Tuesday, February 27, 2007

[廈門・266日] 思い込み

H.Q.オフィスの庭園、久しぶりに散策してみた。blogネタの写真はないかと目に入ったのが木々の樹幹に塗られた白い色。いつだったか、若き人妻とこの道を歩きながら、この白色の由来について語ったことがある。「・・・ヨーロッパの街灯のない道の並木はみんな白く塗られているんだ。暗いから車が道をそれるのを防止するために・・・」。彼女、素早く返答する。「私知っているんだ、虫が上がってきて木の葉っぱを食べるのを防止するためよ」。一理ある、いやこの答えの方が正しいのかもしれない。

若かりし頃、フランス映画に傾倒した頃、白黒フィルムが描く都会の裏道や田舎のポプラ並木はみな樹幹が白く塗られていた。白いと夜間ヘッドライトに反射して安全なのではないかと勝手に想像したわけだ。千葉の片田舎に移転、納屋の下屋の柱が車の運転にじゃまになる。そこでペンキで白く塗ってみた。しかしヘッドライトに反射するわけでもなく、効果はいまいちだった。虫の防止という実利の方が理にかなっていそうだ。

かくも人の脳みそなぞ当てにならない。想像力を働かしすぎて、物事をよからぬ方向に持って行くなぞいとも簡単に思えてくる。脳みそとは厄介なものである。

[ 写真: つたない記憶であるが、昔、上海の町を夜中に歩いたとき、やはり並木の樹幹は白かったようだ。 ]

Monday, February 26, 2007

[廈門・265日] 仕事の話でもしてみよう

初出勤である。たまには仕事の話でもしてみたい。仕事は小さくても大きくても楽しくならなければやる気も起きない。このやる気を起こさせないのが会社というものらしい。どうもいたたまれないところがある。私を引き抜いたボスは、今やここでやる気があるとは、どうも見受けられない。それ故、私も引くに引けないのだ。

除夕の会食が始まる前、裏ボスから声がかかった。企業集団一番の稼ぎ頭、石油化学会社の本社ビル、といっても平屋建で、ここの地方色、台湾と同列の文化風土をもつ特色を表現した、とても長閑なヘッドクォータビル。このビルの中庭を純日本庭園に作り替えたいという。「どうだろう、誰かいないかい」、「庭師ですよね、必要なのは」、「関東風化ね、関西風化ね」。関東だと大文さんに聞いてみよう、関西は西沢門下生が一人いるな」など頭に思い浮かべながら話をしていた。

今日、西沢門下生に電話をしてみた。伊丹にアトリエをもち、日本風建築に手を出し、西沢文隆さんの晩年、手となり足となった人間だ。さすがに詳しい。なおかつ、西沢さんは中国庭園にも精通していた。彼亡き後、文献を整理し、本をつくりあげている。あとは裏ボスのメンツが立てられるか、いわゆる有名人かどうか。庭師に有名人っているのだろうか聞いてみる。門下生曰く、今や庭師も施工会社と同じに成り下がってしまい、商品を売り込むため、庭に手をかけすぎているらしい。

さっそく昼過ぎに本社ビルを訪れ写真を撮ってきた。先ほどコメント付きで写真をメールに添付した。彼からどんな返事が来るだろうか。どんな資料が送られてくるだろうか、楽しみである。私は日本庭園の設計は門外漢である。それだけに興味も沸いてきた。

[ 写真: 現在の本社ビル中庭。一応日本庭園風の要素は備えているが、散漫としてヘソがない。真四角のビルで方向性に乏しく、廊下を巡りながらの変化にも乏しい。第一ここは亜熱帯地方である。紅葉も落葉もない。さあどう取り組むことになるのか・・・。 ]

Sunday, February 25, 2007

[廈門・264日] 蓄積疲労

正月休みも終わり、今日は仕事始め、のはずであった。目を覚ますと体中がだるい。頭も痛い。年初から休むことにした。この一週間、何もせず、ひたすら体を休めていたのに、これはどういうことだろう。何しろ面倒を見てくれる人間がいるわけではない、自分の体は自分で管理しなければならない。病気にだけはなりたくないのだ。

休暇をただただ寝て過ごしている旨、日本の口悪しき人妻にメールした。彼女曰く、「・・・何もしないでむだに過ごしてると、病気になりますョ!・・・」と返信してきた。今思えば、彼女の呪い、いや暗示が私の体を痛めつけたのかもしれない(・・・冗談です)。

