Thursday, August 31, 2006

[廈門通信] 悲喜こもごも・・・

[廈門・85日目] 悲喜こもごも・・・
廈門通信に刺激的な話題を提供しようとあれこれ書き綴ったものの、ここ一週間、話題はどんどん暗い方向に向かってしまった。さすがにそのいきさつは話すことはできない。それに韓流仲間からも悲しい出来事が伝えられてきたし、そのなかには、脳天気な日本人がしたたかな中国女にかまされた話も含まれていた。

体調も優れず、精神的にもダメージを受けていた我がボスは、昨日から完全に蘇った様子。彼が必要としていたのは何かに打ち勝つこと、内容がどうあれ、勝利は何にもまして精神的にも肉体的にもいい結果をもたらしたようだ。

日本の片田舎、勝間に蟄居していれば、最新の話題はイタチが現れたことぐらいらしい。ネコの様子がどうだとか、あそこの三男坊の離婚の原因は何やかにやだとか、実に平和で些細な話題で詰まっていただったろう。しかしここ廈門は立派な大都市、刺激的な部分も多々あるだろうし、大会社という見慣れない世界もまた刺激的。そんな世界が大好きという人間もまた多くいるだろう。私にはどうも慣れない世界だ。

[廈門本島の中に僅かに残されている旧市街地。その一角で見かけた店舗付き住居の賑やかな様。この中に住み着けばまた、高級マンションとはひと味違う生活がおくれるかもしれない。一度真剣に考えてみよう。]

Wednesday, August 30, 2006

[廈門通信] 勘弁してくれ!

[廈門・84日目] 勘弁してくれ!
新しい車と運転手が加わった。わたしたちGM二人に用意されたもの。ところがこの運転手、気さくなのはいいのだが、わたしたちを友人のつもりでいる。

確かに今までの運転手と違う。今では実にいい友人になっている前の運転手、彼、仕事の上でそんなそぶりはいっさい見せない。彼にとって私は上司なのだ。礼儀を心得ている。客を出迎えるにしても丁重。そんな彼を見てきた私たちには、新しい運転手はまさに運ちゃんそのもの。聞くところによると、以前彼は廈門に会社を持っていた日本人のボスの運転手をしていたそうだ。その日本人のボスは彼にどんな教育をしていたのだろうか。どんな会社を開いていたのだろうか。

早朝出迎えの際、着いたら電話をくれといっていた。翌朝、携帯にメールが入った。見てみると今マンションに着いたという内容。おいおい、勘弁してくれ。メールで連絡かよ。

Tuesday, August 29, 2006

[廈門通信] 試食会のゲスト

[廈門・83日目] 試食会のゲスト
日曜日に催されたホテルビュッフェの試食会、ゲストがやってきました。廈門本島の大橋を渡った際に建つ集美大学の先生の御家族です。ただ残念ながら食事を楽しめなかったようです。なぜなら、ご一家、朝食はいつも小食。特に子供さんはほとんど口にするものがありませんでした。もったいない!

ご一家がお帰りになった後にやってきたのが我が秘書。遠い親戚の子供さんをつれていました。ママは風邪で出かけられず、休みを取ったとのこと。このお嬢さん、なかなかのおしゃまです。家が裕福なせいか、高級ホテルでの会食にも慣れている。ウェイトレスを実に旨く使っている。ビュッフェですから、自分で食べたいものを取りに行くのが普通です。しかし彼女、ウェイトレスに注文を出すんですね。自分で足を運ぶのではなく、持ってこさせる。小さいときから人の使い方を両親を見て育っている。人様ざまです。

今日から職員全員がこのビュッフェで昼食をとれるようになりました。さて昼食は何でしょう。食べることが唯一の楽しみだけに期待している次第です。

Monday, August 28, 2006

[廈門通信] おっと、ネオンが変わってた

[廈門・82日目] おっと、ネオンが変わってた
中国語の授業と予習復習で、夜はひたすらテーブルの前にいたいためか気がつかなかったのです。向かいのホテルのイルミネーションが変わっていました。なぜ気がついたか、ベットに横たわっているとカーテンの色が変化する。何だろうと端を引き寄せ外を眺めて初めて知りました。華やかになりましたね。照明が動くし、七変化するし。眺めるだけで私には関係ないんですけど・・・

