Monday, September 15, 2008

[廈門] 頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を思う

・昨日は中秋節、近くに住む中国人をつれあいにした台湾人が会食に誘ってくれた。なじみの顔がそろい、海岸沿いの新しく開発された観光地の一角、東北人が開いた店で博餅をし、東北料理を口にした。珍しく、博餅では当りに当りまくり、とはいえ景品は子供向けのものばかり、帰り際ほかの方にもらっていただく。台風が近くとあって、残念ながら満月はうす雲を身に纏っていた。

・酩酊気味で家に戻り、バルコニーに出てもう一度空を仰ぐ。やはり月は薄絹を纏っていた。ふと李白の「静夜思」を思い出しネットで探ってみると、ウェッブ上にアタシの心境と似た中国人の一文を見つけた。

------ 小雨の一言 ------

天上の明月 ⇔ 地上の故郷
冷たい明月 ⇔ 暖かい故郷
侘しい明月 ⇔ 懐かし故郷

なんて鮮明な対称でしょう。
明月を見て、故郷を思い出す気持ちが遠く故郷を離れ、
この日本に住んでいる私にとって身に沁みるほど分ります。

自分の意志で住んでいるのに、
一生帰らない覚悟をして住んでいるのに、
なぜか時々
帰ろう、帰ろう、故郷へ帰ろうと願っています。
特に、静かな夜、眠れない夜、その気持ちが
いっそう強まり、思わず窓を開け、何かを見ようとします...

しかし、
見えるのは一輪の明月だけでした。

Thursday, September 11, 2008

[廈門] B級


・八十年代、刺激的な話題はいつも「B級」にあった。

・Coorsビールのネオンのかかっている店で直輸入MTVを見ながら、みながそろうのを待ち、その足でエスニック料理店”アンコールワット”に出向き、閉店まで食ってまた飲んだ。

・アジアだアジアだと騒ぎ、東アジア世紀末研究会なぞという意味不明な集まりを企画、まさに高度成長期を迎える寸前の混沌としたアジアを見て飲んで食べまくった。

ホテルの部屋をトントンとたたいて一夜の友達を紹介しに来るお兄さんのいた台北。うぶな連中が、脇にキーセンをはべらせ会食、最後はいっせいに盛り上がったプサンの夜。人民大会堂で歌うクラスの歌手、美形のハンコ屋のお嬢さん、得体の知れない若者たちに振り回された上海。観光バスで買い物店に連れ込んでも何一つ買わない我々に、「この団体最低!」とガイドに言わしめた香港・・・。

・『キング・コングは死んだ 私説アメリカ論』『男たちのための寓話 私説ヒーロー論』でもうひとつの米国を見せてくれた石上三登志氏。 ミステリー作家レイモンド・チャンドラーの描いた米国の暗部、社会背景について語っていた。

・いまやB級はA級への登竜門でしかなく、自立したB級があるのかどうかもわからない。とおもいきや、「music marcket」の主drug-cityさんのもうひとつの顔、DAZZさんが運営する「B級大好き!・・・・・でも、でも好きw」[?どこかに消えておしまいですか?]というめちゃくちゃなblog。まさにタランティーノもびっくり、世界中のB級映画のオンパレード。とはいえご本人もおっしゃっているように、最新投稿はなんと「ミツバチのささやき」と、高尚な面も見せている。

ネット時代になり、B級も蘇がえることができた。いや、あふれる情報と優れた検索機能、たからこそ再生できたのかもしれない。八十年時代のメインメディアは、週刊誌であり月刊誌でありTV放映であり、時間をつくって本屋を彷徨よいテレビの前に陣取りネタを探していた、レイモンド・チャンドラーが生んだ私立探偵フィリップ・マーロウのように歩き回っていた。

・では当地中国でB級文化は通用するか。優秀な検索機能を使って探ってみるが、ひっかかったのは日本からの紹介文献だけだった。それにしてもネットまわりは予期せぬ方にお会いできるものだ。

[ MEMO: たしか1984年だったか、上海は南京路の先、競馬場跡のいまはなき静安飯店前の工事風景。暗く、人通りのない光景。わずか二十数年前のことだ。photo: Eiji Kitada ]

Tuesday, September 9, 2008

[廈門] 博餅と中秋節

・日が落ちると急に涼しさを感じる。それだけで体が動くようになる。おかげで深い眠りにもつけている。これはありがたい。先日まで、蒸し暑さで目が覚め、結石予防のがぶ飲みで夜中に二三度トイレに立っていたのだから。

