Thursday, August 28, 2008

[廈門] Steve Richと1人の建築家のための音楽

いまやハマりにハマっているIshtar & Alabina(正確にはAlabinaというラテン系ユニットのボーカルがIshtar)のWeb追っかけになってしまった。特にAlabinaと組んだライブはノリの良さで聞き飽きない見飽きない。なかでも”LOLAI ya habibi ya eyni”でIshtarが魅せるベリーダンスは、抑えに抑えて振っているだけに、余計色気が出ている。アラブ系だけに肌の色がうす褐色なのも、腰回りが欧米系よりも締まっているのもまた格段にいい。

先日、追っかけを続けていたところ、やたらマイナーなミュージック系blogに出くわした。「MUSIC MARKET」 ---ロック・ジャズ・ブルース・ボサノバ・レゲエ・シャンソン・ケイジャン・サルサ・カンツォーネ・ブラック・J-POP・K-POP・演歌・クラシック・オペラ・現代音楽・ワールドミュージック・・・・オールジャンルOK---。きっと知る人ぞ知るというサイトだろうが、ここにIshtarがいた。
博客 ( bó kè blogger )曰く、
「・・・彼女のソロ・アルバムは勿論、ALABINAのアルバムもみんな最高にカッコいいアラビック・サウンドなんですが、
何で日本でブレイクしないのか不思議ですねぇ・・・
せめて国内盤くらい出せよ!って感じです。」
同感であります。中南米ならいいけど、中近東って感が我々にはあるのだろう。

ほーほーと感心しながらメインページに跳んでみると、おーおー最新投稿がSteve Reichではありませんか。何と懐かしい。ビートルズだストーンズだと表街道を歩いてた時代の裏街道(失礼!)の主ではありませんか。アタシは一応Reichだって感じているんだと口に出していたものの、どうも衒学的な感があり(失礼!)、「Come Out」なぞを聞いて、話のツマみたいな受け止め方をしていた。ブログの中に一枚の写真があった。年季の入った皺のある一枚。見るに耐えられる顔だ。アタシもそうありたい。そういえばReichもユダヤ人だったな。このところそちらの方面に縁がある。そろそろ中国の旅も飽きてきたのか・・・。

[ MEMO: つい最近まで日本がイスラエルとの交流をコントロールしていることを知らなかった。すべてが石油がらみから。(そうですよね、シンさん) ]

Monday, August 25, 2008

[廈門] 動物たちの祭典


北京オリンピックがようやく閉幕した。中国国内、騒がしい一か月だった。おかげで馴染みの珈琲店は連夜閑古鳥が鳴いていた。異国に滞在する老外 ( lǎo wài 外国人 ) も自国の活躍に目を向けていたのだろう、常連の姿はとんとお目にかからなかった。期間中の客の多くは、落ち付いてひそかな話をすすめる中国人男女ペアと、夏休みを利用して家族を呼び寄せる台湾人がほとんどだった。アタシはただただ次なる仕事の仕掛けへと電脳に時間を費やすのみだ。

結局アタシは一度も部屋のテレビでショウを見ることはなかった。元ボスが、理由ははっきりしないが、アタシの身辺調査をあれこれしている様子、安全のために電源を切っている。何かが仕込まれているやもしれないかと、いや、この地にあっては用心に越したことはない。何しろ、ある時を機に、毎週のように、今まで電話なぞしてきたことのなかった連中から連絡が入る。理由を聞いてもいやどうしているのかとか、まだアモイにいたんですかとか、アー間違ったとか、意味不明なのだ。アタシも相手もお互い毛嫌いしているある年寄りなぞ、「あなたのマンションは何号棟?何階?で、何号室?で、枝番は?」。ちょっと恐ろしかった。今では元ボス胸をなぜおろしたのか、誰からも意味不明な電話はなくなった。

そのオリンピック、テレビで見ていたのではなく、電脳で見ていた。時に恐る恐る、時にエイヤーッという感じで。夕食時のお粥屋のテレビ、当地の連中が活躍するとこぶしを突き上げ歓声を上げる環境にあっては、強大で強力で偉大な中国の活躍の下では、そうするしかなかった。

[ MEMO: アタシは電脳を、ウェッブソフトを立ち上げると最初に目にするのがGoogle検索ページ、にセットしている。さすが仕事と遊びが一体の会社、Googleのロゴをオリンピック期間中日替わりで換えていた。競技選手は、そう動物たち。動物たちの祭典に仕上がっていた。これは楽しかった。無条件で翌日のイラストを期待していた。 ]