仕事場で・・・ わが社、トップのトップが実質的なオーナー。このオーナーが数百億円にも相当するプロジェクトを好き勝手に弄んでいる。このトップのトップに立ち向かおうとしている我がボス、合理性で対抗しようとしている。なぜなら、ボスのボスはこよなく感性を愛しているので、合理性なぞ全く無視することがある。

建設業でのし上がった我がボスは、それが我慢できない。ボスのボスに取り入る人間、我がボスが誹謗中傷すれば、その人間がそれに立ち向かう。体調を崩し、思うように仕事に取り組めないでいる我がボスは、そんな自分が歯がゆくてままならないばかりでなく、周りの人間までもが信じられなくなっている。そんなこんなで私のボスはこのところ猜疑心が強くなっている。巻き込まれる私はたまったものでない。

Sunday, August 27, 2006

[廈門つうしん] 久しぶりに勝間便り

[廈門・81日目] 久しぶりに勝間便り
久しぶりに日本からの写メールが届いた。アトリエのある千葉の勝間での出来事。我が家の畑から我が家のネコたちが大騒ぎしていたと。いってみると、ネココ全員が小動物を取り囲んで攻撃を仕掛けていたと。我が家のネココのうちでも一番臆病な末っ子がかかっていったそうだ。

その時点で小動物がなんなのかは不明。必死で逃げるのをどこかで捕らえたらしい。しばらくして息絶えた彼は道端に横たわっていたそうだ。よく見るとイタチ、それもまだ若いと。知りませんでしたね、イタチが勝間に生息していたとは。丁寧に葬ったとのこと。

もうひとつ。今年は私が廈門に出かけてしまったので、畑には何も植えるものもなかったはず。ところが、やたらとでかいキュウリが実っていたそうだ。昨年植えたキュウリが熟れ、種が地中に残っていたのだろう。味はどうかは記録されていなかった。

それにしても、イタチにしろネコにしろキュウリにしろ、彼らの生命力には驚かされた。廈門に目を向けてみれば、生き残るために権謀術策を張り巡らせる人間の姿に反吐の出る思いを抱きながら、やはり彼らの生命力にも驚愕を覚える次第だ。まだまだ学ばされることは多い。

Saturday, August 26, 2006

[廈門通信] ホテル試食会

[廈門・80日目] ホテル試食会
明日日曜日は開店を控えたホテルの試食会。ガラスドームに覆われた中庭に面するビュッフェが職員の関係者に開放されます。リストが回ってきて、招待客を記入してくださいと催促がきました。誰を招待?当てなぞありません。私の名前だけを記入して差し出しました。

しばらくして、おっと、そういえば知人が廈門にいたっけ、大学時代の友人でラグビー仲間の畏友、shinさんご推薦の知人が。shinさんには不思議な友人があれこれおいでの様子。廈門の知人も、彼の日本留学時代に知り合ったという。私がこちらに来るというので紹介してくれていました。到着後すぐに彼のご自宅を訪れ、ご不便があったら知らせてくださいとのお言葉も。

その後、彼からは何度か会食なぞお誘いの電話がありました。なかなか時間がとれないのと、日曜日は誰とも会わずに過ごしたい、そんなことからお断りしていました。しかし、会食会はいい機会ではありませんか、利用しない手はない。連絡を入れます。知人、即座に同意、ご家族でおいでになることに。

この会食は早朝六時半から十時半まで。知人に何時頃おいでかとお聞きしたところ、七時はいかがかと。おいおいおい!早すぎるぜ。丁重に時間を延ばしていただいた。結果、八時に待ち合わせすることになりました。さて、会食を楽しんでいただけるか、会話は弾むか、ホテルに満足いただけるか・・・

[居間の片隅のジャスミン、中国語で茉莉花 [mo4 li4 hua1] 。先日ボスの秘書夫妻を仲裁した際に購入したものです。蕾だった花も開くことは開く。しかし間をおくことなく落ちてしまう。縁起がよくない。二人の関係もやばいか・・・]

Friday, August 25, 2006

[廈門通信] みんな苛立っているのだ!