・マンションの一角からサイズをどんぶりに投げ込む音が聞こえてくる。ミン南地方独特な賭け事、博餅( bó bǐng )が始まっている。まもなく中秋節、旧暦の八月十五日。この日まで、役所も会社もお店も団地も家庭でも博饼で景品を手に月餅を食する。小腹がすいたので姐姐からもらった月餅を口にした。甘すぎる。腹がもたれた。

・近くのスーパーで買い物をした。店員に促されて領収書で博餅をする。大きなどんぶりに六つのサイズをほおり込み出目をみる。下から二番目の景品が当たった。陳列棚の中から真っ赤なシャツを選ぶ。家に戻り、開けてみると女性物だった。月餅のお返しに姐姐の義理の母に差し上げることにした。

・博餅をするのも三回目になった。一年目に会社の会議室で景品と紅包(お祝儀)、アタシの住んでいたマンションの中庭に元秘書と一緒に。二度目が会社のホテルで食事を。今年は一人買い物ついでのスーパーの一角で。

[ MEMO: 今日は花火大会、十時少し前音が途絶えた。終わったのだ。部屋から下を見下ろすとまだ道路は渋滞中。ようやく落着いて仕事にかかれる。湿気のとれた海風が部屋に入り込む。タブレット・ペンの感触も滑らかになった。 ]

Monday, September 8, 2008

[廈門] もうひとつの正しいこと

・このブログから当地関連記事が少なくなった。書けることがないわけではない。ただその話昔記事にしたよね、今年と違いはないよね、という感に近い。なぜか。これほど大きな国土と人口を抱えながら、考え方や行動様式がモノラルに近い。華やかな出来事は多いが、どれも統制のうちにある。正しいことはひとつであり、もうひとつの正しいことが聞こえてこない、見えてこない。ここで生活していているうちに、アタシもその一部になっている。

・金儲けの話は出ても、文化的な話は登場してこない。アタシが好きなポップカルチャーはここでは味わえない。仕方がない、頭の中の引き出しを覗いて消し去られないよう、自分自身のために思い出しては書き留めている。話題がそっちに振られるのはそのためだ。

・時にこの地にあって新鮮な発見があったりもする。それがアラブがらみだったのが不思議だ。Ishtarの場合、フラメンコでありアラビックでありポップミュージックである。伝統的なアラビック・ミュージックではない。それと彼女はスペイン・モロッコ・エジプト・イスラエルというマルチ民族、文化の混血、多民族で多言語、彼女はヘブライ語・アラビア語・スペイン語・フランス語・英語を話し歌うという。ひとつの正義では成り立てない立場にある。しかしここアモイにはそのかけらもない。55民族がひとつの世界、One-Worldを形成していても、祭典では漢民族が55民族を代表して演技する。

・Ishtarが歌って踊る「Baby one more time」のビデオ・クリップを見つけた。世間を騒がせているBritney Spearsのヒット曲のカバーだ。米語の、ビートを利かせたポップスは、Ishtarにかかると、大人の、そしてもうひとつの曲へとかわっていた。
[081022追記] とんでもない間違いである。この元歌はAmr Diabというエジプトの人気男性歌手が歌う"TAMALLY MAAK"というアラビック・ミュージックだった。記事によってはダンスミュージックとか、イスラエルの曲だとかいろいろあるも、正確にはわからない。いやいや、変なところでもうひとつの正しいことが判明してしまった。もちろんだからといってIshtarの魅力が消されるかというと、そんなことは決してない。

・この地では、パンダの目は黒目であり、「カンフー・パンダ」のように決して緑色であってはいけないのだ。

[ MEMO: 飽きずにIshtarの話題が続きますがご勘弁を。Ishtar "one more time" をみて、彼女、すげーでかいのがわかった。周りのベリーダンサー達は素足とはいえ子供のようだ。 ]

Saturday, September 6, 2008

[廈門] ポール・フレール氏が教えてくれたこと

・今日はF1ベルギー・グランプリ決勝日。有名なオー・ルージュという坂を駆け上がるコースは刺激的だ。この地スパ・フランコルシャン・サーキットのオールージュを上りきったところに位置するターン5はスタブロと呼ばれていた。それを“カーブ・ポール・フレール”に改名したという記事を目にした。そのとき、フレール氏が亡くなられたんだと知った。91歳だったそうだ。昨年、ホンダ・シビックTYPE-Rで事故を起こした際の後遺症らしい。亡くなられたのは今年の二月。この地にあっては記事にタイムギャップがでてしまった。