運転手に電話、所用で遅れるので先にと伝える。不審そうな返事。しばらくして会社の若き人妻から連絡が入る。「所用って何?」、「いや風邪で・・・」、「海風に当たったからでしょう」、「どうもそうらしい」。あとは、薬飲んだか、医者に行くか、水をたくさん飲めと早口でまくし立ててきた。うるさいが心配してくれるだけでもありがたい。電話を切ってひたすら眠りについた。しかしよく眠れるものだ・・・。

午後になって体の節々に痛みが出てきた。これは風邪に違いない、体内に熱がこもっているからだろう。厚着をし、布団を二枚かけ、さらに眠った・・・。先ほど体を起こし、腹が減りそうなので、飯の下ごしらえをしたところだ。お粥とほうれん草をさっと炒めたのと、豚肉にセロリにキュウリと筍の炒め物をつくることにした。

この記事をしたためていても目がしばしばする。まだ熱は出きっていないようだ。

[ 写真: 年末に集中して仕事をした疲れが溜まっていたところに、海風に当たったのがいけなかったのかもしれない。フェリーからの眺めはいうことなかったのだが・・・。 ]

Saturday, February 24, 2007

[廈門・263日] 自家製米酒を飲する

夕方、中国語の教師が荷物をたくさん抱えてやってきた。里帰りから戻ってきたのだ。荷物のほとんどが地方名産。旨いものなのか疑問の余地あり、とはいえ気持ちが大切である。ありがたく受け取った。これはというのが自家製の酒、米でつくった酒。ペプシのペットボトルの中は薄い黄色をしていた。これで米酒か?と聞くと、ママがつくったのだという。試飲してみる。少し甘みがある。一寸紹興酒に似ている風味。面白い。

教師に聞く、里帰りはどうだったかと。「没意思 mei3 yi4 si5 どってことなかった」。変わるものである。昨年の国慶節、あれほど帰郷に胸をはずませていた彼女、この度は気が乗らなかったようだ。この半年、毎日のように顔をつきあわせ、彼女の機微を読み取ってきていただけに、この一言は一寸寂しい思いである。家族想い、弟たちが大学卒業まで面倒を見なければならないと常日頃語っていたものの、その重圧からか、別の理由からか、押しつぶされようとしているかのようだ。

里帰りを知らない私には、盆暮れはいつもと変わらない面々と一緒だった。生活の節目というのがなかったような気がする。それだけに、国を離れ、半年に一度、両親との再会というのは重いものがあるはずである。彼女の胸の内は推し量るほかないが、かつてのような天真爛漫さが戻ってきてほしいと、いそいそと帰って行く後ろ姿を見つめた。彼女も大人になりつつあるのだろう。

さあ、今日で春節の休暇は終わりである。あす日曜日には仕事が始まる。不思議な会社、というより不思議な休暇の設定である。

[ 写真: 米酒と地方名産。地瓜片、甘藷芋は懐かしい味だ。 ]

Friday, February 23, 2007

[廈門・262日] フェリーの客

久しぶりの太陽、それだけで気分がいい。この五日間、若き人妻の家に夕食を招待された以外、市場への買い物と隣のタバコ屋に足を運んだだけで、外出らしい外出はなかった。今日こそ外に出なくては・・・

船旅日和である。廈門本島から隣町まで出かけてみることにする。若き人妻に連絡入れるも、すげなく断られてしまった。で、フェリー乗り場がどこか尋ねると、あなたには判らないところよ、あとで案内してあげる、だと。この天気午後にどう変わるか判らないのだ。逃すわけにはいかない。一人で出かけることにした。

客用フェリー乗り場は旧市街地の出口にある。タクシーを拾い運転手に聞く。埠頭は長く、かついろいろな方面で乗り場が違う。案内に聞く。あっち、とだけ答えた。仕方なくらしき方向へと向かう。路地風の細い道の先に小さな建物。切符売り場のオバサン、「ほらほら急いで、今出るところ」。二元を船内で支払う。客は私を入れて六人ほど、小さな船である。それでも風を切って隣の港へと進んでいった。

ステンレスのか細いベンチに座し、日射しを受け、エンジン音とディーゼル油の臭いを嗅ぎ、ほんの十五分ほどの船旅は終わった。向かいの港は閑散とし、人影少なく、遙か先にニュータウンのスカイラインが見えるだけという長閑さ。港には十数隻の漁船が停泊、採りたての魚を小さなポリバケツで陸揚げし、露店を開こうとしていた。

