Thursday, January 11, 2007

[廈門・218日] 歯医者を訪れる

ここ中国で何に困るかというと病気。独り暮らし、いざというときに面倒を見てもらえる当てがない。お金を貯めて、面倒見のいいお手伝いさんでも見つけなければ困ることも多いだろう。まだ病気らしい病気をしたことのないのがなによりだ。せいぜい風邪を何度かひいたぐらいである。それでも風邪から他の病気を誘発しないとはいえないから気をつけることひとしおである。

元々歯の手入れの悪い私、廈門に来る前、行きつけの歯医者で徹底的に手を入れておいた。昨年十一月に帰国する際も、あらかじめこちらから連絡を入れ、ここはどうなっている、あそこが少しおかしい、なぞ話をし、帰国と同時に駆けつけた。といってもほとんど手を入れることなく終わってしまった。不安この上ない。どうもどうあがいてもなるようにしかならないということのようだ。この不安は見事的中、前歯がいかれてきた。正月の宴会に出たアワビがきっと原因だろう。噛み切るのに無理をしたのかもしれない。

会社に行政課という部門がある。なんでも面倒みます課である。この課長、先だってのオーバーステーをものの見事処理してくれた人間である。彼に日本語のできる歯科医を探してほしいと頼んでみた。直ぐさま返事が来た。昨日、仕事の帰りによって検診してみた。ここの歯科医、みな女性である。よく考えたものだ。これを仕組んだ理事長は日本人、中国で初めての外国系歯科だそうだ。しかし医者は日本語がほとんどできない。看護婦のなかに専門用語を通訳できる方がいた。まあ結果は中国語でなんとか話は通じたので、不自由はしなかった。女医曰く、「三本抜くことになります。治療方法には二つあります。あれとこれ、あれは二千元、これは二万元(日本円で約三十万円)。どれになさいますか?」。

先ほど奥の歯一本を抜いてきた。来週初めにもう二本、見かけになんの問題もないという。先端器機が並んでいるだけあって治療費も飛び抜けている。今日が約六百元(日本円で約九千円)、来週初めが五百五十元。我々外国人は国の医療制度に入れない。生活物価の安いお国柄にあって、目の玉が飛び出す金額である。先が思いやられるのだ。

[ 写真: 日中合作と謳っているものの、パンフレットは中国語と英語だけ、肝心な日本語のものは用意していないそうだ。今、廈門に常駐する日本人はわずか四百人だそうでここを訪れる外国人のほとんどは欧米人といっていた。 ]

Monday, January 8, 2007

[廈門・215日] 老師とノートブック

日曜日、夕方、突然にドアを叩く音が。開けてみると目を輝かした我が老師がたっている。手にしていた黒いバックを上にかざして見せた。そう、念願のノートパソコンを手に入れたのだ。うれしくて仕方がないのだろう、書斎に入り込むと、電源はどこだ、LANケーブルはどう繋ぐのだ、無線LANなんだからどうにかしてくれと、矢継ぎ早に要求してくる。自分を振り返ってみた。初めてマッキントッシュを手にしたことを。早く動かしてみたい、電源を入れ、セッティングもそこそこにマウスを握りしめたときのことを。

老師は早くからノートパソコンを手に入れることを望んでいた。しかし安いものでも彼女の月給の三倍はする。容易に手にすることはできない。しっかり者でお金の計算がうるさい彼女、私の授業料を全部貯金していた。僅か半年分、ようやく半分の金額である。不足分はどうしたのか、聞いてみる。給料もしっかり貯金していた。それでも足りない。人から頼まれると断れない質、しかし目の前までやってきたパソコンである。貸していたお金を取り戻してきたらしい。

購入したのは新製品がまもなくでる型落ち寸前のSAMSUNG。半値まで下がっていたそうだ。私のThinkPadX30と比べるとやたらでかい。同じXPとはいえ新しい分、ユーザーインターフェースも違う。老師にあれこれ聞かれても手の打ちようがない。時間切れで彼女、大切なパソコンを我が書斎において帰って行った。大学の宿舎住まい、今はまだ同室の人間には明かさないことにしているらしい。使い切れるようになって、ほれこれどうだ、といいたいのかもしれない。見栄っ張りなのである。