・彼の記憶は雑誌「カー・グラフィック」の記事。そして「ハイスピード・ドライビング」という本。彼から教わったことは、「早く・安全・快適」なドライビング・テクニック。周りの状況をあらゆる手段を使うことで、安全を先読みすることができると説いていた。当時馬鹿にされていたオートマチック車も、軽飛行機を運転するようにアクセルとブレーキを両足を使って操作すれば、並のドライバーより安全かつ早く走れますよと教えてくれた。

・それ以降オートマの愛好者になった。何より常に左足はブレーキペダルの上にある。反応は確実に早く、安全な運転ができた。コーナーで、ブレーキを踏みながらアクセルを吹かすヒール・アンド・トーまがいなこともできる。旧碓氷峠の曲がりくねった坂道を、非力なシビックのオートマを駆ってスカGを追い詰めた記憶もある。(慣れないと危険です。まずは車の少ない幅の広い道を選んで練習してからに。)

・しかし90歳でTYPE-Rとは、さすが元モーターレーサーですね。ご冥福を・・・。

[ MEMO: 姐姐と食事の後、久しぶりの快晴、ホテルからの帰り道を写真にするの弐。半年以上が真夏日のアモイ、日陰がなければやっていられない。小都市ながらアモイはことのほか都市の緑化に力を入れている。特にアタシの住むこの地域、80年代、埋立地を開発した地区だけに緑が多い。 ]

Friday, September 5, 2008

[廈門] 引用の引用のまた引用・・・

・Ishtarを追っていったら年齢がわかった。今年40歳。熟女。伏目がちで歌うと悩ましい。

・Ishtarを自分の言葉で紹介してくれていた「music marcket」にコメントを入れたところ、blogの主drug-cityさんが返事をくれた。ネット記事って、引用の引用のまた引用で、元ネタがどこにあるのかわからないし、記事も自分の意見何も言っていなかったりするからさびしい。彼はそこのところが違っていた。drug-cityさん、また遊びに行きます。

・引用の引用のまた引用。むかし畏友物書きのガンさんが言っていた。「編集者に資料探しを依頼したら、ネットから引っ張ってきたらしい。再度詳細に検討してもらったところ、編集者いわく、<検索の検索のまた検索かけていたら元の検索に戻った>。いまでは充実したウィキペディアがスタンダードになっているようだ。

・ここ中国はネット世界、ひとつの話題に百近いブログが同じ記事を引用する。元ネタ探しは至難の業だ。引用元はどこそこと記すブログも、それを追っていくと道に迷ってしまうのであきらめている。ただ記事を改変している様子がないだけいい。自分が拾ってきたものだとも言っていない。生のままだ。

・アタシが書いた中国人パフォーマー・田太権の記事、レコードチャイナが取り上げてくれた。それからしばらくしてあるブログに彼の記事が作品掲載で美しくレイアウトされ紹介されていた。文はというと、?アタシからの引用ではないか。それが署名入りとは・・・。

・アタシのデスクトップには検索用アイコンが並んでいる。Googleは日中米、Google map、中国の検索エンジン「百度」、ウィキペディア、YouTube、米中辞書、中国語発音記号検索。ブラウザを立ち上げていなくてもこれでだいたいは片がつく。

・アタシは忘れっぽい。メモはすぐにどこかに書き留めておかないと思い出せない。メモをどこに置いたかも忘れるから検索記事の管理も大変になる。とりあえずは3Mのデジタル・ポストイットをデスクトップに張り付かせている。

・ウェッブページとか写真はEvernoteという便利なものがある。何でもかんでもとりあえずここに放り込んでおけば何とかなる。後で整理のしやすいので助かる。

・畏友物書きのガンさんは図書館通いが好きだ。彼が書く文には百倍以上の裏が取れている。その彼もついにパソコンをいじり始めた。これから彼は裏資料をどこから探してくるのか、楽しみになった。

[ MEMO: 姐姐と食事の後、久しぶりの快晴、ホテルからの帰り道を写真にする。家にたどり着きマンションを見上げる。素晴らしい。ところがこれが曲者、夜目遠目笠の内、中国の標語そのものだ。近づいて見てはいけない、触ってはいけない、使ってはなおさらいけない。失望するだけだ。それにしてもこれだけ自由に設計させてくれる世界はうらやましい。 ]