戻りの便を待つ間、埠頭の漁船、おばちゃんが船尾で肉を捌き始めた。大きな俎板の上、リブ付きの肉をバシバシと叩いている。一時間ほどで船がやってきた。のんびりと海面を眺め都会へと戻った。

帰りのタクシー、携帯が鳴った。若き人妻がこれからフェリーへ案内するという。すでに帰路についていることを伝えて携帯を切った。

[ 写真: 港内は波も立たず凪っている。漁船の船体が美しい。高校時代、よく港に出かけては船のシルエットを画にしたことを思い出した。 ]

Thursday, February 22, 2007

[廈門・261日] 寝正月

「新年快楽!」、といえるかどうか、農暦の正月、全くの寝正月、起きて喰らってクソしてまた寝る、腹が空けばあり合わせのものをまた喰らう。端から見ればまあなんと哀れなと思われるに違いない。しかし当の本人、至極満足していた。安定、安静、安逸。この時間がほしかったのだ。これで天候が優れていたらいうことは何もなかった。曇天と小雨、正月四日間の天気である。

一週間の休暇は、本来いくつかの予定を立てていた。まず一番、田園の農家で正月を迎える。これは除夕に会食会が開かれオジャンになった。二つめは大学の教師と会食、これは明日実行する予定だ。三つ目は里帰りをしなかったルパン四世似の運転手とお茶、いまだに連絡がないところを見ると、ボスが車を使い回しているようだ。

もう一つはフェリーに乗ること、アモイ島は今ではいくつかの橋で本地と結ばれている。ほんの十年前まで、船で行き来していたという。この話を知ったのは会社のバスで帰宅する際、海岸線の風景を眺めながら隣の席の若き人妻に尋ねたことで知った。後日同行してくれるとの話がまだ残っている。船は好きだ。東京下町の川をポンポン船で回ったときも、上海黄浦江の遊覧船に乗ったときも、韓国江原道の裏寂れた漁村で引き舟を曳いたときも、どれもいまだに印象深い。

過年の廈門は閑散としている。正月の東京と似ている。繁華街以外、人通りは少ない。大都会は出稼ぎの場所だ。彼らはみな過年に里帰りする。田舎に活気が戻った一瞬かもしれない。

[ 写真: Google Map から。昨年半ばまで住んでいた、千葉の田園、勝間にある古農家と、その後八ヶ月を過ごした廈門のマンション。 ]

Sunday, February 18, 2007

[廈門・257日] 私の春節

「新年快楽!」。今日はここ中国、というか全地球上の中国人が口にする日、農暦の元旦、新年元旦である。あいにくの空模様、どんよりとして雨も落ちてきそう。このところのもやもやする仕事で疲れ切った脳細胞を休めるため、ひたすら惰眠をむさぼろうとしたものの、朝から携帯にメールがドサドサと入ってくる。すべてが年賀メール。文面はやたらと難しく、解読不能。美辞麗句が並び立てられている。私は私の新年の感想をそっと送り返した。

マンションの13階には三個の住戸がある。そのうちの一つは空屋、昨夜物音がしたので、今朝方見てみると、正月飾りが飾られていた。大家がやってきていたようだ。お隣は賑やかに新年を迎えた。扉が開け放され、中には大勢の人たちが着飾って会話を楽しんでいる。あるじは白いワイシャツにネクタイ姿。客をもてなしている。私は寝間着姿に中国服を纏い、日頃と変わらず部屋の中を行き来する。ただそれだけである。みなそれなりの正月を迎えたことになる。

春節には大勢より集まって賑やかに過ごす。これが慣わし。部屋中を大紅色の飾り物が一面に貼り付けられる。マンション入り口には鈴なりに実った鉢植えのミカンが一対据えられている。至る所大紅、これが田舎あたりだったらさぞかし賑やかに見えたに違いない。中国語の教師が私に問う。「部屋を飾らなければ」、わたし「いらないよ」。帰郷の前日、見るに見かねてか、中国はこうなのだといいたかったのか、私の意図に反し、壁の至る所にコブタが張り巡らされてしまった。先の見えない新年、それでも「新年快楽!」。

[ 写真: 亥年とはいえ、この豚はないだろうというばかりのピンクのコブタ。よくも選び出したものだ。 ]

