Sunday, July 30, 2006

[廈門通信] 満族自治県・用意されていた文具

[廈門・53日目] 満族自治県・用意されていた文具
私がコブタコブタと騒いでいたところ、韓流師匠から写真が届きました。
(師匠)「先輩、コブタのいい写真がありますぜ。」
成熟したコブタのスッピン姿です。うーうつくしい!今やコブタではない!美しいあまりに事務所でプリントアウトしたらプリンターから出てこない。仕方ないのであきらめていたら、しばらくして我がコブタ秘書が「この写真オオユキさんでしょ!」。おりゃ!衆目集まってしまいました。
[おっと、リンクが切れていました。お詫びに続きを読む・・・に画像を掲載しました。]

掲載の写真、満族自治県の県庁に用意された作業用一室、そのテーブルに真新しい事務用品一式が。工作手帳、人民政府の名が打たれた原稿用紙、ペンにインクにインクを薄める液、クリップ、ホッチキス、ピン。脇には空調器のコントローラー。これを見て一寸泣けてしまいました。日本の事務所に溢れかえっている累々の什器備品。しかしここはささやかです。ささやかなことが美徳の世界です。(紹介していいのやら。リストに載らないよう注意しなければ・・・)

今日は快晴猛暑の日曜日。先ほど携帯電話が鳴りました。午睡の最中でした。無視しました。一日出かけないつもりですので。

Saturday, July 29, 2006

[廈門通信] 開始学中文

[廈門・52日目] 開始学中文
メールのやり取りをしている韓流の伝道者からのメールが受け取れなくなっています。ヘッダーは見れますが、本文が見れません。韓流の師匠経由で受け取っているところです。原因は不明、何か起こっているのか・・・インターネットというツールに慣れきっていると、この問題は結構深刻に感じられます。

(韓流仲間に送った文面から)

懸案だった中国語の先生、ボスの秘書に頼んでいたのですがなかなか見つからない。そこでボスの一言で「アナタノヒショニキメナサイ!」。決定しました。昨日のことです。あー、コブタちゃんと一緒だー(バキュ!)、静寂の中の私の部屋でコブタちゃんと二人きりだー(ドス!)、廈門のジジはうれしいのだー(アホ)。(注:コブタちゃんとは、韓国連続ドラマ「秋の童話」にでてきた主人公ソン・ヘギョをさしています。背が低く、小太りで、かわいらしい。)

とはいえ、私の秘書、なかなかの人間であることがわかってきました。子供子供で、なんて思っていたのですが、やはりこちらでそれなりの大学を出ているというのは、それなりに仕上がっているようです。友人たちの写真を見たことがありましたが、普通の女の子とは違う、頭よさそう、顔つきがいい、服装が違う、教育にお金が掛けられる家は少ないんでしょうね。

このコブタの友人の中にどうやら韓国系がいる様子。その子は「チャングムの誓い」の女主人公イ・ヨンエと知り合いだそうで、廈門に彼女も来たことがあり、この九月にまた訪れるとか。「会ってみますか?」に一つ返事の廈門のジジ、「はいですはいです」。なんとだらしないことで・・・

昨日から我が秘書による中文上課(中国語学習)が始まりました。今日は中国語授業の第一日目、顔見知り、話見知り、発音見知り、で結構気楽にできましたです。しかし厳しい先生で、すっげー量の宿題だしてきました。疲れますね。でもいいか、愛くるしい顔見てると疲れもすっ飛びますです。

ではでは・・・

Friday, July 28, 2006

[廈門通信] 航空券で一悶着

[廈門・51日目] 航空券で一悶着
先だっての出張、航空券を五枚つかっています。スケジュールが転々と変わったため、瀋陽から廈門の切符はチケットに記載された日にちそのまま、変更はカウンター処理という結果で出かけていました。出張旅費の精算にはこの切符の他にボーディングカードも必要、会社の経理って厄介なものだと感じていました。ところがこれで終わらないのがまた厄介というか面白い。それにまつわるお話を。

ここ二日間、秘書のあたりがにぎやかなことがありました。我が秘書が眉間にしわを寄せて呼びに来ます。部屋から出てみると、航空券の手配をしてくれている旅行会社が何かまくし立てています。どうやら瀋陽から廈門の切符を二重に購入しているというのです。確かに彼が持ち込んだリストには同じ人間が同じ日に同じ飛行機に二枚の切符をもって乗ったことになっています。私は訳がわかりません。ボスの秘書が説明してくれます。

