Friday, November 14, 2008

[廈門] さよなら再見 - Ⅱ


厦門最後の日は忙しかった。

午前中、姐姐の家で台湾に持ち込む衣服をまとめホテルに運んだ。なじみの美容院の31号、美容師の男に電話をし予約を取る。一寸待たされたが、毎回三ヶ月も間をおいて、と毎度のことながら文句を言われる。短く刈り込むなといったが、毎度のことであっさりした髪型に収まった。

途中、元秘書の元中国語の先生から電話、昼食を一緒にしようと。アタシは今日は忙しいからコッチに来いというと、あの料理が食いたいそっちは美味しいお店がない、といつものように五月蝿い。タクシー代を出すから来いというとひとつ返事でやってきた。食い物ではなく久しぶりだから話をしようと珈琲店に連れて行った。店のリーダーと会うのも彼女は久しぶり、抱き合って挨拶を交わしていた。

元秘書を先に返し、アタシは銀行で最後の換金をした。荷物が多く、チェックインの際に超過料金を払わされる可能性が高いからある程度現金の用意をする。珈琲店で残したスパゲティーを持ち帰りしていたのを見た銀行窓口の女性がうらやましそうにそれを眺めた。まだ昼休みをとっていないようだ。意地悪に包みを手に美味しそうに匂いを嗅ぐしぐさを見せてあげた。彼女ふてた顔をする。

ホテルに戻り、明日どう荷物を運ぼうかあれこれ試し、何とかいけそうだと分かり一休み。どうも熟睡をしたようだ。途中で電話がなる。姉姐が最後の晩餐を一緒しようといってきた。

高級なお店ではないが、地元の味が売りの料理を姐姐一家と食事をとる。そしてアタシは今日二度目の最後の"Javaromas"で最後のエスプレッソを口にした。

さよなら再見、また会う日まで、ある晴れた日に・・・。

[ today's photos ] 部屋を引き払い、酒店式公寓に移った。以前二ヶ月ほど厄介になったホテル。つい先日まで住んでいた部屋と異なり、広くそして何より静かだ。この静けさが欲しかった。バルコニーに出て、厦門最後の夕日を眺めた。

[ today's Buddha Bar ]
厦門最後の選曲は何がいいか考えた。やはりこの地に戻ってくることを考えるとこの曲しか思い浮かばない。"We'll meet again"。ただしVera Lynnのそれではなく、生粋の米国人、バンジョー弾きの老人、Joe Bethancourtがしんみりと奏でる"We'll meet again"。アタシの今の心境そのものだ。

Thursday, November 13, 2008

[廈門] さよなら再見 - Ⅰ


小さな部屋にもたくさんの荷物が結構あるものだ。

台湾への移転で荷物を整理した。PVC製の整理ボックスが二つ。照明器具、ジューサー、絨毯がひとつの箱に、小道具類をもうひとつの箱に。そのほかに衣類がことのほかに多い。スーツケース大小合わせて四つもある。それでも一部分を持ち込んでいたに過ぎない。残り物は厦門の姐姐の伯父さんちで預かってもらっている。荷物の山を見て二年という歳月を感じた。

受け入れ側の台湾の大兄が電話で問う。「荷物はどのくらい?船便で送りますか?」アタシ「いやとりあえず冬物だけを持ち込みます。夏物は三ヵ月後に取りに戻りますので」。台湾はノービザで三ヶ月、九十日の滞在が許される。そのさい再度厦門に戻るつもりで荷物は二つに分けることにした。寝具類、什器備品、好きで集めた食器類は厦門の田園生活を始めるときに役立つだろう。

この地を去ることはほんの少数の人間にだけ話をした。昔の同僚、といっても企業集団の別の企業のふたり、それに姐姐と昔の秘書。ウェルネスセンターの姐姐、意地悪な医者とは顔を合わせて食事を、昔の同僚たちと珈琲を一緒しただけで話をしていない。航空券を購入するためホテルに顔を出した際、昔のボスと会ったが握手のみでサヨナラだ。二年の歳月は多くの人たちと知り合った時間でもあった。最近ではタバコ屋の少女、お粥屋の女将、カレー店の経理、日本料理屋の服務員たち。この期になるとなんとも名残り惜しい。

