Friday, October 31, 2008

[廈門] ネット字典 "nciku"で物欲が・・・

「アー中国語、まったく進歩ないわねー」。ウェルネスセンターの姐姐、女医の理事長がまたアタシに向かって口にする。もう二年以上滞在しているのになんてザマだというわけだ。自分としては結構やるじゃない、と内心思っていてもまだいわれている。

今では町に出て会話で困ることはほとんどない。一寸面倒な話になれば話題を変えて事をすませてしまえばいい。それでもふとした拍子に中国語らしからぬ表現が出るらしい。マンションの保安員(ガードマン)、「あなたは台湾人?こっちの人と話し方が違うものね」。アタシは口元に微笑みを浮かべる。

さすがみなにそこまで言われると気になり始める。会話の途中でいぶかしげにされたときの話を思い出し、一人反復してみる。一番いい加減なのが四声。いわゆるイントネーション。一語一語はまだいいとしても、これが連続すると相手は分からなくなるらしい。特に子供は素直に受け止める。「おじさん!おじさんのいっていること分からない!それはこういうこと?」。

中国語の先生、初めての元秘書先生は去った。次の先生とも縁がなくなった。今は一人で学ぶほかない。以前はコンサイス版とはいえ、厚く老眼鏡をもってしても見ずらい活字の小さな辞書を持ち歩いていた。どこに収めておこうか、結構厄介だった。

この半年、ウェッブ・アプリの充実ぶりには目を見張らされる。ブラウザーを開いておけば、いや開いていなくてもネットに繋がっていれば大体なことはできるようになった。そこで探してみたのが日中字典。残念ながら適当なものはなかった(アー、アタシはケチなので無料なものを探している)。しかし英中字典で素晴らしいアプリに出会えた。'nciku"、これさえあれば、いや、あとはコイツをネットに常時接続していられるコンサイスサイズのネットブックパソコンがあれば完璧だ。狙いはもちろんAtom搭載のOQO。ムラムラと物欲が・・・。

[ MEMO: "nciku"で中文を検索するには二つの入力方法がある。ひとつはピンインで、もうひとつは手書きで漢字を直接書き込み検索させる。簡単に紹介すると・・・(画像をクリックすると大きくなります)
1または2・3-ピンインか手書きで検索欄にお目当ての漢字(または英語)を入力して検索。
4-検索結果が表示される。
5-例文が紹介される。
6-発音記号もしっかり表示。
7・8-素晴らしいのは、中国語英語ともにちゃんと読み上げてくれる。これで自分の発音の欠点を見つけられる。
9-書き順に間違いありませんか?確認してみましょう。
これが日本語でできたらと思わずにはいられない。 ]

[今日のBuddha Bar]
チュニジア生まれのフランス育ちでBuddha Bar創設と選曲にかかわっているClaude Challeの作品から"How Insensitive"。
ピアノ演奏でモダンジャズっぽい。

多才な方らしく、いろいろなスタイルの曲を世にだしている。ユダヤ教、仏教の衒学者でもある。

Thursday, October 30, 2008

[廈門] 珈琲店の「老外」たち


老夫妻は物静かにテーブルに向かい合って座っている。話をするわけでもなくそれでいて退屈している様子もない。米国人だろうか、それとも英国人か。食後にしばしば顔を見せる。

若い、英語を話す小柄で美形な外国人女性は、東アジア系の、これも背の低いが顔立ちの整った若者とよくやってきて小さな声でささやきあっている。二人ともペットの犬を連れてきて外のテーブルで語り合っている。

喫煙室は商談の場になっている。ラフな格好で声の大きい米国人がよく利用している。流暢に英語を話す中国人と細かい数字をつめている。昼間に姿を見せることが多いことから会社勤めには見えない。本国の会社の間に入って仲介フィービジネスか。時々かかってくる電話にむかって中国語で対応している。イントネーションに癖があるとはいえ、なかなかのものだ。