[廈門・79日目] みんな苛立っているのだ!
ホテル開幕寸前。トップは、工事が、空調が、部屋は問題ないのか、ホテルマンの教育が間に合うかどうか、厨房は動けるのかで、ここ一ヶ月緊張の連続。トップに限らず、誰もが気が立ち、少しのことでも大声を張り上げている。さらに具合の悪いことに、工事部とホテル管理のトップは実に仲が悪くなっている。

ホテル管理のトップは、女性らしく感情を表に出してくる。工事部のトップは、元々仲のよかったホテル管理部のトップの対応をいらだたしく思うようになった。と同時に、ホテル管理を友人の女性に渡そうとしている。対立は頂点にまで。私の事務室は罵声が飛び交う修羅場の様を見せていた。さすがに一段落し、目処がたった今では両者一安心、とりあえず二人は手を結んだようだ。こちらも落ち着いて仕事に専念することができる。

では現場管理者はと言うと、それこそ時間を惜しんで開幕式典に備えて仕事に精を出している。しかし全て順調に進むとは限らない。ある日ある時、事務室でおとなしくデスクに向かっていたときのこと。外でドスンという大きな音。全員がそちらの方を見つめる。私の席からは音の出どころは眺められない。古株のオヤジが大声でスタッフの名を叫ぶ。出入り業者となにやら一悶着あったらしい。「ドスン」は椅子を倒した音なのか、テーブルの上を何かで叩いたのか、私には定かではない。みな苛立っているのだ。

開幕式典まであと十一日、結果を待つことにする。

[写真はマンションから眺めた足下。元々の廟が保存され残っている。傍らには池が。中庭といい、ここはとても落ち着いた環境にある。廟にはネココの姿も見ることができ、日曜日はここにのんびりと座り込むこともある。]

Thursday, August 24, 2006

[廈門通信] これも仕事のうちか・・・

[廈門・78日目] これも仕事のうちか・・・
忙しいときはやたら忙しいものだ。昨日がそれにあたる。午前と午後と会議がつまり、その間を縫うように事務室に戻る。戻っては書類を整理、また会議室へと足を向ける。それだけならばいいのだが、この会議室、女性が涙を流すことで知られるようになった。しかし今日は観客のはずの私がその涙を受け止めなければならなかった。

会議を中座して事務室に戻るとすぐに、ボスの秘書が飛び込んできた。こらえきれないで嗚咽している。「どうしたんだ!」とわたし。彼女、嗚咽するばかり。外からは後ろ姿しか見られない席に座らせようと促す。と、そのときボスが戻ってきた。私同様、涙を流してきた連中の指定席へと誘う。ここで私の役割は終わり、会議の席へと戻る。

間をおくまでもなく、私の秘書がやってきて「車を手配してほしい。彼女が家に戻るから」。具合の悪い時は悪いもので、みな出払っている。仕方がないので私が連れて帰ることにした。タクシーを捕まえ、車の中で事情を聞く。亭主から電話があり、彼女と○○とが関係があるのではと疑っているという。彼女、亭主に説明してほしいという。内心不安に駆られる。「今までに暴力をふるわれたことは?」。彼女「もしふるったら即離婚!」。これでまず殺傷沙汰はないだろうと彼女の家の中に。別荘地の中の四階建ての一軒家。居間には見当たらない。探しに彼女は上の階へ。「一緒にいこうか?」、彼女うなずく。どこにもいない。使用人が顔を出し、たった今外に出たと。彼女は亭主を捜しに外へ。間をおくまでもなく亭主戻る。彼と私は三度ほど面識がある。米国で二十年間過ごしてきた習慣からか、手を差し出してきて私と握手。彼の顔にも苦悩の跡が。ジョギングをしてきたようで、全身汗いっぱいだ。その汗をぬぐいながら話は始まった。

かなり長い時間彼と話をした。話た内容はよく覚えていないが、我ながらよく冷静に話ができたと思う。理由はどうあれ、夫婦げんかは仲裁のしようがない。二人の話を別々に聞くだけ聞いてそこを離れた。路上で運転手を待つ間、自転車で花を売りに来ていた男からジャスミンを購入する。この花は今日という日の記念の花として育てることにした。今は居間の一角を飾っている。

Wednesday, August 23, 2006

[廈門通信] 猥雑さと物乞いと

[廈門・77日目] 猥雑さと物乞いと
初めて廈門を訪れたときのこと。車に乗っていたときのこと。信号で止まっていると少年が近づき、車のガラスの隙間にカードを手際よく挿して去っていく。見てみると「タイ式マッサージはいかが?」といういささかいかがわしい内容だ。