もともとの切符を変更する際、ウェッブサイトから予約して、日程がずれた分は航空会社に電話で連絡、その結果、二枚分の切符が発券されたままになっていたらしい。旅行会社はその分を払ってくれと連日押しかけていたわけです。しっかり者のボスの秘書はしきりに私に聞いてきます。瀋陽でチェックインした際の航空会社とか受け付けた人間とか服装とかなんでもいいから思い出してくれ、手がかりをもって対応したいと。そんなこと気にもしていませんから、聞かれても答えられません。僅かに記憶に残っていたのは、空港カウンターの位置、それにカウンターの女性が超美人だったこと。彼女の特徴が満族ではないかということぐらい。

しばらくしてボスの秘書が報告に来ました。解決したと。キーワードは「満族」の「超美人」。旅行会社が瀋陽空港のカウンターに問い合わせたところ、見事彼女に行き着いたそうで、余分のチケットは彼女が、航空会社が破棄したことが判明したというのです。美形で満族、他に見当たらなかったのでしょうね。しかし相当の美形でしたです。もう一度お会いしたいです(バキッ!)。

うーん、やっぱり旅はこたえられませんねー。東アジアは「停・看・聴」。旅はまだ続いています。

[写真は満族自治区内のダムを疾走する高速艇]

Thursday, July 27, 2006

[廈門通信] 麗江・こんな料理も美味でした

[廈門・50日目] 麗江・こんな料理も美味でした
麗江の玉湖村を出る頃には昼食の時間でした。運転手と飯にでもしようぜ、と案内されたのが近くで民宿を営んでいる農家。新しい。それなりに地方色を出した中庭をもった2階建宿泊部屋8室の建物です。

まず厨房に通される。棚にはいろいろな食材が並んでいる。民宿の女将がどれにするか聞いてきます。魚がいいというと、これはどうかと連れていかれたのが生けす。川魚らしい。その脇の金だらいに黄色と黒の縞模様の、ヤモリみたいな生き物。これは美味しいとさかんに勧めてくる。運転手に「食うか?」。運転手「不敢」 [bu4 gan3]、いらないいらないと手を振り首を横に振り拒否。それではと私は食してみることにしました。

油で揚げ、やせ細ってテーブルにでてきました。味は薄味、カリカリして結構いけます。これも納四料理らしい。まあ川からすくってこえばいいだけです。あるものは有効に使っています。売り物にするのも野味があっていいでしたね。

Wednesday, July 26, 2006

[廈門通信] 麗江・たまには建築家らしい話を

[廈門・49日目] 麗江・たまには建築家らしい話を
また麗江に話を戻します。麗江郊外の玉湖村、ここにはかつて米国人が納四族の文化を調査研究し、長らく住み着いた場所だそうです。ロックという研究者。詳しく知りたい方はウェッブから検索してみてください。いろいろでてきますので。

この村の民家の特徴である黄色い石壁は、ここにだけ存在するらしいのです。理由はわかりません。遠くから集落を眺めると日本の土壁の民家を思い出させます。どう見ても豊かには見えません。それでも引きつけるものがあるのは、民家がみなしっかりとできているからでしょうか。この石壁は木造の柱をしっかりと支え、地震によく耐えてきたと話に聞いています。石壁と木造の混構造、意匠的にも特徴があらわれていて見応えがあります。ロックが長年住んでいた家の壁には漆喰が塗られ、木部は漆が塗られていました。こちらでは、漆がペンキ代わりでした。

あいにく写真に納めてこなかったのですが、石積みと木造とを組み合わせ、デザインを現代風にした小さな学校が村の一角にありました。最近のものです。残念ながら今では使われていないようす、ベニヤを教室の入り口に貼り付け、出入りができないようにしてありました。何かの試みがされたのでしょう。使われていないのは使い勝手がここの習慣に合わなかったのかもしれません。

ロックの住居を管理していたご老人、長閑に案内してくれます。いまだに文革時代の服装をしています。一人住み込みで余生を過ごしている様子でした。運転手がなにやらしきりに話をして、後で話してくれたところによると、いろいろ苦労をしてきたとのこと。内容ははっきりしませんでした。

今日はこんなところで終わらせてもらいます。いささか疲れましたのです。

Tuesday, July 25, 2006

[廈門通信] たまには廈門の消息を

[廈門・48日目] たまには廈門の消息を
台湾を台風が襲ったらしい。その影響で廈門は雨。生暖かいとはいえ、強い風が現場の中を駆け抜けて気持ちがいい。しかし台風が直撃するという予報で現場は大騒ぎ。開業準備に大わらわのはずのホテル部門は明日休みになるらしい。一秒でも仕事を急がせている営建部は、雨は漏るは床が水につかり仕事ができないわで、休むことなぞ考えられない様子です。