この数日、やっかいになったお店に顔をだし、消えることは伝えず、いつものように冗談を言い合って別れてきた。いまアタシの仕事場である珈琲店 "Javaromas" でこのblogを書いている。

[ today's photos ] 厦門を離れることをJavaromasの領導に話した。アタシの仕事場のリーダーに黙って消えるわけにいかない。最後に食事をご馳走することにして印度料理店にいってきた。そしてもう一人は、かつてこの店で働いていた仲間。北京に消えて一年、不動産の仲介を手伝いしていたものの、国のご指導でオリンピック期間中に店を閉め、そのまま閉めたままになってしまったので厦門に戻って仕事探しの最中だった。その昔、アタシの秘書と四人、レストランで食事したり、家に来て雑談に花を咲かせた仲である。

[ today's Buddha Bar ]
"Salam La Paz al Final" (最後にサラムに平和を)。Ishtarが活き活きと歌って踊る姿の印象的な一曲を。Ishtarのなかで私の最も好きなライブビデオ。

Buddha Barを取り上げ始めたら、世界中からアタシのblogをヒットするようになった。ブラジル、メキシコ、アルジェ、トルコ、イスラエル、ブルガリア、印度というのがうれしい。

Wednesday, November 12, 2008

[廈門] 榕樹の下でうたた寝を


『金融崩壊の根本原因は「人間の本能」:神経科学者が語る米国批判』なんてタイトルの記事を見ると納得したくなる。経済学者より精神科学者のほうが信用できる気がする。

『・・・特 に米国では、欲しいものを次々と手に入れていく物質的な旅路とでもいうものの果てに幸せはある、と教えられる』とか『われわれは、欲しいものがすぐ手に入ればそれでよいと、あらゆるトリックを用いて自らに思い込ませている』とか『市 場は、自らの将来を抵当に入れる人のようなものと考えればいい。ただし、市場は他人の金でそれをしている』、『結局は、待つよ り今すぐ手に入れるという概念に立脚したねずみ講と同じものになる。そして、これらすべては同じ本能的衝動を起源とする』という話を聞くとうれしくなってくる。

アタシは極貧の生活は望まないが、貧しい生活ながら精神的に余裕のある日々がすごせるならそれでよしと考えている。厦門の生活は魅力的だし、郊外の農村はもっと魅力的で、いずれその地で生涯を終えてもいいと思っている。真夏の昼下がり、農家の庭先、緑の生い茂った榕树 [róng shù ガジュマル ] の下に籐製の長いすにだらしない格好で昼寝をしている老人。時間のたつのもしらずにうたた寝を続ける。夕刻、かわいらしい村の少女がやってきて声をかける。「おジーちゃん、ご飯ができたよー」。一日の終わり。その繰り返しの日々。

この地で二年間の仕事、アタシにとって得るものは多くなかった。成りは大企業、中身は町場の商店街のおっさん並み(差別していっている訳ではない。マネージメントの内容について語っているのだ)。もう残された時間は多くない。実のある仕事をしたい。きっかけを探していた。その結果、この半年がんばってきたことが実現できそうだ。アタシは今週末台湾に向かう。エコ・ビレッジの開発というテーマを実現させるために・・・。

何年かのち、アタシは再び厦門に戻り、農家の庭先の夢を見てみたい。

[ memo ] 村の中を流れる小川ではアヒルが群れをなして動き回っている。川の色は日々の天候で違って見える。夏場には子供たちがこの川に入ってアヒルを追い掛け回していることだろう。(ミン西に土楼を見にいった際に撮影)

[ 今日のBuddha Bar ]
Buddha Bar IVからManuel Franjo歌う "Tiempo"

"Sen Gelmez Oldun"をミキシングしていたDavid Visanプロデュースの甘い甘いスローバラード。

Tuesday, November 11, 2008

[廈門] 酒店式公寓に異議あり


・このところ急に寒くなった。夜中は15度をきることもある。湿気もなく晴天が続く。この地を訪れるには今が一番いい時期か。

・酒店=ホテル、公寓=マンション。酒店式公寓 [jiǔdiàn shì gōng yù ] でサービス・アパートメント。单身公寓 [dān shēn gōng yù] =ワンルーム・マンションとの違いは、单身公寓が最初から用途が明確。ところが酒店式公寓のなかには、普通のマンションを購入したオーナーの手によって内装工事の際に勝手にワンルーム・マンションに変えてしまうものがあるという。正規に申請し、消防設備や避難計画の条件を満たしさえすれば問題ないのだが。
問題はこの手続きをへない改装が多いということ。住人は派出所に住民登録しなければならないので管理しやすい。オーナーと借り手のやり取りで簡単に住むことのできる酒店式公寓は、誰が住んでいるかも分かりにくいから犯罪の温床になる。たいていは消防法を無視しているから火災発生時には危険この上ない。そんなこんなで酒店式公寓が問題になり始めた。

