Thursday, November 25, 2010

[台北] 原住民族電視台はGreen Channel - ”ina的厨房”


 テレビのチャンネルをあれこれ行き来していたいた際に偶然見かけたチャンネルがありました。”原住民族電視台”です。これを機に「風中緋桜 - 霧社事件」という2003年に放映された連続テレビドラマの再放送を見ることができました。完結まであと二週間です。生き残った渦中の高山初子のその後が描かれるのでしょうか。

この”原住民族電視台”ですが、機会あるごとにチャンネルを合わせてみると興味深い番組で組まれていることがわかりました。(といっても私にとってなんですが)。たとえば報道番組で紹介される世界ニュースは海外の少数民族にかかわる報道。たとえば、アルゼンチンの元首相が亡くなった報道で彼が原住族出であることを知りましたし、オーストラリアで原住民基本法が制定され、前政権にいた高官が怠ってきたことに反省したスピーチで、一説の終わりごとに「・・・・・・・,I'm sorry.」と付け加えていたシーンが映し出されたりします。北朝鮮情報なぞまったくありませんしその必要もないのです。そのかわり、西域の人たちが欧州で自冶権要求のデモを行われたことについてはちゃんと紹介されていました。

族語新聞は異なる言語を話す部族むけの番組。一日ひと部族の言葉で流すニュース番組です。

”我們的故事”はいろいろな原住民族の”むかし昔話”。伝えなければならない部族の慣わしを子供たちに紹介するもの。昔話から彼らの習俗風習、宗教観を知るには最適です。

”超級部落客”は、数多くの芸人を輩出している原住民ですので、引き回し役の原住民の若いタレント男女二人が、彼らとインタビューしながら原住民のアイデンティティーを引き出して紹介してくれます。特に女性は見かけ辣妹(日本語だとなんて訳すといいのでしょうか)ですが、機転はきくは話題は豊富で核心を引き出すのもうまい。

そのほかにも海外環境問題ドキュメントの放映、高地でのエコツアー、平地でのアグリツアーの紹介など興味を引く番組がずらり並んでいます。高地エコツアーでは部族の言い習わしや宗教観などを実感できるようです。

 このチャンネルのキャッチフレーズの一つに「原住民族電視台はあなたに最も原始的な感動をお送りします」があります。原始的な感動、都会に台北にいては得られない感動、原生林のなかで生き続けてきた狩猟民族の生活の紹介などです。無いものは自分でつくる、必要なものは店先にあるのではありません、創意工夫が必要だった生活の伝承......などなど。
台湾人が大部分なここ台湾にあって、原視TVにチャンネルを合わせる人がどのくらいいるのか。まあかなり限られているでしょうが、そのなかで恐らく彼らでも興味を引くチャンネルは”ina的厨房”ではないでしょうか。台湾人芸人、「海角七号」でバンドメンバーの一人勞馬を演じた民雄が、台湾中の原住民部落のvuvu(族語:オカーサン)ina(族語:シェフ?料理人?)を訪問し、その場で足を使い分け入った土地の野生の自生の食材を採取し、その場で料理をして見せてくれる番組です。
番組の特徴は、必ずその土地に自生、もしくは有機農場の野菜を用います。ということは、新鮮、季節もの、だから元気で身体にいい食材なのです。料理は目の前でvuvuの解説付きで出来上がっていきます。手の込んだ料理はありません。変に味付けもしない。紹介される料理のほとんどは部落の伝統料理だそうで、おばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんの・・・代から受け継がれてきた料理。番組の最後にvuvu曰く「養生健康美味」な料理ですと〆る。そうでしょう、空気が綺麗で、水がおいしくて、土地が汚染されていない高地なら、野菜はしゃきしゃきとして噛み応えあるだろうし、野菜本来の味は強いだろうし、なにしろその日の食い物はその日に採取して料理されるんですから。料理の基本でしょうね。

オッと、今日は木曜日、夜九時から「ina的厨房」が放映される!