夜はボスのお宅で家庭料理をご馳走になりました。バルコニーから見える港には、いつになく多くの船が停泊している様子がわかります。傍らでテレビが台風情報を特番で報道しています。波頭が立つ程度の岸壁で、女性アナウンサーの絶叫が聞こえてきます。199何年の再来だとか。しかしどう見ても日本人からみれば台風接近という風景ではありません。一寸風の強い、一寸雨の多い一日という光景です。物事って相対的な判断で決まることが多いですよね。台風なぞほとんどやってこない場所では、やはり大きな出来事なのでしょう。

今日の仕事。今計画されている二つの案件を私なりに分析し、問題点を整理してボスのボスに報告します。一つづつ話していくと、ボスのボスはうなずいて「他には?」、次の話が終わると、「他には?」。これで終わりですの私の声に、「私から話がある。中国語を早急にマスターするように」。一寸前にも話が出たことです。この件はこれで三度目です。一応準備は進めていました。中国語の先生を捜す手配をすでにしていますというと、「決まったのか?」、「まだです」、「早く決めるように」。日常会話ができる程度ではGMは勤まらないか・・・、この際だ、中国人に見間違えられるまでやってやるか!

[写真は大わらわで工事の進められているホテルの現場風景]

Monday, July 24, 2006

[廈門通信] 麗江・二人の健さん

[廈門・47日目] 麗江・二人の健さん
私は高倉健のファンであります。その昔、東映という映画会社が送り出した俳優の一人です。時代劇は東映という栄光が失われたときに登場した俳優の一人です。東映が選んだ路線は「任侠」という世界を描くこと。大成功でした。当時深夜映画というのがあり、週末の真夜中を映画館で過ごしたものです。今日は麗江の健さんについて。

この二枚の写真は、麗江で撮られた映画「単騎千里を走る」(「千里走単騎」 [qian1 li3 zou3 dan1 qi2]、前回どうやら私は「単騎走千里」と、日本語直訳をして紹介したようで・・・、訂正です)のチラシとスナップ写真。

一枚目のチラシは風邪で伏せていた麗江古城南門街の一角のホテルロビーに立てかけられていました。二枚目は納四族とトンパ文字の来歴なぞを紹介している撮影現場のお寺さんに飾られていた高倉健[gao1 cang1 jian4]のスナップ、周りの民族衣装を着た女性たちは納四族の人たちらしい。

監督が張芸謀[zhang1 yi4 mou2]、今や世界的映画監督として知られていますね。「赤いコウリャン」・「始皇帝暗殺」・「初恋の来た道」なぞなぞ・・・。高倉健と張芸謀、この写真で見るとよく似ている。張芸謀がなぜ高倉健を主役に選んだのか、興味深いですね。どういう関係かなー。興味深いですねー。

我が秘書嬢、二回も見たそうで、印象を聞いたところ、返事は「いいですね」だけだった。いいのか悪いのか・・・

ついでに。東映全盛時代の男優さんたち、ほとんどの方、近くで目にしております。私の先だった連れ合いの友人が東映プロデューサーの娘さんで、彼女の結婚式に駆けつけていたのが面々の方々。まるでやくざ映画を見ているかのようでした。みんなかっこよかった。田中邦衛ですら。

Sunday, July 23, 2006

[廈門通信] 麗江・玉湖村の馬糞

[廈門・46日目] 麗江・玉湖村の馬糞
麗江古城に失望した件を何人かの方にメールしたところ、バードヲッチャーの第一人者になりつつあるヒロシさんから返信メールが届きました。

(ヒロシさん)
>ボスからのプレッシャー、風邪、テーマパーク……、あんまりいいことがないようですね。
>消耗する前に早くやめにして帰ってきたら・・・
(ブリキ猫)
仕事だと考えると、ろくな事がない。東アジアの長い旅だと考えれば、これほど面白い経験、体験はないですね。まだまだ戻るには早すぎますです。満州族自治区も独特だし・・・

麗江の話の続き。廈門を離れる前にボスが手渡してくれた一枚のリーフレット、麗江郊外にある玉湖村の紹介です。独特な民家の造りが魅力的なようです。大地震にも持ちこたえたという木造と日干し煉瓦の混構造らしい。私めは風邪をおしてでも訪れることにしました。

