Wednesday, December 31, 2008

[台北] 行く年


・不思議な年だった。待ったり攻めにはいったりした。あちこち動き回った。信用できる人間とできない人間がはっきりした。手元のお金が日ごとに薄くなった。「無業遊民」と呼ばれた。身体じゅうが悪さした。そして歳を感じた。

・一昨年末に厦門の会社を離れ、次の仕事予定があれこれあったものの、すでに金融危機の兆候が出ていたようで、すべて延期延期と相成った。どれに的を絞ったらいいかの判断もつけにくく、ひたすら待ってみたり、企画書の内容に加筆したりとどっと暇だったりどっと忙しかったりを繰り返した。

・仕事の話で上海、台北、日本と移動した。引越しを何度か繰り返した。だんだんと家賃の安い場所になった。台北に来る前に住んだ厦門のワンルーム・マンションは、アタシが住んだ生涯最低の部屋だった。その価値を証明するように住人たちの生態が覗けて実に興味深かった。

・中国社会で信頼できる人間を見つけ出すことの難しさを知った。ここで上に立つには金と地位と名声がなければできない。そのためなら誰だろうが蹴落としていく。利用できるならなんでも利用する。金がなくなれば距離を置かれる、地位を失えばただの知人。恐ろしいが権謀術策を愛する人間には堪えられない世界だ。

・仕事の予定はすべてディレイ・ディレイで銀行の口座は日ごとに残高を減らした。それでもライフスタイルを変えることはなかった。厦門の生活費は驚くほど安価だったのだ。珈琲を啜る金額でその日の三食が賄えるのだから。生涯お手伝いさんのいる生活なぞ縁無しかと思っていたものの、それも体験できた。

・厦門での最後の三ヶ月、台北での仕事は決まったものの動き出さない。待つこと三ヶ月、資料づくりで日ごと珈琲店に出向いた。店の女の子が「仕事はなにしてるの?」と聞く。定年退職と適当に答えると「無業遊民 ( wu2 ye4 you2 min2 ) ね」といわれた。アタシは勝手に翻訳した。「無職渡世人」。うん、満足のいく答えだ。

・六月、日本から厦門に戻った途端、体調を崩した。新陳代謝不良から来る尿道結石で真夜中の死に至る痛みに見舞われた。水腫で足がむくみ腹回りが突き出し顔が腫れ体重が3キロ増えた。そしてどっと歳をとった。

大晦日の台北は雨、夜中九時の気温は13度。薄ら寒い。日本のような正月気分はない。それほどここ台湾の景気は落ち込んでしまったらしい。

[ today's photos ] 数時間早いが、2009年の到来で、中国圏のGoogle検索サイトはこのように。

Wednesday, December 24, 2008

[台北] 携帯・中国語・入力


・アタシが連れ歩いている携帯はみんなノキア製。PCにアドレスとかメールとかSMSを簡単に保存できるから。携帯本体を変えても、アタシはまだないが、携帯を紛失した際にもPCからデーターをコピーするだけだ。長年使い回して重宝している。

もうひとつの重宝は日中英マルチリンガル携帯として使えること。アタシの動き回っている中国、香港、台湾での必需品。商機は日本にもありと、最近の中国語携帯にはひらがなカタカナ日本漢字が含まれているから、文字化けせずに日本語携帯から中国語携帯にそのまま送って読むこともできる。ほんの数年前を思うと隔世の感がある。

ただ日本のキャリアが出している携帯は中国語を読み取ることができないし、入力もできない。一部可能な携帯を用意し始めたようだがまだまだ一般的ではない。中国で携帯を購入した。ではコイツで日本語を使うにはどうしたらいいか。NOKIAのS60シリーズなら+J for S60というソフトが管理工学研究所から出ている。入力方法は日本の携帯とほぼ同じ、そこそこ使えている。

英語版の携帯なんだけどという際はどうする。まずは英語版に中国語のパッチを当ててくれるお店は結構ある。まずは中国語を使えるようにしてから、そこに+J for S60を入れればハイこれで日中英のマルチリンガル携帯となる。WindowsMobileの最新版は簡単にマルチリンガル化できる(CEStar)も、触ったことはない。日本で使えないので諦めたPalmMobileには中日韓使えるCJKosというソフトが用意されているものの、英語を含めて四ヶ国語を一緒には使えなかったような気がする。