Saturday, February 17, 2007

[廈門・256日] 除夕

大晦日、今日二月17日が農暦の年越しの日。私がお手伝いしている会社は今日まで仕事をすることになっています。しかし今週の出勤率は日を追うごとに下がっていました。みな帰郷していったのです。今日私の開発部門の出勤者はなんと三人だけであります。ボスの秘書とボスの雑用係と私、仕事が残っていたとはいえ、何か空しいものです。ボスは昼前に消え、ボス秘書が昼に消え、結局わたしも昼飯を喰らって雑用係の車で家に戻りました。その間、電話番は運転手一人だけという有様です。

大晦日、こちらでは「除夕 ( chu2 xi1 ) 」。除夕には仲間が、家族が集まって盛大に会食をする、らしい。そこで開発部門の台湾人関係者全員が自前のホテルで集まって飯を喰らうことになっておりました。面倒くさいもので、かつ影のボスの主催ということで、それでも仕方なく、昼寝のあとの眠そうなまなこで出かけてきたところです。

十八人参加、二人の幹部が帰郷、それ以外全員出席。裏ボスとそのオジサン、この二人は日本語を流暢に話します。思い通りに会話ができ、ああ母国語とは私には意思疎通ができるのかと、反省しきりでありました。それにしても中国人は地縁血縁を大切にするもので、農耕民族の冴えたるものかと、だから農暦が生き残っているのだろうし、などなど旨くもない広東料理を口にしながら思っておりました。

まあこれで今年は終わり、明日から新年、「新年快楽!」でありまして、こちらではまだ年を越してなくても、顔を合わせると、別れ際にも、「新年快楽!」と叫ぶのでありました。

[ 写真: 大紅で飾られたホテルのアトリウム。今年は亥年、そのなかでも滅多にやってこない金猪という年の巡り合わせらしい。金猪というのがいるらしい。お金を持ってくる猪でしょうか、至る所に「金猪」の文字が。 ]

Friday, February 16, 2007

[廈門・255日] 中国服

「情人節」とは縁も所縁もありません。お世話になっているお礼といって、中国語の教師からの贈り物です。うれしいかぎりです。帰郷の段取りの間に購入したようです。中国服。正式になんとよぶのかわかりません。あたしには関係ないと勝手に思っていたのとは大違いで、着心地が実にいい。安物であります。しかしすべすべとし、動きやすく、なにより風情がありました。服は見かけによらないものだと、変に感心した次第です。

早速今日着て出勤。評判は上々。掃除のオバサン、どうみても日本人には見えないと太鼓判。喜んで良いのやら悪いのやら。ひとり「黒は良くない。葬式の服よ!大紅(真っ赤)にしなさい!」と、若き人妻。彼女、私の服のセンスを買ってくれていたのですが、今回は酷評の雨あられでありました。

服とは面白いものだと、今更ながら興味がわいてきました。服を選ぶ、着こなす、これも人格の延長なのだと。若き人妻は実に服装にうるさい。自分には茶系が似合うと知っており、よく似合っている。口うるさく、騒がしく、そのくせ温情があるという不思議な性格を表している。服の他にも靴。こちらの女性は総じてハイヒールが好きであります。それもハイなヒール。Gパンとよく似合っている。靴の先も尖っている。骨格のせいかと勝手に想像、後ろ姿が実にいい。中国語の教師は若いおチビさんですが、ハイヒールを履いただけで大人の女性に変わってしまう。これは人格を変えてしまう例。

私が中国服を身につけるとどう見えるのか、これもまた自分にとって興味深いテーマであります。

[ 写真: 早速服を身に纏いポートレート。いかがなものでしょうか。 ]

Thursday, February 15, 2007

[廈門・253日] 春ー霞

素直なもので、立春を過ぎた途端空気中に湿気が溜まり始めました。この写真、早朝六時、マンションのバルコニーで写したもの。モヤっております。町中がモヤっています。会社に向かう車のなかからの眺めもモヤっているのです。廈門市は小さな島、周りは海であります。そのモヤも、日が昇るとともにその姿は消え去ります。しかし季節とは興味深いものであります。

会社のヘッドクォーターオフィスを取り囲む庭園には小さな池があります。先週半ばだったか、気温が急に上昇した日のこと。朝一番、オフィスの二階から何気なく池を眺めると、庭番のオジサン、池で何かをすくっている。よく見ると、池の鯉、その死骸であります。何匹も何匹もすくっておりました。昼休み、日課の池の端の喫煙。水の緑がやけに濃い。きっと急激な温度上昇で藻が大量に発生したのでしょう、池の鯉は酸欠になったようです。これも春の為す技でしょうか。