Wednesday, September 3, 2008

[廈門] Fenweyparkの"sweet Caroline"

・よーやっと寝苦しさから開放されつつある。昼間はまだまだ夏の日差しと蒸し暑さが残っているとはいえ、日が落ちると海からの涼風が届く。そして掛け布団を出した。

・ひいきにしているお粥屋のおかみ、小銭を持ち合わせていないと端数をまけてくれる。夏休みを利用してアルバイトをしていた年のころ中学生か、それを見て「おかみさんお客さんのこと好きだから」。おかみさん、彼女に「小娘のくせに・・・」。彼女「あたし小娘じゃない!」。アタシ「そうだよね、お嬢さん」と声をかける。

・久しぶりに肉を食べた。姐姐が昼食でも一緒にと誘われ、子ずれで彼女のマンションとなりのホテルの飲茶に出かけた。何を食べたいかと聞かれたので、「肉!」「久しく肉汁を口にしてない!」と答える。彼女あきれていた。夏休み期間限定のディスカウントですべて半額、二人〆て67元、安い!しかし明日が最終日とは残念。

・【イタすぎるセレブ達】「歌がヘタでごめんなさい。チケット代返します!」歌手が前代未聞の謝罪!、という記事を目にした。誰かと思いきや、ニール・ダイヤモンドのこと。彼もいまや67歳、今年が歌手生活50年になるそうだ。「へた」!どういうことかと思いきや、彼、今年全米ツアー中、急性喉頭炎で満足に歌えないのでチケット代金を返還するという。へた!、冗談じゃないだろうとYouTubeで聴いてみる。以前のような声にハリも艶も消えていたが、渋く味がある。記事のタイトルとはこんなものか、目にしてもらうためには嘘もつくのか、冗談じゃない。彼の「スイート・キャロライン」はアタシとアキさんのオモイデなのだ。


[ MEMO: YouTubeで「スイート・キャロライン」探っていたら、この曲MLBボストン・レッドソックスのチームソングなことがわかった。八回裏に流すと球場が沸き立つ。これぞ米国って感。いいですねこういう米国は。そういえば台湾で知り合ったアメリカ帰りのデザイナー、名はキャロル、彼女はボストンで学生生活を過ごし、赤いジャケットを好み、真っ赤な口紅、そしてレッドソックスのファンだった。 ]

Tuesday, September 2, 2008

[廈門] 春歌考

どこかのサイトで大島渚の「日本春歌考」の一文を目にした。ほー懐かしい、オーそういえばエロ悲しい映画の挿入歌があったなー、かつては口ずさんでいたっけなー、どんな曲だったっけ、アイヤー思い出せない。・・・

---[引用・始]-----------------

「満鉄小唄」

 ♪ 雨のしょぼしょぼ降る晩に
 ♪ ガラスの窓からのぞいてる
 ♪ 満鉄の金ボタンのばかやろう

 ♪ 触るは五十銭見るはただ
 ♪ 三円五十銭くれたなら
 ♪ かしわの鳴くまでぼぼするわ

 ♪ 上るの帰るのどうするの
 ♪ はやく精神きめなさい
 ♪ きめたらゲタ持って上がんなさい

 ♪ お客さんこの頃紙高い
 ♪ 帳場の手前もあるでしょう
 ♪ 五十銭祝儀をはずみなさい

 ♪ そしたら私も精だして
 ♪ 二つも三つもおまけして
 ♪ かしわの鳴くまでぼぼするわ


この「満鉄小唄」は、替え歌であります。
元歌は戦時歌謡の「討匪行」、傀儡国家満州国建国の年、1932年に大ヒットした歌です。
作曲と歌はあの藤原歌劇団の藤原義江さん、作詞は関東軍参謀部八木沼丈夫という人だそうです。
八木沼さんはgoogleしてみると、どうもアララギ派の歌人だったようですね。
厭戦的雰囲気を持っているので、戦局が日本に不利になると歌唱を禁じられたといういわく付きの曲です。

 ♪ どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ
 ♪ 三日二夜を食もなく
 ♪ 雨降りしぶく鉄兜(かぶと)

これが元歌の歌い出しです。
おわかりになりますでしょうか?

---[引用・終]-----------------

[ MEMO: 北京オリンピック開催と同時になぜか中国が変わってしまった、国際化されたんだ、という幻想みたいな感を抱き始めている。旧と新の混沌とした感が薄れてきている。「春歌」など死語みたいなものを懐かしむのもその反動か。 ]