Saturday, April 29, 2006

韓国映画「甘い人生」師弟対話-イルボン編

韓流会食会のことです。韓国映画やドラマの話で盛り上がりました。その中で一つの映画が注目され、あれやこれや語りました。「甘い人生」という韓流人気俳優イ・ビョンホンの演じたフィルム・ノアールでした。会食会の後のメールでやり取りした師弟対話を整理してご紹介します・・・ここでは私は教えられるほう、いわゆる<弟子>にあたります。方や年期の入った韓流の<師匠>。

<弟子>
会食会で言葉の足りなかった部分の追記です。
一番気に入っているシーンはラストにシャドーボクシングしている場面。(本編と)何の脈絡ないんですけど。その後に続くギターアンサンブルの曲が好きなのです。

<師匠>
韓流ドラマの感想ありがとうございます。視点がちがってて面白いですね。細部をよくご覧になっておられる。「甘い人生」のラストにシャドーボクシングなんてありましたっけ?ギター曲なんて流れてましたっけ???

<弟子>
「甘い人生」のラスト5分間(のCD)をお送りします。イ・ビョンホン自ら陶酔のイメージフィルムです(と私には見えた)。きっと本編で使う予定だったんじゃないかなー。なぜ一番最後にこの場面を加えたのか監督に聞きたいところですが・・・
師匠、ここのビョンホンの顔、いいですよー。

<師匠>
弟子も想像力のふくらむ方ですねえ。

<師匠>
CD届きました! 
このエンディング、夢の話は覚えてましたが、シャドウボクシングのシーンはまったく忘れてました。かっちょいいです、イ・ビョンホン。むふふふふ。バックに流れるギター・・・

<弟子>
このシーン見ると圧倒的にイ・ビョンホンはかっくいいですね。したたる血しぶきのあとの残像をみんな洗い流してくれる清々しさありますね・・・

<師匠>
http://www.bitter-sweet.co.kr/
「甘い人生」の韓国版オフィシャルサイトです。
韓国語なのでイ・ビョンホンのナレーションもさっぱりわかりませぬが、けっこうおしゃれです。ゲームもあります。

<弟子>
最初から「甘い人生」見直しました。本編最初に地下室で一仕事終えて、何もなかったかのようにバーに戻ってくる。場面はここで終わっているのですが、最後の5分はここから始まっています。でも、(本編に)繋げてみるととてもハードボイルドには見えない。で、割愛したのではないかなー。でも、ビョンビョンはこのシーンとても気に入っていて最後にイメージフィルムとしてのせたのかなー。もし、(会長の)愛人との会食の後だったらわからないことはない。なぜなら、彼の生活に入ってきた別の世界だからー。

添付ファイルのハングルってなんて書いてあるのですか?「甘い人生」?おしえてください。

<師匠>
弟子の「最後の5分間」へのこだわりおもしろいですねえ。
ビョンビョンも「これは私の代表作になる」と語ったそうですから、編集にもかかわってることはありえますね。

わたしもハングル講座一週間で挫折した輩ですから、ジュンサン兄(今日は地方出張で不在なもんで)の書棚から勝手に朝和辞典ひっぱりだして調べたところですね、まさに「甘い人生」でした。
最初の三文字タルコマン(と読むらしい)で「甘い」、最後の二文字インセンが「人生」でござんす。インは人間(インガン)のイン、生(セン)は先生(ソンセン)のセンで、日本語とまったくいっしょですね。
あやしいハングル講座でした。

<弟子>
いやとても参考になりました。わたくしめなど、韓国語の辞書が引けないのですから。

で、続けて「甘い人生」パクり編。
(会長の)愛人が恋人を連れ込んだのをとがめた後の車。暴走族に絡まれる。はじめは無視していたのが、突如猛スピードで彼らを追いかけ打ちのめす。これ「冬の華」(倉本聡脚本のフィルム・ノアール)の夜の公園で三浦洋一と(池上希実子が)キスするシーンを物陰から眺める高倉健。その後の飲み屋街。チンピラとすれ違いで肩が当たる。絡むチンピラをめった打ちする。この心理的なアヤはパクりだなー。(などなど・・・)

