Saturday, December 3, 2005

「幽霊」のなかの仮想敵国

「続:いまさらですが韓流・・・」で少しふれた韓国映画「幽霊」(ユリョン)、なかなか興味深いので再考。話というのは、核ミサイルを積んだ韓国の原子力潜水艦内部で反乱が起こり乗っ取られる。乗っ取った副艦長が目指したのは、核ミサイルを日本の都市に発射しようというもの・・・
監 督がMTV出身ということもあってか、ストーリーはコミックばりの展開。日本と米国を仮想敵国に設定しているとはいえ、反日のイメージはない。処女作とい うこともあって、話題を取りに行ったのかもしれない。しかし、日本人からみると、韓国が仮想敵国に日本を設定するかもしれない、いや、韓国に限らず日本が 仮想敵国にされることを否定できない状況にあるのか、という認識を知らされることになる。
ここ二十年、東アジアのあちこちを旅し、彼らと仕事をし、ときとして思わぬ嫌日感情にふれることがあった。こちらは「何で?」と思うものの、あちらは当然 という顔つきでだ。彼らに対して配慮が足りなかったんだよ、なんてことは言わないでほしい。配慮こそ、「差別」で「嫌日」を肯定することになるから。それ より堂々と仮想敵国日本、という若い映画監督の方がつきあえる。

この十年で急速に発展を続ける東アジアの国々、一昔前の牧歌的な東アジアはどこに行ってしまったのだろう。

Monday, November 21, 2005

[東アジアの人たち] 染め付け絵師の女

先日購入したDVD、孫周(sun1 zhou1)という監督の中国映画「周漁的火車」(zhou1 yu2 de5 huo3 che1)、日本では「たまゆらの女」に、中国の風景はこんなに綺麗だったろうかと驚かされました。同時に主人公のコン・リー(gong1 li4)演じる陶器の染め付け絵師の女性の生き様は、蘇州での出来事を思い出させるものでした・・・。 三年前、わたしは日本と蘇州の間を行き来していました。仕事のためです。高級別荘地を旧市街の一角に計画しようというものです。

初めて訪れたときのことです。投資家のお一人から、私たち計画者はお酒をごちそうしていただきました。「蘇荷天地」という、ゆったりとした空間を持った、 蘇州の伝統的意匠をモダナイズしたすばらしいクラブです。ここでわれわれはお店の女性たちと話をし、歌を謳い、お酒を飲んでいました。中国ではみられない 行き届いたサービス(いい意味での接客ですのでお間違えなく)を受けていました。

わたしの相手をしてくれた女性、がっしりとした体格、落ち着いた物腰、黒の意匠がよく似合う。話の仕方も歌の相手もできる。なかなか魅力的です。年齢は三 十代半ばぐらいでしょうか。出身地を聞きます。景徳鎮、陶器の町です。店に来る前の仕事を聞きます。染め付け絵師。それでは何か絵を描いてくれないかと頼 みます。彼女、コースターを手にボールペンでさらさらと描きました。壺絵などに出てくる女性の顔が描かれていました。見事でした。筆をボールペンに持ち替 えても、しっかりした線を描くことができます。彼女の話は客相手のそら言ではありませんでした。父親も絵付け師として、その教育を受けてきたのだといいま す。

なぜ景徳鎮から出てきたのか、簡単に想像できます。中国は国営企業の民営化を早々と始めていました。輸出産業として作り続けていた陶磁器の景徳鎮でも同様 です。そのあおりを受けた一家、働き場を失った結果の蘇州生活。おそらく結婚もし、子供もいることでしょう。あの落ち着き方でわかります。

クラブの一室はにぎやかに時間を迎えました。「差不多ba(口+巴)!」(そろそろでしょう!)という一声で、一同落ち着きを取り戻します。招待していた だいた方は、店の女性全員にチップを渡し始めました。そのときです。景徳鎮の女性きつい声が狭い部屋に響きわたりました。

「冗談じゃないわ!私たちのチップは○○○元何かでは少ないわ!こんな席になんかいられない!さあ××(別の女性の名前)、いきましょういきましょう!」

あっけにとられている我々の目の前から、彼女は悠々とでていってしまいました。
「おーおー、気の強い女だ」とか「すごいね」なぞとわたしと友人が話していると、投資家の人が大声を上げます。

「あの女の名前はなんという!総経理を呼んでこい!」

と、すごい剣幕です。そうですメンツが立ちません。それに女性は失礼です。いくらチップで生計を立てているとはいっても、チップは客の気持ちです。それを 大声で罵倒するようでは仕事は勤まりません。しばらくして総経理がとんできました。ことの成り行きを一通り説明すると、総経理がマネージャーに女性を呼び にいかせます。

彼女、やってきました。やってきたのはいいのですが、わたしに謝ります。これも筋違いです。「わたしじゃない、あの方に謝りなさい」。彼女、一通り頭を下げ、一言二言口にして部屋を後にします。総経理「大変ご迷惑をおかけしました。彼女はすぐさま辞めさせます」。

