Saturday, September 30, 2006

[廈門・115日] 戻る?留まる?

トップ同士の覇権争いの影響は下の人間にまで及んできた。金を握っているボスと仕事の実力でそれを奪おうとしている元ボス。おのおのの配下にある人間は、どちらに話を持って行っていいのか右往左往している。元ボスは私に「謀略」という言葉を投げかけてきた。どうもあれこれ時限爆弾を仕掛けているようだ。

金を握ることができずに現場の仕事に当たらなければならないほど厳しいことはない。なぜ現場に裁量権を与えないのか。当然トップ同士の紛争に他ならない。元ボスは何とか裁量権を得ようと日々「謀略」を張り巡らしているらしい。風説じみた話が伝わってきたり、組織の大変革を提案して影のボスがそれを了承したとか。開幕したばかりのホテルのブッフェでは、関連会社のトップの人間たちが、この話は出任せだとかがせネタだとかほら吹きがいるなどと旨い料理を食いながら話しているとか・・・。事実はどうなのか、乞うご期待と言うところだ。

元ボスに呼ばれてこちらにやってきた台湾の連中は不明瞭な給与体系にうんざりしている。金の件になると彼らの主張は力強くなる。GM同士仲が悪くても、この件では一致して上の人間にあたっている。すばらしい。なかには台湾に戻った方がどれほどいいかと私に口をとんがらせて話してくるものもいる。国に戻るか留まるか、決断しなければならない日が近づいている。

日本人ということで彼らに比べ比較的恵まれた待遇にある私は横目で騒動を傍観している。私ももっと主張すればいいのだが、この年までお金には無頓着だった習慣が身に付いてしまった。元ボスによく言われたものだ。「ヒッピーと同じ」だと。

[ 写真: マンションの中庭で先日開かれた博餅大会風景。子供の男女がペアダンスを披露。見事なものだった。 ]

Friday, September 29, 2006

[廈門・114日] 博餅( bo2 bing3 )

このところ廈門の夜は独特の賑わいで華やいでいる。量販店で飛ぶように売れているのが家庭用品やら日常雑貨品。それも大量に購入している。これらの品々が会社やレストランなどに運び込まれ、さいころの出目で勝負を競う「博餅( bo2 bing3 )」という遊びの景品となる。

国慶日に始まり月見の中秋節まで一週間の休暇になる前、老若男女、大人も子供もこの遊びに一喜一憂する。我がマンションの中庭でも博餅大会が開催され、二十ものテーブルに一組十二人、かわりばんこにダイスを振っていく。中国語授業そっちのけで、老師と私、参加してきた。マンションとあって、家族連れがほとんど。六つのさいころの出目で山と積まれた景品を手にしていく。六つというのも初めてだし、さいころの一と四が赤というのも初めて。参加者全員が輪になって代わる代わるさいころを振る。

一位はコーヒーメーカーだったりジューサーだったり。この一位は出目の一番大きいのを出した者が手にできる。一位だけは順番が入れ替わる。私は二位の出目を出したものの、最終的に三位に落ちてトップ賞は手に入らなかった。素朴といえば素朴な賭け事、お金が賭かっていないので、子供もダイスを握って大きなお椀に放り込む。出目の一番大きいのが四つの四と二つの一、隣のテーブルで出たのを見ただけだった。

この遊び、廈門独特な行事らしい。鄭成功時代に始められたという話とか、漢の時代の韓信という武将が兵士の慰みに始めたとか、西太后が脇に積まれた餅の山をみて思いついたとか、いろいろな話を聞かされた。どれが正しいのか解らない。とにもかくにも町中がこの一週間、博餅で賑わっているのだ。

[ 写真: 磁器製のお椀に振り込まれた賽子 ]

Thursday, September 28, 2006

[廈門・113日] 車社会へ

九月末、快晴が続く廈門。日ごと車の台数が増える廈門市内、おかげで出勤時間の渋滞の列が日々長くなっている。初めてここを訪れてから僅か半年、目に見えて厳しさは増している。ついに車社会になってしまったようだ。廈門市内では一日に五百台車が増えていると運ちゃんが話していた。小さな島でこの数、驚くべきことだ。