日本人も老外( [lǎowài] foreigner )のうちだ。彼らは製造業にかかわっている様子。若者が工場での出来事を上司に伝えている。上司は若者に中国人相手のノウハウを伝授している。こちらにやってきて商売する老外が一度は直面する難題だ。

少し前までいかにもというドイツ人もルサリーを纏ったアラブ女性も愛想の悪い韓国人の姿も厦門大学に留学中の日本人女性も見えていたが、このところやってこない。場所を変えたか、それとも帰国したか。

火曜日は「買一・贈一」の日。ピザとビールを注文するとサービスでもう一枚、もう一本ついてくる。普段と違いこの日は客であふれる。特に老外は、仲間うち、家族総出で「買一・贈一」を享受している。フィリピン人の仲間うちがやってくると大騒ぎになる。うるさいことこの上ない。

アタシは観客に過ぎない。珈琲店という舞台で演じられているさまを静かに眺めている。時に昔の会社仲間がやって来ることはあるものの、会話の相手をしてくれるのは店の若い女性たち。今ではそれが楽しみになっている。しかし彼女たちのローテーションは短い。名前を覚えたと思うと姿が見えなくなっている。

[ MEMO: skypeの友はアタシのことを親しみをこめて老猫と呼ぶ。このイラストは一人ふてて珈琲を飲むアタシ。Tomi Ungererの「No Kiss for Mother」から。主人公は小猫なのだが。 ]

[今日のBuddha Bar]
"Amor, Amor"をプロデュースしたのがArno Elias。フランス生まれの、おそらくユダヤ人。Buddha-Barで一枚アルバムをだしている。そのなかから彼の甘く、ちょっと女性っぽい歌声の一曲"El Corazon "。スペイン語で歌う。
このBuddha Barシリーズ、民族音楽を探るのに向いている。このところのBuddha Barめぐりで地中海沿岸から東欧まで散策したことになる。

Wednesday, October 29, 2008

[廈門] 二人の"本郷義明"

もう十六年前のことになる。ある雑誌で東アジアのあれこれについて連載記事を書いた。そのなかに中国についての一文がある。ここでのキーワードは「中国の開放」。しかし今現在この文を読んで感じるのは「余計なお世話」。悠久の歴史を持つこの地は、外国人にとって一筋縄でいくものでない。ただただ「中華」の意味を知らしめされることになるのがオチだ。余計なお世話だが、その際の一文を再録。

「アジアを夢見る-上海1945」

「 日本植民地時代の始まりとその終りに、上海を舞台とした二人のヒーローが登場する。同性同名で名前を本郷義昭という。二人は時代を共有することもなければ、中国に対する世界観もまったく異なっていた。しかし、アジアの解放を望んでいたことで二人は共通している。

ひとりは陸軍情報部の将校として日本帝国主義による中国の解放のためにアジアを駆け巡る。もうひとりは終戦まぎわの上海に特派員としてやってきて、敵対する民族の男女がお互いを理解し合うことによる解放を体験する。

昭和六年、日本植民地政策の最盛期に、少年小説作家の山中峯太郎は「亜細亜の曙」を発表する。本のなかで主人公の陸軍将校本郷義昭はインディー・ジョーンズばりの冒険活劇をみせてくれる。ジョーンズとのちがいは本郷が鉄の意志をもって「国家の危機」を救ってみせるところにある。アジアの開放を望む本郷は中国人に向かって号ぶ。「聞け!支那人諸君!諸君は日本帝国の真精神をいまだ知らず、○国に従ってみだりに亜細亜の平和を破る。めざめよ中華国民!たって日本とともに亜細亜をまもれ!」