あと四日で春節。旧暦の正月であります。今週は歯医者に出かけるにも、出先から戻るのも、タクシーがなかなか捕まらない。道路脇には、大量の荷物を抱えた里帰りの人たちの姿を見ることができる。みなタクシーを待っているのであります。これも春先の光景なのでしょう。

[ 写真: 気温が日々上がり、布団のなかで汗をかくことも。着ているものも一枚一枚はぎ取らなければ。 ]

Wednesday, February 14, 2007

[廈門・252日] 情人節

今日は「情人節」であります。中国語では「バレンタインデー」を「情人節」と呼んでおるのです。では「情人」とはいかなる意味なのか、辞書には「恋人、愛人」とありました。中国中が「情人節」と呼んでおるのですから、「愛人」とはいかなる意味なのか、興味が沸いてきます。

では、この日を「恋人」や「愛人」たちはいかに過ごすかといいますと、世界標準とはいささか異なるのであります。日本においてはめぼしい男性にチョコレートなぞ差し上げ、または義理チョコなぞという、上司に差し上げたりと、いろいろでありましょうが、中国という趣の異なるこの地では、男性が「恋人」や「愛人」に花をさし上げるらしいのです。

先週末のこと、仕事仲間でカフェに行き、その足で花屋に立ち寄ったところ、牡丹の鉢植えが250元、日本円で約四千円という高値でありました。店の女主人、「情人節」が過ぎるまでは割引無しですよ、と念を押されました。この牡丹、同行した人妻にさし上げようと思ったのですが、この価格、断念いたしました。ひと妻もいたく遠慮しておりました。

先ほど日本の口悪しき人妻からバレンタインメールが届きました。いつもでしたら愛娘が義理チョコをちょこっと差し出してくれていたのですが、今年はこのメールだけのようです。

[ 写真: ウェッブ上に紹介されていた「情人節」。色とりどりの花で埋め尽くされておりました。 ]

Saturday, February 10, 2007

[廈門・248日] 緋牡丹

牡丹は中国の国花だそうで、では緋牡丹なのか白牡丹なのかは聞きそびれました。私には緋牡丹は日本女性の一つの典型として記憶にありまして、その昔の話になりますが、「緋牡丹博徒」なぞという藤純子主演の東映ヤクザ映画にいたく心打たれた思いがあるのです。ここに載せた写真は中国製煙草。包装にはソフトパックとハードパックとがあり、ソフトパックの背景は赤、真っ赤であります。ハードパックは白、純白であります。

最近、この煙草に手を出しまして、以前愛煙していた韓国製のスリムでニコチンタールの含有量が少ない煙草は、紙を燃やしているだけでして、煙草とはいえそうにないのです。勝手なものであります。高級住宅地の一角にあるタバコ屋ではなかなか手に入らない。なぜだかわからないが、入荷するとすぐになくなってしまう。ではどんなところで手にはいるかというと、工人、肉体労働者がたむろする街中のタバコ屋なぞでは簡単に見つけることができる。

一度運転手付きの車で、そんな街中にでかけて購入したところ、値段を5角つり上げられた。別の日に、同じ運転手に頼んで同じ店で買ってきてもらったところ、元値でありました。価格とはどうもそういうものらしい。背広姿に黒塗りの車で買い物をすれば、それ相応の値が付いてくることになるのであります。

[ 写真: ソフトパックの「牡丹」。この赤がまたいい。真っ赤なのだ。中国の国旗と同じ色、いわゆる大紅 ( da4 hong2 )とよばれている色なのです。 ]

Thursday, February 8, 2007

[廈門・246日] 会社とはこんなものなのか

我が社の組織替えは一つの方向へ進んだようだ。あたかも衣替えのようにひとが入れ替わりつつある。立春が過ぎて、気温は急上昇、会社内部の人事も熱を帯びている。方向を私なりに分析してみると、元ボス、いや今のボスが招聘した人間は、トップと実権を握った新任の総経理によって葬り去られようとしているかのようだ。招聘された人間の愚痴話を聞く立場にいられる私、つまりプロジェクトを運営しているわけではない私には、圧力はかからない。