運転技術も急ごしらえの感がある。軽快に動かしている者がいる一方、だらだらと走る者、車線のどこを走ろうとしているのかも解らない運転。その車の合間を縫うように人間が車道を横切っていく。危ないことこの上ない。原因の一つに信号が少ない。極端に少ない。完全に車優先の道路計画だ。だからみな片側四車線の車道を横切る。大人も子供も老人も労働者も、中には自転車抱えて渡る者もいる。中央分離帯の植え込みから突然に人間が現れる。怖ろしい。本人はどう感じているのか。一体人身事故はどの程度起きているのだろうか、誰に聞いても解らない。他人のことは他人の責任なのだ。

新事務所ではボスたちが組織改革に血眼になっていて、私のポジションに全く無関心でいるし、そんな中で一人ぽつねんとしている私の様子を眺めていた我が秘書は、私が「度假」 ( du4 jia4 休暇 ) 中だと揶揄ってくる。下につく人間もおらず、責任もなく、勝手気ままに振る舞っている私への賛美の言葉だと私は受け取った。そう、私は旅にでているのです、旅先で見つけた仕事場にいるのです。そして「停・看・聴」、ひたすら周りを観察し続けているのです。実に愉快であります。

[ 写真: 公共バスの広告 ]

Tuesday, September 26, 2006

[廈門・111日] Light-up

ここにきてからというものの、政治的な出来事にまだ遭遇していない。我が秘書が冗談に「日本鬼」とか南京大虐殺がどうとか口にするものの、他の人間が私に対して敵視する眼差しにも出あっていない。至極平和なのだ。揚子江の南は穀物に恵まれ、気候に恵まれ、だから戦って何かを獲得する必要としなかったのだろう。

十月一日の国慶節に始まる一週間の休日は、それゆえ政治と無縁の市民には、里帰りをして家族とひとときを過ごす格好の機会なのだ。それでも国の行事は行事、市内至る所建物にライティングが施され、ここ十年の驚異的な経済発展を見せつける。商業施設に限らず、マンションもオフィスビルも市政府の建物もみな色とりどり。夕刻とともにこれらの建物、真夜中の十二時まで輝き続ける。消費される電力もバカにならないだろうにと、ひたすら節電に励む日本の国情と照らし合わせてみたりしたくなる。

彼岸を過ぎ、夜は実に過ごしやすい。バルコニーに椅子を出し、そんな夜景を眺めながら、グラス片手に、もらい物のブランデーを味わう。旨い。タダ酒だからなおさら旨い。ケチな日本人として通っている者の口に苦く、腹に熱く、心に安静が染みこむ。

[ 写真: バルコニーからの眺め。屋上のデザインをなおざりにしないところがいい。以前幕張の仕事で建物のトップに工夫を凝らそうと提案したところ、施工会社は金がかかるといって受け付けなかった。 ]

Saturday, September 23, 2006

[廈門・108日目] 秋彼岸の中日

日本では今日はお彼岸の中日、先祖の墓参りの日。東京の郊外、多摩ニュータウンに隣接する小さな寺の墓には、四十歳という今の日本の平均寿命の半分にも達せず先立った連れ合いと、高齢で風呂の湯加減もできず心臓に負担がかかり死去した母とが眠っている。廈門にいては墓参りと簡単に出向くわけにもいかず、部屋の一角に一輪の花なぞ飾って手を合わせるとしよう。

ここ中国にそんな風習はない。台湾では墓参りは四月の「清明節」と決まっている。もともと農暦が由来なので毎年日付は動く。しかし西暦が生活の元になってきた今、蒋介石総統の死去した日と重ねて四月五日に定めたそうだ。