観光用に整備されているとはいえ、この村、片田舎、観光客は麗江馬に跨りのんびりと見て回っています。馬糞が石畳に点在しています。一番新しい糞には鶏が飛びついてきます。草原の草を食している馬たち、出てくるものはサクサクとしていて気持ちいい。肉を食さないとなんと爽やかな糞が出てくるのか、今更ながら感激したりしてしまいました。

一歩村の裏に入りましょう。ジーさんが麗江馬を引いています。鶏が駆け回っています。子供が木の枝で山羊の群れをどこかに導いています。注意して歩かないと動物たちの糞を踏みつけます。実害のない糞です、気にする必要もないでしょう。村の奥は浅く、すぐに草原に抜けてしまいます。壮大な風景が目の前です。

Saturday, July 22, 2006

[廈門通信] 麗江・旅先の問診

[廈門・45日目] 麗江・旅先の問診
麗江の話に戻ります。出張に出る前からのどが痛かった。いやだなーと思いつつも、何の手だてもしないで出かけます。今度は鼻汁がいっぱい、朝ベットから起きるともう何枚も鼻紙を使います。麗江二日目、ボスが廈門に戻り、一人取り残され、さてのんびりとあれこれ見て回ろうと一歩外に出るものの、一陣の風を受けて部屋に戻ってしまいました。

翌日まで何もすることなく、ただただひたすらベットに伏せていたのです。これほど惨めな時間はありませんね。麗江古城に一角にいるというのにです。

当日、東北に向かう日です。夕方までの時間、市政府の車でひたすら田舎を走ってみようとしますが、咳が止まりません。見かねた運転手が病院に寄ってくれました。診察室には待つ人が何人もいます。一度あきらめたものの、運転手奥の手を使います。診察中の老人の手当が終わると同時に何か一言二言医師に話しかけます。順番待ちの人たちが私の顔をのぞき込みます。医師はうんうんと頷くと私の顔を見ながら問診です。

医・どこが悪いんだ?
私・鼻水が・・・
脇で待つ患者たちが優しい目つきでうなずきます。
医・他には?熱は?ない、のどの痛みは?ない、
医師、カルテになにやら書き込んでいます。
医・名前は?年は?日本人だね。

五分ほどで投薬カルテ完了です。早速病院の薬局へ。受け取った錠剤の他、投与の処方箋がありません。窓口に聞いてみます。四時間、四時間といっています・・・

私がこちらの薬を信用していなかったこともあり、症状を軽めに伝えたこともあったのか、薬の効果はほとんどなかったようです。あー、旅先の病気ほど惨めなことはないなー。

Friday, July 21, 2006

[廈門・44日目] 廈門に戻ったので・・・

[廈門・44日目] 廈門に戻ったので・・・
13日に廈門を出て、昆明経由麗江、二泊して真夜中の瀋陽の安ホテル、そして北の国境に近い満州族自治区に四泊、昨日廈門に戻ってきたのです。中国の東端・南端・東北と、約一万キロの移動でした。「単騎走千里」(単騎千里を走る)でしたね。

いろいろなことがありました。追々ご紹介していきます。まずはその一端を。満州族自治区に滞在していたときのことです。日本からショートメールで、カード会社が支払いの件で聞きたいことがあるとのこと。早速携帯電話で連絡を入れます。あちらが電話を受けたと同時に通話が切れてしまいます。何度やっても同じ。仕方がないので、カード会社から連絡を入れてもらうことにしました。

しばらくして携帯が鳴ります。通話が可能でした。日本からの電話は受け付けますが、こちらから話しかけることができませんでした。理由は不明です。

カード会社からの内容。○月○日、あなたは○○○円の買い物をインターネットで行いましたか?というのです。満州族自治区にいたときのことです。ここで私のノートブックはネットに繋いでいません。当然買い物もしていません。利用額は三桁。僅かな金額です。カード会社はこの手の詐欺を見抜いているようです。まず少額を認証させておいて、次からは多額の買い物をするという手口らしい。

ネット社会というのはすごい。上記二件はその代表的なものでしょうか。ここでは詳細な内容や固有名詞は一寸使えませんので、ご了承を。このほかにも、冗談のつもりのショートメールが受け取り先で文字化けしていたり・・・と。これも詳細は書けそうにありません。

それにしても日本は本当に世界で一番自由が満喫できるすばらしい国だと感じました。日本であれこれ文句を言う人は、ぜひ外にでてその空気を感じてほしい。

[写真は満族のテーマパークで。百歳を超えるご老人。]

Saturday, July 15, 2006

[廈門通信] 麗江?そりゃ納西料理でしょ!