とはいえ、私には私なりの問いつめが来ている。どの部門を選択するのか、誰の元で働くのか、何をしたいのか。といわれても、私の部署も地位も決まっているわけで、新任の総経理の息がかかるかかからないかで、会社の人事というのは容易に入れ替われるのか。今のところ、会社には建築士がいない。デザインのできる人間はいない。役割は果たしている。それでも私を消そうとするならば、代わりの人間を捜してからになるだろうし、もう少し時間もかかるに違いない。その間、私なりの考えを元に行動しなければならないかもしれない。

イヤな話である。いや会社とはそういうものなのだろうか、教えてもらいたいものだ。優れた才能を活かすのでなく、潰してしまおうというのだろうか。息のかかった人間だけの組織なぞ、ロクでもないと思うのだが。と、ここまで書き綴って気がついた。元ボスで今ボスもそんな一面を持っている。その下で日々仕込まれた新任の総経理は、今度は彼に替わって元ボスで今ボスを消し去ろうとしている。

舞台は替わったのだ。ホテルの工事現場事務所から、舞台はヘッドクォーターオフィスへと移ったのだ。ここでも私は数少ない観客なのだ。

[ 写真: 愛娘が送ってきた冬の勝間のネココたちの写真。仲良しなのだ。陰湿な人間関係とは縁もゆかりもなのだ。お互い身を寄せ合って暖をとっている。相互扶助なのだ。 ]

Tuesday, February 6, 2007

[廈門・244日] 中国人になりきれるかな?お嬢さん

その昔、台湾で中国語を猛勉強していた頃のこと。街中を歩いていて声をかけられる。このあたりに何々というお店はありますか?そう聞かれてうれしかったことがあった。まずは観光客に見られていないこと。次に外国人には見られなかったこと。返事をしても変な顔つきをされなかったこと。つまりらしい、現地人らしかったこと。

週末、湖畔を散歩していたときのこと。三人の女性が地図を片手にきょろきょろしているのが目についた。中年の方、若いが普通の感じの女性、そしてシックに着こなした美形の女性。その美形が私に近づいてきて地図を差し出し尋ねた。「中山路までいきたいのですが、歩いていけますか?」。わたし、「一寸無理でしょう。ここのバスに乗ればすぐですよ」。彼女、「何番に乗ればいいですか?」。わたし、「いろいろありますよ。運転手に聞けばいい」。そして次は「このあたりで美味しい食事のできる店はありますか?」。「向かいのホテルはどうですか?高ですけど」。「そうなんです、さっき入って驚いてでてきました」。

一通りの説明をして別れようとしたところ、地図のなかの道を指さし、「この通り、なんと発音するのですか?」。わたし、首を横に振ります。これで二人はお互いが外国人とわかったことになる。彼女が中国人ならば、かつ身なりや顔つきからして教養あり、漢字が読めないはずがない。私、「どこから来たの?」。彼女、中年の女性に手をかざし、「この方は日本から来たのです」。オイオイオマエも日本人だろう。留学生かい?しかし発音はしっかりしていた。北の訛りがあることから、北京あたりから知人の親子と一緒に廈門に観光にでも来たのだろう。

中国には百八の方言があるという。だから誰もが発音の不正確さからオマエは外国人かとは聞いてこない。一度タクシーの運ちゃんに「どこの人間?」といわれたことがあった。私の発音が南方系、つまり揚子江の南の訛りがあること。聞いた彼女は北方系、山東省の出身。

中国は広い、一言で括ることはできない。

[ 写真: 湖畔の眺めは中国には見えない。近づいて、脇を彼らが歩いているのに出く遭わさなければ、西洋の近代都市にしか見えない。ここ廈門はやはり特別だ。 ]

Monday, February 5, 2007

[廈門・243日] 帰郷

私には帰郷の経験がありません。生まれも育ちも東京。小学生の頃、夏休みは何とも切ないひと月でした。仲間たちには田舎というものがあって、小川で泳いだり、魚をすくったり、雑木林で遊んだり、お墓で肝試しをしたり・・・。夏休みが終わると何とも羨ましい話を聞かされたものです。私はひたすらキンダーブックという絵本のなかで田舎というものを疑似体験するしか他に手だてはありませんでした。

今振り返ってみると、母方のお婆ちゃんは新潟のド田舎の出だったそうで、父方は茨城の土浦とのこと。夏休みはただただ母親の我が儘で、田舎に出向かなかっただけだったようです。とはいえ、そんな羨望の田園生活を、ここ六年間、千葉の勝間という集落の、半世紀はたっているだろうボロ農家に寝起きしたのは、子供の頃のあこがれを実現させたということになります。ここ廈門の生活がなかったら、今でも畑で夏野菜の仕込みをしていたかもしれません。