日本の勝間で生活していたときしばしばご厄介になった「暦のページ」 (http://koyomi.vis.ne.jp/) から豆知識を拝借してみる。

「・・・彼岸は春分の日と秋分の日の前3日と後3日の間の7日間(春・秋分も含み)。暦の上では雑節の中に入ります(春分日・秋分日はこちらで計算できます)。
春分(秋分)の3日前の日を「彼岸の入り」と言い、3日後を「彼岸の明け」と言います。春分・秋分は、その中間に位置しますので、「彼岸の中日」と呼ばれます。
この彼岸は、仏教行事であるのですが、日本独特の行事で他の仏教国には無いものだそうです。ちなみに、「彼岸」とだけ言った場合、これは春の彼岸を指します。秋の彼岸は「秋彼岸」または「後の彼岸」と言うのが本当です。・・・」

[ 写真: 先日事務所の女性が結婚するというのでいただいた引き出物。キャンディーとドライケーキの詰め合わせ。値踏みするのが好きな我が秘書は、これこれは幾らでなぞとほざいていた。 ]

Friday, September 22, 2006

[廈門・107日目] 健康らしい

昨日午後、久しぶりに古巣の現場事務所を訪れた。元ボスに今後の仕事の進め方を聞きに出かけてきた。まだホテルはグランドオープンしたわけではない。今のところ三フロアだけが稼働している。現場事務所は休む暇なぞなさそうだ。それでも一段落、三々五々仕事をしている風景だ。元ボスも血色よく、僅かな日にちとはいえ、海外でいろいろな塵芥を払い落としてきたそうだ。

元ボスの隣の部屋には、三十年来の知人の総顧問がおいでになる。「疲れた、疲れた」と口癖のようにつぶやいている。新しい事務所の電話番号と名刺をわたしにいったところ、「血色いいね!」と一言。この言葉は私にはうれしい限りだ。規則正しい生活をおくっているとはいえ、健康に注意していることもないし、体を動かしていることもない。それでも「血色いいね!」はありがたい。三ヶ月間の嵐のような一幕が終わり、幕間の退屈さに体も鈍りそうなもの、そうならないよう注意を怠らないことだ。

国慶節を間近にひかえ、結婚式があちらこちらで開かれるらしい。新事務所の女性もそのうちの一人。手書きの招待状と、パン屋のアンデルセンの引き出物を手渡された。いくら包んだらいいか、いろいろな人に聞き回っているところだ。それにこちらの結婚式というのがどんなものか楽しみにしている。我が中文老師は休みの間に三つの式に呼ばれているといって嘆いていた。彼女の給与を考えればあまりに出費が大きいからだ。

[日の落ちるのが早い。夕方、厨房の窓を通して西日が食堂の壁まで達している。秋口になり気温も湿度も日ごと下がっている。事務所にはセーターを持ち込んでいるのが他の人には不思議に見えるらしい。ここではおかしい日本人としての評価が定着している。]

Thursday, September 21, 2006

[廈門・106日目] 八月十五夜の紅包

あまりに退屈すぎてblogの更新する気がしなかった十日間でした。暇だったわけでなく、することが退屈だったのです。仕事は内容がないと退屈なものです。

新暦の十月六日は農暦の八月十五夜、家族や仲間が集まり、月を崇め美味しい食事を口にし月餅とお手当が配られる日です。先週金曜日、こちらの呼び方で星期五、表の会長が新事務所を訪れ、社員一同に八月十五夜の紅包(hong2 bao1 ・お手当)を授けるという儀式がありました。会議室に三十人ほど集まり、簡単な挨拶と、赤い封筒を全員に配るのです。中には二百元、普通のスタッフにとって十分な額です。

ここでの二百元は何かにつけて手渡される額なようです。結婚式で、運転手への毎月のお礼で、配下へのお手当で、などなど相場なんだそうです。どのぐらいの価値に相当するかというと、例えで比較してみれば、昼の弁当七元、麺専門店で十二元、桃が三元から五元、煙草一箱十円前後、公共バスは一元、空調付きで二元、タクシーの初乗り八元。贅沢をして五つ星ホテルでブッフェが百元、イタメシ屋のパスタ五十元前後、エスプレッソのシングルカップ二十元。上手く使えば一人二週間分の食事代にもなります。

