Thursday, September 11, 2008

[廈門] B級


・八十年代、刺激的な話題はいつも「B級」にあった。

・Coorsビールのネオンのかかっている店で直輸入MTVを見ながら、みながそろうのを待ち、その足でエスニック料理店”アンコールワット”に出向き、閉店まで食ってまた飲んだ。

・アジアだアジアだと騒ぎ、東アジア世紀末研究会なぞという意味不明な集まりを企画、まさに高度成長期を迎える寸前の混沌としたアジアを見て飲んで食べまくった。

ホテルの部屋をトントンとたたいて一夜の友達を紹介しに来るお兄さんのいた台北。うぶな連中が、脇にキーセンをはべらせ会食、最後はいっせいに盛り上がったプサンの夜。人民大会堂で歌うクラスの歌手、美形のハンコ屋のお嬢さん、得体の知れない若者たちに振り回された上海。観光バスで買い物店に連れ込んでも何一つ買わない我々に、「この団体最低!」とガイドに言わしめた香港・・・。

・『キング・コングは死んだ 私説アメリカ論』『男たちのための寓話 私説ヒーロー論』でもうひとつの米国を見せてくれた石上三登志氏。 ミステリー作家レイモンド・チャンドラーの描いた米国の暗部、社会背景について語っていた。

・いまやB級はA級への登竜門でしかなく、自立したB級があるのかどうかもわからない。とおもいきや、「music marcket」の主drug-cityさんのもうひとつの顔、DAZZさんが運営する「B級大好き!・・・・・でも、でも好きw」[?どこかに消えておしまいですか?]というめちゃくちゃなblog。まさにタランティーノもびっくり、世界中のB級映画のオンパレード。とはいえご本人もおっしゃっているように、最新投稿はなんと「ミツバチのささやき」と、高尚な面も見せている。

ネット時代になり、B級も蘇がえることができた。いや、あふれる情報と優れた検索機能、たからこそ再生できたのかもしれない。八十年時代のメインメディアは、週刊誌であり月刊誌でありTV放映であり、時間をつくって本屋を彷徨よいテレビの前に陣取りネタを探していた、レイモンド・チャンドラーが生んだ私立探偵フィリップ・マーロウのように歩き回っていた。

・では当地中国でB級文化は通用するか。優秀な検索機能を使って探ってみるが、ひっかかったのは日本からの紹介文献だけだった。それにしてもネットまわりは予期せぬ方にお会いできるものだ。

[ MEMO: たしか1984年だったか、上海は南京路の先、競馬場跡のいまはなき静安飯店前の工事風景。暗く、人通りのない光景。わずか二十数年前のことだ。photo: Eiji Kitada ]

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