しばらくして廈門に住居を定め、少しずつあたりの様子もわかるようになり、好きな珈琲が味わえるお店も探し当て、ちょくちょく出かけていった。私の住んでいる一角は廈門の高級住宅地。アパートからコーヒーショップまでの道の両側には高層アパートが並んでいる。広い歩道には背の低い並木が植えられ、この暑さがなければ絶好の散歩道となっている。

ある日、友人と珈琲を味あおうではないかとこの道を歩いていた。歩道に身なりの乱れた老婆が。我々に近づき、左手で右手を支えながら念仏を唱えるかのように何かをつぶやく。無視して歩き続けると、我々に触れるか触れないかの距離でいつまでも付いてくる。彼女だけではない。老人も。いつだったかコーヒーショップの湖畔が眺められる洒落たテラスでエスプレッソを味わっていた。杖をついた老人がテラス越しに物乞いに。しつっこい。去らない。店の人間も無視している。気分を壊された私は友人に向かって話しかける。「本来、中国にはこのような人間はいなかったよな!」。老人は杖を地面にたたきつけ、一言吐き捨てると去っていった。

夜にはさらに不思議な人間が加わる。薄暗い歩道を私の前を若い女性が歩いている。女性は私に気づき歩を緩める。私を不審に思っての行動かと思った。しばらくして、突然私の前に彼女の手が差し出された。あまりの唐突だったので、私は飛び上がった。「驚かすな!」というと、彼女、私の手に何枚かの名刺を握らせて去っていった。日本でもよく見かける女性を紹介するカードだ。カードにはどこかの国の女優の写真が。

これらの出来事の後、コーヒーショップに向かう道をかえた。

Tuesday, August 22, 2006

[廈門通信] 言語のるつぼ

[廈門・76日目] 言語のるつぼ
私は企画部の人間なのです。まだ場所が定まらず、営建部のボスの椅子に居候している。営建部、いわゆる工務部の人間はいろいろな地方からやってきている。四川省のどこかから、天津から、山東省から、浙江省、地元の福建省などなど。おかげでいろいろな方言を聞くことができる。聞くことができても、話のわからないことが多い。彼ら自身は標準語を話しているつもりでも、脇から聞いていると、どう見ても標準語とは言い難い。

四川省のオヤジは働き者だ。現場が追い込みとあって、朝の7時から晩の11時まで、根詰めて現場を見て回っている。天津からやってきているオヤジは口うるさい。ガミガミと職人を叱りとばしている。この二人の発音は独特なのです。とくに天津のオヤジの巻き舌は面白い。面白いので中国語の教師の前でまねしてみせると、「難聴死了!」 (nan2 ting1 si3 le・聞くに堪えられない!)と言われる。

福建省という一つの省の中でも南と北と東と西と、一山越えると全く異なった方言をもっているらしい。以前の運転手が福建省の北の南平の出身。言葉を切るような話し方をする。中国語の教師にしても、時に運転手の話を聞き取れないという。中国語の教師は客家人。客家語は全く他の人には通じない。

福建省では台湾語に近いミンナン語が地方語。私のボスは、相手がミンナン語が話せるとわかると、台湾語でまくし立てる。それでもミンナン語と台湾語では違いも大きい。ひたすら聞き役に回っている地元の人間も少なくない。

かく各様に現場事務所では地方語が飛び交っている。ボスのボスは私に三ヶ月で中国語を聞いて解るようになれと指令を下したのですが、相手次第では至難の業というより他にない。さあどうなることやら・・・

昨日中国語のテストが行われました。暗記と書き取り。何とか80点を獲得。まあまあと言うところでしょうか。

[写真は廈門の旧市街地で偶然見た火災跡の住居。後で知ったことですが、この家は前の運転手の住んでいたところ。不審火は隣の家から出たものだそうだ。今はこの向かいに移っていると話してくれた。]

Monday, August 21, 2006

[廈門通信] 表だって書けることがない!