そう考えると我が中国語の教師にはかなりの贅沢をさせているなー。時にイタメシ、時に麺専門店、時に薬剤ご飯、丸ごとレモンのジュースなどなど飲み食いさせています。まあその分最近は健気に手料理なぞつくってくれていますのでお相子でしょうか。

まもなく国慶節、一週間のお休み。出稼ぎに出てきている連中や学生は里帰り。我が中文老師の里帰りには手みやげに月餅でも持たせよう。

Tuesday, September 12, 2006

[廈門・97日目] たまには天気の話でも

廈門ではこのところ天気がぐずついている。ウェッブで天気図を見てみると、秋雨前線の西端が廈門沖に停滞している。この天気、十月一日の国慶節前まで続くという。いよいよ秋を迎えるわけだが、困ったことに衣服を用意していない。全て夏服。秋服はこちらで購入するか、一度帰国して用意するか、気に入ったものが見つかるなら買ってしまってもいい。こちらのブランドもので約1200元、二万円弱、かなり高価だ。日本との物価比率でみてみれば十万円もすることになる。

気温が下がり始め、夜中に空調機を回すことがなくなった。回すといっても、全室ドアを解放し、ワンルーム気分で一台のエアコンを動かしている。まあある程度電気代なぞ節約している。

[昨日の記事の続き] 人様の事書くのって結構疲れることがわかった。相手を配慮しながら、傷つけない程度に、適当に脚色し、少しは誇張しながら書いている。書き殴っていても頭使っている。それでも面白いからついつい書いてしまう。

blogでは記事にできない部分を韓流仲間に送っていたところ、あたしでは気がつかない指摘があったりする。女性の目で見るとまた違っていたのかもしれないし、あたしがマイナス面から追っているのに対し、彼女は女性という立場で読み込んでいる。我が畏友shin氏がよく言っていた”読み手が誰かを考えながら書く”ということを思い出した。

[祭りの跡。ホテル開幕式を終えた後、アトリウムに取り残されたグランドピアノと、その反響版に映し出された天井の光景。]

Monday, September 11, 2006

[廈門・96日目] 中国式部下対応法

私は日本で大会社に属したことはない。こちら廈門にきて初めて大会社という世界を覗いたことになる。一番の印象は、ヒトとヒトの関係。誰に目を向けて話をするのかということ。昨日まで両手で揉み手していても、今日こちらに向けてくれるか解らない。昔の日本の映画なぞで揉み手する植木ヒロシの姿が思い浮かんだりする。サラリーマン世界は厳しいのだ。

中国人社会の人間関係も同様非常に興味深い。身近なところで我が秘書兼中国語教師を見てみよう。若く元気でおしゃべり好きなことはすでにお話ししたが、この一ヶ月で私はとても疲れてしまった。楽しさと勇気を与えてくれることに感謝するものの、彼女に申し訳ないが、安静と安慰はどんどん遠のいていってしまった。

きのうの日曜日の夕方のこと。彼女から電話でいま市場にいる、魚を買って料理つくるけどどう?飯をどうしようか考えていたところなので一つ返事でOK。つくってくれたのはいいが、その後私のパソコンでフリーのポップスを大音量で聴きまくっている。耐えられずに私は夜景の美しいバルコニーに避難した。何か解らないことがあると大声で私を呼ぶ。「オジーサン、オジーサン」。まいってしまった。

そこで一つの提案を彼女にしてみた。気分転換に話のできる女性を捜してみてもいいかと。すると先ほどまで陽気にため口を叩いていた彼女、突然に自分の立場を強調し始めた。「秘書で、中国語教師で、あなたの娘で、私に代われる人っているの?」。つまり彼女はこれまで私から得ていた利権の一部を失うのを怖れたわけだ。目が真剣になっていた。

かくも中国社会はヒトとヒトの関係を最重視する。すごいですね、怖ろしいですね。教訓:外国人の女性とおつきあいするときは十分ご注意ください。

[近くの街角で見かけた怖ろしい風景。オフィスビルの空調室外機が後付でビルの外壁に取り付けられていた。架台の鉄骨のさびが壁に流れ出しているところもある。いつ落下するやもしれない。]