もうひとりの本郷は、コミック作家の森川久美が昭和末期に描いた「上海1945」に登場する。主人公は「大和魂がある限り日本は負けん!貴様は日本人の恥だ ! !」といわれ続けられた新聞記者である。 特派員の本郷は、日本が無条件降伏したとき、「死に損なったよノノ 」とつぶやく。彼にたいしてどうしても素直になれなかった中国人の女友達は、抗日戦線の友人からいわれたと、はじめて見せた恥じらいで彼に伝える。 「新シイ中国ノ建設トイウノハナンダト思イマス?ソレハアナタヤ私一人一人ガ、自分ノ心ノママニ愛スル人ト共ニ幸セニ暮ラセルヨウニスルコトデス」。

二人はアジアを夢みている。その中心にとてつもなく大きい中国がある。その大きさのためか、民族のためか、われわれは中国を捉えきれないでいる。本郷義昭のこだわりもそこにあるような気がする。上海は二人の本郷が熟知している場所である。二人の間には二十年の隔たりがある。にもかかわらず上海の風景に変化はない。二十世紀初頭から三十年まで、英国を中心としたヨーロッパ列強は上海の風景をつくりあげた。二人の本郷を生みだした山中も森川もこの風景から逃れることはできない。いやこの風景があったからこそ、本郷はヒーローになりえたともいえる。・・・」

[ MEMO: 上海と違いここ厦門は濃い緑で覆われている。それだけでヒーリング効果はあるのだが・・・ ]

[今日のBuddha Bar]
ストックホルム生まれのグリーク・ポップシンガー、NinoのModern Laikaな "Amor, Amor"。
"Modern Laika" は伝統的なギリシャ音楽にモダン・ミュージック、ポップスやダンスをミックスしたもの。一寸レゲエっぽい一曲。しかしそこは地中海、決して中南米にはなっていない。

Tuesday, October 28, 2008

[廈門] 悲喜相继-差益で珈琲をもう一杯!


金融恐慌、米国の飽くなき利潤追求制度が招いたこの事態。さすがにメディアですら共和党に三行半を下した。アタシだってこの影響をモロに受けている。本来、三月に始まるはずだったプロジェクト、あれこれ補強をしてようやく九月末契約にまで持ってきた。それがどうだ、投資集団の中に外資系投資企業が入っていた。おかげでいつ契約できるか分からなくなってしまった。

落ち込んでいたものの、それでもこの混乱は、ささやかな、本当にささやかな余剰をうんでくれた。異常な円高だ。もともと十月初めにこの地を離れる予定が延期され、予定外の人民元が必要になった。換金のため銀行に出向く。親切な窓口の女性、「今は国慶節の休日、個人の換金を止めています。もしどうしてもというなら、日本円はまず米ドルに換金、そのあと人民元に変えますが、あまりお勧めできません。来週初めまでお待ちするのがお得かと・・・」。日円→米ドル→人民元、これだけで6%以上の手数料が銀行の手元に渡ってしまう。

国慶節の連休中、世界は金融恐慌に見舞われる。円はどんどん高くなっていった。翌週換金すると、前回よりはるかに魅力的な換金率を示していた。銀行のお嬢さんに感謝しなければならない。そして先週末にはなんと円は十数年来の高値を示した。昨日、アタシは再度ささやかな額を換金した。この二ヶ月で20%ちかい差益は馬鹿にならない。これでしばらくは優雅に珈琲を飲みに出かけられる。

差益で儲ける、変な仕組みだ。企業の健全さが株価に左右される、変な仕組みだ。

[ MEMO: こちらのATMは24時間営業だ。また、いたる所にあり、便利この上ない。はじめはちゃんと金を引き出せるのか、もし詰まったりカードが戻ってこなかったらどうしようか、不安だったが今ではごく当たり前に利用している。時々箱に現金がなくなっていることもあるが、その際には操作不能になるので取りそこなうこともない。写真は住まいの近く、真夜中の中国銀行脇にあるガラス張りの立派なATMコーナー。 ]

