Saturday, September 22, 2007

[廈門・471天] 気が楽になったこと

前回、賄いオバサンが来るようになったことを書いた。おかげで帰宅すると料理がすぐに出てくる。不思議な感覚を味わっている。そんなことを期待したことなぞいままでなかったが、さすがに一人の生活が長引くと、いいものだと思ってしまう。多くの方々がそうしてきたのだろうが、勝手気ままに暮らしてきたわたしにはなかったものなのだ。

オバサン、五十ちょっとすぎ。北の都市で、国営会社に働き、定年を迎え、亭主に暖かく綺麗な都市での生活を提案するも、断られ、離婚届を出して廈門にやってきたらしい。わたしにとって、ある意味危険な存在である。我が家にやってきて二日目、どうだろう二人は相性がいいかどうか試してみては、とお誘いを受けた。いや、実に自分の意見をはっきりと表現する。合衆国の韓国系アメリカ人、台湾にやってきていた中国系アメリカ人、彼らも意思表示がストレートだった。その分対応に苦慮せず、付き合いやすくてよかった。

ちなみに、国営会社の定年は、男六十女五十だそうだ。退職後一般の方々はどのような毎日を過ごしているのか聞いてみた。子供と住んで、孫の面倒を見、小区(コミュニティー)の仲間同士でバトミントンをしたり、麻雀をしたりなどなど・・・。

定年かー、どんな感覚なのだろう。

まあそれはさておき、その後、オバサン、普通に対応してくれている。会社から戻って、暇は十分にあるのだが、炊事洗濯家事全てを一人でこなすのは何かとおっくうだし、かといってほっとくのもいやだし・・・、オバサンの存在でわたしはかなり気が楽になった。それになにより無駄遣いが少なくなった。食材を無駄に買い込むこともなくなったし、残り物もしっかり使い回してくれるし、仲間と値の張る食い物屋に出かけることも今のところない。仲間に声をかけ、家で食わないかと誘い込む。悪くない今日この頃である。

[ 写真: 部屋のテラスから見下ろすとこんな感じ。古い廈門の残る数少ない街区。オバサンはこの一角で共同生活をしている。右側斜めに走る街路の両側は魚介類専門の市場。夕刻には買い物客でごった返している。オバサン、家に来る前ここで食材を買ってくる。安いのだ。 ]

Tuesday, September 18, 2007

[廈門・467天] 書きそびれていたこと

この一ヶ月、書きそびれていた部分のメモ・・・

・先日韓国の歌手、ハ・ユスン嬢の消息が途絶えているらしいといった矢先、セカンドシングルのMVが登場していた。AVの雰囲気を濃厚に漂わせていたものの、曲自体はどーってことがなかった。また、「Question」のMVは韓国で放映禁止になっているらしいと記したが、このMV、別バージョンがあった。基本的に変わったところはないが、ぎりぎりの部分が長めに映っていた。

・会社の内部組織をガラガラポン、と始まった騒動、いっとき人があちこちに移動したものの、結局また元に戻ってきた。一体何だったんだということだ。影のボスの指令で動いていた人間、彼らですらそう感じている。わたしが「女がいるいないを探って報告することに何の意味があるんだ、そんな部門なぞなくしてしまえ!」と文句を言ったら、いわれた本人、「そうだよなー」としきりに考え込んでいた。まあ、脅しをかけてきたと思えば理解もできるが・・・。

・八月はひどく落ち込んでいた。人事騒動に巻き込まれたり、ひどい咳に長い間悩まされたり、暑さと体調不良で外食する気にもならず、夜食のメニューは自炊で二種類、という毎日を送っていたら、更に落ち込んでいく気がしてきた。同僚でカミさんが仕事の関係で香港住まいの若造、デブチャン、ダイエットに夜の町を歩き回るという習慣をつけていた。それに付き合って歩いていたら体調もよくなってきた。さらに一緒にあれこれ異なるメニューの食い物屋に出入りしていたら元気が出てきた。

以前は元秘書が毎日のようにこれでもかといっぱい総菜をつくってくれていたものの、諸般の理由で解任して以来半年、実に単調な生活をおくっていたことになる。今更ながら、食い物は大切だと、人に紹介してもらい、賄いのオバサンに来てもらいはじめた。それに会話の練習にもなっている。オバサン、北の人間、巻き舌である。今までは南の人間との会話がほとんど、台湾人に似た話し方、理解しやすかったが、北の人間のはなかなか解らない。始終反復してもらっている。