Sunday, September 10, 2006

[廈門・95日目] 新聞広告

うー、中国に滞在していると、会社勤めだと結構書けない部分ってある。書いてもいいものの、後が面倒くさくなりそうだし、まだまだこちらに滞在していたいし、会社の行く末も見てみたい。なぜならば、この会社、かなりの曰くがあるらしいから。どちらにしてもあまりいい評判ではない。それでもホテル開業は会社にとって一つの大きな出来事。グランドオープンの日には大きな新聞広告がうたれていた。夜のゴールデンエージのニュース番組で二分間オープンの記事が紹介されたらしい。

あいにく私はそのころ台湾の大兄と珈琲を味わっていたので内容についてはご紹介できない。放映が終わった頃、お茶をしていた大兄が元ボスと電話で話したいというので連絡を取ってみた。元ボスのうれしそうな声。しまった!元ボスはテレビ報道についての私のコメントだと思ったに違いない。彼のコメントが放映されていたはずなのだから。

まあそれはそれ、今日は久しぶりにのんびり一人だけの日曜日。静かに安静に過ごしたい。このところ、日曜日といえばおしゃべりコブタが脇で四六時中話をしていて気が休まらなかったのだ。おっと、そういえばコブタの元ネタコブタ、韓国女優ソン・ヘギョのあだ名がキツツキ、彼女も弾丸のような話し方で有名だと聞いている。

Saturday, September 9, 2006

[廈門・94日目] ひとひとひと・・・

台湾からやってきた我が大兄、今日が最後の晩、市内観光の帰りに事務所に寄っていただき、その後自宅へ招待、近くで会食することに。食事は何が良いですか?イタメシなぞいかがですか?一行一瞬沈黙。まさかここまできてイタメシとは・・・と思ったに違いない。それでも中国人、すぐに賛同していただく。

湖畔のイタメシ屋に向かう。今日はやたらとヒトのでが多い。いつもならまばらな人影も、家族連れやカップルの姿が目立つ。そう、今日は9月8日、廈門市にとって特別な日らしい。その記念日のため湖畔で花火大会を催すのだ。それと知らず出向いたイタメシ屋のデッキテラスのテーブルには予約済みと書かれていた。仕方なく二階の落ち着いた席で食事をとる。

我が大兄たち、予想に反してここの料理が格別だったと、こちらの料理になじめなかったのだが、今日は美味しく口にできたと、昨日も一昨日も食べ物がのどを通らなかったと食事の後に話してくれた。お世辞だと差し引いても実際そうだったに違いない。廈門の味は塩辛く、油っぽい。すでに国際的な生活スタイルが定着しつつある台湾と比べれば、ここの料理は田舎味なのだ。

食事の後、ホテルまでお送りし、いざ帰ろうとしたがいっこうにタクシーが捕まらない。ようやく拾えたと思ったら脇から女性がさっさと乗り込んでしまった。私たちすっごく待ってたの・・・。それでも見つけたタクシー、運ちゃんはしきりに通行止めでなんだらかんだらとまくし立てる。いいから走ってくれと。湖畔近くの我が家周辺はヒトヒトヒトの人並みで埋まっている。渋滞で動けないでいた車の窓からは、華やかな花火と金門島から砲弾が撃ち込まれたのではないかと思うような轟音が鳴り響いていた。

[写真は自宅のテラスからの眺め。肝心な部分はほとんど見ることができなかったが、それでも雰囲気は楽しめた。]

Friday, September 8, 2006

[廈門・93日目] 男が泣くとき・・・

ホテル開幕式典前夜、私が模範としている台湾のGMがこちらにやってきた。一年ぶりの再会だ。同行したのは我が元ボスの弟。私が模範とするGMと元ボスの弟との再会。元ボスにとっても長い間不仲だった関係を修復したい思いがあったかもしれない。模範GMは私を元ボスに紹介してくれた間柄。三人は模範GMによって繋がっていた。元ボスも、模範GMを一つも二つも深い関係だと考えている。それにこのホテル建設をここまで引っ張ってくるまでの苦悩の十一ヶ月を伝えたかっただろう。元ボスと模範GMの再会は思いもかけない展開となった。