[廈門・75日目] 表だって書けることがない!
気がつくとここ一週間blogの更新が止まっていました。理由は表だって書けることが見つからない。裏の話ばかりが溜まっています。それにこちらの生活に慣れ、これといった特別な出来事もない。

運転手が代わったとか、中文授業が今日テストを迎えるとか、ボスのボスの話によると、我が家の近くにある日本人向けクラブには、目をギラギラさせている日本人だらけだったとか、今やクラブの女性は美人が基本的な条件で、いかにサービスが優れているかで価値が決まるとか、先週末に湖畔のコーヒーショップで浴衣姿の、ドキッとするぐらい美人の日本人女性を見かけたとか、とりとめのない話に終始してしまいそうなので書くのを控えていたというわけでもないし・・・

写真は我がアパートメント。表情が洒落ている。人の話によると、最近の高級アパートはみなシンガポーリアンの設計らしい。華人をよく心得ている設計です。撮影した場所は中庭。夕方から遅くまで、子供たちが遊び回っている。車の入ってこない場所があるという設計は珍しい。なかなかいいのであります。ではでは・・・

Tuesday, August 15, 2006

[廈門通信] お盆そして終戦記念日

[廈門・69日目] お盆そして終戦記念日
廈門にきてからは季節の節目を感じられないでいます。激しい日射しが連日照りつけているだけ。これといった気候の特徴もでていない。気がつけば旧暦の七夕は八月一日に終わっていましたし、お盆も危うく忘れそうでした。

盆入りに愛娘に頼んだ墓参りも、時間がとれないということで九月に延期すると返事が来ました。仏壇に線香だけでも立ててくれとお願いするよりほかに手だてはありません。それに今日は終戦記念日、日本が敗れ、中国が開放された日です。テレビや新聞がどう報道されているかもわからないままでいます。そんなことを考えて周りを見渡してみると、ここで働いている人間は至極無頓着。お盆も光復節(日本が敗れ、中国が開放された記念日)も我関せずの様子です。

[先ほどショートメールが廈門に届きました。下の娘が子供を亭主に預けて母親の墓参りにいってきてくれたそうです。蚊に刺されたと嘆いていました。感謝]

近頃は季節感のでてこないblogになっています。少しは”らしさ”をと思い、パソコンのデーターフォルダーを探したら、百日草の写真を見つけました。日本の、千葉の片田舎の、勝間アトリエの庭先に咲く昨年の百日草です。日本が敗戦した日と、晴れわたったその日に咲いていた百日草を重ねてみる人は少なくないと聞いています。英霊のご冥福を・・・(ありゃ、いつからこんなことを口にするようになったのかなー)

Saturday, August 12, 2006

[廈門通信] 苦悩の中文授業

[廈門・66日目] 苦悩の中文授業
昨日は中国語の授業を受けた後すぐ床についてしまいました。やはり緊張しているのです。疲れるのです。老師は、事務所ではただの雑談好きな雑用係。ところが役割が老師となると、突然に活き活きとしてきます。顔つきが厳しくなり、命令調になります。どこで学んだんでしょうか。教師は彼女の天職かもしれません。

五六年前のことです。台湾で仕事をした際、相手にアングロサクソン・グループがいるというので、英語の教師についたことがあります。私の相手は英国人。このとき知ったのは、家庭教師は使用人だということ。執事などと同じ。彼は何かにつけて私を先に立てます。席に着くとき、部屋を出るとき、等々。教師は敬うもの、と教えられてきた私にはちょっと驚かされました。しかし、考えてみればそんな立場というのもあるのでしょうね。それに反して私の中文教師は敬われる立場にあるのです。

昨日の宿題の成果。読解力六十点、次回までに八十点に、最後は九十点以上と教科書に書かれました。さらに十回読み直すこと。具合の悪いことに、タクシー [出租車 chu1 zu1 che1] の発音ができない。何度もやり直させられる。それでもできない。うーん、世の中厳しいのです。

Thursday, August 10, 2006

[廈門通信] お休み

[廈門・64日目] お休み
廈門のジジはこちらに来て二ヶ月、慣れない生活とあちこちと出張したりと、疲れが溜まったのか、麗江に出かける前にひいた風邪がいまだに治らないでいます。おまけに中文の宿題を遅くまでやって寝不足になり、事務所でうつらうつら、見かねたボスの勧めで、ついにお休みをとりました。今日は一日ごろごろと惰眠をむさぼっております。

