Monday, August 31, 2009

[北京] 裏街 - 胡同


東アジアのあちこちを動き回っていたわりには北京情報がほとんど無いんです。大昔に仕事でチョいの間滞在したことと、それも朝から晩まで仕事仕事で街中出かけることなんてできませんでしたし。もう一度は北朝鮮を覗きに行ったときに北京空港経由だったんです。その際は空港出るはずではなかったものの、長春から飛んでくるはずの飛行機が寒波で雪のため飛べず、北京に足止めされたこと。夜中でしたから仮のホテルに入室し、寒さででかけるのもかなわず状態でしたから、北京のことはほとんど知りません。ですから北京と聞けば故宮博物館、北京ダックと仕事柄「胡同」ぐらいなんです。

今回は胡同が仕事の対象。胡同って市内いたるところにあり、それも小さい区画から大きい区画まで大小さまざま。それぞれに名前が付いています。運転手だってわかりません。信号で止まると飛び出していって聞いている。でもほとんどの人が外地人、北京以外からやって住みついた人たちでしたから、皆目判りません。裏通りに入いり御老人に聞いてみては?で、ようやくらしき場所に行き着きました。ほんの一画を小半時探し回ったでしょうか。

「胡同」(路地)にじっくり入り込んだのは初めてです。建物はみな壁も屋根も灰色です。写真で見ていた限りでは、単調で味気のない寒々しい光景かと思っていましたが、違いました。きっと灰色の材料のせいだと思います。温かみがあって触っても感触がいい、セメントモルタルのとげとげしさがありません。自然の材料が生み出す効果なんでしょうね。見直しました。ただ、もともとの胡同は四合院形式の住居の集まりだったんでしょうが、四合院の中庭は増築に継ぐ増築で迷路のよう。本来の面影はありませんでしたね。それに路地沿いの、見かけだけを上塗りしただけでした。

昼過ぎに暇ができてしまい、ホテル裏の迷路のような胡同を歩いてみました。ジッちゃんバッちゃん、無職遊民 [wúzhí yóumín](無職の人)、打工[dǎgōng](出稼ぎ、アルバイト)の連中が会話に花を咲かせておりました。下町裏通り、どこも同じですね。

Sunday, August 30, 2009

[北京] 新疆餐庁の肚皮舞


二十年近く北京を訪れていませんでした。この地にあまり興味がわきませんでしたし、昨年のオリンピック開催の時にはぜひ訪ねてきてください、とSkypeの友に言われていたものの、それだけでは引き付ける力はありませんでした。それにSkypeの友、消息ナシのツブテで連絡のとりようもありません。

厦門時代の同僚と連絡が取れました。台湾大手会社の北京事務所で活躍しているようです。着いた日の晩、ご馳走しますからと連絡が入ります。三年ぶりでしょうか、彼と会ったのは。「何がいいですか?北京ダックはどうですか?」。わたしは答えます、「北京ダック以外なら何でも」。

昔も今も北京の街は薄暗いですね。印象は変わっていません。彼の車で走ることおおよそ半時間、中心部の北、工人体育館周り、人と車で一杯です。何かイベントがあるとか。裏側の路地を抜けて路上駐車、駐車料を徴収する人間が立っていて案内します。この徴収システム、どうなっているのでしょう。

彼の案内してくれたお店はしんきょうウイグル料理、カバブ系でした。料理の味よりも、舞台で見せてくれたアラブ・中央アジア系のダンスに見とれておりました。中国語で肚皮舞[dùpíwǔ]って言うんだそうです。お腹の皮の踊りか。(新疆 [xīnjiāng] Xinjiang, a province in China)

[ today's photos ] Ishtarの歌と踊りにハマッているアタシとしては最高の接待でしたよ。アタシにとって見慣れぬ世界の一つに触れることができたのですから。ただ少し残念だったのは、踊り手さん、フェロモンを撒き散らすまでの真剣さが足りなかったですね。[写真はN95でビデオ取りしたものからフレーム(640x480)をバラしたものなのでボケボケです。ビデオはこちらで見ることができます。Ishtarが舞う肚皮舞はこちら。]

Saturday, August 29, 2009

[北京] 三通 - 北京の旅


二泊三日という強行で北京に出かけてきました。台北から上海までを東シナ海上空、上海から北京までは内陸を飛ぶんですね。フライト時間二時間四十分。航空会社は中華航空、台湾の会社です。彼らのB747が満席でした。