[廈門・38日目] 麗江?そりゃ納西料理でしょ!
麗江古城で見事裏切られたわけですが、麗江そのものはやはり独特な雰囲気を持っています。海抜2400メートルの盆地、美味しい空気、廈門が嘘のような低い湿気、納西族独特の顔つきと言葉。そして見事に期待と違っていたのが納西料理。どこかで読んだような気もする、雲南は米の原産地で、日本の料理によく似てて、あれこれ・・・。漬け物まで同じ。脂っ気も少なく、味付けも薄い。最後にでてきたご飯は菜っ葉飯、よかったですねー。うまかった。

テーブルの上のあれこれは前菜、果物の実が多い。「金星閣」という、埃の舞い立つ田舎の村の一角にある農家を改装したお店でした。あんなところまで客が来るのだろうかと心配になりましたが、つまり納西族の人たちが利用する家庭料理の店と言っていいのでしょう。観光客は訪れそうにないのです。地元の人間による地方料理店。覚えておこう。

その日はありませんでしたが、中庭の石畳で納西族の踊りも演じたりするそうです。

さて、これから麗江を離れます。離れてどこに向かうかというと、今度は満州族の農村です。何に触れることができるのか、また別の楽しみに出逢あえることを期待しています。

Friday, July 14, 2006

[廈門通信] 印象・麗江

[廈門・37日目] 印象・麗江
廈門から昆明へ、飛行機を乗り継ぎ期待ふくらむ麗江を上空から眺めながら降り立ちます。まずは仕事、開発がらみの話で経過がわからない私はただただ聴きに回るだけです。この役人のほとんどは納西族、トンパ文字で有名ですね。役人同士は納西語で話す。これはさらに輪を掛けてわからない。彼らの話す標準語もわからない。発音は私以下でしょう。

現場を見て、我々一行四人、四部屋あるメイド付きのビラにチェックイン、ビラは庭園の中にあるように配置され、川が流れ、石畳と雰囲気いっぱいです。しかしメイド付きのホテルって初めてで、一寸驚かされましたね。根っからの貧乏人なんでしょう。その点中国人は違う、金で買ったものは使いまくる、根性が違う。

部屋に荷物を放り出してすぐ、麗江の古城に向かいます。ここはいろいろなところで、いろいろな形で紹介されていますから、私のつたない写真は使わない。その代わりにこの写真、チャン・イーモーが雪山ロケをした映画の看板です。チャン・イーモー、帽子被ってたりすると高倉健さんに似ていて、一瞬「単騎千里を走る」の宣伝かと思ってしまいました。

世界遺産・麗江古城、古い町並みを使った大テーマパークって感じでした。若者わんさか、店の売り子もつれ込みもみな若者、食い物屋も古民家を使った学芸祭というイメージ。しっくり来ませんでしたね、ジジには。ばかでかい敷地に人が溢れかえり、そのほとんどが中国人、外国人なぞほんの僅か、驚かされました、中国人のエネルギーに。

Thursday, July 13, 2006

[廈門通信] さて旅にでますか・・・

[廈門・36日目] さて旅にでますか・・・
今朝、事務所に着くとすぐにボスのボスが会いたいといいます。出張のスケジュールについてです。なぜ麗江に長逗留するのか聞きたいと。

出向いて一つ一つ説明をします。最初は立ったままで話をしましたが、途中から席を与えられました。だんだん納得していったようです。最終的には一週間程度必要だろうから、次回にするようにということになりました。ボスがいてその上のボスがいて・・・厄介ですね、組織というものは。

このボス、人気がありません。まあボスというのはそうなのかもしれません。しかし組織は人ですしね。機会があったらつっこんでみたいですね。首を覚悟で。

ということで、まもなく車がやってきます。blogやメールのやり取りをしていた書斎からはしばらく人影がなくなります。一寸寂しげな早朝の風景です。

Wednesday, July 12, 2006

[廈門通信] 安静がほしい

[廈門・35日目] ここでは何でもすべてが突然に変わります。三日の間に三回、出張予定が変わりました。この件を仕切っているボスの秘書は可哀相です。予定をつくっているのは他の人間ですから、彼女が文句を言われる筋合いではないはずなのです。私のボスの米国帰りの秘書に聞いてみました。ここが例外なのだそうです。

何しろすべてがにぎやかです。千葉の田舎暮らしに慣れた人間には安静がほしい。一人で何も考えずにボッとしていたい。これがなかなかできない。広い簡素で何もない部屋にボッとしていても呼び出しがある。携帯電話を手にしている限り、誰かが追っかけてくる。そんなビジネスの世界から逃げ出したくなったら、携帯を棄てて散歩に出ること。好き勝手に街の中を歩き、美味しい羊肉麺を食べ、湖畔のコーヒーショップでエスプレッソを口にする。

