Saturday, June 30, 2007

[廈門・387天] internet live

どんどん日にちが過ぎ去っていく。何故これほど早いのか。私には死期が早まっているとしか感じられない。すでに今日は六月最後の日。そしてF1フランス予選の日。中国はF1上海開催国である。F1サーカスはテレビで見れるだろうと期待していたが、いくらチャンネルを探し歩いても見つけることができないでいる。周りでF1を知っている人間もいない。探しようがない。

実はインターネット上にF1文字実況のウェッブがあるのだ。レース内容が秒刻みで書き込まれていく。勿論中文なので、西洋人の名前も中文、なかなか分かりにくい。それでもライブだ。順位がくるくると変わっていくのが手に取るように分かる。無料であるし、いち早く結果を知りたい、私のような人間には好まれていることだろう。

こちら中国に来て、インターネットがエンターテイメントに使われているのに実に驚かされる。例えば、アップルストアからお金を出してポップスをダウンロードしなくても、あるウェッブで、あるソフトを突っ込めば聞くだけでなく電脳に納めることができる。かなりの映画がダウンロードできる。それも外国ものは中文の字幕までついている。韓国の連続ドラマだって見ることができる。これらがどんな仕組みで可能なのかは問わないことにする。

会社で私の席は一番後ろ。他の人たちが電脳に向かっている様子が一目で分かる。彼ら、仕事の手が空くと、まずチャット。更に時間があると、小説を読むか、ヘッドフォンを耳に音楽か映画鑑賞、実に有益な一日を過ごしている。

若き妊婦は仕事をしたがっている。それでもチャットや小説を読んだりしている。ある時、彼女の元に行くと、涙を流している。どうした?!と聞くと、小説を読んで泣いたらしい。インターネットは感性までも豊かにしてくれる。不思議なメディアである。

[ 写真: F1フランス予選の最終シーン。久しぶりにフェラーリがポールポジションを取った場面。続いてハミルトン、ライコネンと続く。どれが誰の名前か、推測してみるのも暇つぶしにはいい。 ]

Friday, June 29, 2007

[廈門・386天] 道に迷う

道に迷う。いろいろな意味で使われている。恋の道、悪の道、人生の道、そして単純に道に迷う。今回のお話しは、単純に道に迷って酩酊した話しであります。

先週末、会食の誘いがあり、電話で店の場所を伝えてきた。湖濱南路と湖濱中路近くの深海魚を食わせる店だ、と。了解、では何時にそこに行きますです。しばらくしてまた電話。路を伝え間違いましたです、正しくは湖濱中路ではなく湖濱東路であるのです。はいはい分かりましたです、と答えた。

時間に遅れず、正確に店に着く、誉れ高き日本人の良き見本とばかりに出かけた。タクシーを拾い行き先を告げる。運ちゃんが聞き返した。東路?中路?。私ここで不安に駆られた。発音が正確でなく、「東」と「中」とを聞き間違えられている。中路であります、運ちゃん、ハイヨ。週末ながら路は空いており、約束の時間はるか前に交差点について下車した。

ん?いくら探しても目当ての店が見当たらない。時間がどんどん過ぎていく。店に着いたらしい友人から電話が入る。一寸まって、店が見当たらない。中路のどこそこだよね、と答えると、アホ東路だ!。はいよはいよ、まもなくつきますですよ。歩き始めたものの、なかなか東路までいきつかない。店では私以外の方々がすでに揃っているらしい。麗江の若造から電話が入る。どこにいるの?わたし、何々ホテルの前。何考えてんの、まだまだ先でありんすよ、歩いては夜が明けてしまうですよ。

廈門市は島にある。小さな島である。地図を見ても、端から端まで簡単にいけそうな気がする。だからといって歩いたこともなければ、車で端まで行ったこともない。先入観が道を間違えさせた。道に迷ったのだ。夜とはいえ、真夏の廈門。歩くほどに汗がしたたる。タクシーをつかまえるほどの距離ではないと、思えば思うほど歩いてしまう。更に汗がわき出る。

結局、店に着いたのは五十分遅れ。みなに詫びを入れる代わりに、駆けつけ三杯、それもビールに白酒を注いで一気飲みした。知らなかったが、ビールと白酒は相性がいい。口当たりがいい。旨い。実際旨かった。一気に酔いが回ってしまった。

あまりにもミックスビールが旨かった。いい気分で食後にみなで珈琲店に。気が大きくなったついでに、ボスを呼び出そうと提案するも、誰もが尻込みする。ではあたしが・・・と携帯を叩く。ボス、不審そうに聞き返す。「ブリキネコさんか?」、「はい、そうです。ボスの住まいの隣の珈琲店にいます。」、「え?誰とかね?」、「麗江の若造と、誰々と、なにそれと・・・」、一寸間があってから、「かけ直すわ」。

しばーらくして私にではなく、麗江の若造の携帯が鳴った。若造、ボスからと分かると、ホテルの医院の董事長に投げるように渡した。昼間怒鳴られ、ここでまた何を言われるか分からないと思ったのだ。受け取った董事長、女性である。ボスは彼女には優しい。彼女、楽しそうにボスに嘘八百を並べ上げて話している・・・

