Thursday, January 20, 2011

[台北] 「靜土」

卒業していった十四名の生徒たちと彼らを支えてきた先生(右端)

久しぶりに原住民族電子台にチャンネルを合わせる。放映されていたのは一片の記録フィルム。再放送。番組名は「靜土」。舞台は東海岸のとある小さな部落。出演者はそこの子供たちと一緒にある夢を実現させようと努力する熱血先生、そして美しい自然の風景。

映像は今年卒業する阿美族の子供と蘭嶼(ゆう)島に転任の決まっている先生との日常生活を淡淡と追っていく。生徒の少ない教室で上級生は何かと年下の子供の面倒を見る。台北で開かれる原住民の子供たちの夢、演技大会に参加するための練習を重ねる。家族と離れたことで気落ちした一人が学校から姿を消した。子供たちはみんなして探し出す。両親が出稼ぎに出かけたのだろう生徒を下校後に面倒を見る先生。彼らの背後にはいつも東海岸の美しい風景がある。

まず引かれたのが番組の題名「靜土」。演出者がこの二文字にいくつかの意味を重ねていたことがだんだんとわかってくる。ここは阿美族の住む静浦という部落。かつて、清朝時代、漢人が友好を騙り、宴会を開き、酒に酔わし、百二十数名の阿美族の勇士を虐殺した地なのだそうだ。先生はこの事件をテーマに選び演技大会に向かって練習を重ねる。

僻地ともいえる地で教育に携わる先生。彼はカメラに向かって語る。「(僻地に赴任することを)みな嫌がり、そこそこに子供たちとかかわる。僕はそうなりたくなかった」。単身宿舎に戻り久しぶりに母親に電話を入れる。台湾語である。番組を見るものはここで初めて先生が漢人・台湾人であることを知る。

そして演技大会に参加。原住民らしく歌も踊りも子供とは思えない高いレベルだった。残念ながら入賞は逃すも、帰りのバスの子供たちは気落ちした様子も見せずに騒いでいた。別れが近づく。十四名の生徒が卒業、あるものはここを去ることになり、学校から火の気が消える。先生は宿舎の荷物を片付け、船に乗り、次の赴任地・蘭嶼(ゆう)島に向かう。

人はやってきてそして去っていく。しかし重い歴史を持ったこの地は残る。「靜土」は残った。美しい自然とともに。

「靜土」という中国語はない。しかし同じ発音で「浄土」[jìngtǔ]がある。残念ながら私の中国語の理解力が不足していた。御紹介するには言葉の足りなかったことが心残りである。

Monday, January 17, 2011

[厦門] 厳冬の厦門・コロンス島・モデルの写真撮影

時には分不相応なひと時を過ごしてみたくなる。静けさ、緑、最高の服務を享受できる環境。厦門沖合いに浮かぶコロンス島うにはそれがある。一度は分不相応なひと時を過ごしてみたい。

一晩120元(日本円約1500円)のサービス・アパートメントに不満があるわけではない。広いし、厨房も洗濯機もついている。バルコニーからの眺めも建設中の超高層マンションに遮られつつあるとはいえ開放的で気分がいい。いい加減だった人の出入りも徐々に厳しく管理され、安全面でも抜かりがなくなりつつある。悪いことはない。しかしそれは合理的な生活には十分だということに過ぎない。何かがほしくなる。

コロンス島に足を運んだのは三年ぶりだろうか。日本から友が訪れた際に一緒して以来だ。ごった返すフェリーの乗客は大陸各地からの旅行者であり、団体客である。率いるガイドは勝手気ままに動き回る客に業を煮やして大声を上げている。フェリーが岸壁を離れると海風が、寒風が通り抜けていく。私に目をやった一人の若者は先に確保した席を私に譲ろうと立ち上がった。

島内に車の姿はない。電動カートが観光客を運ぶ。租界地跡に残された洋館を改装する際の工事用資材運搬には大八車が使われている。坂だらけの島内では重労働だろう。以前にもまして増えた観光客のあいだを縫いながら目的地に向かうも、いつまで経っても探し当てられない。何箇所かで道順を尋ねるもたどり着けない。案内が大雑把過ぎるのだ。結局一度波止場まで戻って一から歩き始めた。

たどり着いた西欧風建物のプチホテルの外壁は鉢植えのカラフルな花で飾られていた。その風景に相応しいように若い女性であふれていた。初めて覗いたときのような静寂と大人びたただづまいは消え去っていた。英語を流暢に話した美しい宿の主人は若い男性に代わっていた。落胆が襲った。変わる前に逗留すべきだったと...。

目的を失い、ただブラブラと島内を歩き回った。久しぶりに射す太陽のもと、異国情緒あふれる路地裏を巡る。いたるところでウェディング用撮影が行われていた。さらに路地角を曲がると、そこではモデルを立たせた不思議な撮影風景を見ることができた。