先週の日曜日がそうでした。一日のんびりできると思っていたところ、珈琲店から戻ると携帯が鳴りました。でている間ずっと鳴っていたようです。近くのレストランにいるので出てこいと。しなびた格好のまま向かいました。安静がほしいのです。湖畔で白鷺の姿を見ていたいのです。野良猫を追っかけていたいのです。

Tuesday, July 11, 2006

[廈門通信] 強力なコンセント

[廈門・34日目] 厨房のコンセントです。オーブンのプラグが差し込まれています。オーブンは240V。力強い。朝食の食パンなぞ、一寸焼き時間を間違えると真っ黒になってしまう。どうも使い勝手が悪い。ユーザーという概念がないように見える。

ほとんどの差し込みは110Vと240Vの組み合わせです。写真の上の差し込みが110V,下が240V。空調機や洗濯機、炊飯器などはみな240V仕様になっています。思いっきり部屋を冷やしてもすぐに効いてくる。110m2の住居、二つの寝室。そこに10回路を配分している。余裕十分です。この夏場、中国全土がこの調子だと当然電力不足になるのは理解できます。

日本と比較してみると、日本はとても節約している国に見えてくる。日本の製品は世界一品質が高い。高いだけの理由がある。持ちがいい、故障しない、いまでは衣服の再利用もしている。ここ中国には何でもある。表面的な仕上がり具合もとてもいい。しかし見えないところはどうなっているのかわからない。手が抜かれている。

現場管理の顧問がいっていました。搬入される製品は、最初に提示されたサンプルと見かけに違いがないものの、一皮はいでみると全く違う製品だったりすると。食うか食われるか、ここでは気構えが必要です。日本人は外国製品を賛美したりするものの、まだまだ日本製品は世界で最も安心して使えますね。自慢しましょう。

Monday, July 10, 2006

[廈門通信] 廈門の韓流

[廈門・33日目] (韓流の師匠と伝道師に送ったメールから)

ジュンサン兄、キョンニ

そちらはやたら暑いでしょう。当然こちらも暑い。湿気も相当。アパートの夜は一晩中冷房です。冷房嫌いの私、初めての夜に冷房止めて寝たら、蒸し暑くて一時間もしないうちに目が醒めてしまったのです。おかげで日中だるい。いやはやまいりました。

廈門のコブタちゃん(注:私の秘書)がウェッブサイトから韓流がらみを見せてくれます。昨日は「夏の香り」。中文で「夏日香気」、翻訳がなかなかいい、発音(xia1ri4xian1qi4)しても気分が出てくる。韻を践んでいます。フォトギャラリーであの女の子(注:心臓移植を受けた主人公)を見せてくれました。あたしが「茶畑のジジ」(注:心臓を提供した女性の父親)を見せろと言ったのですが、ギャラリーには乗っていなかった。「茶畑のジジ」が「夏日香気」で一番好きな俳優だったんだけどなー。

で、あさってから健サン(注:健さんは麗江とその西にある「石鼓鎮」という、近々ダムの底に沈む運命にある美しい村に行ってチャン・イーモウの映画「単騎千里を走る」を撮ったのであります。その時のメーキングのテレビを見たのですがそれはそれは美しい村でありました。 ジュンサン兄)してきます。まず麗江に予定として四日間、そのあとに満州族の部落に三日間、しめて一週間でしょうか。麗江からは付き人ナシです(注:健さん、撮影期間中、付き人無しで通したそうな。あの歳で見上げたものです。 ジュンサン兄)。さてさてどんな旅になるのやら・・・

廈門のジジ

Sunday, July 9, 2006

[廈門通信] 日曜日は頭の洗濯を

[廈門・32日目] 日曜日は頭の洗濯を
私の秘書は韓流に乗っています。詳しい。で、話が合います。時々片言の韓国語を口にしたりします。舌っ足らずな語り口で「ミヤネー」(ごめんなさい)なぞいいます。これがいい。私が喜ぶのを見て「アンニョ?」(何ですか?どうしたんですか?)。二人して何してんですかね。

私が知っている韓国の俳優の中国語名を書いてもらいました。なかなか言い当てられません。中国語の発音からは想像できない。特に名前の二文字目。もしかしたら意識的に変えているのかもしれません。

韓流の師匠と先輩のネエさんにこの写真を送ったところ、ネエさん、見事に答えてくれました。

>ネエさんの答え:
>当然、ビョンビョン   李炳憲 Lee byeng-hun (I Pyeong-Heon)
>ヨン様   裵勇俊    Pae Yong-Jun
>ジウ姫   崔志宇   Choe Ji-U
>コブタちゃん(漢字ナシ)   Song Hye-Kyo
>でしょでしょ! ピンポンピンポ~ン!
>漢字表記ずいぶん変わっちゃうんですね。発音も。

今日は日曜日、呼び出しはありません。ゆっくりと目の前の超高層ホテルを眺めながら記事をしたためています。

Saturday, July 8, 2006

[厦門通信] 結構やるではないですか!