私はかつて電話魔と言われていたことがある。酔うと電話をしまくる。丹下健三さんのお弟子さんの家で酒を飲んでいた。悪い癖が出た。何人かに電話しまくった後、「丹下さんを呼び出そう!」。お弟子さん、「そそそれだけは辞めとけ!」

[ 写真: マンションからは、旧市街、老街が見渡せる。老街の中は細く曲がりくねった路。ここも道に迷う。 ]

Thursday, June 28, 2007

[廈門・385天] 嫉妬(吃醋)

嫉妬( 吃醋 chi1cu4 )とはかくも激しいものなのか。自制心がない、周りが見えない、一途に嫉妬する。ある種の狂気としか考えられない。端から見ているとただただ驚かされるばかりである。昨年元ボスとの関係を亭主に疑われた彼女に、またまたこの問題が起こってしまった。

昨夜、家について食事の準備をしていると、身辺整理がついたのか、身軽になったらしい元秘書からSMSが入った。「今晩の食事は何ですかぁ?」、「辛白菜麺」、「私も食べたいです」、あたし「早う来い!」。麺は彼女が作ることになった。足りない食材を、近くのスーパーに買いに行くかと玄関口に立ったとき、彼女の電話が鳴った。相手は大声で、泣きながら叫んでいるのが、私にまで聞こえてくる。

この電話の先には、元ボスとの関係を亭主に疑われた女性がいる。元秘書が必死に対応している。どこか外にいる様子。居場所を一生懸命聞き出そうとしている。元秘書、彼女を捜しに出かけることになった。駆け出す前、簡単に話をしてくれた。亭主が女房の携帯のログから、上司の経理の名を探り出した。亭主はこの経理を疑ってかかったらしい。その後、亭主は、毎日のように女房の仕事場、ホテルロビー脇に何時間も車を止めて中を覗いていたという。

今日、亭主が切れたらしい。女房に問いつめたようだ。身に覚えのない彼女、再三の問いつめに家を飛び出した。元秘書には、「・・・あたし死ぬからママによろしく伝えてくれ・・・」と言ったそうだ。元秘書も必死だ。走り出すように出かけていった。私も心配だ。昨年は私が女房に付きそって家にまで出かけたのだ。今回は元秘書がその役割を担うことになった。

夜遅く、元秘書に連絡を入れるもずーっと話し中。心配は募るばかりだ。しばらくしてSMSが入る。「何もないから安心して。今日は彼女の家に泊まる。詳細は明日」。とりあえず一安心したものの、なかなか寝付くことができなかった。

それにしても亭主の嫉妬心は激しい。それに周りが調整に乗り出しても、亭主は女房に話すのとは違う答えをする。調停のしようもないのだ。昨年と同じだ。女房も辛いだろうと、昨年、あたしが調整に付き添ったとき購入した居間のジャスミンを見やった。青い葉が出そろい、なんとか元気を取り戻していたジャスミン、この後どうなるのだろうか。

[ 写真: 主寝室からの眺め。超高層マンションからはみな内海が見渡せる。 ]

Wednesday, June 27, 2007

[廈門・384天] 日本語学校に遊ぶ

スカイプの友の一人、日本語が達者な廈門にお住まいの方からあるお誘いがあった。週末は何をされていますか?の問いに、暇していますと答えると、私の塾で日本語のコーナーがあるという。彼女の日本語の先生が催しているという。おしゃべりするだけでいいので参加してみませんかとのこと。わたし、時間がとれればゼヒと答えた。

是非と答えたのには一つの思惑があった。例の珈琲店の一人の若い子、彼女、高校卒業後、日本語の専門学校に通ったという。しかしいい加減に授業にでていたので、ちゃんと話せない。使える日本語を勉強したいと。じゃうちに来て料理作ってくれる?会話はみんな日本語で、といったものの、彼女、一度も顔を出したことがなかった。その彼女に連絡を入れてみた。彼女、大喜び。日曜の早朝、一緒に塾に行ってみることにした。

塾はある小区のマンションの一室。といっても広い。教室は三つ。ここの一室にスカイプの友、日本人の経営者、若い先生、それにあたし。生徒は十人を超えていた。日本人が経営する石材の貿易会社に勤める子は、さすが日本語は達者だった。石材の多くは、日本に送られるのだ。ボスは中国語が話せるのか?と聞いてみる。一人はほとんど駄目と、一人は実に達者だと。ボスは共に若く大阪の人間だという。

スカイプの友は韓国系中国人、いわゆる華僑である。十八まで韓国に住んでいた。韓国語は勿論、日本語も全く問題なく話し、字が書ける、それも上手にだ。日本語は、日本語を学ぶにはここしかないという大学でみっちり学んできた。卒業後も日本語を話す機会を探したようで、今では通訳をしているという。

