Saturday, May 29, 2010

[East Asia photo inventory] 「漢字」

数年間手を入れていなかったホームページ。このウェッブ・サービス業者が日本から撤退してしばらくたちます。そしてある日、あるちょっとした手違いからサービスを止められてしまいました。焦って連絡をいれ一時的に回復したものの、再度意味不明なまま手が打てなくなってしまいます。このままほおっておくとデーターへのアクセスもできなくなりそうです。そこで古い記事、二十年前当時の東アジアの雰囲気を伝えた部分をこちらに掲載しておくことにしました。


招進宝と書かれた掛貼(縁起をかつぐ貼紙) photo:(C)Eiji KITADA

建築雑誌 "at" 連載 第1回
「漢 字」
文:大行 征
写真:北田 英治

台湾北部の港都、基隆を訪れたことがある。日本の占領時代軍港だった町である。燈火管制で町中の民家 が黒く塗りつぶされたと聞いていた。残念ながら今ではその面影はない。賑わいが途切れた町並みに木造2階建ての長屋をみつけた。戦前のものだ。雨と強い陽 射しを避けるために一階は回廊になっている。一軒の住宅の玄関に風変りな掛貼(縁起をかつぐ貼紙)を目にした。”招進宝”(お金が入りますように)を一字 に組み合わせたものだ。

こんな漢字の面白さを知ることになったのは中国語を勉強してからである。始めは書き順も筆使いも解らずに黒板の 前に立っていた。そのうち漢字そのものが中国文化を表現していることにきがつく。そしてなぜ書き順や筆使いにこだわるのかを考えるようになった。その間、 象学に興味をもち易や陰陽五行説などを読んでみる。そして漢字は概念をもつ最小単位であると思いいたった。漢字の発生と構成が中国思想と切っても切れない 関係にあることを学んだ。

その後、中文のワ一プロが必要になり、IBM台湾を訪れてみる。中国語の入力方法にはいくつかあるが、その中 でもIBM5550のは特に目を引いた。付属のマニュアルによれば、使用する24のキ一は4つに分類される。一つは陰陽五行の日、月、金、木、水、火、土 の七つをキーとするグループ。書道の基本的な筆運び、竹(斜線)、戈(点)、十(十字交差)、大(斜め交差)、中(縦線)、一(横線)、弓(はねる)の7 つのキー。人の体の部位がその文字の基になっている偏と傍を、人、心、手、口の4つのキーであらわしたグループ。単独では意味をなさないが、組合わされて 初めて意味をもつ文字を代表した尸、廿、山、女、田、卜の6つのキ一グループ。見ただけではなかなか理解できないが、漢字が形成されていくなかで、字母に 関わりなく構成された文字を集めて分類したものと思われる。

この24のキ一を自由自在に組み合せて必要な文字を正確に探し出してしま う。例えば”和”は竹木口キ一を叩く。”並”は廿廿一を叩くだけでよい。つまり、知的で高度な絵解きをワープロにとりいれたことになる。ゲーム感覚なので ある。中国南方の建築を見ているとこの絵解きのゲームに似たものを感じる。一つ一つ完成されたエレメントを使いながらそれを一体に組み上げてしまう。ちょ うど、漢字が構成されてきた手順ににている。

漢字を借りて文化を築いてきた東アジアの国々では、そんな文字を使い、考えを記録し、人へ伝 達してきた。そうなると漢字は、東アジアのオペレーションシステムと言えそうである。東アジアの建築も同様、この O S のもとでつくられてきたといえる。だとするならばローマン語系の建築とは大きく異なってくるはずである。

(第1回終り- "at" '90/05掲載)

 

「漢字」 十年後記 2001年2月12日

  十数年前までは中国語をパソコンで扱うことなど、一般の人間にはほとんど考えられなかった。台湾の IBMを訪れた後、日本IBMに中国語を扱いたいのだけれどと電話を入れたが、当時のIBMは個人ユーザーにはけんもほろろ、相手になどしてもらえなかっ た。この時からしばらく、決してIBMユーザーにはなるまいと思った。結果、IBMは個人ユーザーの必要性への決断を迫られることになるのだが。

それからしばらくして、友人がモンゴルの留学生を事務所に連れてきた。すでにマッキントッシュではOSレベルで中国語が簡単に扱えるようになっていた。そ んなことで、モンゴル語がパソコンで使えないだろうかということを知りたがった。ちょうどモンゴルはロシアから自立を図っていたとき、それまでの公用語の ロシア語からモンゴル語がパソコンで使える必要があった。

パソコンで外国語を扱う「お助け寺」でならしていたマキ・エンタープライズの野原さんに電話を入れてみる。「もちろん可能ですよ、ですがソフト開発に○○ 万円はかかります」で、話は終わってしまった。当時のモンゴルではとてつもない金額だった。

野原さんの話の中で興味深いことがあった。 世界中には五千から七千という言語が存在し使われているという。今後、パソコンに移植できない言語は間違いなく淘汰されるだろう・・・。言語はそれを使う 人たちの文化を形成する源である。もし、それらの言語が失われるならば、それらの文化も思考構造も精神構造も失われることになるのだから。