[今日のBuddha Bar]
息抜きにタンゴ仕立てなシューベルトのセレナーデをどうぞ。フラメンコ・ギターに手拍子、掛け声の入り混じった一本、"Tango Serenata"。
東アジアとの関連性に屁理屈をつけるとすれば、韓国テレビドラマ「夏の香り」の挿入歌でもあった。他にもフラメンコ・ギターが効果的だった映画に、クロード・チアリが弾く「冬の華」、それと韓国映画「甘い人生」ラストのラスト。

Monday, October 27, 2008

[廈門] 悲喜相継-旧租界の無人別荘


シンさんからメールが届いた。「・・・個人的な要望だが、アモイ通信なんだから、中国のあれこれを、少しでも加えておいた方がいい。いいことも、そうでないことも。」と締めくくられていた。確かにご指摘のとおりなのだが、「厦門」にノれないのが今のアタシだ。まだ見ぬ遠いエキゾチックなアラビアの地を思って妄想にふけているほうが精神衛生的にいいのだ。しかしネタはちゃーんと用意しておいたので今日はそこから・・・。

厦門本島の目と鼻の先にある鼓浪嶼(コロンス島)、そこの寂れるに任せた租界時代に建てられた別荘、それがようやく話題になり始めた。

夕食時、料理が出てくるまでの間、店のお嬢さんが雑誌でも何か見ますかと地元の新聞を持ってきた。一寸薄暗く、小さい新聞の文字は老眼鏡をもってしてもハッキリしない。それでも中文字までは読める。ある欄の写真に目が留まった。懐かしい。半年ほど前、シンさんと訪れた鼓浪嶼の町外れに建つ荒れ果てた別荘だった。シンさんと訪れた際に写した写真を引き出してみる。六十年代だろうか、門扉には時代のヒーローの名が描かれた一枚があった。

「・・・住む人のいない建物。持ち主を探すも見当たらない。・・・」
「・・・(戻って来て)修理をしてお住みになりますか?・・・」
「・・・お住みにならないなら、代わってあたしたちが修理をし住みますが、よろしいですか?・・・」
そんな内容らしい。憧れの鼓浪嶼に住む。一寸頑張ればできるかもしれない、そう想わせた記事だった。

住んでみたい。他にも旧市街地の迷路のように入り組んだ路地裏に、戦前建てられた長屋がいくらでもある。しかしあたしが再びここに戻ってきたときには、入り込む余地はなくなっているだろう。

[ MEMO:今日のBuddha Bar ]
ターキッシュ・フォーク・ポップスから"Sen gelmez oldun"。
・<こちら>はインスツルーメントのイージーリスニング。
・それに対して<こちら>はトルコの歌手Gulay
、おばさんがズン!と歌って聴かせる。
・もうひとつの<こちら>は中近東では名を知らぬ人はいないというやはりトルコの女性歌手Sibel Canが歌う。

Sunday, October 26, 2008

[廈門] 悲喜相継-"アラビアンナイト"は学習書


アラブという土地があって、アラビア語があって、イスラム世界がある。アラビア語は地中海の南いったいで使われている。イスラム教徒が一番多い国はインドネシアだそうで、しかしアラビア語は話さない。でアラブではない。トルコも同様だ。では"アラビアンナイト"、アラビア語で語り継がれた説話集はどうだ。ヨーロッパでみつかった時には、すでにペルシャ語に翻訳されていたという。語り部のシェヘラザードはペルシャの王妃である。アラビア語だったものが、時代を経て、文化の中心だったペルシャという地に渡り編纂され、語り部にペルシャ人シェヘラザードの登場となってペルシャ語になった。

アタシは"アラビアンナイト"を読んだことがない。カジったことはあるものの、それも子供向けな説話を選んでできた映画や漫画ぐらいのものだ。全体のフレームを知らない。このところアラビアを話題にしていることもあり、知らないわけにはいかないだろうとあれこれ探ってみた。残念なことに、ウェッブからは、本一冊まるまる読むことができなかった。しかし、日本語のWikipediaに、説話の一部がレジュメされていた。