ここで私は先生のかわりをしてきた。若い男女と、あの話しこの話と、教科書にない題目を探してみた。なかに一人十代の女の子、北朝鮮生まれ。彼女は私に質問する。「朝鮮や中国は日本の植民地だったのですか?」。この話は厄介だ。しかし誤魔化すわけにはいかない。私の知っている歴史の知識で答えるより他になかった。

ところで、私と同行した珈琲店の若い女性はというと、なにやら若き男生徒と話が盛り上がっている。それも二人とも日本語での会話である。彼女を連れ出したのは一応成功だったと言えそうだ。

日曜日を日本語学校で遊んできた。それなりに面白い体験であった。

(注:高校、大学に第二外国語があると、それは英語か日本語だそうだ。えっ日本語?と聞き返すと、東北地方には多いらしい。しらなんだ。)

[ 写真: 早朝のテラス。超高層ビルの合間、日の出と共に霧が立ちこめ、虹が浮かんでいるのを目にした。 ]

Tuesday, June 26, 2007

[廈門・383天] 昔なじみの誘いとは・・・

会社から帰りのバス、携帯が鳴った。元秘書、元中文老師、昔の仲間からだ。なんのことかと思いきや、夕食を共にしようという。あれま奇っ怪なことだ。まあ久しぶりだし、もともと今日は若き妊婦の妊婦服購入に付き合う予定が、一人午前中に出かけ、買い物をしてきてしまったことでもあり、夕飯の相手がいなくなったので、まあいいかと返事した。

家の近くの四川料理店で、大きな鍋を二人で囲んだ。彼女の誘いは会員権の購入のすすめだった。仕事をロクにせず、あっちに移り、こっちに戻りしていた彼女、最終的にホテルが予定しているクラブの管理部門に居座ることになった。そこでの最初の仕事が、このクラブの会員募集。会員になれば、あれが優待、これが割引と、パンフを片手に話をする。

一人勧誘すると、300元手にする。彼女持ち前の魅力を表に出せば、十人そこらはすぐに集められるだろう。簡単に三千元は懐にはいることになる。金に敏い彼女、誰それはどうだろう、彼それは入ってくれるよね、と聞いてくる。さて結果はどうかこちらも楽しみだ。

勧誘だから彼女のおごりと思いきや、結局食事代は私が払うことになった。では、とこちらも彼女の手助け話を持ちかけた。馴染みの珈琲店で働いている若い女性が職を探している、一寸ホテルの話をしてあげられないだろうかと。いいよというので、珈琲店に出かける。

珈琲店の彼女も人当たりが良い。人当たりの良い二人、会話はスムーズ、ホテルの待遇やら、宿舎やら、食事や手当やらと、とんとんと話は進み、最後は我が昔の秘書が上司に話をしてみるというところまで行った。この話もどう転ぶか私も楽しみだ。

[ 写真: 元秘書兼元中国語教師兼昔の仲間。こんな調子で仕事をされては困るのだ。 ]

Monday, June 25, 2007

[廈門・382天] うるさいのだ!

日本人が海外で仕事をする際にぶつかる問題、ルールが余りにも違いすぎること。考えられないような出来事にぶつかったりする。あたし、長年台湾の仕事で慣れていると思っていたら、まあ出てくるわ出てくるわ、うるさいことが。

まず、幹部のほとんどは台湾人、彼らはここで成果を上げ、どうだ、と言いたいのだろう。他人の按配なぞいっさいおかまいなし。ボスが締め付ければ締め付けるほど、目尻が跳ね上がり、結果主義に走る。ますます全体をみなくなるから、ますます締め付けられる。そんな体制だから、去った総経理、「ボスだけみていればいい」と公言していた。

今日、麗江の若造、私にこれこれのことを処理してほしいという。いいだろう、しかし私の要求は多く多岐にわたるぞ、と脅すも、あたしゃ分からないから言っているのだと、自分の力不足を人に押しつけようとする。いいだろう、やってやろうじゃないか、と今度は本土の人間にあれこれ話を持って行くと、話はいつまでたっても本題にいきつかない。いつまでたっても周りを回り続けている。

この話は誰それでなければ分からない、あの話はどこそこに持って行かなければ分からない、我々は業主であり、彼らに要求すればいいのだ、という。何故これほどスタッフが揃っていながら我々で対処できないのか、と聞く。ジェネラリストが存在しない悲しさ、みなスペシャリストであり、他のことには耳も貸さない。

一番厄介なのは、みな、口で仕事をすること。絵は描かない、数字は出さない、文章にサインはしない、つまり後々まで証拠が残ることはできるだけ避ける。いつまでたっても結論が出ないのは当たり前なのだ。

しかし彼らの口の達者なこと、私はうんざりする。ただただうるさいのだ。まったくもって彼らは五月蠅いのだ。

[ 写真: 夏なのだ。入道雲がわき出る季節だ。連日三十度を超える。かなりバテる。時に夕食を終えると、バタッとベッドに横になり、気がつくと明け方だったりする。 ]

Sunday, June 24, 2007

[廈門・381天] 粽子

ここ廈門に来てからというもの、季節感が希薄になった。四季が気にならない。四季がはっきりしない。冬という気配が薄い。かつて、千葉は勝間で、夏はうだり、冬は指先に息をかけていたことが懐かしい。なにしろ北回帰線に近い。廈門より南へ、広東省汕頭市の北部が北回帰線にあたる。亜熱帯なのだ。