[廈門・31日目] 事務所が現場事務所の一角にあることはお話ししました。ここはでかいホテルの現場です。台湾の有名建築家が設計したもので、オーナーの考えによって長い間あれこれいじくり回され、オフィスの計画が最終的にホテルに変わったのです。

某建築家にしてはアクがない、すっきりしている、合理的に見える、などなど結構やるのです。ロの字型の平面、中庭の床には一面に大理石が張られている。上部はガラス天井で覆われています。さぞかし音が反射してうるさいと思いきや、中庭に面した壁には消音パネルが貼られている。なかなかモダンに見えます。某建築家が宗教に走って、奇っ怪な作品を作り続けていることを考えると、きっと若い連中が手をつけたに違いないと踏んでいます。

オープニングを間近に控え、仕事場には大声と罵声とが入り交じっています。私は最上階に登り、我関せずと中庭の大理石の貼り具合を見ておりました。

来週は麗江と満州の敷地を見に行く予定です。麗江は世界遺産に指定された町ですので楽しみですし、満州では満州族の農民にあっていろいろな話を聞いてみたい。でも北は一寸気になります、日本人ですから。

Friday, July 7, 2006

[厦門通信] 洗濯なぞは・・・

[廈門・30日目]  日常生活の一切を自分で片付けること、海外に出れば厄介な日常が待ち受けます。炊事・洗濯・掃除などなど。お金さえ出せばすべて他人任せにできることです。特にこちらでは。兌換のレート以上の実勢があります。都市部でも日本との生活差は8倍、一歩外に出ればそれ以上、こころしています。

とはいえ、広い部屋に一人、掃除する部分が大きい、一週間に一度するとしても厄介。部屋の床の大部分が白い大理石です。ゴミが目立つ。結局事務所の掃除をしている人にお願いしました。週一回、約三時間、〆て40元、日本円で600円弱でしょうか。

朝食は定番になってしまいました。食パン二枚、卵焼き、卵は二つ、トマトとキャベツとキュウリのサラダ、それにオレンジジュース。食パンにはマーガリンに蜂蜜か黒ごまのペースト。昼は事務所の向かいにある、家具センターのレストランに出かけることが多いのです。セルフでⅣ元50、単品を注文することもできます。スープを加え、二三人、一人あたり約20元になります。一度事務所で弁当を頼んでみましたが、すーごく美味しくない!のですぐにやめました。夜は前に紹介したように、総菜を買ってくることが多い。

洗濯物の大部分は備え付けの洗濯機を動かします。クリーニング屋に出すものは少ない、普段着がGパンにポロシャツ、Tシャツ姿。それでもYシャツや、ごくごくたまに着る背広は外に頼みます。Yシャツが一着5元。畳んでくれと頼めば畳んで、吊してといえば吊してと注文に応じてくれます。[写真はクリーニング屋の引換書です]

まあ、考えてみれば日本の単身サラリーマンと同じですね。さっぱりです。

Thursday, July 6, 2006

[厦門通信] 仲間たち

[廈門・29日目] 少しづつ、そしてゆっくりと仕事のメンバーが揃いつつあります。仕事場はまだ現場の一角、地下駐車場の一角を区切っただけの、設備配管が露出した、殺風景な風景の中にあります。

私はボスの部屋のボスの机を借り受けて仕事をしています。仕事場全体が見渡せる、奥の奥から騒がしいなかで毎日を過ごしているのです。

ここでの仲間たちのプロフィールを紹介しましょう。
最初の写真は私のボス、台湾時代にお世話になった方です。二枚目の写真は以前ボスのところで働いていた方、台湾人で上海で仕事をし、寧波(廈門の北、上海の東に位置した都市)に居を構えています。二人とも以前から面識のある人たちです。
三枚目には私の秘書(まあ秘書といっても雑用係みたいなもので、少し日本語ができるという程度、外国映画みたいな光景は想像しないでください)と、特別顧問の方が映っています。私の書いた原稿を中文に翻訳したのを添削していただいているところです。この顧問、なんと二十数年ぶりに再会した方です。初めて台湾仕事をしたとき一緒に釜の飯を突っついた方なのです。長年ここで顧問をされてきたと話してくれました。奇遇でしたね。引退も考えず働いておいででした。