中国には三っの長期休暇というのがあります。メーデーの、国慶節の、そして旧正月。なかでも旧正月は特別なようで、旧正月は農暦ですから、農業国の生活習慣から来ているのでしょう、出稼ぎの人たちがみな里に戻る。大移動が始まるわけです。十三億人を抱える中国、十分の一の人たちが移動したとしても、日本人すべてが動きまわることになる勘定です。

交通手段が整備され、高速道路を高速バスが群れをなして移動する。それでも切符を手にするのは難しいようで、我が老師も四苦八苦したらしい。本来、私の会社は二月十八日、つまり春節の日から休みになるところを、彼女、十六日に早々消えることにしました。当日の切符を購入できなかったからです。それでも愛する家族との再会できるという帰郷、私にはなかった帰郷です。もししばらく廈門に滞在することになれば、日本へは帰郷ということになるのでしょうか。

[ 写真: 僅か二時間足らずのバスの切符。74元という金額は彼らには高価に映っている。 ]

Sunday, February 4, 2007

[廈門・242日] 立春かー・・・

廈門市気象台がありまして、天気予報のメールサービスをしているのですが、文面に一工夫されております。ただ単に気象情報を伝えるだけでなく、冬場の今は寒いから食い物は何々を、体が温まりますよとか、寝る前にこれこれを食べるとお腹が痛むとか、一寸おばーチャンの知恵袋みたいなものであります。愛読しております。年間契約30元、日本円で450円程度。

今日の内容。明日は21度にも達するらしい。春の序幕。春日には酸味のものは少なく、甘いものを多くとるように、といっておりました。

立春でありまして、急に21度にも気温が上がるらしい。このところの冷たく強い風を伴った寒気団は退散したらしい。しかし21度にもなると体がいうことを効くのやら。気象台の助言に従い、甘いものでも喰らうとしよう。

正月はじめに購入した蕾だったXXXX(名前を忘れたー、カスミソウだったっけ)に白い花を咲かせ、すぐ水を切り、逆さづりで乾燥させていたのができあがった。ここでの初めてのドライフラワーであります。白は白、緑は緑で鮮やかです。徐々にですが、部屋に鉢植えや切り花が増えてきています。春の序幕であります。

[ 写真: 玄関脇に飾ったドライフラワー。若き人妻の買い物相手、市場にでかけたときに購入したもの。ものの相場をよく心得、値切りの旨い彼女も、花には目がないらしく、私が指し値で買ったものに文句をつけることはなかった。聞くところによると、彼女の家は植木と花で埋まっているらしい。 ]

Saturday, February 3, 2007

[廈門・241日] 節分かー・・・

快晴であります。風は冷たいものの、実に爽快であります。バルコニーにて昼食をとりました。日本の勝間にいれば、庭先のデッキテーブルでネココたちと食事を共にしていたことでしょう。春間近のここ廈門の気候、肌にも気持ちいい。そう、今日は節分だそうで、気がつかないでいたところ、口悪き日本の旧友からメールで知らされました。「・・・日本は暖かいような寒いような、です。今日は節分。もう豚年の新年は始まってるの?・・・」。豚年(猪も豚も同類かー)の始まりは二月十八日、まだですが、空気は新年間近を感じさせています。

私が常日頃、なにかとお世話になっている「暦のページ」によると、

[ 節分とは ] 元来、節分とは「季節を分ける」ことから「節分」です。現在では節分といえば立春の前日だけを指すようになりましたが、季節の始まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の前日はいずれも節分なのです。
現在のように立春の前の節分が特にありがたがられる理由ですが、旧暦の時代では「立春正月」などといい、一年の始まりを立春付近に求めたことから、その前日は年の最後の日という意味合いを持ったと考えられます。このように年を分ける「節分」ということで他の3つの節分より重要な位置を占めたのではないでしょうか(旧暦でも本当は「立春」が必ず正月にあるわけではありませんので、この点はご注意ください)。

季節を分ける、翌日から春、立春ですかー。春めいた話を私も得たいものであります。(バッキ!)