それでも先週の火曜日、こちらは端午節。農暦の五月五日、こどもの日だ。若き妊婦が、「ママがつくった粽よ」と、手作り粽をくれた。粽子 ( zhong1 zi ) と呼ぶ。肉汁のしっかり染みこんだ、味の濃いつくりだった。別の女性、北の遠い遠い町の出の女性、彼女の手作り粽は白いもち米のまま、なかに甘い果実。広く大きい中国、味も様々。それぞれ美味しくいただいた。

雨期は去ったようだ。誰かが教えてくれた。端午節から夏だと。本社ビルの回廊から空を見上げれば入道雲。窓際のあたしの席は、ガラス越しに熱気が伝わってくる。おかげですぐ眠くなる。連日の三十度越え、寝苦しい。仕方なく空調を入れる。部屋のドアというドアを開け放し、居間の空調機一台、全開である。季節が移ったのだ。

そういえば、旧友のシンさん、横浜は山の手の瀟洒な画廊で個展を開いていたはずだ。今日は最終日、ご紹介するのがおくれてしまった。遠い日本から届いたDMには、「・・・今回、HANAと題して、たぶんこういう絵描きは一人もいないだろうという構成で展示する。貴君にも見てもらいたいが、今は無理そうなので、DM でも見て下さい。・・・」、と。

[ 写真: 粽は蒸して喰らう。鍋に水を溜め、浮かした皿に粽を載せ、十分ほど蒸す。いい匂いが厨房に漂う。包んだ竹の葉をほぐし、肉汁で色づいたもち米を箸で崩すと、なかには柔らかな豚肉が。 ]

Friday, June 22, 2007

[廈門・379天] 彼得・潘 綜合症

先ほど帰宅した。遅くまで、コーヒーショップで仲間たちとあれこれ激論を交わして戻ってきたところだ。おかげでblog更新が翌日になってしまった。

大昔の写真がいま手元にある。まな娘が日本の私のデスクを整理していてでてきた写真だ。「パパの手元にあった方がいい・・・」といって送ってきた。結婚前の連れ合いの写真も同封、「若いときのママはすごーく綺麗だった。パパが苦労させたんだろうな、あたしの知っているママは老けていたョ・・・」、と私を諭す一言も忘れていなかった。

小さなアルバムのなかに白黒の一枚。私だ。二十五歳前後だろう。この一枚、原宿・表参道、いまは無き古き同潤会アパートから友人が撮影したもの。細身のズボン、長めの髪の毛、むき出しのまま抱えた書籍と、当時最新だったソニーのボイスレコーダー。レコーダーには、確か、藤純子主演の「緋牡丹博徒」映画館実録テープのはず。

中国は廈門、この写真を見ている私と、写真の私とは四十年という歳月の差がある。すごい数字だ。ただし、当の本人に、そんな自覚はない。自覚がないのも困ったものである。精神的に成長がない。彼得・潘綜合症(ピーターパン・シンドローム)といわれても仕方がない。

若き妊婦はいう、「娘さんを呼んで日本料理店を開きなさいよ。絶対儲かるから」。儲かるといわれても、金が入ると思う前に、面倒くさいと考えてしまう。このところ、社内で株を買う連中が増えているという。確かに儲かる可能性は高い。オリンピック、万博と続くこの三年、株は上昇し続けるに違いない。同時に「元」が強くなるだろう。元を貯め込むのも悪くない。どれも話は面白いものの、手がける気持ちにはなれないでいる。

[ 写真: 自分でいうのも変だが、いい雰囲気がでている写真だ。社内の一人の女性、「冬のソナタ」の学生服姿のペ・ヨンジュに雰囲気が似ているという。屈折した気分が似ているかもしれない。しかし、ドラマでは、成人した彼は気持ち悪かったなー。 ]

Thursday, June 21, 2007

[廈門・378天] それにしても打たれ強いヤツだ

サンドバッグ状態、麗江の若造がそれだ。ボスから罵られないよう、細心の準備で資料をつくり、日報週報を怠らず、話は正直に。それにもかかわらず、ひたすらボスのサンドバッグになっている。何故なのか、彼にも我々にも解らない。

これはボスの秘書からの話。先日、若造が廈門にやってきた。秘書嬢が部屋にはいると、ボスが若造に向かって、「オマエの知能指数は小学生以下だ!」、「オマエはアホか!」等々サンドバッグ状態だったそうだ。知能指数は、小学生だろうが大人だろうが関係ないのである。ボスもボスだ。

若造、廈門にやってきてはボスにバカにされ、罵られ、サインももらえずじまい。週末のいっとき、カミさんと子供が待っている台湾へ帰りますとボスに報告するも、ただ一言、「何様のつもりだ!」。結局、口ごもりながらブツブツと悪態をついているのだろう、ボスの部屋を出ると、電話先の部下に当たり散らしている。それでも懲りずに廈門にやってくる。辞める辞めるといいながら、全く辞める気配もない。

