Monday, November 21, 2005

[東アジアの人たち] 染め付け絵師の女

先日購入したDVD、孫周(sun1 zhou1)という監督の中国映画「周漁的火車」(zhou1 yu2 de5 huo3 che1)、日本では「たまゆらの女」に、中国の風景はこんなに綺麗だったろうかと驚かされました。同時に主人公のコン・リー(gong1 li4)演じる陶器の染め付け絵師の女性の生き様は、蘇州での出来事を思い出させるものでした・・・。 三年前、わたしは日本と蘇州の間を行き来していました。仕事のためです。高級別荘地を旧市街の一角に計画しようというものです。

初めて訪れたときのことです。投資家のお一人から、私たち計画者はお酒をごちそうしていただきました。「蘇荷天地」という、ゆったりとした空間を持った、 蘇州の伝統的意匠をモダナイズしたすばらしいクラブです。ここでわれわれはお店の女性たちと話をし、歌を謳い、お酒を飲んでいました。中国ではみられない 行き届いたサービス(いい意味での接客ですのでお間違えなく)を受けていました。

わたしの相手をしてくれた女性、がっしりとした体格、落ち着いた物腰、黒の意匠がよく似合う。話の仕方も歌の相手もできる。なかなか魅力的です。年齢は三 十代半ばぐらいでしょうか。出身地を聞きます。景徳鎮、陶器の町です。店に来る前の仕事を聞きます。染め付け絵師。それでは何か絵を描いてくれないかと頼 みます。彼女、コースターを手にボールペンでさらさらと描きました。壺絵などに出てくる女性の顔が描かれていました。見事でした。筆をボールペンに持ち替 えても、しっかりした線を描くことができます。彼女の話は客相手のそら言ではありませんでした。父親も絵付け師として、その教育を受けてきたのだといいま す。

なぜ景徳鎮から出てきたのか、簡単に想像できます。中国は国営企業の民営化を早々と始めていました。輸出産業として作り続けていた陶磁器の景徳鎮でも同様 です。そのあおりを受けた一家、働き場を失った結果の蘇州生活。おそらく結婚もし、子供もいることでしょう。あの落ち着き方でわかります。

クラブの一室はにぎやかに時間を迎えました。「差不多ba(口+巴)!」(そろそろでしょう!)という一声で、一同落ち着きを取り戻します。招待していた だいた方は、店の女性全員にチップを渡し始めました。そのときです。景徳鎮の女性きつい声が狭い部屋に響きわたりました。

「冗談じゃないわ!私たちのチップは○○○元何かでは少ないわ!こんな席になんかいられない!さあ××(別の女性の名前)、いきましょういきましょう!」

あっけにとられている我々の目の前から、彼女は悠々とでていってしまいました。
「おーおー、気の強い女だ」とか「すごいね」なぞとわたしと友人が話していると、投資家の人が大声を上げます。

「あの女の名前はなんという!総経理を呼んでこい!」

と、すごい剣幕です。そうですメンツが立ちません。それに女性は失礼です。いくらチップで生計を立てているとはいっても、チップは客の気持ちです。それを 大声で罵倒するようでは仕事は勤まりません。しばらくして総経理がとんできました。ことの成り行きを一通り説明すると、総経理がマネージャーに女性を呼び にいかせます。

彼女、やってきました。やってきたのはいいのですが、わたしに謝ります。これも筋違いです。「わたしじゃない、あの方に謝りなさい」。彼女、一通り頭を下げ、一言二言口にして部屋を後にします。総経理「大変ご迷惑をおかけしました。彼女はすぐさま辞めさせます」。

後日訪れた際、彼女はすでにこの店にはいませんでした。いくらわたしには魅力的な女性に映ったとはいえ、中国全土を覆う「拝金主義」は、人間関係すらずたずたにしてしまうのでしょうか。

仕事の方はどうなったかといいますと、あまりの一等地での計画だったため、開発許可を得るのに国の審査が必要になるなど、条件は厳しくなるばかり、結局投資家たちはこの計画を中断してしまいました。

Wednesday, November 16, 2005

気分は東アジアの旅・荒川仲町通り商店街

その昔、東アジアのあちらこちらを、気ままに旅をしては、雑誌に与太記事を書いていた頃のことです。歴史背景もいい加減に、日本の中のコリアンタウンを東京ロンドン弾丸列車構想に沿って旅をしよう、を企画しました。

そのときの記事、「昭和最後の日-記憶のなかの韓国」いらい、時代とともにコリアンタウンはごく身近な存在になっていました。韓流も一役買っているでしょう。そうかこうかは分かりません、東京の下町を食い歩きしようという企画で行き当たった荒川仲町通り商店街、雰囲気は十分コリアンタウンでした・・・
ま ず驚かされたのは、ほぼ500メートルにもわたる商店街、道幅は4メートルもない、その両側を平屋か二階建の店が延々と続いている。丁度時刻は夕方五時、 店先には煌々と明かりがつき、各種各様な小売店。行き交う客の中から聞こえてくるハングル、店の看板にハングル、韓流ビデオもDVDもここなら簡単に手に 入ります。日本食の総菜店と韓国料理の総菜店、日本そば屋に韓国家庭料理店。ここはどこかと見まごうばかりです。

商店街のはずれで焼き肉屋に入ります。連れのshinさんが店の女将さんに聞きます。

shinさん「ここは韓国の店が多いですね」
女将さん「家庭料理が多いですね」
shinさん「女将さんは土地の方ですか?」
女将さん「いえ、二年前に新宿から」
女将さん「みんな外から来たの人が多くてね」

外から来た人たち?、女将さんが言いたかったのは・・・
勝手な想像です、女将さんは在日韓国人、外から来た人たちは韓国人、焼き肉屋の女将さんと外から来た人たちの韓国家庭料理のお店。

漫画「三丁目の夕日」のようなこの商店街、懐かしい記憶の中に異国が入り始めていました。