<弟子>
最初と最後のモノローグをblogに紹介してしまいました。
http://our-studio.blogspot.com/2006/03/blog-post_25.html

<師匠>
それにしても「甘い人生」のめりこんでしまいましたね。
私も寝た子を起こされてか、つい戻ってきたDVDをつまみぐいしてしまいました。先日も申し上げたようにちょっと期待はずれだった感もあって、いちど見たきりだったのですが、弟子にいろいろ細部について語られると興味わいてきちゃいましたよ。オフィシャルサイトのmakingなんか見ちゃったりして。

blogにのせたモノローグ、とくにラストのやつはとてもいいです。エンディングに入ってるからよけい哀しくなっちゃいますね。あの対話、ほんとにどこかの古典かなにかに出てるのかな?

<追記:師匠の師匠からのコメント>
最初のモノローグは無門関あたりの禅の公安の引用です。枝だったか旗だったかおぼえていませんが。最後のもたぶん出所は大差ないとおもいます。

無門関、急遽調べましたです。ありましたがちょっとちがってます。脚色したのでしょうか。
http://www.shomonji.or.jp/soroku/mumonkan/

第二十九 非風非幡 ‐六祖の風幡‐
六祖、因みに風刹幡をあおぐ。二僧有り、對論す。一は云く、「幡動く。」一は云く、「風動く」と。往復して曾て未だ理に契わず。祖云く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者の心動くのみ」と。二僧慄然たり。

夢の話は見あたらないし、公案らしくないので別に創作したのか、あるいはほかの禅籍にあるのか不明です。

<弟子>
なぜか「甘い人生」のサウンドトラック盤CDが手元にあります。
で、そのなかからこの二つ(「dialogue#1」、「悲しい僕の夜」)を・・・

<師匠>
続けて聴くと実にいいです。何度も聴いちゃいました。韓国語ですら妙に美しくきこえるビョンホニーの”dialogue#1”・・・。ムヒッ。
「冬の華」彷彿のギターのメロディが耳に残ります。曲の合間にカツカツとギターの盤面を叩く音が、映画冒頭の厨房を抜けながら地下に向かう時の足音にきこえ、このシーンの音楽は全然別の物なのに、イメージがダブってしょうがない。

最後のシーンは「甘い人生」ブログでも話題になってます。”dialogue#1”の英訳を写真集から引用掲載してる人もいました。

One late autumn night, the disciple woke up crying.
So the master asked the disciple......
"Did you have a bad dream?"
"No"
"Did you have a sad dream?"
"No" said the disciple.
"I had a sweet dream."
Then why are you crying so sadly?
The disciple answered quietetly, while wiping his tears.....
"Because my dream cannot come true."

(英訳だからどうしたってなもんですけど・・・)

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これだけ語ることができました。たかが「映画」、されど「映画」でした。

Tuesday, April 18, 2006

韓国映画「甘い人生」エピローグから








「雑木林から」の記事「師弟対話」から転載

ある春の日ー
風に揺れる枝を見て弟子が尋ねた
「師匠」
「動いているのは枝ですか?風ですか?」
弟子の指さす方も見ずに師匠は笑って言った
「動いているのは枝でもなければ風でもない」
「おまえの心だ」

ある秋の夜ー
夢から覚めた弟子が泣いていた
その姿を見た師匠が不思議に思って聞いた
「怖ろしい夢か?」
「いいえ」
「悲しい夢か?」
「いいえ」
「甘い夢でした」
「なぜ泣いている」
弟子は涙を拭きながら低い声で言った
「その夢は叶わないからです」

韓国映画「甘い人生」の最初と最後のモノローグからです。映画を暗示させているのですが、なんかいい会話だと思って収録しました。

韓国映画「甘い人生」最後の5分

「雑木林から」の「やっぱり映画は面白い」から転載

先日、韓流会食っていうことしてきました。韓国映画やドラマの好きな仲間たちと会食です。私は教わる立場でしたが、いまやハマっています。

八十年代に東アジアの台湾・韓国でヌーベルバーグといわれた流れがありました。それがいまでは韓国が充実したフィルムを提供しています。たとえばフィルム・ノアール、やくざものの質も高く、一時期の香港暗黒映画をしのいでいますし、表現も洗練されています。