彼はサンドバッグである。打たれ強いのだ。一歩外に出るとすぐに電話をかけまくる。携帯の住所録にため込んでいる女性に、片っ端から電話を入れて食事に誘うも・・・断られている。それでもまた誰彼かまわず電話する。彼の部下が麗江滞在二ヶ月で音を上げ、廈門に戻っていても、彼は体調を崩すことも、ため口が減ることも、食欲が無くなることも、なにもない。ますます元気になる。サンドバッグが爽快らしい。

こんな具合だからか、あるとき、私が彼とskypeでチャットをしていると、ボスの秘書が割り込んできた。「色魔!」に始まり、「シンセンの女とはどうした!」、「麗江の秘書は本当は彼女だろう!」なぞと、いいたいかぎりに書き込まれるのだ。

それだけ麗江の若造はみなから愛されている。

[ 写真: いまや老頭子の偶像となった「夢見るお月様」、河北のスカイプの友、彼女のプロフィルに貼り付けられていたイラスト。 ]

Tuesday, June 19, 2007

[廈門・376天] 「パリ・テキサス」のように

「パリ・テキサス」、だらしない男と女の話。まともに生きることのできない女と男の話。奇才映画監督ヴィム・ヴェンダースの、あたしにいわせれば最高作品。この映画の後半、駄目男が、逃げた女房の働いているテレホンクラブで、とても切ない出逢いをするシーンがある。あたし、テレホンクラブではないが、インターネットのチャットで、一寸切ない、そんな気分を体験した。

別にあたしも彼女も、だらしないわけではない。ごく普通にインターネット上で出逢い、語り、更に語り、冗談を交わし、若い娘さんを「姐さん」、彼女は私を「小弟」と呼ぶようになる。顔も解らず、容姿も解らず、どこの誰だかも定かでない。私は老人ですよと書き込むも、彼女からは半信半疑の返事が返ってくる。

そのうち、私も彼女が本当に女性なのか、若いのか、だんだんと解らなくなってくる。彼女も「小弟、あなた狡猾よ」、と私の問いかけにいらだちを見せたりする。言葉遣いも徐々に変わっていく。冗談を飛ばす私に、彼女、丁寧な受け答えからぶっきらぼうになっていく。感情を表に出すまいとしているかのようだ。

あるとき、松たか子の歌「夢のしずく」を知っているか、歌えるかと聞いてきた。知らない、毛沢東の詩なら唱える、とからかうと、マジになって、では彼のこの詩は知っているか、という。さらにあたしは「老紅衛兵だ」「老知青だ」(昔の知識青年)、だから歌えると続けると、「嘘つき!」と怒ったりする。

チャットを楽しむ普通の若い子が毛沢東について語るのか、興味を持ったあたし、インターネットで彼女の大学を訪れる。確かに学業のいくつかに名前はあった。しかし、だからといってこの学生が彼女だとは確証できない。

その彼女が失業した。明日実家に戻るという。あたしが「じゃ、この後どうやってあなたと連絡を取ったらいいのか」と聞き返す。彼女、携帯にと。すぐに、SMSで、と断りを入れてきた。

あたし、彼女の航跡を探した。インターネット上のいくつかのキーワードを当たるも、思い当たる点にいきつかない。再び元に戻ってあるキーワードを叩くと、あるblogが引っかかった。なかには日本語で書かれた日記、そして「日本鬼子」と題した一文が。廈門で働いている一人の日本人とのやり取りについてだ。

そっと彼女にSMSを入れる。「家に戻りましたか?日本鬼子はあなたが美しい人生を送ることを期待しています」と、彼女のblogから引用した文を送った。「・・・探し当てたのですね・・・」。彼女からの返事だった。

[ 写真: あー「パリ・テキサス」とは縁も所縁もなかった。名前を借りただけでした。写真は”夢見るお月様”との最後のチャット部分。 ]

Monday, June 18, 2007

[廈門・375天] その間会社では・・・

引っ越し騒ぎの間、会社では、元ボスが辞めるやめると周りの人間に話しまくっていた。私には一言も口にしていないのだが、誰も相手にしてくれず、元社員の麗江の若造に、愛人騒動を起こした相手に、運転手に語っているという。またかと、私と老頭子二人、今の給料を確保できる仕事なぞ他に見当たらないはずだ、と耳を貸さなかった。

結局その通り、元の鞘にまたまた戻っていった。男気を常日頃口にしている割には、何ともだらしない話である。あたしには男気なぞないが、それでも、やめると口にしたら必ずやめる。そのくらいの覚悟はある。そんなこんなで嫌気のさしたあたし、席は彼の部門から遠く離れた場所に一人陣取っている。上に人無し下に誰も無し、気軽に過ごしている。

こちらでは中国各地から人がやって来ている。やってきてはまた去っていく。失業という意識が希薄らしい。隣の席にやってきていた副総経理、仕事が決まって一度元の家に戻り、家族を連れてやってくると言っていたものの、二ヶ月たった今、いまだに姿を現さない。気にくわなければそれっきりだ。はっきりしている。