台湾では、戦後蒋介石とともに台湾に移ってきた外省人と呼ばれる人々が入ってくるまで、台湾語が使われていた。 もちろん今でも多くの人たちが使っているが、都市の若者たちは話すことができないという。できても味わいのある語り口にはほど遠いという。

[注:内容的に間違いのある部分も含め、手は加えてありません] 

[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」に収録されています。]

Thursday, May 27, 2010

[台北] 映画館で映画をみる

もうふた月以上前になります。映画館に出かけてきました。映画館で映画を見る、最後はいつだったでしょうか、記憶にないほど大昔のことです。台湾で映画を見るにいたっては二十年以上さかのぼるはずです。そう、映画館はわたしにとって遠い存在になっていました。それほど縁のなかった映画館に足を運ぶきっかけはTwitter。こちらの方の書き込みに思わず反応してしまったことからでした。

この旧正月の春先、台湾には目白押しに面白そうな映画が登場、電視台で予告が四六時中流されていました。日本語の題名は分かりませんが、D.Washingtonの「Book of Eli」、M. Damonの「Green Zone」、L. DiCaprioの「Shutter Island」そしてTim Burtonの「Alice in Wonderland」。なかでも「アリス...」は予告の編集が巧みで私をひきつけます。

台北のわたしの住まい近くにお住まいらしいTweets Friend、彼曰く「アリスはエンタメとしてなかなか面白い云々...」、私ついつい「期待しているんで、近々見にいくつもりです...」、友「Tim Burtonですから...是非是非...」。長年映画館に行っていない私は、ひくに引けず出かけざるを得なくなります。そして十分に楽しんできました。

写真はそのときの切符。入館時にチケットの端をむしり取ります。空港からリムジンバスに乗る際と同様、ハサミ代わりです。全席指定。窓口で希望の席はありますか?と聞かれたので、どこでも、と答えると、なんと13列の13号を渡してくれました。なんとなくアリスの中国語題名「魔境夢遊」にふさわしい。理解不能だったのが切符の一番下に記載された(小可1+小爆1)。これ小カップのコカコーラとポップコーン付きってことでした。しかしコーラは飲みませんし、小腹も満たされていましたのでそのままにしておきました。映画代金260元に付きだし30元、計290元。日本円で800円程度。ウイークデーの昼下がりです、観客は20名にも満たないでしょう。300席あまりの館内はガラガラでした。

その昔、台湾で映画を見たときのこと。日本の映画館との大きな違いのひとつに指定席の通し番号がありました。館内を縦二つに割り、右側が偶数席左側が奇数席。もうひとつは、館内が暗くなると全員起立です。何事かと思いきや、国歌が流れてきました。当時の最大の娯楽が映画でしたから、私も何度も通った記憶があります。この習慣、いまでは二つとも残されていませんでした。

「アリス・・・」に懲りず、立て続けに「グリーンゾーン」、「Book of Eli」を観ることになります。それでも物足りず、ネットで映画鑑賞。見たい観たいと思っていたジョン・マルコビッチ監督の「ダンス オブ テロリスト The Dancer Upstairs」など「911」関連映画。わたしにとって「911」という数字は南米にあります。ビン・ラディンがこの数字を意識して報復したのかは定かでありませんが、南米の「911」にまつわる映画をまとめて見ることができました。しかし、記憶が不正確になってしまった映画「ミッシング」が開けず、日本にいる韓流の師匠ジュンサンにお願いして送ってもらうことにしました。ジュンサン、感謝です。

Sunday, May 9, 2010

[台北・土城] 牡蛎雑炊を食する

ツイートしているうちに連想ゲームのように昔のことが思い起こされた.....

ご馳走を口にした。管理人の楊さんに連れ出され、台北郊外土城にある雑多な町並みのなかにあるごく普通の店構えの牡蛎之家で牡蛎づくし。生牡蠣、湯葉で包んだ牡蛎揚げ、牡蛎を卵とまぶして炒めたオアチェン(台湾語)、揚げ豆腐、そして最後に牡蛎雑炊。美味い、確かに美味く新鮮だった。

ご馳走を口にした。生牡蠣はいやだというも、牡蛎之家のカキは布袋沖外傘頂洲から今朝方揚げた新鮮なものなのだ、と言いくるめられ口にする。美味い、確かに美味く新鮮だった。そして安い。三人で800元と一寸。日本円で二千円と少し。

晩飯に口にした牡蛎の揚がる台湾中部の小さな漁村布袋鎮、大昔ここから船で澎湖島に渡ったことがある。出かける前の晩、港で宿を探していたときに出くわした街の若造に連れられ、賭けで巻き上げたというBMWを走らせ、畑のど真ん中、廟を囲んでできた仮設の飲み屋街にでかけた。田舎っぽかったが味わいがあった。

真っ暗闇の中、ぽつんとそのあたり一帯だけが光り輝いていた。店の中の薄暗い電灯、やけに派手で安っぽい衣装の女性たち。「土 」[tǔ] unfashionable ダサイ。しかしなぜか居心地がいい。映画「海角7号」の舞台は台湾最南部。舞台も話も登場人物もみな「土 」。しかし見ている私は実に和まされた。大陸中国ではお目にかかれない味わいがここ台湾にはある、いや残されている。

その「土」、時としてわずらわしいことも多い。そこを上手くかわせていければ、台湾は居心地のいい場所である。