「甘 い人生」という、不条理な仕打ちにあう男の映画。日本でも女性に圧倒的な人気の男優、イ・ビョンホンが陶酔して演じている映画。たしかに押さえた表現がい い。しかしもっともすばらしかったのは、最後5分間、本編とは脈絡のない映像でした。都会の夜景が映る窓ガラスに向かってシャドーボクシングをしているだ けなのですが、本編の隙のない緊張感ある表情から離れた無心な演技がとても印象的でした。

この5分間だけでこの映画を評価してしまう、結構映画ってそんなところがあると思います。全体がハチャメチャでも、どこかの一シーンで感動してしまえばそれでよし、それで全てってこともあります。ただ映画が好きなだけなのでしょうが・・・

Friday, April 14, 2006

張恵妹はどこにいった (台湾)

三年前、中国大陸の蘇州で仕事をしたときのことです。企画設計をわたくしめと台湾の設計事務所から若い男が一人、蘇州からPMと図面書きの女性の四人が二回、二週間にわたり缶詰状態で仕事をしたことがありました。

わたしはこの緊張状態をほぐすため、PCにCDをつっこみ、繰り返し繰り返し聴いていたのが台湾人女性歌手、張恵妹(zhang1 hui1 mei4)の曲でした。このあまりのしつっこさに驚いた台湾の若者、それ以降蘇州や上海、台北で会うたび、クラブやカラオケのお店で彼女の曲を私に歌って聴かせてくれます。なおかつ、張恵妹の新曲がでると、台湾から日本の私の手元にCDやDVDが届くようになりました。うれしいですよね、彼に感謝です。(注:かれはストレートですし、純粋な気持ちで歌を、CDを贈ってくれているだけです。誤解のないように。)

張恵妹、英語の小名でAMei、いまでは中国語圏の国々で盛大に公演会を開き、絶大な人気者となっています。しかし、私には時間とともに彼女の歌の魅力に翳りが出てきたと感じるようになってしまいました。今回届いたDVDやCDからも、あのかつての声量も、歌いあげる表現力も感じられませんでした。時の残酷さでしょうか、とても寂しい思いがしています。仕方がない、今日は昔の彼女のCDを引っ張り出して懐かしむことにしよう。

ちなみに私が蘇州でハマった曲は「聴海」と「鼓聲若響」。

Wednesday, April 5, 2006

[アモイ追伸] 泉州のお茶屋

廈門から帰国する前日の午後、泉州という古い町を訪れました。この町、老台湾、古い台湾の町を感じさせます。新しい建物も少なく、古い町並みを改修し、観光に力を入れようとしているみたいです。騎楼(アーケード)を抱えた低層長屋が続き、車が行き交う程度の道路幅で、賑やかに人が行き交う。オートバイに人を乗せ、荷物を積み、そんな光景を眺めて落ち着きました。

廟の近くでお茶屋を見つけました。のどが渇いたので入れてもらいます。同行した運転手は会社で飲むと言ってお茶を買っていました。店の女主人が慣れた手つきでお茶を分け、計り、小さな袋に詰め、真空パックにします。一袋の分量で二人か三人、六杯から七杯入れられるそうです。

廈門のある福建省はお茶で有名です。長い鎖国でお茶の銘柄を台湾に持って行かれていましたが、今ではかなり海外に送り出しているそうです。ここは鉄観音という種類のお茶です。同様なものが台湾でもつくられています。台湾人に言わせると、鉄観音は高山烏龍茶の一種類だそうですが、こちら、福建省の人は烏龍茶は鉄観音の中の一つだと言います。