Tuesday, November 23, 2010

[台北] 花岡両名の遺書

花岡両名の遺書



テレビのチャンネルをあれこれ行き来していたいた際に偶然見かけた番組がありました。原住民族電視台が再放送している「風中緋櫻 - 霧社事件」です。チョイの間見てみるとどこか興味深い。甚く惹きつけられました。

ど こに惹かれたかといいますと、番組の予告編を流している、そこに登場する若者たちは日本人らしい、ということで見始めました。じつは若者たちは台湾原住民 族でサイダク族出身。主人公は台湾の蕃人で最初に師範学校に入学し終了した模範蕃童(優秀な蕃人の子供)です。うら若い女性のほうは霧社事件で生き残った 数少ないサイダク人、事件の核心にいた方です。この番組は事件発生から半世紀を経たあと、台湾の研究生がこの女性からヒアリングして書かれたノンフィク ションをテレビ化したものです。この二人、見るからに日本人らしい、いや当時の理想的な日本人像に見える、徹底的に皇民化教育を受けた人たちなのです。

模範蕃童の一人・花岡一郎は夢を持っていた。教師になる。しかし彼の夢はかなわない。占領政策として、日本統治を円滑にするための仲介役となる警察官に任命 される。当時の台湾は警察によって統治されていた。統治する側につく統治される部族の人間、当然彼の中にいつも葛藤する自分がいた。

生き残って霧社事件を後世に伝える役を担った高山初子は看護婦として見習いを始めている。小さいときから医者も病院もない部落で怪我や出産に難儀する様を見、また、日本人教師からナイチンゲールの話を聞かされ、看護婦になることを夢見る。

一 方ドラマに登場する日本人はどれもこれもダメ人間だらけ。霧社警察の主任は事なかれ主義の役人根性丸出し。後任の男は袖の下しか考えない。蛮人との交易は 現金でなく物々交換。塩の取れない山間地で塩は命。ちょっと前まで日本でもタバコと塩は専売公社が仕切っていた。ここで警察署が管理していてもおかしくな い。狩猟民族の彼らが狩で獲た獲物を差し出しても値切りに値切る。そして警察官で蛮人を妻に娶り、ボランティアで教師をする知識人。ただし彼とてここを教 育文化の高いところにしたいと理想に燃えても、上司が彼のかみさんに横恋慕すると猜疑心で妻の前でむっつりだんまり。彼が模範蕃童の高山初子を総督府に連 れて行っていた間に彼女は首吊り自殺をしてしまう。知識人の優柔不断が生んだ結果だ。

このドラマは、異文化の衝突を描いている。稲作を狩 猟民族に押し付ける。自生している稗が米代わりの彼らに農耕定着文化の稲作を強要する。習俗習慣も異なる。狩猟民族の男として認められるために出草・首狩 をする。宗教観もまったく異なる。事件の最中多くのサイダク人が首吊り自殺をする。虹の橋を渡り、祖先の霊が住む聖山に行くために。

自殺 した教師の妻は、彼が台北に出かける前、亭主にすがって語りかける。「私は日本人ではありません。日本人の奥さんではありません。私は蕃人です。サイダク 人です」。劇中に説明らしい場面がないので推測ですが、結婚したサイダク人は不貞不倫はしない。もしそうなったならその場で自害する。サイダク人ならそう してもおかしくないのかもしれない。

霧社事件の最中、四人の模範蕃人、花岡一郎とその妻花子、花岡二郎と妻高山初子は聖山に向かう決意をする。一郎と二郎は、宿舎を出る際に宿舎廊下の白壁に筆を立てる。遺書をしたためる。

花岡両

我等ハ此の世を 去らねばならぬ
蕃人のこうふんは 出役の多い為に
こんな事件に なりました
我等も蕃人達に捕らはれ
どふすることも出来ません
昭和五年拾月弐拾七日午前九時
蕃人は各方面に守つて居ますから
郡守以下職員全部公学校方面に死セリ

ドラマの中の遺書 かなり端折っている
ドラマでは白壁に直接筆を立てているが、実際は和紙を貼った上に書いたという。筆さばきは見事だと思う。自由闊達だと思う。私のように筆の立たない人間にはこれが外国人、それも蛮人が書いたことに感嘆の念を覚える。(差別的に蕃人と呼んでいるわけではありません。強調したいからです。)

花岡一郎はサイダクの民族衣装の上に和服をまとった上で割腹自殺をする。一郎を演じた馬志翔の演技は迫真そのものだった。共演した日本人俳優によると、監督からOKが出た際スタッフから拍手が沸き起こったという。そのとおりだ。彼の目はいつも遠くを見ているようだったので、なおさらそんな印象を与えたのかもしれない。

高山初子は結局聖山へ向かわなかった。四人一緒にと誓ったものの、亭主の二郎がまだこの出来事を知らないお腹の子供に虹の橋を渡る権利はないと一郎に嘆願したからだという。非難するものは誰もいない。おかげで私は八十年経った今、霧社事件とサイダク人について知ることができたのだから。