海外での常備薬は一通り持ち込んだのですが、風邪薬は用意していませんでした。旨いもの食って、ガバッと眠ればだいたい数日で治っていたものです。今回はそうはいきません。二ヶ月の間にシンガポール出張、中国の南の端から東北へとほぼ一万キロの旅もしてきました。現場の一角を借りた仮事務所はこの上なく空気が悪い。そのうえ空調機が極端に低温をさしていますので、外に出たときの温度差が激しい。田園の勝間の、自然に任せたなかで生活していたときとは大違いです。体がいうことを聞きません。

運転手が「薬を飲みますか?」と差し出したのがバッファリン・コールド。あいよっと口にしたところ、珍しくキツイ調子で「水と一緒に飲んでください!」。コップいっぱいの水をもってきてくれました。こちらでは、風邪は水で治せ、が定説のようです。人によると、一日最低三リットル飲むようにといいます。先ほど昼食の後に一錠口にしました。

今日は比較的過ごしやすい。部屋を開け放しています。流れ込んでくる海風が気持ちいい。

Wednesday, August 9, 2006

[廈門通信] 麗江・愛人館

[廈門・63日目] 麗江・愛人館
そういえばこんなホテルが麗江にあったっけ。市内を北に雪山に向かって走ると、平原の真ん中に砦に囲まれた別荘スタイルのスーパースターホテルがある。

ビラは外から覗けるか覗けないかの塀の中にあり、部屋の中心にキングサイズのダブルベッド、前後にガラス張りの仕切。片側ににトイレとバスと洗面コーナーが、反対に書斎とストレージ。全くのワンルームタイプ。庭先はデッキとその先にスパ、ジャグジー。戸外だ。塀の中が一つの部屋と考えていい。真っ裸で一日過ごすことができる設えになっている。雰囲気が色っぽい。私は気後れして使い切れないだろう。

私はこの手のホテルに詳しくない。同行した台湾の建築家の話によると、いわゆるバリ・スタイル。バリ島の高級ビラを応用したものだという。利用するのは金余りの華僑が魅力溢れる肢体を誇る若きご婦人とともに数日を過ごすのだとか。企画したのはシンガポールのデベロッパー。中国圏でシンガポーリアンの力は侮れない。発想が実に的をえている。堅実さを旨としている日本人ではなかなかここまでできない。

それにしても麗江の雪山をベット越しに眺めながら・・・うーん、思い浮かべるだけでもすばらしい!(バキッ)

Tuesday, August 8, 2006

[廈門通信] 踊る小劇場

[廈門・62日目] 踊る小劇場

私はボスの椅子を借りて仕事をしている。新組織と新事務所がまだ整っていないからだ。ボスはCMの長として現場を仕切っている。ボスの椅子から、緊張した仕事のやり取りを眺めている。彼の言葉を借りていえば、ここでは物事の決定は全て面と面を会わせ、激論を交わせながら決まっていくという。書類らしい書類を私は見たことがない。これでよく仕事が進んでいると思う。

ボスの事務室を私は小劇場の舞台と呼んでいる。観客は一人、私だ。舞台の主演はボス。共演者は日替わりで、時間ごとに入れ替わる。ボスは遅れる仕事を叱咤激励しているのだが、どうみても共演者をののしっているとしか思えない。実際、半分以上は怒鳴りつけている、と本人はいっている。諭すなぞおこがましいという。

つい最近、ボスは私に「今私は中国学を学んでいる。ほぼ中国人を理解できるまでになった。」と話してくれた。どんな本を読んでいるのか、と聞いたところ、ボスは小劇場、彼の事務室から学んだという。狡獪な人間を相手に商売を進めていかざるをえない世界なのだと。彼らを怒鳴りつけながら、中国人のものの見方と考え方を探っていったという。商売人の鋭い感覚が彼らの頭脳に入り込んでいったのだ。

[ボスの事務室の内部を私の席から眺める。このデスクを舞台に中国学が演じられ、激しい罵声がただ一人の観客の私の耳を打つ。]

Monday, August 7, 2006

[廈門通信] 真夏のテニスコート

[廈門・61日目] 真夏のテニスコート

日曜日。昼近くまでごろごろと寝たり起きたり。昨日の風邪はほぼ回復した気分。夕方、厨房の窓越しに向かいのマンションでテニスをしている光景を目撃しました。

こちらに移り住んでから始めてみます。廈門の激しい湿気と暑さの中、誰も外に出てまで運動をする気にはなれなかったのでしょう。昨日、しのぎやすい暑さだったからか、夏ばて解消のためか、スポーツウェアのご婦人二人、体を動かしています。しかしよく見てみると、テニスではなくバトミントン。バトミントンの羽がゆっくりと空中を動いているのがわかります。