河北のスカイプの友、いい調子で話をしていたら、突然会社を明日辞めると一言。えーと私驚くも、彼女いたって平気で「失業」と答える。マーケッティングの若造の元についた小娘姑、上司の彼が気にくわないとさっさと辞めていった。決断の早いこと。うじうじと辞める辞めないなぞとごねない。気っぷの良さに目を丸くするあたしだが、明日のことを考えているのだろうかと少々心配をしてみたりする。

中国、未だ成長の過程にあるのだろう。いろいろなルールが定まっていない。その分可能性は無限だと感じているのだろう。

[ 写真: 部屋を決めるのに関係した人たち。左から私の仲介人、その右が会社の同僚の若き妊婦、その右に大家の仲介人、そして大家。まあみな派手に着飾っている。 ]

Sunday, June 17, 2007

[廈門・374天] 部屋探し最終記-II

気がつけば、新しい部屋に移って一週間、何かと月日の過ぎるのが早いこと。blog更新もママならず、忙しかったのもその一因、引っ越し疲れも一因、風邪で背中が洗濯板のようになり、二十年近く前も同じようだったか、これではまた外気功が必要か、心配の種が尽きなかった一週間でありました。

先週日曜日の引っ越し、雨の中、ビニール袋が山のよう。何かを買い溜めたわけでもなく、なのになぜか山のような荷物。若き妊婦が様子を身にやってきて、驚くやら呆れるやら。引っ越し屋の手配をしてくれていたので、やってくるのを待つ間、なぜ会社から箱を持ち帰ってこなかったのかと、ブツブツブツブツ口うるさく罵られる。最後には、ビニール袋を裂き、ひも状によじり始め、小分けの荷物を纏めかかったものの、彼女、あきらめてしまった。

引っ越し屋も、荷物の山を見て、話が違う、これでは値上げしてもらいまっせ、と念仏のように唱えている。傍らで若き妊婦、80元よ80元、それ以上あげては駄目よとささやいている。まあなんとか幌付き軽トラック一杯に詰め込み、私は助手席、新居へと向かった。軽トラで十分ほど、地下駐車場から荷物用エレベーターへ。一度で片が付かず、二度。引っ越し屋に、幾らほしいのか言ってみ、というと指一本立てた。わたし、OK,100元を手渡す。

部屋には、大家と大家の連れと、昔の秘書兼中国語の先生が。大家に三ヶ月分の家賃を手渡し、それでは食事でもいかがと、年の頃始終前後の大家に連れられて、一寸遅い昼食をご馳走になった。これでもまだ一仕事が残っている。元の部屋の大家に鍵を返し、管理費を精算しなければならない。昔の秘書に同行してもらう。金のことに無頓着だったため、管理費を支払った証書が見当たらない。おかげで、管理室の女にさんざん誤魔化されてしまう。二重に支払わされたわけだ。ばかばかしい。

疲れて、荷物の山の部屋に戻り、昔の秘書があれこれかたづける脇で、放心したような私。一応目処が立ったところで、昔の三人組、運転手を呼び出す。すぐ目の前の老街の一角に住んでいる。三人が揃ったのは何ヶ月ぶりのことだろう。半年ぶりかもしれない。あのころが懐かしい。子供連れできた運転手と四人、夕食をしに近くに出かけた。ものの、私は食も進まず、みなが楽しげに食している様をボッと眺めていた。

[ 写真: 小さくこじんまりとした居間。独りで住むには十分というものの、前の部屋が広く、家具も選ばれたものだったし、色具合も申し分なかった。それになんと言っても新しい住まいは雑踏のなかにある。慣れるのに時間がかかりそうだ。 ]

Wednesday, June 6, 2007

[廈門・36X日] 部屋探し最終記

えーと、今日は6月6日。確か私が廈門に足を踏み入れたのが昨年の6月8日。今年は閏年でないので、一年365日。明日がその365日のはず。どこで計算間違いをしたのか、今日が[廈門・365日]になってしまった。微調整させていただきます。今日は[廈門・36X日]と・・・。ドジですね。年を取りましたか・・・。

ここ三週間、週末は部屋探し。契約の切れる12日まであと一週間、これという部屋が見つからない。先週末の土曜日、今の部屋を仲介したオバサンが、今の部屋と同額だが、二回りは小さいが、落ち着いた、閑静なマンションがあると言ってきた。いつものごとく、若き妊婦に同行してもらう。交渉事は彼女でなければならない。

実にいい部屋である。ご婦人が住まわれていたので、味付けはどうしても女性趣味。それでも上質な設えの家具調度で飾られている。不思議なことに、高級な衣服がハンガーに掛けられたまま、チェストの上には自らの写真。化粧品も並べられている。バーカウンターがあり、後ろの壁には栓の開けられた洋酒の数々。先ほど出かけたママなのではないかと思ってしまった。

若き妊婦は目ざとい。私に耳打ちする。「この人、きっと小老婆(愛人)よ。みてみて・・・」と。目をあちこちこらしている。さすが女性だ。私は気に入った。仲介のオバサンにその旨告げ、いつ転居可能か、契約は、などの手続きを待つことにした。