[ 写真: 節分には豆まき、その豆を喰らう。私は福建省西部の農産物豊かな地帯から運ばれた龍岩 ( long2 yan2 ) 産花生 ( hua1 sheng1 落花生 ) を代わりに食べることにします。結構旨いのです。脇に置いておくとついつい手が出てきりがありません。 ]

Friday, February 2, 2007

[廈門・240日] 居候と姉貴の誕生祝い

先週、我が家には居候が二人居ついておりました。小夥子 (xiao3 huo3 zi 若い衆 ) であります。でどんな関係で居ついたかというと、我が中国語教師の弟と同学の輩、大学が春節の休みに入り、里に帰る途中、姉貴の手配でやってきたという次第であります。

さすがに男でありまして、規律にはよく従う。私がいつも彼の姉貴に口うるさく諭し、しつけを教え込もうとしていても、姉貴本人は知らんぷりしていっこうに聞く耳持たない。ところが彼らには、ここのジジは安静を好み、一つことを終えたら片付ける、大声を出さないなどなど彼らに言い聞かせておりました。姉貴、私のいうこと、いちおう耳には届いていたようであります。彼らはちゃんとそれを守っているのです。おかげで余計な心配することなく、四日間、お互い仲良く過ごすことができたのであります。

最後の晩、姉貴の誕生日でありまして、近くのホテルで四人、晩餐会を開きました。バースデーケーキをどうしようかと弟と段取りを考えていたのですが、姉貴の希望、マンション下のパン屋、アンデルセンでケーキを買い、我が家に戻どろうということに。興奮気味の姉貴、二人と組み代わり入れ替わり写真を撮れとうるさく騒がしくしておりました。お互い一年ぶりの再会とのこと、姉貴が家を出るとき、別れがつらいからか、さっさとシャワーを浴びに隠れました。

姉貴はこの弟が可愛くて仕方がないらしい。いつもの面倒見が度を超したのか、ある晩、両親への贈り物を会に出たものの、弟不機嫌そうにして戻ってきました。姉貴が好みでない衣服をさかんに勧める、イヤだというのにしつっこく勧める。で、口数が少なくなったようであります。微笑ましいかぎりで、家族兄弟の仲良き姿を目にした次第であります。良きひとときでありました。

[ 写真: ケーキの蝋燭に火をともした瞬間。なにしろ23本いっぺんに灯しましたからハレーションを起こしております。左が弟。姉貴よりいい顔をしております。 ]

Thursday, February 1, 2007

[廈門・239日] こちらは今が忘年会

あいやー、またまたblog更新の間隔が空いてしまいました。今回は仕事仕事に精を出し、疲れてもどって更新もままならなかったというところであります。この間、会社の内紛は一つの方向へと固まりつつあります。我が元ボスでかつ今ボスは零落の一途へと。彼がこの半年間育て上げた一人の男に足踏みされるまでになってしまいました。

話は変わりまして、こちらの新年は旧正月、つまり農暦の春節なのであります。今年は二月十八日、まだ先のことかと思っていてはいけない、みなこの日に向かって行動を起こしているのであります。出稼ぎ天国の中国でありますから、帰郷という大きな目的があるのです。帰郷には錦を飾りたい。そこで町中が買い物天国となっているのです。着飾り、美容院に行き、あめ玉のおみやげを山のように買い込み、両親や弟妹へ衣服を買いそろえる、らしいのです。今日現場のお嬢さんは、タイムカードをかざしたあと、そそくさと買い物天国へと向かってしまったそうで、昼食時まで戻らなかったらしい。我が中国語の教師はそう申しておりました。

一方、仕事場はというと、やはり忘年会で盛り上がっております。私がご厄介になっているところは企業集団、自前のホテルのアトリウムにテーブルがわんさか並べられ、真っ赤なテーブルクロスに、真っ赤な舞台が設えられ、各企業からえり抜きの演技者が登場し、盛大な慰労会が開かれました。私め、この演台に上がりましたのです。事務課長のたっての願い、かつて私めの延長ビザをこともなげに処理してくれた人、借りがありました。仕方なく引き受け、バックに急ごしらえの演技をつけ、日本の国花を歌にした「さくら」を日本語で熱唱いたしましたのであります。

よくもまあとお思いでしょうが、これでも一応昼休みに庭園の片隅で発声練習をし、舞台下で、舞台で、リハーサルをいたしまして、事なきを得た次第です。

[ 写真: 独唱のあと、手拍子を求めたのですが、目の前の食い物に箸を向ける方々が多く、残念なことに盛り上がりには一つ欠けましたです。 ]