この旅も「三通」の旅でした。「小三通」のローカル色豊かな旅と違って、ごくごく普通の国際線という感がしました。おそらくほとんどの客が台湾人と思われましたが、その中に入り込んでしまうと、フライトアテンダントはアタシを彼らと一緒くたにしてしまいます。他の国際路線なら、客席を回りながらエントリーカード「入境登記表」を手に一人ひとり聞いて回ってくるはずなのですが、それがありません。「あのー、入境登記表をー」とお願いすると「(台湾)居留証明書があればいりませんよ」と受け付けてくれません。「あのー、外国人なんですがー」で、ようやく手にできました。行きも帰りも。

[追記] 更新が二日ほどできませんでした。あちらでblogger.comとtwitter.comが開けなかったのです。厦門でも一時期起きていたことです。それもアタシの持ち込みラップトップだけ、会社のデスクトップではちゃーんと開けんですよね。akiさんがtwitterで語ったところによると、上海に出かけた友人はyoutubeも駄目だったとつぶやいていました。

[ today's photos ] 何しろ二十年ぶりです、北京は。ホテルで無料の市内地図を手に入れます。地図情報の密度が多すぎて眼鏡を用いてもホテルの若い連中にも文字が判別できません。それにしても大きい、大きすぎですね北京は。

Wednesday, August 26, 2009

[台北] 裏街 - 晩夏


アタシは東京生まれの東京育ちだが下町風情は知らない。記憶に無いが田園調布のロータリーの一番外れに一時期いたらしい。その後は芝三田、といっても三井の山の麓にあった病院の一角で育ったから四国町など裏町っぽいところは知らない。それからは杉並で、多摩丘陵で、千葉の片田舎暮らし、どこも長閑な環境にいた。

台北に来て、こちらの大兄が用意してくれた住まいはまさに下町そのもの。小さなお店がどこまでも続く道幅の狭い錦州街という商店街の雑踏を一本入った裏通りに住んでいる。この界隈、裏通りはみな四階建て、時折見かける五階建ては違法建築のはずである。さらに屋上屋を重ねるトタン屋根の屋上屋も多い。

住み始めの頃は、えーこんなとこ、と落胆していたが、食い物屋の種類も多いし味も悪くないし夕刻過ぎにはまちの方々がジョギングにいそしむ緑の多い公園もある。部屋が最上階の四階で、風のない真夏の蒸し暑い日にこの階段を上るのは至極難儀だが、ジッちゃんバッちゃんが台湾語でアタシに話しかけてくるなど、アーこれが下町風情なのかと素直に受け入れてる。

蒸し暑さを少しでも避けようと、バルコニーに出て一服しようと外を見ると下弦の月が見えた。確か以前にこの光景を紹介したのは冬だったと思う。あれからすでに半年以上過ぎている。

Tuesday, August 25, 2009

[金門島] 金門島 - 老台湾


小三通で厦門はいいのだが、金門の事情がよく分からない。飛行場からフェリーへとどうやって移動するのだろう。場所や所要時間と距離、あらかじめ金門の地図でもとググッとマップやアースしてみた。???ボケボケだ。Google台湾も同様だ。Yahoo!はどうだ、やはり同じ真っ白けだ。えいや!敵陣からはどう見えてたのか、手掛かりありか?で、いまや世界有数なまでに成長した中国検索エンジン「百度」で検索。アー地名が漢字で書かれているだけでした。

金門の飛行場にはちゃんと島の正確な地図があった。「小三通」で沸き立つ観光ブームのおかげで、仕上がりの美しいパンフレットも用意されていた。「金門旅遊地図」「民宿味わいの旅」「金門観鳥・観鳥金門」などなど。さらっと目を通してみて気がついた。そう、ほんの十年前まではここは前線だったのだ。パンフレットのキャッチに嘘はないだろう、「世界で唯一完全に保存された最新の戦跡」。その昔、サイゴン郊外のベトコン地下基地見学コースなぞに出向いたが、何か見世物っぽい感があった。しかしM16銃弾一発1US$は本物でした・・・。

島の四分の一ぐらいは「金門国家公園」に指定され、古い台湾の風情がそのまま残されているようだ。時間が欲しい、ゆっくりとここ金門の旅をしてみたい、もう一度手作りソーメンを食したい。

[ today's photos ] 厦門も金門も似通った大きさの島のようだ。一寸比べてみる。厦門本島東西約12.5km南北約14km、金門島東西約18.5km南北約15km。金門島は四国(東西240km南北180km)を0.6%縮小かけたような形をしている。飛行場は土佐の高知あたり、フェリー乗り場は瀬戸内側の伊予あたりにあると思えばいい。ただとても小さく可愛い島なのだ。

Monday, August 24, 2009

[厦門] フェリー客の「小三通」


厦門から金門に戻るときのことです。通関を終え、フェリーの乗船待ち時間、人の列ができました。静かに並んでいた客も、時間が立つにつれおしゃべりが増えてきました。わたしの後ろでも会話が始まりました。振り返ってそのお二人の様子を見るわけにもいかず、ロバ耳立てて聞いておりました。