しかし待てよ、あたしが今住んでいる部屋はそれに相当するのではないか。エレベーターホールから常時開いている防火戸はどう見ても火災時に自動的に閉まりそうにないし、廊下はやたら狭いし、改装されれば二方向避難が必要だろうがそれもできないし・・・。

厦門市は意を決した。11月半ばから12月末までに現場に立ち入り検査を行うと公示した。さあ市民の安全のために実行できるのか、それとも安全は金で買われるのだろうか、注目しようではないか。

[ memo ] 厦門大学構内には独立住宅が多く残されている。かつて上級幹部や教育者の宿舎だったという。一寸仕事の手伝いをしたインテリア・デザイン事務所がここに移転した。二階には広いバルコニーがスタジオ続きになっていた。室内は禁煙、あたしはパソコンを抱え、ここに出てじっくりと考え事をした。

[ 今日のBuddha Bar ]
Buddha Bar - "Anima Sound System (68)"

Anima Sound Systeはハンガリーのエレクトロニックバンド。東西のフォーク・ミュージックとモダンエレクトロニックとをフュージョンさせたという。

この曲以外アタシには一寸堪える。

Sunday, November 9, 2008

[廈門] うわさ話


謠言 [yáoyán] =うわさ、hearsay

今年の六月、一時帰国して厦門に戻ってきたときの事。近くのお粥やさんで元同僚の女性にあった。雑談をしていると、彼女、元ボスのことを聞いてきた。あたしゃ知らないから、知らんですよと答えると彼女、「そんなことないでしょ!」。いったい何をそうムキになったのか。

二三日たったある日、厦門の姐姐のところに課長から電話がかかってきたそうだ。アタシが厦門に戻っているそうだけど、何しに戻ったの?ということらしい。そして間を置かずして元同僚から定期的にアタシの存在を確認する電話がかかるようになった。終いには「何なんだ!」と腹立たしく答えると、それから電話はなくなった。それに変わってボスの秘書や仲のよかった元の運転手から意味不明の電話が続いた。

間違いないことは、電話の後ろにボスの姿があること。ボスは何を気にしているのか、先日お会いしたが何かを問われることもなくいまだ意味不明。はっきりしているのは、元同僚の女性と会った後から始まったということ。その同僚が上の人間に何らかの告げ口、もしくは密告をしたこと。その内容が不明なだけに恐ろしい。昔の当地の悪しき伝統がいまだ続いているのか。それとも・・・、次は書けねーなー。

幹部がこの会社を辞めるとその人間の悪評が立つ。元ボスがそうだったし、そのあと辞めたアタシもそうだ。風評は時間とともに話が大きくなっていく。かつてアタシに「女友達いるでしょ」と問うた幹部も、本人の辞職とともに彼に二人の女がいたことになっていた。彼を知るアタシには一寸考えにくい話だ。

辞めていった人間は立つ瀬なく、当地を離れざるを得ない。同僚たちはそんな噂話を半ば信じ、自分に降りかかる火の粉を恐れ、彼との交流を取りやめる。狙いはそんなところにあるのか。幹部にもなれば会社内部のあれこれを知る立場にある。そんな話の伝承を断ち切ろうとしているのだろうか。コワコワw。

組織に縛られたことのない生活をしてきたアタシは馬耳東風、金と時間の余裕があれば裏を探ってみたいものだ。一冊の本が書ける。とても危険だが・・・。

[ memo ] 今年の冬に訪れたミン西の土楼。屋根も壁も床も土地にある自然材料が使われている。見るからに暖かだ。そんなところで育つと人間の心も温かくなるだろう。