Sunday, August 24, 2008

[廈門] 石屋さんは働き者

一週間前からその前兆はあった。それがついに現実となった。また石屋さんが働きはじめたのだ。身体の中の石屋さん、少しづつ少しづつ働いていたらしい。小さな小さな石の粉末を日長に集めていたらしい。いつもなら日に二リットルの飲み水に流されていた粉末が、こちとらの不摂生もあって怠けていたのがいけなかったのだろう、てき面に顕われてしまった。そう尿路の結石が大きくなったらしい。右の腰に鈍痛が出たのだ。初めての時と違い、状況はつかめていたし、処方も今では知っている。台湾人医者が用意してくれた薬を一錠飲んだところだ。結石用鎮痛剤、夜中が恐ろしいので寝る前にもう一錠。あーなんてことだ。

アタシの部屋は石の粉末ならぬコンクリートの粉末が降り積もっている。超高層マンションの改装で、床壁を所かまわずコンクリートカッターなどで削りまくっており、室内を裸で売る、トイレも台所も一切無しのこちらの習慣にそって、オーナーが好き勝手にイメージを広げ、工事人は本来のトイレや台所の給排水管を床の中に埋め込もうとする。騒がしいのだ。埃だらけなのだ。この真夏の高温の中、住む人間も扉をあけっぱなし、否応なしに粉末が入りこんでくる。掃き出してもふき取ってもまた翌日吹きこんでくる。相当嫌気を催し、仕方がない、部屋を閉め切るかとクーラーをかければ水なぞ飲む気が起きなくなる。体の中で石固め、体の外から石が体の中に入り込む。ろくでもないところに引っ越してしまった。

アタシを取り巻くすべての環境はチリアクタにまみれているようだ。

[ MEMO: 向かいの部屋のお嬢さん、お会いしたことはないが、仕事から戻る際に廊下をたたくハイヒールの音でアタシは目が覚める。大体朝方七時前後、夜のお仕事のようだ。ある日やけに早々と戻ってきて目が覚めた。五時ちょっとすぎ。仕方がないと、工事前のさわやかな空気でもとテラスにでる。オー、何とちょうど日の出の時間だった。 埃の舞わない朝方、空気もおいしい。]

Thursday, August 14, 2008

[廈門] 茶飲み話

今回の北京オリンピック、何かと話題が多い。中国が力強さを見せれば見せるぶん、いまや世界最大級のパッシング対象国、国のうちそとであれやこれやといわれている。開会式の口パクパク歌手にしても(アタシは見ていませんのでわかりませんが)、いやあれでいいという人もいれば冗談じゃない、中国恥だと騒がしい。空撮で会場に向かう画面に花火の輪が映し出されたのはCG。式を演出したチャン・イーモー、海外でさらに名を上げた。そもそもオリンピック開会式はお祭りだし、CGを使って実演と組み合わせるなど、映画監督ならではの感覚だと思う。それにしても金かけたなー。アテネでは商業主義を排除しようなぞ確か謳っていたはずだ。のし上がる国はそんなこと聞く耳持つはずがないだろうに。

のし上がる分、置き去りにされているところもある。メディアがそこを突いたりする。突いても現実だし、自分や自分の国がああだから中国もそうでなければなんて語り口にはついていけない。例えばこんな記事があった。

【北京五輪】大問題は言葉の壁!? 困難を極める意思疎通
http://news.livedoor.com/article/detail/3776210/
2008年08月14日12時00分 / 提供:日刊サイゾー

「北京五輪取材のため、中国入りしてから早9日。苛立ちは頂点に達しつつある。何がって? 前回のコラムで触れた大気汚染(記事参照)に、朝昼晩と一辺倒な中華料理、加えてこの上なく無愛想なレストランやホテルの従業員の態度。苛立つ要因は数限りなくあるのだが、とにかく最大の要因はあらゆる意思疎通が図れない点にある。・・・」

そして、自分が体験した意思疎通の例を紹介しているが、記者だろう、疎通をとるのが当たり前であり、その準備もせずにきたのかよ、なんて感じ。当の本人は大学の第二外国語に中国語を選択したという。しかし最後に彼はこう綴っている。

「・・・そういえば、2月にサッカーの取材で中国、第4の都市・重慶を訪れた際には、夜総会という名のクラブで、筆談をしながら女性スタッフとコミュニケーションを取ったことを思い出した。最後の手段はこれに限るかもしれない。」

彼は事前に意思疎通の方法を知りながらこの記事を書いたということだ。要は中傷記事なのだ。アタシは別に中国を弁護するつもりはないが、海外に旅する、仕事する、立ち止まり覗いてみる、知りたいから来ている、書きたいからやってきたのなら正直であってほしいと感じだ。拝馬屁 (
bài mǎ pì おべんちゃら、ごますり、おべっか ) な連中にも耐えられないが、この記事には旅先での好奇心というものが欠けていた。