そういえば、私、ほとんど運動らしい運動をしていない。秋になったらなぞ思いを巡らしていたら、友人の言葉を思い出しました。ここの夏は十月半ばまで続くと。南なんですね。北回帰線のすぐ近くですし。

日本ではお盆が近い。愛娘に母親の墓参りを頼まなくては・・・。

Sunday, August 6, 2006

[廈門通信] 言語障害になる

[廈門・60日目] 言語障害になる
「おしになる」と打ち込んで変換したところ、「言語障害になる」になってしまった。啞(口+亞)は差別用語なのですか?いやだなー。今日は私が啞(口+亞)になりかかったお話を。

中国語をマスターしなさいという指令はありがたい。この機を利用して中国大陸で使われている簡単字(簡体)も読み書きできるようにしてしまおうと考えている。中国語の教師は会社公認ですから、公務以外公用車に搭乗できない秘書を傍らに帰宅してしまったりする。運転手と三人、気軽に話もできる。そんなときは会話がすすむ。

私のボスはビジネスにたけていて、なおかつ教育者でもある。家庭の理由で芸術家になれなかった自分の姿を私に投影してみたりしている。結構私には甘い。私を手間のかかる「連れ子」 (拖油瓶) [tuo1 you2 ping2] だといいながら、いろいろ面倒を見てくれる。ありがたいことだ。ときに私の不十分な会話を補ってくれるつもりで、正しい中国語を教えてくれる。これが私にはプレッシャーになったりする。そうするとわたしは口をもぐもぐ、手だけを動いかしていたりする。言語障害におちいってしまう。

この件をボスに話したところ、彼自身の体験を語ってくれた。幼少期の忘れることのできない記憶だろう。

彼は台湾人。蒋介石が台湾に逃げ込み、国民党政府を樹立するまで、日本語はかなりの人たちに話されていたという。ごく日常の風景だったそうだ。ボスもその一人、日本語は話せても台湾語は話せなかった。ところが、国民党政府の樹立とともに、公用語は中国語に。子供たちの間でも「時代は変わった!」と、日本語しか話せないボスを「シカ!」(「四つ足」 「イヌ」台湾での日本人に対する蔑視用語)といじめられたという。しばらくして、ボスは言葉を口にできなくなった。つまり後天性の啞(口+亞)になったのだ。彼が口を開くようになったのはなんと二年後のこと。と同時に一切日本語が話せなくなっていたという。流暢に使えた日本語が消えてしまった。これを聞いて私は少なからず衝撃を受けた。差別され続けられた間、彼の頭脳は日本語を忘れ去ることに集中していたのだ。

ボスはこよなく日本を、日本の文化を愛している。そして消え去った日本語のことを残念に思っていると話してくれた。

[写真は麗江の騎馬場で麗江馬を調教しているシーン。小柄な馬とはいえ、蹄が立てる音といい、荒々しい息づかいといい、さすが競走馬、気分をかき立ててくれます。]

Saturday, August 5, 2006

[廈門・59日目] 満族自治県・雑然として・・・

[廈門・59日目] 満族自治県・雑然として・・・
場面は変わって満族自治県、瀋陽から車で三時間半、丹東からは二時間はかかるでしょう。鉄道なし、高速道路で結ばれているわけでもない小都市、風景は雑然としていました。道路にゴミが散らかり、夏というのに緑は極端に少ない。ホコリのたつ道路、馬路を走る車は土埃を被っていました。それに反してご婦人の服装は着飾れていて遠くからも目につきます。綺麗に整えられた眉、唇になぞられた濃い口紅。

こちらに来て、いくつかの都市を見てきましたが、廈門の路上でゴミを目にすることは少ない。ゴミを捨てていないのではなく、棄ててもすぐに清掃員がゴミ袋を片手にやってきて拾い上げる。歩いてくる場合もあり、電動バイクの時もあり、少し大きなゴミでも処分できるよう電動三輪車もやってくる。廈門は特別区なのです。

満族自治県、一見して貧しさを感じます。特別な産業があるわけでもない地方の一都市にすぎません。堂々とカメラを向ける勇気がでませんでした。写真で紹介することもできません。