今のアタシの携帯は中国本土で購入したNOKIA N95。簡体字での表示と入力、ここ台北の友人から送られてくるメールは繁体字。両者並んで表示されている。オッと忘れていた、iPhone中国語版で日本語表示は初期設定で可能なのだ。

・静かな聖夜であります。小生は風邪を引き、切れ目ない鼻水に、一日でティシュボックス一箱あけてしまいました。厦門の元秘書から電話でクリスマスのメッセージをいただき、しっかり次に厦門にやってきたときにはあれとこれとが欲しいなぞほざいておりました。

[ today's photos ] Nokia N95、昨年の十月購入だからもう一年間使ったことになる。なれ親しんだインターフェースを替える気もしない。3Gが使えると思いきや、そこはそれ中国、中国が現在ネット整備中の3Gでしか使えない。厦門でも、当然ここ台北でも宝の持ち腐れ、というか役立たずを抱え込んだのだ。

[today's Buddha Bar] Band Aid - "Do They Know It's Christmas" Original Band Aid(1984)

今日は聖誕日、今年は世界中が暗黒のクリスマスを迎えているのか。1984年、われわれは豊かそうにみえた。二十四年前、アフリカの飢餓報道を目にした一人のポップシンガーが起こした運動、"Band Aid"があった。The original 1984 Feed The World logo was based on a pencil sketch by Bob Geldof after watching a BBC television news report by Michael Buerk from famine-stricken Ethiopia. (wikipedia).......その後 "USA for Africa" と、国名を挙げて取り組んだ米国のグループとは大違い、実に新鮮だった。

[追記] クリップに出てくるボーイ・ジョージ(Boy George・女装して化粧してハリのある声で歌ってた彼)が男性監禁とベットに鎖で拘束の上シバいた件で今月初め有罪になったとニュースで知った。彼も47歳か。最近の写真を見るとデブになってたな。もともと肥満体質に見えたけど。

Sunday, December 21, 2008

[台北] 喫煙


仕事がいまだ正式な契約に至っていないこともあり、日ごろは共同で開発に当たる事務所の会議室に居座って仕事をしている。建物全体が禁煙、耐えられない人間はビル入り口の外にしつらえた灰皿の周りまで降りてくる。同じビルで働く人間が出入りするわけで、一時間おきに現れるアタシの姿を横目で見ていく。一寸気まずい思いがする。来年1月11日からは、公共の場所と三人以上同席の場での喫煙が全面禁止となるという。

このビルの道路を挟んだ向かいの建物には四六時中観光バスが横付けになる。人の出入りが激しいのと、喫煙者の姿が目に付く。何でかと思いきや政府公認の免税店、海外からの観光客が訪れている。日本語が聞こえる、韓国語も聞こえる、そしてあの懐かしい大陸のそれも北方訛りの中国語も聞こえてくる。ここでは日本人も大陸の人間もよくタバコをくわえている。観光客への配慮だろうし、何よりアタシにとっては不特定多数の一員になってタバコが吸える。常場所になった。

好奇心から彼らを観察するのが楽しみになった。ポイ捨ての習慣に慣れきっている大陸の方々、ポイッとしようとして思いとどまり灰皿へ。隣のファミマで紙コップの飲み物を抱え、終えるとくるくる辺りを見回し灰皿一体のゴミ箱へと向かう。きっとこちらに来る前に十分教育されたに違いない。それにしても仕草が不自然な感がして笑えてくる。

ここでは大陸の評判は必ずしもよいとはいえない。選ばれ観光にやってくる彼らを見ても、台湾の三十年ぐらい前を思い出させる身なりだ。それでもアタシには懐かしい思いで彼らに声をかけたくなってしまう。厦門には中国全土から人間がやってきた。何をするにも千差万別、実に興味深かった。ここ台湾は人口二千三百万、大陸の五十分の一以下に過ぎない。アタシのような外国人から見れば、台湾は単一民族に見えてくる。