この先どれほどここでの生活が続くか解らないが、とりあえず軌道修正ができつつある。

[ 写真: 古ネタ写真です。九月八日は花火の日。昨年はどこかに出かけていて、家にたどり着く前、轟音を聞かされ驚かされた。今年は家の寝室から。高層マンションの影から火の玉が飛び出してきた。 ]

Monday, September 17, 2007

[廈門・466天] 自拍

最近わたしは中国版youtubeに凝っている。家に戻り、一人パソコンに向かい、面白ビデオを探し回っている姿は、自分で思い浮かべても異様だ。お気に入りはもちろん「自拍」。my videoのジャンルだ。youtubeの影響はここ中国でも大きい。多くのウェッブサイトも自拍ものに力を入れている。電脳に若いうちから慣れ親しんでいる若者たち、積極的に投稿してくる。特徴的なのは、若き女性たちの投稿。自らを売り込みたいためか、惜しげもなく彼女たちの知られざる側面を覗かせてくれる。

意図的な演出で場を盛り上げてくれるお嬢さんもいる。シリーズものである。彼女、自らを「愛人」だと称し、ポップな曲に合わせ、インターネット先の聴衆を扇情してくる。全四部。顔は出さない。プチプチとした、いかにも若そうな肢体を、ジャネット・ジャクソンばりの振りで肉体を露わにする。このシリーズは大当たりしたらしく、シリーズ終了後、このビデオ、実は登場者は二人で、わたしはその片割れと分析してみせる子が登場したり、地方のテレビ局が特集を組んだり・・・。ところで彼女、もう一年間姿を現わしていない。どこで何しているんだろう・・・。

もう一つはMSNやSkypeでのビデオチャットものの投稿。チャットの模様を録画したものを投稿してくる。相手に了解とっているのか、脇で見ていても心配になってくる。ビデオカメラの前で、イヤイヤ胸元を開いていく様なぞ、オイオイどうなっているんだ、このビデオ一生ネット上をさまようんだぞ、など人ごとながら叫んでしまう。それにしても裕福そうなアラブ系留学生はかわゆかった!

ここ中国の現状を憂慮するも、インターネットが確実に新しい表現媒体として機能しているからすごい。時にはやりすぎの場面もしばしば見られるが、官憲が潰しても潰してもまたどこかから顔を出してくる。廈門でこの夏おきたデモのさい、政府が携帯メールを使ってデモをコントロールしたように、インターネットと共に、この二つは情報操作の最も有効な手段となったのだ。

しかしこれらのネタ、あたし、無理して探し出しているわけではない。ビデオニュースを見ようと、安部さんが辞任した会見シーンを見ようと、ウェッブサイトを開けば、目の前で見てくださいと誘っているのだ。日ごとメディア研究に勤しんでいるといいたい。えらいえらい、いい結びになった。

[ 写真: もちろん私のお気に入りなソン・ヘギョの予告編もある。彼女が脱いだというので話題になったが、場面が暗すぎで判別不能、掲載はあきらめた。 ]

Sunday, September 16, 2007

[廈門・465天] ヒップホップだって聞いておるのだ!

たまには買い物に出かける、買い物に付き合う、デパートだって繁華街だって見て歩く。まあ一人で、というわけではないが、まもなく臨月を迎える若き妊婦が、出産後に着る衣装を夢見るのを手伝ったりもする。そんな場所でしきりに流れていた軽快な一曲を偶然ネット上で見かけた。韓流ヒップホップのライブだ。キュートな彼女を見て、わたしは気に入ってしまった。早速下載(download)。家で、職場で、イヤフォンをつけ、聞き、見ている。jijiだってヒップホップは好きなのだ。

早速日本にご滞在の韓流師匠にその旨伝え、ビデオクリップを送った。師匠は知らなかった、彼女を、この曲を。知らなかったが、わたし同様、即座に気に入り、ついつい繰り返し聴いてしまった、と返事が来た。歌手の名前が知らなかったわたしに、師匠は丁寧に解説をくわえてくれた。このカワユイ歌手、一体どのようなお嬢さんなのか知りたくなった。いつもの癖である。自宅に戻っては、真夜中までネット上をさまよう結果となる。