翌日、仲介のオバサンから電話。大家曰く、ひと月待ってくれ、そのときもう一度話し合いたい、といっていると。小老婆、きっと情夫の記憶を残しておきたいのかもしれない。彼が去ったその日のママ、またいつか戻ってきたとき、お帰りなさいと出迎えたいのかもしれない、など勝手に妄想したりした。残念である。いい部屋なのだ。まあ大事な記憶をかき乱すわけにもいかず、さっぱりとあきらめ、別の物件で、場所は賑やかで、落ち着かないが見晴らしのいい部屋に決めることにした。

先ほど、大家のおばさんと会い、仮契約をし、仲介の、若く、愛くるしく、笑うと目が大きくなる女性、それに若き妊婦三人、甘い物やで仲介料を支払って戻ってきたところだ。いやはや実に疲れたここ数週間である。

[ 写真: 南のテラス、居間からの眺め。低層旧市街で工事が進められている。その後ろに、内海とコロンモス嶋。実に夜景が美しいという。 ]

Sunday, June 3, 2007

[廈門・363日] Skypeの友-II

スカイプでチャット、これが結構面白い。チャットといえば、若者文化の代表みたいにみられているが、語学学習にはうってつけだ。そもそもスカイプは会話を売りに始まった。仕事中に井戸端会議というわけにいかない。そうこうするうちに、いつしかチャットの機能が加えられ、脇でキーボードを打つ姿は、仕事の最中としか見えない。

中国で日本語を勉強している若き女性が、チャットの相手に私を捜し出してくる。暇なときにはできるだけ対応してあげることにしている。日本語の学習、中国語の勉強、双方の目的にかなう。今まで会話だけに集中していた中国語学習、キーボードを叩くこともだんだんと滑らかになってきた。ときに「本来ならこう書きますよ」と修正が加えられる。ときに傍らに辞書を置く。中国語学習の手段として、はじめから使っていたら、かなり進歩していたかもしれない。

河北の女性、私とのチャットにハマッたようだ。スカイプをオンにすると、真っ先に飛び込んでくる。昨日曜日、私は家で作業整理、彼女は日曜出勤。十分にチャットの時間がもてた。彼女は日本語で、私は中国語で、お互いに添削しながらのチャットだ。

そのうち、彼女、私の個人的なことに興味を示し始めた。スカイプのプロフィールには、「男性」、「日本語」、「中国・廈門」、「中国廈門で孤軍奮闘中」と紹介されている。彼女、少しづつ、少しづつ聞き出してくる。「住まいは東京?」、「家族は?」、「どうして奥さんがいないの?」。私は嘘をつかない。決して若くはないことを告げると、明らかに落胆した文章が帰ってきた。期待されても困るので、これで良しとしている。

今度は私の番だ。
「結婚していますか?」
「まだですよー。とっても若いんですから」
「ごめんなさい」、「では、男友達は?」
「いません」、「誰も私のこと好きではないんです」
「エー、そうかなー。あなたと会話しているととても楽しいですよ」
「どうしてみんな、あなたのこと振り向かないのかなー」
なんのことはない、援助交際に誘っているオヤジそのものだ。

・・・廈門での生活は決して退屈しないのだ。

[ 写真: こちらは貫禄十分のお方。6月14日からコンサートが三回にわたって開かれる。文化会館小ホールと紀尾井ホール。もし興味がおありでしたらお出かけください。期待にそむかないできのはず、だと思います。 ]

[廈門・362日] 周りが騒がしい-II

金曜日、部屋の持ち主に電話を入れる。「継続して住むつもり」だというと、いま外地(廈門を出ているという意味)なので後で連絡を入れるという。ものの五分もしないうちに携帯が鳴る。「あそこは値上がりの激しい場所だ。月五千元にしたい」。とうてい払える額ではない。「じゃ別に探しますです」と答え、「あっそっ」で話は終わった。あと十日あまりのうちに新しい部屋を決めなければならない。

で昨日は部屋探し。不動産屋と昼過ぎに部屋見に出かけることにしていた。若き身ごもっている人妻(しつっこいってば!)が同行してくれる。時間前、外は一天俄にかき曇り、ざっと来そう。彼女が降る前に出かけようと電話をかけてきた。

外に出ると、家の前の道路が封鎖されている。市政府建物に通ずるこの道、車の通行を阻止する黄色いテープが街路樹と街路樹に巻き付けられ、人の行き来も煩わしい。さすがに軍服姿は見つけられなかったが、武装警官を乗せた車が辻辻に止まっている。しかし市政府の方向を覗いて見るも、騒がしい様子はない。先日の市政府の声明が功を奏したのか・・・。雨がぽつぽつ着始め、彼女の家まで小走りに向かった。