ひとつの説話がいくつもに分けられ、入れ子状態に話が進んだりしている面白い構成になっていた。それに、なんといってもアラブ世界の習俗が分かったような気がして、ホーホーそういうことかー、と得した気分になった。この本はアラブの学習書になる。

内容は、子供向けに"翻訳"されたものと違い、残酷あり淫乱ありが満ちていそうだ。読んでみたくなった。そう思ってイタリア人映画作家、ピエロ・パオロ・パゾニーニの"アラビアンナイト"が思い浮かんだ。しかし見ていない。コミュニストでホモセクシャリストのパゾリーニが解釈した"アラビアンナイト"、観たくなった。

[ MEMO: こちらには「水滸伝」がある。民間伝承されていたお話をまとめたものだ。残酷といえば、ここには人肉を喰わせる峠の茶屋の女将が出てきたりする。しかし、淫乱な描写はない。役人の西門慶が横恋慕して下っ端の妻を掻っ攫う時のことぐらいか。 ]

Saturday, October 25, 2008

[廈門] 悲喜相継-一人の倒錯者

 
はるか昔イランに遊んだことがある。まだパフラヴィー政権時代だったころ。驚かされたのは、見知らぬ男が二人会話を始める際、お互い相応の地位にあると確認されるとすぐさま、旧知の仲のように抱き合いキスを交わす。それも髭だらけの男二人が。

アラブに関して知っている記憶をたどると、一人の西洋人に行き当たる。英国アラブ局情報部に属したT.E.ロレンス中尉。いわずと知れた「アラビアのロレンス」。彼はオクスフォード在学中から中近東に出向いていた。アラビア語を自在に操るいわゆるアラビア通である。英国情報局員としてオスマントルコをアラブの地から追い出すことに全力を挙げる。若かったアタシはこの映画に傾倒し、「中国のロレンス」になるんだとほざいていたこともあった。

アラブの文化・習慣を理解し利用できたのは、アラブ局でも彼は飛びぬけていたらしい。異文化の中にあって力を発揮するには、単なる知識だけではどうにもならない。それはここ中国にあっても同じだ。

ロレンスは生涯結婚していない。女友達らしい人間もいなかったという。映画の中で、偵察に出かけたトルコ占領の小さな町でアラビア人狩りにあい詰め所に連れて行かれる。そこでトルコの将校(ホセ・フェラが演じていたが、彼が実によかった)にその日の慰み者にされる。激しく鞭で打たれるロレンスがあげる声を、部屋のドアを小さく開けて覗き見する。これは映画の中の話である。実際は、翌朝路上に放り出されたロレンスの身柄を受けた人の話では、彼の顔から何があったかは読み取れなかったという。鞭に打たれたのは確かだが、その後のことは彼も生涯語たらなかったという。

あまり知られていないが(今では知れ渡っているか・・・)、映画の中、砂漠に出てからのロレンスは化粧をしていた。目の周りに手を入れていた。このひと筋で彼の視点が遠くにあるようになった。ダマスカスを越えてアラブをひとつにという途方もない妄想を。(当時、英国のアラビア地図に国境線はない。地図の上からはアラブはひとつだった。当然イスラエルなぞそのかけらもなかった。)

[ MEMO: 人の評価というものは表裏あるもので、ロレンスだろうとそこから逃れることはでない。誇大妄想、目立ちがりや、自己中などなど。歴史に名を残すにはそれくらいでなければならないのだろう・・・。 ]

Thursday, October 23, 2008

[廈門] 悲喜相継-"Tamally Maak"


完全にアラビック・ミュージックにハマった。

"Baadima"などBuddha Barシリーズに収められている曲はいわゆるエキゾチック音楽。そのなかに収められているアラビア音楽はおおい。仏陀の説教を聴かせるもの、美しき自然の風景を背景に流れる環境音楽もあるが、アラビックは圧倒しているように見える。アタシはなじみの珈琲店のBGMを追っているうち、その中に入り込んでしまった。店に行くごとに新しい曲を手に入れ、そしてYouTubeを彷徨ってその虜になった。とはいっても、伝統的アラビックではなく、現代とミックスされている曲にだ。