[ MEMO: 湖畔わきの五つ星ホテルの裏通り、閑静な場所に茶館がある。ガッコの先生との打ち合わせによく使った。茶葉を持ち込めば、洒落た部屋を昼の四時間たったの四十元、日本円六百円で利用できる。夜訪れたことがないのでわからないが、茶館は脇に若い女性を侍らすこともできる。しかしこの茶館にそんな気配は感じられない。気楽に時間をつぶすのにもってこい。地元の人間がマージャンをしている姿をよく目にする。 ]

Sunday, August 10, 2008

[廈門] 色・彩 - IshtarとBelly Dancerだち

高校時代、絵でも手にしてみるかと、教師の影響もあり、ロマン派の画家の作品を脇に置いて模写まがいのことをしていた。その一人にウジェーヌ・ドラクロワがいた。アタシはドラクロアの油絵よりクロッキーや水彩が好きだった。とくにモロッコやアルジェなど地中海沿岸を旅した時に描いた水彩画がいい。女性たちがまとう衣服の、今では当たり前の原色が溢れ、そして重なり合っていた。

しかしこの原色、単純な色合いではなかった。模写するたびに絵の具を探った。そのつど新しい絵具を購入しに画材屋へと足を運んだ。おかげでいろいろな色の名前を覚えたが、今では忘れてしまい、当時探り当てた色合いを再現しようにもできそうにない。コンピューターの登場で、ドラクロア風色合いなぞ、今では簡単に再現できるそうだが、試行錯誤しながら探し当てた行為そのものは自分だけのものである。

Ishtar Alabina のビデオ・クリップをあちこち探し回わった。なかに強烈な色彩をまとったベリーダンサーと舞台に登場、見事に演じているにであった。艶やかな色彩、肉体の誇示、激しい振り、ほとばしる汗と体臭をまき散らしている。そう、人間が本来持ち合わせているものである。

そう感じ、そういえばアルゼンチン・タンゴも色っぽかったなと、こちらもあちこち歩き回る。そして圧倒されるダンサーは年を経た人間が圧倒的に多かった。助平そうなオヤジのあの色っぽさはどこから来るのだろうかと、羨望のまなざしで見いってしまった。アラビアンに比すれば、彼の衣装はほとんどが暗色、いや暗色でなければならない。モダン・タンゴが単なるステージ・ショウに変わってしまい、ビジュアル系タンゴなのに、クラシック・タンゴには、オヤジの衣服の下の肉体にたまった色気を眼もとから、鼻先から、首元から、腕先から、靴の先から発散させている。

ドラクロアはアカデミズムを超えるため「色」を求めて地中海を渡った。それも押さえた色ではなく、艶やかで「彩」な色を。前回帰国時、物書きの友人がアタシを見て言った。「なんだかスケベさが消えてきちゃったね」。涸れるには早いか。今一度振り絞ってみるか。

[ MEMO: ドラクロアのスケッチをウェッブで探したが、日本のサイトの絵はみな小さく、これでは子供たちが絵の学習をしようにも役立たずだ。海外のサイトには、美術館や画廊が、収蔵作品を詳細に紹介していた。 ]

Saturday, August 9, 2008

[廈門] アモイの静かな夜

夜、食事に出かけた。いつものお粥屋。時間はちょうど夜八時。店には従業員の姿しか見当たらない。それもみなテレビに向かって座っている。いつもの席に座る。店の男性が「前の方に座ったら?」。テレビがよく見えますよ、と親切心でいってくれた。いやいやいいですよと断る。ちょうど奥運会 ( ào yùn hùi ) の開会式が始まったところだ。派手な演目ごとに店の若者が声を上げる。食事の間、アタシ以外に訪れた客はわずか三人だった。

だし汁と米粒の柔らかさのころ合いがいいピータンお粥に、野菜不足にならないよう青菜炒めと唐辛子と煮込んだ昆布のつき出し、それと昨日おばさんがサービスしてくれたあげ豆腐を注文する。昆布とあげ豆腐はお粥にくわえ、ちょっと辛めに仕立てる。このところ毎日のように通っているが飽きることがない。腹もちのいいころ加減さもいい。

食事を終え外に出る。今日は涼しい。大通りにあるケンタッキー・フライドチキン、がらんとしている。いつもは夏休みで子供連れの多いこの店、今日は開店休業状態だ。(余談だがマクドナルドとケンタッキーのトイレは一般に開放されている。トイレは外から簡単に利用できる位置にある。公衆トイレの役割を担っている。ここアモイで立ちションしている姿を見たことがない。本当である。)