男:ご主人に会いに行くんですか?
女:ええ
男:お腹の赤ちゃんは何ヶ月?
女:八ヶ月です
男:じゃ、台湾で産むんですね
女:ええ、主人がそうして欲しいというので
男:奥さんは厦門の人?
女:ええ・・・

女性が厦門の人間と分かると、台湾人の男性、そこから台湾語・厦門語と標準語のちゃんぽんに。私にはよく分かりません。それまでの話から推測してみますと、女性のご主人は厦門に仕事に来ていた。そこでネット恋愛をしたらしい。結婚し、台湾で生活を始め、出産直前に国に戻って両親にお腹見せしてきた。ご主人は昨年の経済危機で銀行の仕事を失い、まだ次の仕事についていないという。

台湾人と結婚する大陸の女性が増えているという。大勢の大陸の女性が台湾に住み着き始めた。中国は確実に経済成長を続けているとはいえ、大半の人の収入はまだまだ台湾人の平均収入に程遠い。「三通」は経済政策のみならず、庶民の人的交流もまた促しているようだ。

それにしてもネット恋愛の話って初めて目の前(いや背中)で聞いた。そういえば大陸のスカイプの友たちはいかがしているのだろう。北京の彼女も広州の彼女もある時期からトンと音沙汰がなくなってしまった。あれほどチャットに熱心だったのに・・・。

[ today's photos ] ターミナル脇の開発地区、急速に建設が進められている。工事は24時間休みなし。厦門の姐姐は右端に見える高層アパートに住んでいる。

Sunday, August 23, 2009

[厦門] 小三通 - 厦門の東渡埠頭


金門島の埠頭、水頭といいます。そこから中国沿岸に向かうフェリーのルートはいくつかあるんですね。厦門は東渡埠頭と五通埠頭、それと厦門の北の古都・泉州。台湾側は今は金門島だけですが、近いうちに台湾本島寄りにある彭湖島にも「通」ずるらしいのです。

実質の船旅はわずか45分、いつもは陸地から眺めていた厦門の東渡埠頭を船の喫水線ぎりぎりから見ることができました。手荷物は自分で抱え、いや台湾から直通で切符を手配していれば手荷物も航空会社がバゲッジ・クレームしてくれるのですが、台風を避けるために急遽日程を早めたアタシの場合、金門空港からずーっと荷物は抱えっぱなしでした。

入国審査は台湾・大陸の人間と外国人は異なります。彼らは同胞である旨を記した簡単な書類に身分証明書を添えるだけ。アタシ外国人は正規の入国カードに必要事項を記入し、パスポートともに通関手続きをします。馬鹿っ広いターミナルの中、たかだか50名程度の人間の通関、アタシもごく簡単な手続いを終え、久しぶりの厦門の土を踏みました。

船を下りるとすぐに姐姐から電話。まだかまだか今どこで何してるのと急ぎの催促。8号ゲートから出て行くよ、というと半年前に購入したばかりのフォードの小型車が目の前に現れ、アタシをピックアップしてくれました。

[ today's photos ] 船の客室から眺める東渡フェリー・ターミナル。画像がだらしないのは汚れた窓と波しぶきの跡と日没直後だったから、と言い訳。

Saturday, August 22, 2009

[台湾・金門] 小三通 - 金門島のフェリーターミナル


台北から国内線で金門島へ。空港のゲートを出ると、各航空会社がフェリーへの搭乗手続きをしてくれます。そのかわり、搭乗した国内線の航空会社のカウンターでパスポートを預けることになります。航空会社が用意する専用バスが、厦門へ乗り継ぐフェリーのターミナルに着き、そこで船の搭乗券を受け取るまで、客は海に飛び込むことも、民宿に泊り込むこともできません。航空会社は決められた船に必ず乗船させなければいけないのです。

飛行場とフェリーターミナルまでの間は軟禁状態にされます。台湾人も中国人も外国人も。バスには航空会社の女性乗務員がついています。心配顔の客に向かって語りかけます。「パスポートを預かっていますけど問題はありませんからね、ご安心くださぃ。フェリーターミナルに着いたら切符と一緒にお渡ししますからね」。

金門島の国際フェリーターミナルビルは台湾本島で見かける小さな鉄道駅みたいに見えます。ホールの片隅に通関に向かう通路が見えました。国際線のような厄介さは感じません。トントントンと出国手続きは終わり、煙草は安く買えるはずだと免税店もありましたから購入し、埠頭に出るとそこに小さな船が停泊していました。