ある日ある曲。その出だしがIshtarが歌って踊る"One more time"にやけに似ていた。
[ http://www.youtube.com/watch?v=5uu3WweK6RQ ]
曲名を聞き出し、家に戻って探し出し聞いてみると、アレンジされているとはいえ、同じ曲だった。エジプト人男性歌手Amr Diab、正式名Amr Abdel Basset Abdel Azeez Diab ( عمرو دياب‎ )の歌う" Tamally Maak (Always with You)"というその曲は、フラメンコギターにのせて軽快に奏でるchill out musicだ。
[ http://www.youtube.com/watch?v=i1A31LmO25A ]
どちらが元の曲なのかわからないが、YouTubeの中にはIshtarと同じ曲でインスツルーメントの、ベリーダンスを楽しむご婦人方のビデオもあった。

" Tamally Maak"は大ヒットを飛ばしたようで、中近東・東欧ロシアからマイ・ビデオが投稿されてもいた。Ivanaというブルガリアの女性歌手がロシア語で歌うものもある。
[ http://www.youtube.com/watch?v=m_27zc78VaM ]
あるビデオのコメントには、本来はイスラエルのダンス・ミュージックですよ、とあった。真偽のほどはわからない。しかし白眉はなんといっても曲に合わせベリーダンスを踊るビデオ・クリップではないか。
[ http://www.youtube.com/watch?v=JXaSIAZTeL4 ]
ただこのクリップ、残念なことに画面にイコライザーをかけていて、じっくり見たいベリーダンスがボケてしまっている。画面の右に出ている文字はビデオ製作者の名前のようだ。

また、Amr Diabの歌う" Tamally Maak"のビデオ・クリップにはメーキングがある。とても口の大きな美形が登場しております。
[ http://www.youtube.com/watch?v=yfpwaVKpaAY ]
[ http://www.youtube.com/watch?v=FOBAKSsdLaY&feature=related ]

[ MEMO: 余談だが、"وانا دائما معكم"のアラビア文字を消そうとしてバックスペース・キーを動かすが反応しない。おいおいどうした、と思ったが、そうか、アラビア文字は右から書き始めるのだ、バックスペース・キーで消すには、文字の左端にカーソルを持っていくのでは。初めての体験であった。世界は多種多様性にあふれている。何度もいうようだが、アタシの住むこの地では多種一様性の世界なのだ。それにしても、今、何故、アラビックなんだ、アタシは。 ]

Wednesday, October 22, 2008

[廈門] 悲喜相継-願わくば 花の下にて・・・


歌人・西行について詳しいことはまったくないものの、彼の晩年にしたためたこの歌を、なぜか好きだった。「・・・春死なん この如月の 望月のころ」。理解しているわけでない。ただ好きなのだ、気分が。花は桜で満月の夜に、なんと贅沢なこと。

相当昔の台湾映画「悲情城市」、劇中の時代は千九百四十年代末のこと。占領地から追い出される日本人の中に小学校の女性教師がいた。その父親は祖国に戻ることなく自殺を図る。遺品を整理しながら、日本教育を受けた台湾の若者が妹に語りかける。「・・・明治時代にひとりの乙女がいた。そして彼女は一番美しいときに自らの命を絶った。桜の花が散るように。・・・」なんて内容のシーンがあったが、日本人のアタシは日本にいてそんな話しを今まで聴いたことがない。監督か脚本家が昔、やはり日本教育を受けた年上の人から話を来たのかもしれない。