「ハ・ソヨン-AV女優ハ・ソヨン歌手デビュー」。
http://franklloyd.paslog.jp/article/161519.html
と教えてくれたblogがあった。

名前を [ハ・ユスン 하유선 河佑善 Ha U-Sun] 。曲名は [Question] 。のりのいい曲と、軽くAVの雰囲気を盛り込んだ振り付け、そしてなにより笑顔がいい。

ライブはこちら:
http://jp.youtube.com/watch?v=JGqKpmubhTo
MTVはこちら:
http://jp.youtube.com/watch?v=Wgmqo2zaUcs
この曲に合わせ、カリフォルニアあたりで腰を振る日本人らしいお嬢さんのビデオはこちら:
http://jp.youtube.com/watch?v=J8Du7phtjQI

ところが、ハ・ユスン嬢、それから一年、ウェッブ上には現れていない。それに、ビデオクリップ、韓国では放映禁止になっているらしい。あるblog上でも語られていたが、AV嬢が転職で成功するのは至難の業だそうだ。日本では飯島愛氏だけだとか。今でも儒教感の強い韓国ではなおさらなのだろうか。もしそうだったら至極残念なことだ。みなこの曲を聴き、キュートな彼女を見、(昔のAVのDVDは放っておき)ミュージックCDを購入し、再び魅力溢れる踊りが見れるよう、韓国に圧力をかけてほしい。jijiのささやかな夢であります。

(曲自体は一年以上前のものであり、古ネタだったりしている可能性があります。ただただ私めが無知だったのかもしれません。その節はご容赦ください。)

[ 写真: 人間の根源的な刺激は歌と踊りに反応するものであり、人類発生以来、この二つは切っても切り離せない関係で・・・どうでもいい、一度見てほしい。 ]

Thursday, September 6, 2007

[廈門・455天] これがバブルでなくてなんなのだ

二週間前の金曜日、密かに会社を抜け出し廈門空港に向かった。蘇州を訪れるためだ。昼飯を終えると、運転手が待っていた。日曜日に戻るよ、というと、では出迎えます、イヤいいよ家族サービスしなさい、イエイエ構いませんです、ハイ。特権乱用である。

上海の虹橋空港では、蘇州のオバサンが待っていた。本来なら、運ちゃんだけだったはずだ。彼女、この機会を利用して、久しぶりに上海の友人宅で美味な食事を取ることにしていた。市内ど真ん中の高級マンションでテーブルを囲んだのは、五十近いというのに肢体完備、美しき肌つやの主と若きご亭主、仕事に追われながら駆けつけ一杯、白いご飯をほおばっていった四十過ぎで、香港で色違いのベントレーを四台購入、アルマーニの服を棚の端から端まで持って行ったという方。そして我々二人の計五人。

ここの主の素性は聞かなかったが、部屋のあちこちに、有名人と一緒に写った写真が所狭しと目についた。コン・リー、チャン・ツーイー、トニー・レオン、ジャッキー・チェンなどなど・・・。蘇州のオバサンが語ってくれた。部屋の主を除いて、集まった人間はみな四十から四十五歳、八十年代の解放政策と共に時代を歩いてきた人たちだという。そして「時代」が我々に特別な機会を与えてくれた。その結果、多くの富裕層がこの世代に生まれたというのだ。

このお宅に出向く前、時間に余裕があったので、新天地の再開発地区に入ってきた。古い、上海形式の住居を利用したショッピングモールである。四年前にも来たことがあったが、今では質のいいお店と洒落たデザインとで、上海の観光名所になっていた。開発当初、テナントは僅か二軒、今では店を手に入れることも難しいという。小綺麗な洒落たホテルも完成し、予約は一年以上先まで埋まっているらしい。

上海中心地にあって、新天地を取り巻くマンションにしろ、店にしろ、何年前はいくらだったものが、今では十倍以上する物件だらけだと、蘇州のオバサンが語ってくれた。投機的な面も大きいが、だからといって、土地の下落もなく(土地は借地権という中国の事情がある)、人口の流入は止まることなく、外地(上海以外の場所)の金持ちはビジネスチャンスが転がっている上海を目指してやってくるし、高級物件を言い値で購入しているし、あと十年はこの状態が続くこと間違いないと話してくれた。