小さな街中のお茶屋です。中国茶のお店はお茶を入れて客をもてなしてくれます。日本人の私が中国語を話すのをとても不思議がっていました。長閑なひとときでした。

Tuesday, April 4, 2006

[アモイ追伸] 贋煙草

鼓浪嶼の穏やかな海岸の一こま。向かいは隣の県。工場地帯の煙突が見えています。公衆電話の横に小さなテーブル。ここでお茶を飲みました。

会社の運転手と散策していたときのことです。ちょっと蒸し暑かったこの日、のどが渇いたのでお茶にすることにしました。お茶を専門にしている店であるわけではなく、小さな雑貨屋。所望したお茶は味も素っ気もない、ただ色が付けてあるお湯という代物でした。しかし場所がいい、おいしい気分で飲ませてもらいました。

運転手さん、煙草が切れたといってお店で購入してきました。ところが、お茶を口にすることなくしきりに煙草をいじくり回している。切り口を挟んだり突っついたり。一本折り曲げて中身を吟味している。そしてまたお店にもどっていきました。

時間がかかっているので私もお店に行ってみます。なにやら店のおばさんとやりとりしている。福州語なので意味不明、理解できません。そうこうするうち、おばさんはぶつぶつ口にしながら銭函からいくらかのお札を集めて運転手さんに渡していました。

店を出て彼に聞いてみます。彼の言うところによると、あの煙草は質の悪い煙草の葉を巻き替えて高級品に見せかけた偽物だというのです。私はその贋煙草を手にしませんので、何がどう違うのかは判りませんでした。彼曰く、この辺り一帯にはこの類の煙草が多いそうです。すぐ向かい台湾の煙草は人気があり、その贋煙草も多く出回っていると言います。さかんに計算して見せ、一本につきいくら儲かるか話してくれました。また、三本四本と分けて売ることもあり、そうなるとなおさら本物かどうかの判別は難しい。気をつけた方がいいですよ、といわれました。

いろいろな商売があるものですね。

Sunday, April 2, 2006

[アモイ追伸] 廈門市地図から

アモイ市地図の一部です。ここには二つの国の島が映っています。下の左はアモイ本島、所在は中華人民共和国。下右の白っぽい地図は中華民国の金門島。エッツこんなに近いの?聞いてはいましたがこれほど近くに金門島があるとは。中央の小さな白っぽい島は小金門島。国境線を挟んで最も近いところは2.1kmだそうです。

この距離です、当然どちらからも肉眼で見ることができる。私の滞在時には、雨とモヤで確認はできませんでした。

かつてはお互いが大砲を撃ち合っていたんですね。いまでは台湾のビジネスマンは台湾本島から飛行機で金門島までやってきて、船で廈門まで渡るルートができているといっていました。私も廈門から台湾に渡りたいというと、台湾人にのみ許されたルートだそうで、残念ながら外国人は渡れませんといわれました。

[アモイ追伸] アモイ島から鼓浪嶼へ

滞在5日間のわりにはあちこちいってきました。担当重役がマカ忙しいのと、仕事のネゴは至極簡単に終了したので時間が空いたからです。あとは会長が指を立てるか下におろすかです。

三日目は丸一日手持ちぶたさな一日となりました。午前中はこの企業グループの施設を見学、午後から市内見学です。どこに行ってみたいかと聞かれても、予備知識なしで出向いています。お任せしたところ、運転手付きの車は、戦前の共同租界だった鼓浪嶼(gu lang yu)という小さな島に向かいました。アモイ島からフェリーで渡ります。僅か5分程度です。平日だというのに乗船する人で溢れていました。往復1元。為替相場で約15円。

このフェリー、24時間運行だそうです。夜の9時頃まではひっきりなしに、それ以降は半時間に一本、12時を過ぎると1時間に一本、お酒を飲み過ぎて真夜中に本島に取り残されることはありません。

鼓浪嶼に車は見あたりません。観光客を乗せたカートと管理用のものが走るくらいです。人力車がお米の山を牽いていました。自転車もありません。急峻な坂道が覆っているからです。とても空気がおいしい。観光以外にも、芸術大学があったりと、生活している人間もいろいろです。古い商館、古い長屋、年輪を重ねた榕樹、島の至る所から眺められる海面と、アモイ本島とは大違いです。

帰国して考えたのは、もし仕事を受けた際には、この島の古びた長屋を借りて住めないだろうかということでした。