開幕前夜、私はホテルの中庭で二人の到着を心待ちしていた。まもなく二人の姿を確認、握手で出迎えた。元ボスが宴席を用意しているというのでそちらに向かう。薄暗い廊下の先に元ボスの姿を見つけ我々は近づく。元ボス、軽く手を挙げこちらに。その瞬間、元ボスは模範GMの肩に顔を埋め泣き崩れた。全く予想もしていなかったことだった。上の人間の話を聞かず、自分流でしか仕事を進めず、おかげで彼らに嫌われ、悪いことに彼の秘書夫妻の間柄を裂くような事態まで引き起こしていた。あれほど強気で威厳を保ち弱みを見せなかった男が泣いた。彼の苦悩を知っている私も思わずもらい泣きしてしまった。私が最後に人前で泣いたのは、先だった連れあいの葬儀の時以外思い浮かばない。そのときは脇に愛娘が「みっともない」とおしりをつねってくれたが、今はそんな人間もいない。かわりに模範GMが優しく肩を叩いてくれた。

[写真はホテル開幕式典の予行演習に励む演技者たち]

Wednesday, September 6, 2006

[廈門・91日目] ホテル開幕式典手順

明日はホテル開幕式典の日。手順の内容を見ると、朝から晩までぎっしりと詰まったもの。あたしは疲れるし、客だって疲れるだろう。我がボスの客がいやがって別の日に訪問するといった意味がわかった。招待客を接待するのは仕事のうちだと我慢するものの、観光にまで同行するのはイヤだ。まあこれも経験のうちと割り切って参加してみるか。それにしても大会社というものは厄介なもの。長年勝手気ままに過ごしてきた人間には、結構堪える。

勝手気ままという別の面について。現在手配されている車と運転手、私は仕事以外での利用は遠慮している。知人の日本の大会社のトップですら、個人的な使用は仕事のついでにということにしている。ところがここでは勝手が違う。朝から晩まで公用だろうが私用だろうがお構いなし。完全に使い切っている。私の車は二人が利用、もう一人は台湾人のGM、ご婦人の力が強い。彼女の要望で夜はしばしば個人的に使われている。どうもこれが中国社会では当たり前のようだ。使わない私が悪いのか、と思うこともある。

私が模範としている台湾のGMがいる。初めて台湾で仕事をしたときからの付き合い。彼は控えめだ。日本人のセンスに近い。我がボスが昔、彼に車と運転手を与えたとき、彼は断ったという。その必要を彼は感じなかったと私に語った。我がボスは、だから商売には向いていないといっていた。どちらが良い悪いという話でなく、生き方の違いでしょう。その尊敬するGMが開幕式典にやってくる。一年ぶりの再会となる。これが私が参加する式典での最大の楽しみになった。

Tuesday, September 5, 2006

[廈門・90日目] EMSでDVD

たぶん一週間ちょっと前のことと思う。ふとblogger.comにアクセスしてみた。おりゃ、見れる、見ることができる、中国も情報解禁近いか?改めて投稿してみます。ただいつクローズされるやも解りませんので、引き続きlivedoorでも記事を掲載します。

我が親愛なるキョンニよりDVDが日本から届いた。今まではPCにぶち込んだ古いフィルムを見ていたのが、今夜から新作(とは言い難いか)を見ることができる。感謝です、キョンニ。

キョンニがDVD送りますよー、といってきてから僅か三日、実に迅速だ。それもまずマンションに届けたものの不在、どこから入手したのか私の携帯に連絡が入る。事務所に届けてくれるかというと、ハイヨ!と一つ返事。今朝事務所に着くとデスクの上にのっけられていた。中にはキョンニ手書きのフィルムメモも同封されていた。キョンニが中国に小包を発送する手だてを探していたところ、以下の内容に行き当たったという。