[ 写真: 目をきらきらさせながら”自分のパソコン”を操る老師。昔の自分を思い出してみたりした。 ]

Sunday, January 7, 2007

[廈門・214日] Lakeside Shore

その昔、学生の頃、海外建築に傾倒し、米国の高層アパートメントの写真を見てすーごく羨ましい思いをしたことがあった。今思えばなんてことはなかったし、このアパートメントがシカゴの湖畔に建っていてい、前はバカ広いハイウェイで、どう見ても湖畔との関係がよいとは思えない。それでもなにやら良さげに感じたのは、ただただ海外の、米国の、というだけのことだったように思う。

ここに掲載した写真、今日の昼過ぎ、散歩がてらに近くの湖畔を歩いていたときに撮影したもの。三十階のアパートが連なり、湖畔には別荘群が、赤い屋根の白い中層建物はマルコポーロホテル、ファイブスターであり、その右となり奥、スカイラインの少し低くなって見えている中央のアパートが我が住まいである。

湖畔は白鷺が飛びかい、フォバリングしながら小魚を口にしては飛び立つ。この湖、二十年ほど前は沼地だったらしい。廈門の都市計画は、この沼地を人造湖に作り替えることから始まった。ところが人造湖をつくったのはいいが、夏場は異臭が立ちこめ、湖畔周辺を高級住宅地として開発、販売し始めたものの、いたく評判が悪かった。そこですぐ外の海域から海水を引き込み、循環させるようになってから、ここは廈門の住宅一等地となったのだそうだ。

海水の引き込みはごく単純で、細長い池を二等分し、そこに中州をつくり、海水の出入り口を二つにわけただけというもの。池を長い川に変えただけだ。僅か十メートル足らずの水門、入ってくる海水の勢いのいいこと。見ていても気持ちがよかった。

[ 写真: 撮影場所は湖の南側、眺めるにはいい。しかしここ南の都市廈門といえども冬は寒い。日射しが家の中に入ってきてほしい。やはり人気は南面住宅のようだ。 ]

Saturday, January 6, 2007

[廈門・213日] 年賀状

廈門への移転通知を昨年十一月末に発送したところ、賀状がここ廈門に届いた。うれしい限りである。なかには心配の文面がしたためていたり、よきことであると励ましのお言葉あり、日本に戻ったときには寄ってほしいと小学校の先生からのお手紙もあった。

正月といってもここ中国では気分一新といった雰囲気にはならない。せいぜい買い物に精出している人たちで市の中心に溢れているだけで、爆竹が鳴るわけでも(今ではどうも禁止されているようなので、旧正月にも聞くことはできそうにないが)なく、玄関にお札を張り出す風景もない。

月曜日に始まった正月休み、三が日で終わったわけだが、二日出勤すると週末。ということでのんびり気分の土曜日と相成った。天気がよく、晴れわたり、日射しがバルコニーに暖かい。珈琲を持ち出し、煙草をくゆらせていたところ電話が鳴った。近くに住む同僚の若い夫人から。私の向かいの市場に買い物に出る、何か必要なものがあったら一緒する、というもの。別にこれといったものは思い浮かばなかったが、暇でもあり、市場の風景を観察することにした。

午前中の市場はさすがに品数も多く、買い物客も多く、値段を交渉する声も大きい。彼女、昼に来る客に出す料理の食材を買い溜めていく。魚のお頭、豚の脂身、ニラに何種類かの青菜。さすがにお頭は高く、三十元を超えた。しめて約75元、豪勢な食卓となりそうだ。私はついでに花屋に立ち寄った。何もなく、閑散とした部屋に少しは潤いをとの思い。神経がぎすぎすしてきているのを幾分でも変えようと考えた。