欧州宇宙機関が打ち上げた無人補給宇宙船(ATV)の「ジュールベルヌ」。先日任務を終え、大気圏に再突入して燃え尽きていくフィルムを見た。散り際の美しさ。漆黒の闇の中、音もなく燃え尽きるさまにアタシは不可思議な思いにとらわれた。

勝間の片田舎で見た雲ひとつない満月の夜、地上は凛とした光景、棚田の上から見下ろすとばっちゃんの家の吉野桜が緋色に見えた。薄化粧をしたかのようだった。桜は自ら命を立つ寸前にそんな姿を見せたのか。

散り際、去り際、潔く、なんて考えて特攻隊を美化し正当化したりした。いや、話が横道にそれた。西行の心境いかなるものだったのだろう。やたら未練がましい男だったという話も聞くが・・・。

[ MEMO: フィルムに音はない。それがいっそう見る人間を引き付ける。ここ厦門にいると音のない世界に入り込みたくなる。勝間の冬の片田舎、夜中に床についていると、椎の実が枝づたいに地上に落ちる音が聞こえた。そんな音、ここでは味わえない。 ]

Monday, October 20, 2008

[廈門] 悲喜相継-訪問者

厦門、急にアジア系外国人の姿が増えた。台湾人を外国人と呼ぶかは別として、彼ら若い連中が目に付く。これは台湾だけではない、日本人も韓国人もそうだ。中国にはビジネスチャンスがありで、今まではそっぽを向いていた日本の若者も、国で糞のような仕事をしているより低い賃金でも貴重な体験ができるとあってか、例の珈琲店にやってきて仲間内話し合っている。夕食時にしばしば訪れる日本料理店、客足が遠く、しきりにディスカウント・サービスを行っているような店だが、入るなり「イラッシャマシー!」。ここにも白髪の、アタシより年上のご老人が一人、どこかの顧問でもなされておいでなのだろう、ビールを脇に食事をとっている姿を見かける。

日本でこのところ厦門という文字をよく目にすると聞く。いろいろなメディアが取り上げているという。本当かどうか知らないが、日本の姐姐からのメールによるとそうらしい。メディアの扱いがうまいのか姐姐、急にこちらに来たいといいだした。日本の大手航空会社が二社入って毎日運行いるといえば相当数の客を呼ばなければならない。確か去年も一昨年も秋口にメディアに載せていると話を聞いた。旅行シーズンなのだ、日本は今。

姐姐がおいでになると手配には注意が必要だ。彼女、若きころから世界中を飛び回っているからあれこれ五月蝿い。中国にも何度か来ているというが、控えめに口にするのは「演奏中でも携帯で話しているからねー」と毛嫌いしていた。それが「行きたい行きたい!」。アタシが厦門に死す前にその姿を見ておきたくなったのだろうか。まあそれもよしである。商人の姿しか見えないここ厦門に、少しは文化的香りを運んでもらいたいものだ。

文化の香りといえば、今年二月、厳寒の厦門においでになったシンさん、今展覧会の準備中と聞く。彼がその作品を持ち込んでもらうとさらに文化的になるかな。しかしここは商人の地だからなー。

さあ、楽しみがやってきそうだ。元気出していこー。

[ MEMO: 姐姐をどこに連れて行くか、級疎開地のコロンス島は当然の第一候補。昔撮った写真を引っ張り出してあれこれ考えた。裏町だらけだからどこでもいいか・・・。 ]

Sunday, October 19, 2008

[廈門] 悲喜相继-老境 "Baadima"にシビれる


へんな妄想をしてしまった。もし映画俳優のアンソニー・クインが歌手だったらどんな歌いかたをしたんだろうかと。アクの強い顔つきと太い声の持ち主のメキシコ人。どこかの映画で、フェリーニだったかもしれない、大道芸人になってなんか声だしていたような気もするも、はるか昔のことで記憶は定かでない。しかしあの太く低い声でささやかれたら女性はたまらない気がするのだが。