>ところで、中国に小包送るのにどの方法がいいか郵便局に問い合わせした時、
>最初、ビデオは送れないリストに入ってると言われました。
>娯楽目的のDVDなんすけど、と言ったら調べてくれて、大丈夫ですとコールバック
>してくれたという経緯がありました(親切な日本の郵便屋さん)。
>ネットで調べたら
>★禁止物品
>写真、フィルム、印刷物等…中華人民共和国の政治、経済、文化及び道徳に
>害を及ぼすような原稿、印刷物、陰画紙、写真、レコード、映画フィルム、録音
>テープ、ビデオテープ
>とありましたから、まあ政治、経済、文化及び道徳に害を及ぼさないものならいい、
>ということですね。(どうやってチェックするのでしょう? いちいち中身あけてみんな
>で視聴したりして)

中国のロジスティックも日々進化しているようです。ご参考あれ。

Monday, September 4, 2006

[廈門通信] 手料理を喰らう

[廈門・89日目] 手料理を喰らう
アモイに出稼ぎにきたのが6月8日、まもなく三ヶ月を迎える。どこか慣れきった感じの三ヶ月、長かったとも短かったとも覚えがない。海外、国内と出張があったものの、仕事に追われたこともない。仕事といえども問題点を探し出し、解決の手だてをスタッフに示し、後はメールとウェッブの更新をして待っていればいいだけ。緊張する場面には遭遇していない。逆に今後が心配だ。

今日はホテルの完工をひかえ、駐車場の現場事務所を離れ、新しい事務所へと移転。といっても持ち込むものもなく、米国映画でよく見かける段ボール一箱に詰められるものを詰めて動いただけ。まあまともな事務所と相成った次第。マンションから歩いても通える距離、ただまだまだ残暑、事務所に着いた頃には汗だくになっているだろう。シャワー室が付いていたら、運動不足を補うにはいいかなという思いもあった。ボスとも離れ、ボスのボスの配下となったことになる。

昨日の日曜日、かねてからの約束だった秘書兼中文教師の手料理会が行われた。彼女、しきりに料理の腕前を口にしていた。私と元運転手はいっこうに信用していない。で、昨日腕前が披露された。手際よく四品、テーブルにのせられた。味もそこそこ。彼女の知られざる一面を見たことになった。ありがとうさんでした。元運転手と二人、感謝でした。

Friday, September 1, 2006

[廈門通信] ラッフルズホテル

[廈門・86日目] ラッフルズホテル
こちらの仕事場ではろくな事しか起きていない。覇権争い、権謀術策、「配下」という旧体制の組織形態、極度の家族意識などなど。脅しと侮べつ。配下の人間にとってこれほど怖ろしいことはない。一言で職を失う。どうにかなるさの私のような人間なら何ともないが、明日の生活がかかっているものは従うほかに手だてはない。そのような出来事を間近で見てきたので、最近は早めに仕事場を抜け出すようにしている。

幹部は完成間近のホテルのブッフェで朝昼晩と食事を許されている。一応ファイブスターと名乗っているだけあって、味はそこそこ。ある幹部は常にここで食事をとっている。よくも飽きないものかと思うのだが、当の本人は「ここの食事で最近は体調がいい」といっている。ある幹部は夕食時、運転手にご婦人を迎えによこさせブッフェでディナー。翌日、私に「昨日は何を食べたの?」、と聞く。「家で野菜サラダのほかに云々」という。「私はこれこれを食し、何ともすばらしい・・・羨ましくないか?」。冗談じゃあない、ナイフとフォークの使い方もわからない人間に、あれこれいわれる筋合いなぞない。私は堂々と嘘を口にする。「私はベジタリアンです。あのような肉類は口にしません」。

周りに幹部たちの顔を見ることなく食事のできる、最近の私のお気に入りな場所と時間はどこか。湖畔のイタメシ屋のウッドデッキで食事をとること、職場の上下関係から離れた我が秘書兼中国語教師ともとの運転手と私の自由同盟三人とで自宅で食事をすること。この場所と時間を今の私は一番気に入っている。

もしホテルで食事をとるなら、英国流の慇懃無礼さが残るシンガポールのラッフルズホテルあたりがいい。(http://www.raffleshotel.com/)