通りをわたると夏の果物、瓜を売る露店がある。季節もの、人気が高いがここにも人影はない。瓜は二つに割って客に果肉のころ合いと糖度を見てもらう。今日はそれも役立たずだ。馴染みの珈琲店に向かう。

珈琲店はアタシの貸し切りだった。いつもは三四人いる店の女性、二人だけ。二時間静かにコーヒーを味わったが、その間、客は一人として現れなかった。毛唐客が多いにもかかわらず、今彼らもテレビにしがみついているようだ。時折外を人が通り過ぎるが、ガラス越しに店内をのぞきこみ、アタシの姿を不審そうに眺めている。すべての中国人はオリンピックを見よう!翌日のメディアは、十億人近い人間がオリンピックを見た!と伝えそうだ。異端者は目につく。

アタシにとって静かなアモイの夜が過ぎた。

[ MEMO: いつもならサッサッと入れられていたカフェ・ラテ、今日はアタシのために心をこめた一杯がテーブルに上がった。 ]

Friday, August 8, 2008

[廈門] アモイでIshtar Alabina

[ Ishtar Alabina ] 、これだけ見て理解できる人は少ないのではないだろうか。

こちらのなじみの珈琲店がありまして、店主がオーストラリア人でして、店内はゆったりとし、無線LANも使え、考え事とか、読書とか、仕事の一部をこなすにはなかなかの場所であります。店内のBGMは英語圏の人間らしい選択のオールディーズが流れています。

最近この選曲が突然に様変わりいたしました。店長の心境の変化なのか、原因は不明なのですが、意味不明の曲がいっぱい流れるようになりました。なじまない曲だな、なぞと思っているうちに、なかには心を動かせるような曲もあることに気がつきました。店の女の子に「何?この曲」、ボスのパソコンから彼女が書きだしてきてくれたのですが、さっぱりわからない。「あたしだって解らないわよ」といわれ、仕方ない、ウェッブ検索かけたところ、youtubeに何ともローカルなおばさんが情感いっぱいに歌っておりました。題名はフランス語で"Comme toi"、彼女の名前はIshtar Alabina。何びとなのか、いつ頃の歌かもわかりませんでした。しかしステージの床にダビデの星が描かれていて踏みつけていました。

珈琲店から家に戻り、さらにあちこち検索をかけたところ、イスラエルにてエジプト系ユダヤ人の母と遠い縁戚にスペインの血を引くモロッコ系ユダヤ人の父親との間に生まれた女性歌手だということがわかりました。先日「ADL”ユダヤ名誉毀損防止連盟”の陰謀」なぞという本を読んだばかり、もともとエスニックに陥りやすいタチだったこともあって、歌と振りと容貌と血縁とに十分ハマることにあいなりました。(この曲と振り、どこか韓国演歌ににている感じがしたのだが。)

[ もしダビデの星のもと女性兵士の様を背景に流すビデオをご覧になりたいならばこちら。珈琲店のBGM、他にもインド・ポップスがはいっていたりしていた。これも悪くない。確実にイスラム文化は変質してきている。若い珈琲店の店主、BGM選曲を変えたのはそのへんを感じ取ったのだろう。 ]
[ 6:45pm 追記:女性兵士のビデオに記載されていた引用元のblogにアクセスしてみた。「削除されました」と出た。なぜだ。 ]

今日は何の日?そう、北京オリンピックの開会式の日です。北京ではいろいろと大騒ぎらしいようですが、この地アモイは落ち付いております。Googleの検索ページも百度のページもこれこの通り、オリンピックです。アタシは大学時代に東京オリンピックを迎えました。元来、ひねくれ者ですので、皆が大騒ぎすることに乗っかりたくないタチ、開会式が土曜日の午後だったか、誰もいない校内で、畏友シンさんと二人ラグビーの練習をいたしました。その後確かテレビも見なかったかと。おかげでアベベなぞという凄いマラソンランナーを見そこなうことになります。見たい種目は女子マラソン。しかし野口みずきさん、心配ですねー。どうなんでしょう。

[ MEMO: Ishar Alabina、十年前にブレイクしたらしい。その後もラテン、ジプシー、レゲーなどいろいろなミュージシャンとコラボしている。 ]

Saturday, August 2, 2008

[廈門] 夏と付き合う

暑い、アモイの夏は暑い。暑い暑いと、ではほかの都市はどうだろうとネットで見てみる。北の北京や天津、内陸の成都、重慶、ほかの都市は軒並みアモイより暑かった。海に囲まれたアモイ、海風が冷風を運んでいるのだ。