そんな歌が馴染みの珈琲店で流されていた。あたしゃ好きなんだ、この曲なんてんだと店の女性に聞くと、えーこれがー、とセンスを疑うまなざしを浴びせられた。Elie Karamという歌手がささやくように、いやうめくように歌う「Baadima」。

いかなる素性の曲なのか。Wikipediaによると、どうやら「The "Buddha Bar" music series」というのに属するらしい。a compilation of 「lounge」 and「 chill out」 musicということでリラクゼーション系らしい。歌詞はおそらくスペイン語だろう。[YouTubeの画面の詩はそうだが、歌は違うなー。アラビア語か・・・]弦楽器とパーカッションのスローバラード。スケベそうなオヤジが薄暗いしょぼくれたクラブかなんかで身なりだけはバリッとして歌っている姿が思い浮かぶ。それともYouTubeに見るように男女の絡みの場面で流れるのも一興か。どちらにしてもIshtarにしろこの歌にしろ大人の曲だ。そういえばIshtarの「Comme toi」も "Buddha Bar"シリーズに入っていた。

アタシに今必要なリラクゼーションなんだろう。そう思わせるのは今の中国が若く元気すぎるからだ。

[ MEMO: 昨夜隣の部屋で漏水騒ぎが起こった。洗濯機を動かして出かけたらしい。そうしたところ洗濯機の蛇口が外れたらしい。あたしが食事をしようとローカに出ると、彼女の部屋のドア下から水がどくどくと流れだしている。ガードマンに伝え対処してもらう。仕事場から駆け付けた彼女、部屋の中を見て大声を出して騒いでいるのが聞こえてきた。 ]

Wednesday, October 15, 2008

[廈門] 悲喜相继-人間ドック


このブログは一カ月のお休みをいただいた。いや勝手に休んでいた。あれこれ悲喜相继 [ bēi xǐ xiàng jì ・悲喜こもごも ] があり、なかなか気が入らない。体調も十分とはいえず、九月半ばにブログを投稿した後、こちらの人間ドックに入った。結果はべつにー、の一言で終わった。要は菜食主義であれば長生きするでしょうよ、と投資した五万円がどこかむなしく感じてしまうお話だ。

体調の変化は突然にやってきた。ある朝、さあ今日も元気でと鏡の前に立ったところ、オー顔右半分がパンパンに腫れているではないか。オットット、これが最後かアモイで死すか。その日の夜、口の悪い台湾人医師に相談するほかなかった。しかしその時にははれはほとんど引いており、医者はリンパ腺か扁桃腺か、急にでかくなってまたしぼむ、まあ問題ないよな、うちの健康センターで一度検査するか?ハイですハイですと返事するほかない。で、翌々日VIP対応の個室付きかわいいかわいい専属看護婦付きで半日を過ごしてきた。

二日後、結果が出たよ、というので話を聞きに行けば、加齢による心臓の一部が弱っているのと、血管中のコレステロールが少し多い、そんなもんである、との診断報告書を受け取った。胃カメラ飲んでも写真はきれいそのもの、みんなにお見せしたいくらいである。

顔がパンパンに腫れ、同時に左足もパンパン、腹も出ている。その昔母親がそうだったことを思い出した。どうも新陳代謝不全で水腫にかかったらしい。おかげで快適体重72,3キロを2キロもオーバーしていた。今ではほぼ引いているものの、首筋のリンパ腺か扁桃腺はまだ晴れている。これはちゃんと病院に出向かなければ・・・。何せ思い当たる節がないのだから。

今日は空白のひと月、悲喜こもごもの「悲」(だろうな)をお伝えしました。

[ MEMO: 気晴らしはやはりウェッブで遊ぶことか。その昔に心動かされたものってなんだっけ、の一つにTomi Ungererのイラスト。危ない絵あり、童話の挿絵あり、広告のイラストありと達者でアイロニカルなドイツ人だ。このスケッチ、後ろ姿に自分を当てはめてみたりした。 ]