[ 今日のBuddha Bar ]
Gotan Projectのアルバム"La Revancha Del Tango"「タンゴの復讐」のライブツアーから。

彼ら、日本にもやって来たらしい。評判はどうだったのか、米国流のマスメディアに乗らない、インディー系のプロデュースだろうから予想はできるが。ビデオで見る限りとても魅力的なライブだ・・・。

Friday, November 7, 2008

[廈門] "君子危うきに近寄らず"か


『君子危うきに近寄らず』 人格者は身を慎つつしむ者であるから、危険な所には初めから近付かない。 類:●The wise man never courts danger.(賢者は決して危険を求めない) ●Better be safe than sorry.(後で悔いるより最初から安全でいるのが ...
( www.geocities.jp/kurogo965/kotowaza4/page34.html )

アタシは人格者か?賢者か?それとも臆病者か?あれこれあって、人格者に、賢者に、臆病者になってしまった。

こちらでは「友」の定義が違っているようだ。「友」はお金を持ってきてくれる人、仕事に繋がる話のできる人間、金がなければ、コネがなければ「友」にもなってもらえない。

いっとき、コッチの先生と環境問題は仕事にならないかやってみようと企画書を作った。アタシが筋の通ったカタログを作り、コッチの先生が中国語に翻訳、コッチのツテを使って売り込みをした。残念ながら企画書はお蔵に入った。それが分かるや否や、コッチの先生、先端技術を審査する科学技術局に自分の名前で論文を提出した。アタシが台湾に売り込むがいいか、と問うと、どうぞどうぞおやりください、こっちは産業展覧会に出品するからどうぞどうぞ、資料が不足しているので送ってくれないかと来た。

ある台湾人がいて、気立てがよく、台湾では山の上にセルフビルドした家を持ち、いのししを追いかける生活をしていた。仕事でこちらに来てアタシと知り合った。ところがアタシをダシにKTVや豪華な食事をおごってもらっていた。相手はこちらで商売している台湾人。小賢しいアタシの知人は、アタシを日本からやってきて商売を始めようとしている、何かと面倒見るといいことがあるかもしれない、などと耳元で囁いたに違いない。それからというもの接待付けになった。しかしどうだろう、ネタが割れれば元の木阿弥、今では電話一つかかってこない。

台湾ではよく「食事しましたか?」という挨拶を耳にする。その日暮らしだった時代の名残だろうか。しかしここでは「儲かってまっか」。どうもアタシに縁のない話だ。

その一方で『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という諺のあることも知っている。

[ memo: 厦門の姐姐の実家を訪れたときのもの。きのこの栽培をしている蔵を利用した住まい。いつの日かアタシもこの手の蔵を魅力的な住まいに改装して住んでみたい。 ]

[ 今日のBuddha Bar ]
Buddha Barから。Armen Chakmakian の一曲、"Gypsy Rain "。

米国生まれの、ヒスパニック?インド系?それともアラビック?顔写真からはインド系に見えるが。
ピアノの不協和音を織り込んだモダン・コンポーザー。音が明晰なのは米国の地に生まれたからか。

Tuesday, November 4, 2008

[廈門] 向こう二部屋両隣り


アタシが住む超高層マンション、高級住宅地の一角に建つ。小奇麗なエントランスホールには常時保安員(ガードマン)が不審者を見張っている。アタシの部屋は31階。日本製エレベーターに乗り上へ。エレベーターを降りると大理石張りのホールに面し四件の扉。しかしアタシの部屋に向かうところに扉はない。奥へと続く廊下があるだけだ。分譲の一軒をホテル形式で5部屋に割けている。そのうちの一部屋がアタシの棲家だ。一軒屋5部屋をシェアする下宿とは一寸違う。その廊下に一歩足を踏み入れると一変、ここは高級マンションかと目を疑う。

貧相な仕上げ材、粗雑な施工、壁にはヒビが走り、誰も手をかけない床は埃だらけ。大家の、分譲代金をいかに早く取り返すか工夫のあとだ。廊下の幅はわずか85センチ、向かいから人がやってくれば、肩を斜にして行き違わなければならない。両側が部屋だから中廊下形式、日本の法規では1.6Mが求められる。外気に面していない上に照明は音感知式、常時真っ暗。音感知式はこちらでは一般的で、みな廊下のはいり口でハイヒールの踵を床に叩きつけ、照明のスイッチを入れる。真夜中に床を叩かれては、階下の住人はたまったものでない。