それでも外に一歩出ると、肌にべったりと湿気がまつわりつく。きついのはこの湿気。それさえなければ湖畔の樹陰下のベンチで気持ちよく過ごせるはずだ。結局噴き出す汗を嫌って室内にこもってしまう。ガラス越しに入り込む熱気をさえぎるため、カーテンを閉める。薄暗い部屋、ベットに横になり、気がつくとまどろんでいる自分がいる。

仕事の売り込み用に「ゼロ・エミッションーエコシティービジネスモデル計画」というカタログをつくった。ここの大手企業集団に、これからは環境問題に取り組まなければいけませんよね、お宅の別荘地計画にパッシブ系の省エネ環境対策を施してはいかがですか、というものだ。

いろいろな環境対応製品をリストアップした。そしてめぼしいものを詳細に検討してみる。しかしどう考えても高温多湿の当地で、空調機を使わずに快適な生活環境を実現させるのは難しい。それでも現地のガッコの先生と、ああでもないこうでもないとカタログをつくった。ガッコの先生、イケイケドンドンで話を進めた。

中国での土地開発計画は今年になって急速に失速した。一種の金融総量規制のようなものだ。昨年まで、開発会社は未曾有の収益をあげている。信じられないような利益率。しかしそれも今年になってからは望むべくもなく、アモイの大手企業集団でも、不動産部門は新規開発にしり込みしてしまった。おかげでアタシたちの企画はお蔵入りになった。

アモイは暑い。そして湿度が高い。日が落ちても湿気が去ることはない。限りある資源を節約しようとするなら、昼はまどろみ、夜は早めに眠りにつくよりほかにない。日本の友人は言う、周りに庭を持ち、樹木を植えるとそこは気温が3度下がると。庭つき樹木つき、ここでは農村に出向くよりほかにさがしようない。やはり行き着くところは田園での生活なのか。そうだろう、夕方庭先にでて井戸水で冷やしたビールを一杯、月明かりで飲み続けるなぞさぞかし気分がいいだろう。昔当たり前だったことが、今では夢のまた夢だ。

[ MEMO: ガッコの先生、カタログに載せた製品を研究材料にし、だれかに売り込んでいるようだ。 ]

Friday, August 1, 2008

[廈門] 映画三昧極め付け

昨夜映画三昧極め付けを見た。

五年ほど前、ソウルで起きた猟奇的連続殺人事件を覚えておいでだろうか。事件の真相がわかるにつれ、そのおぞましさに韓国中が驚愕したことを。ネット映画を探しているうちにそんな事件を下敷きにした映画にぶち当たった。今年封切られ、R18指定にもかかわらず、観客動員数がトップに躍り出たという「追撃者」。

事件と犯人の詳細はblog「エトセトラ黙示録」を、映画の内容は”blog「かわやん」”の”韓国映画「追撃者」はなぜ成功したのか”を見ていただくことにして、アタシは何気なくポチし、見はじめ、当時を思い出した。記憶では、歓楽街の女性が次々と姿を消し、その筋の女性たちが恐れ慄いた、というものだ。ブログによると、21人とも31人ともいう人間が、わずか10カ月の間に一人の人間によって殺害されたという。

映画はよくできていた。話もよかった。俳優もよかった。あえて殺人鬼の動機を追わなかったのも映画の質を押し上げたといっていい。映画はアタシにとっていろいろなことを教えてくれるし、考えさせてくれる。光州事変に疎かったものの、「砂時計」という連続TVドラマがそのきっかけをつくってくれた。映画「ユリョン・幽霊」では、日韓もし戦えば、いやなぜ韓国は日米を仮想敵国に仕立てているのか、なんて話にもっていってくれる。戦争が殺人をする。わかりやすい。わからないのは、この猟奇殺人事件のような殺人。心理学者が、犯罪アナリストがあれこれ語ってくれるが、答えになっていない。

いまだ読み終えていない長編小説、中里介山の「大菩薩峠」。ここにも殺人鬼が登場する。机龍之介がそれだ。ある友は、「大菩薩峠」はユートピアを探す旅の話だといった。では机龍之介は殺人でカタルシスを得てユートピアに近づこうとしたのだろうか。やはりわからない。「追撃者」は記憶に残る映画だった。アタシの中で読み砕かれるには時間がかかりそうだ。

[ MEMO: アタシは韓国の俳優に疎い。「追撃者」の俳優も監督も詳しくない。この映画はそんな前知識は必要なかった。いやー、しかし " no country for oldman " にしても近頃の映画は人がよく殺される、残酷に。 ]