Wednesday, July 5, 2006

[厦門通信] そういえばバイクが走ってない

[廈門・28日目] 言われるまで気がつかなかったのですが、ここ廈門本島にはバイクが走っていないのです。代わりに電動バイクが走っています。そう、環境保護のための処置です。あのバイクの騒音も臭いも危険な走行も見当たりません。おとなしく、しなやかに、溢れる車の間を縫って走行しています。でも重そうだったな、動きが。

京都議定書に調印していない中国政府、意外に環境に配慮していたことに驚かされました。いや、廈門だけのことかもしれませんが。写真は仕事場として使われている現場の片隅に並べられていた自転車の中からピックアップしたものです。

Sunday, July 2, 2006

[厦門通信] こちらではすべてが突然に

[廈門・25日目] 星期天、今日は日曜日です。遅くまで寝ていられる日なのです。普段は六時起床、八時に車が来ます。その間に洗濯、食事、シャワーを浴びてフロアの階段室にゴミを出し、上斑、八時半に出勤という手順です。

昨夜は久しぶりに遅寝、W杯イングランドVSポルトガル戦を看ました。日本・オーストラリア戦以来の観戦です。イングランド・ルーニーがやってしまいましたね。レッドカード、一発退場。やっぱりでしたか。PK戦終了と同時に床についてすぐに寝込んでしまいました。

携帯電話が鳴って目が醒めます。時間をみると十時、呼び出しです。会長がこれこれの資料がほしいと、サンフランシスコから指令が来たというのです。会社のトップって我が儘なんですねー。一日遅れてもどうということのない内容ですよ。それでも二時間余裕をもらって出かけました。資料はすでに用意してありましたので、打ち合わせは至極スムーズにゆき、無事解放されました。朝食抜きの日曜日でした。

電気ケトルの調子が悪い、サーモスタットが突然効かなくなりました。一生懸命蒸気を噴いてしまいます。熱くて触れません。買って四日目頃からです。見かけはなかなかいい、よくできている、安い。使うとすぐにボロの出るのがらしいですね。120Vから240Vで沸かしますので、一瞬にして沸いてしまう。力強い、しかしもろい。らしいのです。

Saturday, July 1, 2006

[厦門通信] 突然に石工工場

[廈門・24日目] 先日お話しした、発注した石の彫刻ができあがったというので出かけたときの話です。廈門から車で海岸沿いを北に約1時間半、石の彫刻で飾られた町に連れて行かれました。

恵安という石の産地で、生業は石の加工。高速道路を降り、だだっ広い道路を海岸に向かったところにあります。当日は快晴、雲一つ無い。海風が気持ちいいのです。同行した人は大の暑さ嫌い、待ち合わせの時間にも車から降りようとしません。薄暗い事務所よりどんなにか爽快だというのにです。

石工工場で制作中の作品を確認し、手直し部分を指摘し、工場の人間からどうせならここの記念公園を訪れてはといわれ、接待が始まります。

この公園、崇武古城と名付けられています。泉州湾の北岸、台湾本島に一番近い場所だそうです。我々一行、八人乗りのカートに乗って城跡を巡っていきました。運転手とガイドがつきます。二人とも女性。変わった衣装を身にまとっています。黒のパンツ、派手な模様で飾られた、身にぴったりの短い上着、重くこれも鮮やかな刺繍の入った帽子が目を引きました。

この女性たち、恵安女といわれ、働き者として有名で、朝から晩まで黙々と動き回る。実際、道路脇で肉体労働に従事していた姿も目にしました。結婚すると短い上着がさらに短くなり、ヘソ出しになる、そんなことでも有名とか。我々についたガイド、とてもかわゆい。残念ながら結婚していないのでおへそは見られませんでした。腰には銀線のベルトが、肩からポシェットが。帽子は日よけのほかに、帽子の裏に貴重品を隠しておくポケット縫いつけられ、最も大切な人の写真もピンナップされるそうです。彼女の場合、自分の写真がとめられていました。

この辺り、明の時代、日本の海賊が荒らし回ったとか、記憶の定かではない私は、彼女にここの教科書おかしいよと反論したりしました。そんな日本人を、彼女、別れ際に笑顔と手を振って答えてくれたのです。日中友好。ニコニコ。