絶対旨いといわれた割には、甘口の料理が多く、わたしには一寸という感想を述べて蘇州に向かった。蘇州まで一時間あまり、車中でも、彼女はいっときといえども携帯をおくことがなかった。ビジネスチャンスを逃すことはないのだ。その横顔を見ながら、四年前に初めてあった彼女、てきぱきと段取りを組み、いうことはいう、非常に魅力的だった事を思い浮かべていたが、四十をすぎ、一寸顔の肉が落ち、目がくぼみ、いささか期待から遠くなっていた。

[ 写真: 翌日第一目的の蘇州博物館を訪れた。外観の使われた花崗岩は気にくわない。表情が硬く、蘇州という場所に合っていない気がした。北京の香山飯店のように、厚い瓦を加工したもののほうが合っていると感じた。ところが、あとで知ったのだが、現在の香山飯店、白い外壁を、瓦の粉末が雨で流れ出し汚していた。これで花崗岩を使ったわけが解った。 ]

Wednesday, September 5, 2007

[廈門・454天] 空白

確か昨年もそうだったような気がする。一ヶ月全くblog更新をしなかったことが。今回の理由はいろいろあるものの、決定的な言い訳にはならないことばかりだ。blogも、中断が長引くと、それなりによしとしたりしてしまう。しかし拙いわたしの文章を読んでいてくれる人もいる。そんな方からメールが届いた。”・・・どーしている?と思う人はそれなりに存在している・・・”のだよと、心配していただき、切っ掛けをもらったので、改めて続けてみることにした。

・言い訳その壱・・・確かにひと月以上前、激しい咳を伴った風邪を引いた。これが意外と長引き、実は今でも喉が痛む。咳はすでに引いたものの、いい気分ではない。一寸空調が効きすぎる場所に長くいると喉が痛んでくる。腫れているのだ。みな医者にいけという。医者の息子である。自分の体ぐらい自分で解るとうそぶいている。

・言い訳その弐・・・暑さのせいだ。昨年は何とか乗り切れたのが、今年はいささか事情が違う。帰宅して食事を取るとすぐに横になることが多い。そのまま真夜中まで眠りこけることも少なくない。体温調整がうまくいかなくなっているのだろう。年のせいだ。食欲はあるものの、何かに集中しようという気力も衰えている。これは会社の仕事のやり方が原因だ。

・言い訳その参・・・会社の組織替えが一方通行で進められていた。筋の通る展開なら納得するものの、会社内での覇権争いみたいなものだったりするから疲れる。特に中国語を母国語としないわたしは、それだけの理由で、紙風船のようにあちこちたらい回しされた。いっとき、ボスの命令だろう、仕事上で誰もわたしを捜さないときがあった。結局、わたしでなければできないことが多すぎ、また声がかかるようになった。疲れるのだ。

・言い訳その四・・・実にこの会社は面白い。脇から見ている時間が他の人間より多いので、なおさらおもしろさがよく見える。同じ仕事をする部門が二つ存在している。一つのジョブを二部門が手をつける。お互いを牽制させるつもりらしい。その分物事の決定も二重手間になる。そのくせ、金にセコい。時間の無駄、金の無駄、結局あれやこれや出ていくお金は同じなのだ。嫌気がさす。だから疲れたのだ。

・言い訳その五・・・人事異動が頻繁に行われる。それに伴い、権謀術策が始まる。わたしなぞ、ひとのいい人間は簡単にこの餌食にされる。”・・・あいつはわたしが辞めれば一緒に辞める。日本に帰って会社を再開するそうだ・・・”なぞいうひとがあれば、できるわたしを絡めて辞職を避けようとするものもいる。”・・・彼が不十分な中国語を、わたしが補って、二人組んで仕事を進めるのはどうであろうか・・・”。

そんないやなところなら辞めろって。声が聞こえてきそうです。わたしがそこまで踏み切れない最大の理由は、廈門があまりにもすばらしいから。生活環境として、今のわたしに最も合っておるのです。わたし自身も厄介なのだ。

[ 写真: ということで、気晴らしに蘇州まで出かけていた。四年前、ここで仕事をしたとき厄介をかけたオバサンが、いろいろ段取りしてくれ、最高の週末を過ごしてきた。詳細は後日。写真は蘇州博物館を設計したI.M.Peiさんが、博物館の敷地内にご自分で宋時代の庵を自分なりに解釈して建てたもの。 ]