが、
> 台湾や中国は屋台文化が盛んなので、日本と違い外食するのが通常でしたっけ。
> 中国語にもさらに磨きをかけ、台湾人のように生活しているのでしょうか?

変わったといえば食生活が変わった。ベジタリアンになったことでしょうか。ただしベガン(完全菜食主義者)ではありません。時には肉も魚も食しております。台湾は宗教活動が盛んでベジタブルレストランが実に多いんですね。ここでは素食と呼んでいます。そのバイキングスタイルのお店に出入りしています。私の場合、つまり少食で、五穀米とスープに量り売りのおかずで約60元、日本円150円ちょっとの生活を送っております。経済的ですしいいですよ、身体にも。

中国語は厦門滞在時にかわいい助手が先生になって再度勉強しました。おかげで表現のボキャブラリーは豊かになりましたが、四声はダメですね。耳がよくないとダメ。つまり声調を聞き分けられないとダメ。これは天賦の才能が必要なんでしょうね。

晴耕雨読の生活はまだあきらめておりません。この一年、漢人の文化から原住民の文化へと興味が移りました。今まで台湾の原住民というと印象が薄かったのですが、昨年TVドラマ「風中緋桜-霧社事件」という話を見てからというもの、こちらの原住民の魅力に取り付かれてしまいました。今では毎日のように「原住民族電視台」の番組を見ております。ニュース番組、音楽番組、歴史の記録映像、料理番組、族の伝承にまつわるお話などなど。まったく未知の世界でしたので、あれもこれも吸収したくていられません。

彼らの日常生活とその場、とくに高地に住む原住民の環境はまさに今私たちが求めている桃源郷、生態系依存型の生活を送ってきた場なんですね。土よし、水よし、空気よしの自給自足生活、そんな場所で晴耕雨読な毎日が送れればと思いを馳せております。...

今日は農暦の大晦日、よいお年をお迎えください。ではでは・・・ ブリキ猫