[ today's photos ] 天気がいいと昼食によく出向くのが四年前しばしば利用したサンドイッチの店"LuLu"。洒落た紙袋にはツナサンドと今日のスープ、占めて105元(日本円約300円)。小脇に抱え、店近くの口袋公園(口袋はポケットの意味)で食事を取る。写真の椅子は日陰を求めてちょくちょく移動するが、椅子の利用者は若い女性、食後一服のタバコをここで過ごしていく。

Wednesday, December 17, 2008

[台北] 作法


気がつかないうちにあたしは大陸の習慣に慣れ染まっていたようだ。礼儀作法を忘れていた。

こちらにきてハッと気がついたこと。台北の人はよく「ありがとう」「失礼」とか「ごめんなさい」とちょっとしたこと、例えばエレベーターの乗り降りの際にエスコートすると「謝謝」と口にする。買い物の支払いの際に店員が「ありがとうございました」と返答する。それが若者たちも妹妹(お嬢さん)たちもだ。彼の地、中国厦門ではなかなか聴けなかった言葉である。

横柄なんですね、彼の地のかたがたは。というよりかそれが文化でありまして、そんな教育受けていませんし、それより他人より一歩先に出し抜かないと生き残れないのでありまして、諭してみたところでちんぷんかんぷん、何いっているのかわからん、で終わってしまう。しかしこれはきっと教育というものなんだと思ったのが、バスに乗った際のこと、白髪頭のアタシを見るや、若者も中年の方もスッと立ち上がり席を譲る。他の都市はわからないが、少なくとも厦門はそうでありました。作法ですから教えを受ければできることです。

かつて彼の地で厦門にやってきた台湾人と雑談をしていた。台湾人、こちらの人たちは礼儀を知らん、礼儀を。失礼この上ないと憤慨していた。そういう時あたしがよく例に出すのは、「こちらで辞書買ったんですよ。“禮貌”(礼儀)って字を探したところ載ってないんですよ」。もちろん冗談であります。ですが本当にわれわれの常識からかけ離れている行動をとったりする。だから彼の地にやってくる芸人たちも、彼の地の何気ない印象を記者会見で話し、それがネットで叩かれたりする。おいおいおいまずは自分のまわり見てからにしてよ、と言いたくなってしまう。

うーん、今の台北の人たちは日本人より丁寧かもしれない。いまだここは日本ブームというより、日本スタイルが生活の一部になりつつあるのか、その分日本のいい部分が活かされているのかもしれない。

[ today's photos ] この長屋の入り口はすごい。道路に面した壁には、左から消火栓、門扉、呼び鈴、郵便箱。壁の上部にはケーブルネットの配線と分岐コネクターが乱雑に走っている。実ににぎやかだ。

Monday, December 15, 2008

[台北] 物価


台北にやってきて最初にしたのが物の値段の比較。普段暮らす際の物価は厦門と比してどうだろうというこt。いがいにも気軽に生活できた厦門に比してそれほど高いという感ではなかった。例えてみると、厦門で愛用していた韓国製タバコが8人民元(90日本円)、ここ台北で”GENTLE 1”という名のタバコが45台湾元(135日本円)。ビールは3人民元(45日本円)が台湾では30元(90日本円)。公共バスが厦門の2人民元(30日本円)にたいして台北が15元(45日本円)。タクシーの初乗り9人民元(90日本円)は80台湾元(240日本円)。ただし日本の物価とは比較しないほうがいい。いやになってくる。

簡単な昼食が10人民元前後(150日本円)は台湾では50から100台湾元(150から300日本円)とそう驚くほどの差はない。逆に珈琲30人民元(450日本円)は台北の炭火珈琲が120台湾元(360日本円)など嗜好品は逆に厦門のほうが値が張った。厦門で日参した"Javaromas"の珈琲は贅沢品だったのだ。

しかし価格とは相対的なものだから、愚痴をいっても始まらない。ようは心得てお金を使うことに早く慣れることだ。かつて、初めて厦門にやってきたころを思い出してみる。物価比較を日本円で勘定していたものの、長逗留するとそれがばかばかしくなり、現地価格に馴染んでいった。そうすると急にお金が溜まったりする。