[中文上課] 昨日、体調不良、仕事も集中できない。blogの更新もできない。中国語の授業も宿題も中途半端なまま受けます。老師に了解をえ、気軽な会話に切り替えてもらいました。切り替えたのはいいのですが、本当の雑談になってしまった。過年(旧正月)の紅包 [hong2 bao1] (お年玉)の要求まででくる始末でした。ジジと孫娘の授業風景です。

Thursday, August 3, 2006

[廈門通信] 麗江・雪山


[廈門・57日目] 麗江・雪山
再び麗江。麗江といえば麗江古城と雪山。大草原の盆地を一気に上り詰める壮大な雪山。2400メートルの草原から5400メートルを駆け上がる。麗江古城の一番高いところからほぼ真北に望む光景は至る所で紹介されています。残念ながら、私が訪れたときは雲がかかっていました。同行した建築家が、早朝に散歩に出た一瞬、雲が切れてみることができたそうです。

雪山は麗江古城とともにこの地の売り物。市内をでると、北に向かって大通りが走り、行けども行けども雪山が正面に眺められる。写真で紹介した本の題目には、「不遠不近」 (bu4 yuan3 bu4 jin4) 「近からず、遠からず」とあります。平原の端、山の端の始まりまでくると雪山が目の前に迫ります。すぐ近くに山の頂が見えそうです。しかしそこまではきっと遠いのでしょうね。確かに迫力あり、雲の切れるのを待ちますが、最後まで全貌をあらをすことはありませんでした。見る価値ありです。見たいですね、頂を。

[中文上課] コブタ教師の中文授業、新しい課にはいる際、はじめにコブタ教師が一読してくれます。それを携帯電話のビデオに録画、時間があればイヤフォーンを耳に予習をしています。このビデオの一部をメール仲間に紹介したところ評判がいい。「おっ、かわゆいではないか!」。コブタですからかわゆいのです。

Wednesday, August 2, 2006

[廈門通信] 逆光

[廈門・56日目] 逆光
現在、仕事場は建設中のホテルの地下一階、駐車場の一角を仕切ったところにあります。開店間近で仕切が増え、ガラスが入り、かつてのように自然換気ができなくなっています。おかげで部屋の空気が淀み、息苦しい。煙草を吸いにでることを装って外気に直接触れられる場所にちょくちょく出て行きます。高温多湿とはいえ、海辺の都市らしく風が心地よい。なんといっても夏を直接肌で直接感じられます。やはり自然の感触はいい。

地下の事務所を出たところはまだ通電されていません。仮説電源を使ったハロゲン灯がまぶしい。ここを通り過ぎると大理石が床壁に貼られた会議室へと光景が一変します。その分、この地下通路が独特な雰囲気を醸し出しています。映画に出てくるような場面です。

[中国語の授業] 我が愛するコブタ秘書による中国語の授業、コブタ老師、今日は優しかったのです。昨夜遅くまで予習をした成果が出ました。食事を終え、一寸仮眠をとり、真夜中に教科書を開きました。するべき事を終えるまで我慢したところ、床につけたのは二時過ぎでした。それでなくても昼間の暑さに参っているのです、疲れますねー。

Tuesday, August 1, 2006

[廈門通信] 時には和みますか・・・

[廈門・55日目] 時には和みますか・・・
六時起床、食事をとりシャワーを浴び、八時に車がくるのを待ちます。朝のひとときは余裕をとって行動しているので、落ち着いて出かけることができます。

一般職員は八時半出勤、五時半退勤らしい。役員は結構自由なのですが、帰宅はやはり一般職員より遅い。現場管理の人間はもっとキツイ。あと一ヶ月と押し迫ったホテルの開業で、真夜中まで居残って現場を見ているといいます。四川省からやってきているジジなぞ、早朝六時にでてきて夜の十一時までがんばっています。真夏の厳しい暑さの中、現場に出ている人間は汗で服を濡らして戻ってきます。

で、和みましょう。麗江と満族自治県で見つけたネココ。麗江のネコは騎馬場脇の休憩場で、ベンチでのびのびしていました。なぜなぜすると砂だらけでした。きっと騎馬場から持ち込んだのでしょう。満族自治県のネコは、以前紹介した満族古城テーマパークで、糸を紡ぐ実演をしているバーさんの脇にちょこんとしていました。屈託のない顔がかわいらしい。和みました。