窓際に席を取り、それでは上部デッキから埠頭の写真を撮ろうと思ったのですが、残念なことにデッキはありませんでした。客の安全のためでしょうか、完全に密閉された構造になっているのです。

厦門では姐姐が出迎えてくれるはずです。でも船は予定の便より遅い便に変えられてしまいましたから、早めに連絡しておかなければなりません。手元には台湾のSIMカードの携帯と、厦門のSIMがささった携帯の二台があります。試しに厦門の携帯の電源を入れて見ます。見事向こう岸の電波を拾っていました。無事にSMSを送ることができ、了解しましたよと返事も受け取ることができました。国際メールの必要がありません、電話代が節約できました。

[ today's photos ] ターミナルから船までの間は細い通路で仕切られている。写真撮影もママならない。身体を乗り出し、わずかに覗ける港と停泊中の船影を捕らえらる。きっと大型船の必要はないのだろう、港もこじんまりとして和める。台風が後ろから迫ってきていたものの、波頭も見えていない。穏やかな船旅になるだろう。

Friday, August 21, 2009

[台湾・金門] 小三通 - 海峡の両岸


「小三通」は耳にしたことはないかもしれませんが、「三通」はありますよね。中国政府と台湾政府、あーこの表現は一昔前の表現ですねー、問題あるかもしれませんが、同じ中国人なんだから、いやーこの表現も難しいですが、「同胞」なんだから、とにもかくにもそれまでの「不接触」「不談判」「不妥協」の三不政策を「通商」「通航」「通郵」の三通政策でいきましょうや、と相成りました。そして「三通」のローカル版が「小三通」、地域限定版。中国厦門と台湾金門島との間に適用されています。

厦門の開発会社にいたとき、台湾人幹部はしばしばこれを利用し、厦門の埠頭から船旅一時間で金門島へ渡り、そこから台湾国内線で好きなところへと里帰りするのです。それまでは香港経由、それと比べれば値段も半額。アタシのような外国人はビザ更新の度に香港か日本へと里帰りしていたのですから、それだけ台湾の「同胞」は優遇されていたのです。時に埠頭に出迎えに出たりして、小さな船とはいえ、船旅への誘いは、かつて東アジアの旅を主催した者として、いつの日にかこの台湾海峡を渡ってみたいと思っておりました。

厦門の女医さんがしきりにアタシに語っております。「金門から西洋人が船に乗っていたわよ!絶対外国人もOKなはずよ!」。昨年の後半らしいのですが正確にはわかりません、「三通」の旅が外国人にも適用されたのです。そして今回、滞在許可期限切れ直前の八月初め、厦門への小さな旅をしてきたところです。

[ today's photos ] とはいえ、まだまだ外国人利用者は少ないようで、アタシが乗り込んだ船にはアタシ一人。おかげで荷物につけられたタグの名前欄には「日本」とだけ書き記されていた。Boarding passにある金門-東渡の「東渡」は厦門の埠頭、かつてアタシが住み込んだサービス・アパートメントの目の前にある。

Thursday, August 20, 2009

[台北] きっかけ


きっと暑さのせいでしょう、ブログ更新ママならずの原因は。間もなく半年になってしまいます。

台北市内、連日連夜の真夏日。かつて暮らしていた千葉の里山、クーラーなぞ一年で二三日しかオンしないなんて言ってましたが、暑さのせいか歳のせいか、ここでは連日連夜かけっぱなし。おかげで部屋の電気代、普段は月600台湾元、それがこの二ヶ月900台湾元にまで上昇中です。

八月半ばを過ぎてから、ムッとする空気も遠ざかりつつあるようです。そこでblog更新しないとなー、一部の方からは生死を確認するようなメールが届いたりしていましたから。それでも何かきっかけが言い訳代わりに必要でした。

大学同期の畏友、akiさんは新しい物好きです。新しいものは一度は試みてみる。歳とは関係ありませんね。今話題のtwitter始めたからねとblog。ではではアタシも・・・、でもつぶやく相手も別段必要ないし。でも一寸待て、アタシがblog更新をためらっていた、一寸面倒くさい部分をtwitterが補ってくれるだろう。いつでもどこでも、携帯からPCから投稿できる備忘録代わりに使ってしまえ。blogに書き記すほどの内容でないものはツイットして、それを我がblogのサイドバーに送っておけばいいのだ。

かくして更新再開、となりますか?

[ today's photos ] 金門島の名産品、手作りソーメン。厦門で濃い味と脂っこい食に辟易としていたところ、台北に戻る途中に立ち寄った金門島のお土産店、ここで口にしたこのソーメンの美味いこと美味いこと・・・。口のまわりが微笑んでおりました。