今では日本で暮らすことが恐ろしく感じる。台湾の友人たちは日本にだけは遊びに出かけられないという。円高で海外旅行は魅力的だが、そうならあたしは早く厦門郊外の農村のガジュマルの木の下でうたた寝をしながらケチケチに過ごしたい。

[ today's photos ] 天気がいいと、昼食は弁当屋とかパン屋のサンドイッチとかを手に、街中のいたるところにある小公園のベンチでとる。ある公園脇にある長屋の入り口の門扉はいかにも台湾という感だった。

Saturday, December 13, 2008

[台北] 裏町


あたしの住まいは表通りから奥に入った裏町辻の長屋の四階にある。部屋の中での喫煙が禁じられているので、しばしばバルコニーに出てタバコの煙をくゆらせながら裏通りを観察する。

向かいの窓からオバサンの話し声が聞こえてくる。手入れの行き届いた黒毛の犬を散歩に連れ出すおじさんの姿が見える。新聞配達のバイク、牛乳を受け箱に手際よく入れ替えるおニーさん、出勤に向かう人たちの急ぎ足の姿が見える。夕刻、ゴミ収集車のチャイムが聞こえてくるとあちこちから当番さんが急ぎ足で指定袋に溜まったゴミを抱えて出てくる。

古い長屋なのだろう、本来禁じられているバルコニーの改造で左右上下各戸まったく違った表情を見せている。町並みは変化に富み、外壁の材料も色とりどり、照明もさまざまだ。狭い街路の両側は車とバイクで占められている。乗用車一台がようやっと通れる幅が残されているのみ。火事なぞおきて消防車がやってきて行き来できるのだろうかと心配してみたりする。長年の生活から工夫された表情がこの裏町をつくっている。

古くからの家族が住み続けてきたようで、年寄りの姿も多い。外からやってくる人間が多い厦門のようなことはないので、若い女性に囲まれて住むわけにはいかなかった。みな静かに暮らしているのだ。

友人たちからのメールには「おかえりなさいまし」とか「帰ってきたようで」など、あたしのふるさとのように記されていた。そうなのかもしれない。違和感なく落着いた生活を始めている。

[ today's photos ] 夕刻の裏町の姿。どこか東京の下町あたりで見かける風景に似ている。

Sunday, December 7, 2008

[台北] "always online" - 愛・在線


寒気団が南下している。台北は快晴で爽やか、だが気温は10度に迫ろうという低さだ。小国の経済は簡単に金融危機という寒気団に飲み込まれる。対日本円対人民元、ここ数ヶ月でどちらも20%強台湾ドル安だ。この地で稼いでも日々目減りするのみという有様。

話しかわって近況を。11月15日、航空荷物の超過料金1200元、約1万8千日本円を支払ってこの地台北にたどり着いた。小さいながら小奇麗で静かな部屋も用意され、その日から何変わりない生活に入ることができた。台北の大兄に感謝。早速ネットをつなげる。ネットに繋がっていないとやってられない症候群は若年層だけでない。ジジイだってこの病にかかる。

台北に移動してから突然に物欲が沸いてきた。ここは彼の地と違ってものの種類が豊富である。電気屋の店先にはNetbookの数々が並んでいる。小さく軽く安くそれでいて四六時中ネットに繋げられる。ネット・ジジには最適ではないか。つい最近後発組の聯想(Lenovo)も販売を開始した。 "always online 愛・在線"。それがLenovo・IdeaPad S10のキャッチフレーズ。

YouKu(優酷 you cool! )にTV広告用ビデオクリップがのっていた。"always online 愛・在線"。若い男女の別れと、それでもネットで繋がっていることで支えられる少女のお話。実は男は自分の死期を知って無理やり分かれるのだが、彼の部屋にはIdeaPadが残されていて彼女と繋がっていた・・・。異国で一人孤独と戦っているとこんな他愛のない話にコロッと参ってしまう、コロッと参って買ってしまいそうだ。

[ today's photos ] 結局こちら台北に移ってまた電気製品を買うことになった。トースター、電気ポッド、マイクロウェーブ。SANYO、Eupa、LG製。さすが彼の地の製品よりどれもしっかりしていた。