Thursday, April 17, 2008

[廈門] 「忘却」

誰だって今の境遇と比較して厭だった記憶は忘れたいと思う。それでも忘れえない記憶はふとした瞬間に頭をもたげてくる。アタシの元ボスがよく話していた。「年をとっていいことは、嫌な思い出を忘れてしまうことだ。良かったことだけが残っている・・・」。本当だろうか。

かつて、一九七十年前後、中国で一つの内乱がおこっていた。権力闘争であり、引退していたかつての領主は国軍を動かすことができず、代わって「胸いっぱいの情熱、愚かで無知、愚直な忠誠心」をもった年のころ小学生から高校生までの若者を動かした。彼らは「紅衛兵」と呼ばれた。

二十一世紀になり、中国重慶生まれのアーティストが、地元にある紅衛兵の墓を使った作品を世に送り出した。彼の名は田太権、経歴には生れ年を見つけられなかったが、彼の写真から見るに、紅衛兵として内乱に参加していた可能性は高い。

荒れ果てた墓地、彼はここでいまだに彷徨っているだろう紅衛兵の魂を可視化して見せた。墓地を背景に、顔をつぶした若い女性モデルをモンタージュした作品は、暗く、陰惨で、かつ妖艶である。

興味のある方はこちらから探ってみてほしい。

chinese 簡体字 [《遗忘》文革摄影作品背景介绍 ]
http://www.17se.com/archiver/showtopic-488544.aspx

この中に、粥潤某氏の一文がある。《忘却》文革を背景にした作品の紹介 と記されていた。その中から思い入れで一部を訳してみた。

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《忘却》文革を撮影した作品の背景の紹介:

《忘却》シリーズは全国唯一の紅衛兵の墓碑を用いて創作された。

紅衛兵の墓碑群は重慶市の公園内にあり、文革期の闘争で亡くなったかれらの墓がある。保存状態のいい墓は中国でわずか一か所、ここだけである 

113基の墓には、1967年~1968年、重慶の武闘(武力闘争)で亡くなった約500名、重慶815派の紅衛兵戦死者が弔われている。死亡者の年齢は14歳から60歳である。

四十年近くたった今、経歴者はこのときの記憶を少しずつ忘れ、若い世代は更にこの当時のことは分からずにいる。紅衛兵という過去は、ゆっくりと忘れさられようとしている……

文革期、紅衛兵の総計は1億人を上回った。1億の紅衛兵の歴史は忘れさられようとしている。このことは哀われで嘆かわしいことである!

かつて胸いっぱいの情熱、愚かで無知なため、愚直な忠誠心のため、命をかけて守るため死んでいった紅衛兵は、ただ1つの幻の夢のようだ。今ではまったく存在しない出来事になってしまった......

しかし、身をかけた闘争の末死んでいった五百人余りの紅衛兵の墓(重慶の1つの流派だけで)、数十基の薄暗くて不気味に林立する墓碑は、荒れ果てる中に身を置いている。立ち並ぶ墓碑には死人の名が刻まれている。耳にしたことのない、血生臭さい臭いを嗅ぐことができる。まるで彼らの、遊離した、冤罪で死んだ人の魂がどこにも訴えられず埋葬されたかのように。

私は《忘却》が一時の出来事であることを望む。歴史を正視しさえすれば、このような悲劇は二度と起こり得ないだろう。


田太権の略歴:

重慶人
四川美術学院デザイン科パッケージデザイン(本科)卒業 文学学士

主な作品展
2005年 ”此岸到彼岸”展
2005年 ”芸術で世界はより美しく”(上海)
2005年 ”裂”シリーズマカオ芸術博物館収蔵
2006年 ”異常感覚”作品展(重慶)
2006年  現代芸術展出品(深セン)
2006年 ”忘却”作品展(深セン)
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・超意訳です。この機を利用し、田太権氏の作品集を探してみることにする。(080527一部修正)

[ MEMO: はじめて彼の写真を目にしたのは昨年半ばごろだったと思う。その時は一部の写真のみ公開されていた模様。その当時目にしたものには、半裸の女性モデル体の一部に修正が施されていた。 ]

Sunday, April 13, 2008

[廈門] 「マッチ売りの少女」

アタシは、一年数か月ぶりの母国で、これまでになかったように動き回ってきた。国に戻ると、国はあれやこれやと日本人としての義務を果たしなさいと囁いていた。例として、運転免許証の期限が切れていた。しかし、住民票がなければ運転免許証の更新はできない。アタシは日本に住所がなくなっていたのだ。そこで届の手続きをしてきた。前の住まいは「中国」である。

異動届を役所に提出すると、健康保険証がもらえることになるが、同時に支払い義務が発生する。健康保険証がなければ、高額医療保障はしてもらえない。で、安心のため、健康保険に再加入したいと役所に聞いてみる。窓口の男性は、「あなたはすぐに長期間海外に出かけるのですよね、ならば加入の必要はありません、保険料の支払い義務もなくなります」。

つまり日本にいない人間には日本政府は面倒は見ませんよ、と言っているのだ。あたしは帰国前日、役所に出かけて行き、免許証取得のために異動届を出したばかりだが、再度異動届を出してきた。異動先は「中国」である。

戻った「中国」、最初に目にしたあるブログの三面記事に驚愕した。劇作家別役実の「マッチ売りの少女」みたいな出来事が組写真で紹介されていたからだ。ある都市のある廃墟の裏庭、日中暇を持て余している老人相手に、若い女性二人、一人一元でジーパンの中をのぞかせているのだ。この記事をしたためた人間、地元の新聞社に電話を入れ、取材しないのかと問うも、その手は記事にできないと断られたので、とコメントを入れている。

ブログの読者からは、「やらせでないの?」というコメントも。確かに写真が鮮明すぎる。それでも迫力十分である。読者の中には「心が痛み涙がこみ上げる」という一文もあった。たとえやらせが一部にあったとしても、このような出来事がまだ残っていることをアタシは否定できない。なぜなら、アモイにやってくる多くの出稼ぎ労働者の中には、信じられないような額で、現場労働者がたむろする一角で、春を売っていると聞いているからだ。

アタシは農民の苦労、苦悩、貧困について知らない。一時期には、このような出来事もあったに違いない。でなければ別役実は本にできなかったのではないかと思う。たとえそれがスカートの中のマッチ一本の瞬時の出来事(別役実「マッチ売りの少女」)でなくても。アタシは、この記事を紹介すべきかすべきでないか、しばらく考えていた。しかし現実である。多くの人間が見捨てている現実である。目を向けようとしない現実である。そしてこれは中国だけの現実でなく、われわれ皆が目をそむけてきた現実であるのだ、と考えた。

中国のブログは自由に投稿ができる。ひとりの意見一つの意見も取り上げられる。国体にかかわること以外ならばほぼ許されている。その結果、社会面、つまり三面記事には驚くような出来事が写真入りで紹介される。薬で朦朧とした半裸の女性が高層マンションのテラスから飛び出し、宙ずりになったままの写真。やはり高層ビルから飛び降り自殺を図った少女の連続写真。足の指を猫にかみちぎられた幼児の患部の写真、などなど残酷すぎて目をそむけたくなるものも多い。

日本では靖国神社を訪れ、遊就館の展示に国体維持は絶対だという歴史観を教えられた。本来ならそのことを記事にしたかったのだが、中国で重い現実を見せつけられてしまった。

[ MEMO: 写真は全部で15枚の組図でできていた。一枚づつに撮影者のコメントが載せられていた。赤いセーターの女性のほかにもう一人の女性と、手配師の三人組でこの商売は行われたらしい。 ]