この寄せ集めのような部屋を借りているのはアタシとオバサンとあとは若い女性の方々三名。アタシの部屋は廊下のどん詰まり。壁を挟んだお隣と廊下の向かいには、同じ仕事場で働いているらしい女性方が住まわれている。お隣は愛想のいい、陽気そうな女性。一寸小太り、丸顔、かわいらしい。廊下向かいといってもバストイレの壁は共有しているお隣さんは一寸陰気そう。背の低い、ごく普通な感じ、挨拶を交わす際に見せる不安そうな大きな目が特徴。

お二人、仕事の時間帯が違う。お隣さんは昼間仕事に出かける。廊下向かいのお隣さんは夜中に出かけ朝方帰宅する。お二人の仕事時間を足すと24時間体制、いったいどんな仕事をしているのだろうか、一寸知りたくなったりする。この両隣り、品疎なつくりの内装で、物音が筒抜けなのだ。廊下向かいのお嬢さんは静寂を愛し、隣部屋のお嬢は最近男友達ができたようで夜毎大きな声を出して楽しんでおられる。

アタシは人に素性を知られまいと、トイレの音にも気をつけて日々をすごしている。(ウィーンの安ホテルに住むナチスの残党でもあるまいし、そんな必要はないのだが・・・)

[ memo: シンさんから展覧会開催の通知が届いた。いつ拝見しても達者な筆捌きだ。]

[ 今日のBuddha Bar ]
今日もBuddha Barからではないが、第二次世界大戦、英国の兵士に勇気と慰めを与え続けたという意味でヒーリング・ミュージック。
私の大好きなVera Lynnの"We'll Meet Again"。
おっと、リンクミス。"こちら”が正解。

Sunday, November 2, 2008

[廈門] タンゴの復讐 - "Gotan Project - Santa Maria (Del Buen Ayre)"


・おっと、Wikipediaのトップページで中国語の検索が消え、プルダウン・メニューからしかできなくなった。何かあったか。

・Buddha Barからネタを探っていて、あるタンゴ曲をみつけた。ピンと来るところのない曲だったが、そこからリンクを追っていくと、曲・映像ともに秀逸なミュージック・ビデオに出会った。

Buddha Barからではない。しかしMVものの秀作"Gotan Project - Santa Maria (Del Buen Ayre)"。

曲の発表が01年というからかなり以前だ。当時日本でも話題になったときいているが、アタシは知らなかった。米国版"Shall we dance"(04)の、深夜のタンゴレッスンで流れていた曲。ただし、曲の収められているアルバム名は"La revancha del tango"「タンゴの復讐」。タンゴ復権にかけたプロジェクトだと宣言している。甘くない。

Gotan Projectというバンドは、バンドネオン(アコーディオンの一種)に加え、シンセサイザー、ボーカル、肉声の語り、ステージの背景に映像を交えるという実験をしている。この曲はこのMVが彼らのコンセプトすべてを表現しているといっていい。

カット・トリミング・モンタージュの技法は一昔前の実験映画、前衛映画、ヌーベルバーグを思い起こさせる。白黒の画面、ひとけのない大都会の一角、アスファルト・ガラス張りの超高層ビル・タイル張りの歩道、一人で踊る、裸足で踊る、男女で踊る、男と男で踊る、女と女が踊る、離れて踊る、グループで踊る、踊る脇を車が通り過ぎる・・・。「タンゴの復讐」ならではのクリップだ。

ライブ・ツアーの映像 "Triptico"を見ると、シンセサイザー、語りという楽譜にのらない音が加わり、不思議な味を醸し出している。踊りのないタンゴ、演奏で見せる、語りで聴かせるネオ・モダン・タンゴ。これを聴かずしてタンゴを語るな、という意図を感じ取った。

それにしても、タンゴを踊るやつら、みな色っぽいのはなぜだ。

[今日のBuddha Bar]
Gotan Project - Santa Maria (Del Buen Ayre)
mv: http://www.youtube.com/watch?v=tR5rW638DrU
live:http://www.youtube.com/watch?v=XztQJGJX9rk
"・・・このグループは音と映像の融合、エレクトロニックとアコースティックの融合を目的に結成された・・・"、とどこかに紹介されていたが出所を忘れてしまった。