[ 写真: 日本より届いた何通かの賀状。返事をしたためようと思っているものの、なかなか筆が立たない。もし小正月を過ぎても返事が届かない場合には旧正月、こちらの正月に間に合うよう考えています。あしからず・・・ ]

[廈門・210日] 老人力

blogger.comで投稿できなかった一月三日の記事、遅ればせながら投稿します。

廈門に着いてからの記事を見直してみる。まあまともな記事がない。それにときに感情的に書き殴ったものもあるし、感傷的なものもある。冷静に押さえた表現に出逢うとホッとしたりする。ああまだ脳みそは正常だと。なにしろ、百日以上も国外に居続けたことがない。衰えた思考が刺激を適当に抑えていたのかもしれない。我が元ボスが近頃さかんにぼやく。年取っていいことがある、つらかったことを忘れることだ、と。彼が口にするととても説得力がある。彼の人知れぬ苦悩を一番理解しているのは私だけなのだから。

新暦の元旦、幹部一同で会食会が催された。開催理由は七十才以上の幹部が退職する定めになり、そのうちの一人、彼の慰労会ということだ。会話も弾み、何が契機になったのか、KTV、カラオケに行こうということに。一番の年少者が三十九才という、いわば年長者のカラオケである。と一寸怖じ気ついていたのだが、いざ始まってみると、なんと高齢者が絶唱する歌がまた見事、老歌あり、流行歌あり、台湾語の歌あり、中国語の歌あり、アリアありと、高齢者御三方、入れ替わり立ち替わり歌い続けておりました。

今まで、高齢にもかかわらず仕事を続けてきたのにはやはり訳ありでした。何しろエネルギーが違う。このエネルギーが今後見れなくなるのは残念というほかない。これからの人生を満喫していただきたい。

[ 写真: 廈門の北にある町全部が石の町、ここに大学の先輩で先生でボスだった方の息子が住み込んでいる。石を刻んでいるので一度来てほしいといわれてすでに数ヶ月たってしまった。未だ訪れていない。ここには石の買い出しに出向く日本人が多い。あまり品のよくない連中という話なのだが、お金は持っている。我が老師、人生経験浅く、ひょこひょこついていって一度イヤな目に遭いかけたそうだ。 ]

Monday, January 1, 2007

[廈門・208日] 新年快楽!

二十六日の夜に起きた台湾沿岸地震、私は外に出ていて気がつかなかったのですが、建物の中にいた人はかなりの揺れを感じたそうです。地震と縁のないと思っていた廈門の人たち、さぞかし驚いたことでしょう。しかし地震に慣れっこな私が困ったことは、インターネットの回線が切断されたこと。家でも会社でも接続できない。メールのチェックも駄目。これは困った。

会社で文句、家で接続しているところに文句、いくら文句を言ってもおおもとが駄目ですから対処のしようがない。これにはかなりイライラさせられました。僅かに携帯というメディアが使えましたが、手続きが面倒くさい。文明人はサバイバルに弱い、肉体的にではなく、精神的にダメージを受ける。それでもようやく昨日に会社も家も回復に向かいつつあります。それでblog再開。といってもlivedoor blogには繋がらない。blogger.comのみでの投稿です。

中国は台湾海峡に面する沿岸都市、廈門から新年のご挨拶です。「新年快楽!」、といってもここは中国メインランドチャイナ、新暦の正月は休みが三日、しかしそれも週末の土日出勤の末のお休みなのです。これは国が決めた決まり事だそうで、だから先週は七日間働いたことになるのです。

昨日大晦日の夜、除夜 [ chu2ye4 ] 、我が老師の買い物に付き合わされました。買い物というとアモイ島の中心にみな集まっている。明日から三日間の休みというので、みなこの中心に向かって移動している。車が大渋滞。一台目のタクシーは行き場所を聞いて乗車拒否され、二台目に捕まえた車は大回りをして目的地に。新年に新しい靴を、彼女の希望もむなしく、彼女の年齢には相応しくないブランドもの、とうてい手がでない。背伸びする年齢なのですね。

[ 写真: 例年代わり映えしませんが、ジジからの新年の挨拶です。 ]