封鎖された湖濱北路と直行する海岸道路は大渋滞。自宅まで車を運べない連中が、歩道を駐車場がわりにしている。交通整理の警官となにやら言い争っている姿も。雨脚が強まり、彼女の家で時間を潰し、ご亭主と三人して不動産屋へと向かう。運転手は市政府が環境調査を終了する半年後、工事を中止するという話は気休めに過ぎないと話している。周りが騒がしい。

不動産屋のお嬢さんはとても魅力的に見えた。人妻に言わせると、私より胸が小さく痩せていると。笑うと目が大きくなるというとても不思議な女性だった。目を開いて笑うのだ。それとは別に、部屋はどれも家賃が安いものの、私が望む落ち着いて緑の多い環境には今ひとつ。多い車、多い人の姿、多い店舗、でかい建物群、どれもが騒がしかった。短い余生を金を払ってでも安静に暮らすか、それともいざというときのために、百円でも多く金を貯めるべきなのか・・・。

相当に歩き回り二人は疲れた。私も心配だ。一通り見て回り、魅力的なお嬢さんと別れ、一休みしようよと提案すると、人妻実にうれしそうにある店に入った。日本でいえば汁粉屋みたいなところ。なんと彼女、私は(お腹の赤ちゃんと)二人分食べるのだ、といいながら大盛りで三品も注文していた。

[ 写真: 封鎖された道路。実に静かだ。一方新しい住まい探しの場所、車はかくも雑音をはき出しているのかと、今更ながら知らされることになった。 ]

Friday, June 1, 2007

[廈門・361日] 周りが騒がしい

ここに載せた写真、携帯におくられてきたメールのスナップショット。差出人は廈門市人民政府新聞発言人とあった。人民政府がなぜ私の携帯番号を知っていたかは問題でない。人心をコントロールするのに携帯が最も望ましいという現実である。差し迫った時間のなか、個人個人に市政府の対応を伝えなければならない、デモに参加している人間、これからデモに参加しようとしている人間に、いかに効率よく意志を伝えるか、実に心得た対応だ。

なぜこのようなメールが届いたか、内容について語ることはできない。なぜなら、私にとって身近な問題だからだ。廈門で日本語のできる人、スカイプの友とチャットを始めた途端、彼女は知らず知らずのうちに今回の問題を投げかけてきた。私は正直に答えるより他に手だてはなかった。

会社内部、多くの人間がチャットを仕事や友人たちとの井戸端会議に使っている。このネットに、今回の騒動の情報がどんどんと入ってきていた。デモの参加者が二万人を超えたとか、そのさまの写真とか、午後の会合に参加しないかとか・・・。携帯といいチャットといい、ネットが商業主義を超えてこれほど有効に使われているのを間近に見たことがなかった。一寸感動したりしたと同時に危ないとも感じた。

今日は、会社内部も市政府の建物に近い私の家の周りも、一寸騒がしかった。

[ 写真: 私は二つの携帯番号を持っている。通信会社が違う。中国最大手の会社の通信網からこのメールが届いていた。それもSMS(いわゆるショートメッセージ)の送信可能文字数のなか、三回に分けて送っている。写真が小さいので読み取れないかもしれない。それでよしとしてもらいたい。雰囲気だけ感じ取っていただきたい。いずれ詳細はご報告できると思います。ではでは・・・。 ]

[廈門・360日] 彼らは去るのか?

あと一週間足らず、私が廈門にきて一年の歳月を刻むことになる。そしてこの365日の間、嘘のような出来事が目白押しだった。ひと月遅れで加わった台湾人の仲間たち。開発会社の役に立とう、金を貯めよう、何か面白いかもしれない、などなど想いはそれぞれだったろう。我々のが寄り集まれば、できないことは何もない。そうみな考えていたに違いない。しかし結果はどうだったろう・・・。

予想に反し、目論見は見事に覆された。みないろいろ言い訳はあるだろう。権力争い、ひとを蹴落としてはい上がるもの、イジメにイジメが重なって居直った途端に力を発揮しだしたもの。なかでも我々を呼び集めた元ボスと辣腕総経理、最後には罵りあいの末、二人ともこの舞台から去ろうとしている。

昨夜、珍しくボスが宴席を設けた。目的は定かではない。新しくやってきたマーケティングの総監を我々に紹介するためだけではなさそうだった。会社から席を外していた辣腕総経理もこちらにやってきて参加した。

宴席を終え、辣腕総経理の車で帰路につく。いつものコーヒーショップに二人して入って二時間、彼は延々と会社から去る理由を話してくれた。話が本質を突いていたかは定かでない。どこか話さないことにしている部分を、話の合間に感じ取れた。いまだ突然に彼が総経理という職を投げ出したのか分からなかった。

もう一人、元ボスはこのところ、誰彼かまわず六月末に東北地方で仕事をすると言いまくっている。またか・・・と思うも、今回はどうも切羽詰まっている。私には一言も話がない。契約更新したばかりのわたしだ。一緒に同行するべきか、また一から始めるのか、厳冬の東北になじめるのか、思いは複雑である。

[ 写真: この二日間、スカイプ仲間に河北大学の研究生が加わり、暇を見つけてチャットを楽しんでいる。中国語、日本語、英語とマルチリンガルな会話である。 ]