後日訪れた際、彼女はすでにこの店にはいませんでした。いくらわたしには魅力的な女性に映ったとはいえ、中国全土を覆う「拝金主義」は、人間関係すらずたずたにしてしまうのでしょうか。

仕事の方はどうなったかといいますと、あまりの一等地での計画だったため、開発許可を得るのに国の審査が必要になるなど、条件は厳しくなるばかり、結局投資家たちはこの計画を中断してしまいました。

Wednesday, November 16, 2005

気分は東アジアの旅・荒川仲町通り商店街

その昔、東アジアのあちらこちらを、気ままに旅をしては、雑誌に与太記事を書いていた頃のことです。歴史背景もいい加減に、日本の中のコリアンタウンを東京ロンドン弾丸列車構想に沿って旅をしよう、を企画しました。

そのときの記事、「昭和最後の日-記憶のなかの韓国」いらい、時代とともにコリアンタウンはごく身近な存在になっていました。韓流も一役買っているでしょう。そうかこうかは分かりません、東京の下町を食い歩きしようという企画で行き当たった荒川仲町通り商店街、雰囲気は十分コリアンタウンでした・・・
ま ず驚かされたのは、ほぼ500メートルにもわたる商店街、道幅は4メートルもない、その両側を平屋か二階建の店が延々と続いている。丁度時刻は夕方五時、 店先には煌々と明かりがつき、各種各様な小売店。行き交う客の中から聞こえてくるハングル、店の看板にハングル、韓流ビデオもDVDもここなら簡単に手に 入ります。日本食の総菜店と韓国料理の総菜店、日本そば屋に韓国家庭料理店。ここはどこかと見まごうばかりです。

商店街のはずれで焼き肉屋に入ります。連れのshinさんが店の女将さんに聞きます。

shinさん「ここは韓国の店が多いですね」
女将さん「家庭料理が多いですね」
shinさん「女将さんは土地の方ですか?」
女将さん「いえ、二年前に新宿から」
女将さん「みんな外から来たの人が多くてね」

外から来た人たち?、女将さんが言いたかったのは・・・
勝手な想像です、女将さんは在日韓国人、外から来た人たちは韓国人、焼き肉屋の女将さんと外から来た人たちの韓国家庭料理のお店。

漫画「三丁目の夕日」のようなこの商店街、懐かしい記憶の中に異国が入り始めていました。

Monday, September 5, 2005

[台北通信] 追記-台北通信・食い物II

4a409d13.jpg[農暦] 8月2日 [月齢] 1.38 二日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

豆腐の味噌漬けです。豆腐のチーズともいえます。台湾でお粥を注文すると一欠けら付いてくることがあります。美味です。私は紹興酒のつきだしにもしました。

長期滞在をしていると、普通の中華料理・家庭料理でも飽きてきます。それにやはりわたしには油っぽい。で、注文はお粥に、生卵に、野菜をさっと炒めたものに、この豆腐の味噌漬け。夜もこれで十分です。

今回はなじみのホテルに滞在しました。今年、ホテルの改装を機に引退したママさん、わたしがいるというので豆腐の味噌漬けをおみやげにと持ってきてくれま した。わたしの好物を今でも覚えていてくれました。感謝です。すでに八十歳を超えておいでだといいます。お互いに健康を約束しあって別れました。

Thursday, September 1, 2005

[台北通信] 追記-台北通信・食い物

2b9cab0f.jpg[農暦] 7月28日 [月齢] 27.3 有明月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

台北から戻る航空便を予約した際のこと。
席の指定と食い物について聞かれました。
予約係「牛さんはお食べになりますか?」
私「たべません」
予約係「はいわかりました」

水平飛行に移ると食事の準備が始まったようです。で、私には料理がいの一番に届きました。透明のカバーには「NB」のシールが。そうです、 「NoBeef」。中身はほぼベジタブル・ミール、野菜中心のメニューでした。台北の屋台に飾られていた串焼きが思い浮かんだのはいうまでもありません。

[写真は台北・林森北路の屋台]

Saturday, August 27, 2005

[台北通信] 日本へ

a23493c9.jpg[農歴] 7月23日 [桃園空港の天気] 薄曇り

帰国です。最終的に台湾の航空会社を選びました。これが間違い、ジャンボで満員、空港カウンターは混乱しています。

とりあえずなかに。最後の台北通信を書いています。明日からはまた勝間通信となります。

[帰国後カテゴリを「台北通信」に変更しています。ご了承ください]

[台北通信] 大通りの点景

68d0c7f1.jpg[農暦] 7月23日 [台北の天気] 快晴

羅斯福路という市内の大通り、幅広い歩道には日影を提供してくれる樹木。その周りに置かれたテーブルとベンチ、真夏の格好の緑陰です。背後には日本時代の住宅、大通りはひっきりなしに車が行き来しています。騒音も聞こえてこなくなるような、そんな風景でした。

Friday, August 26, 2005

[台北通信] 飲み屋街のお茶屋

94382dec.jpg[農暦] 7月22日 [台北の天気] 薄曇り

夜は牛肉麺です。街中の専門店でなく、近くの高級ホテルで食しました。話に聞いていたレストランです。味は上品、麺は少量、牛さんはいっぱいでした。

一人繁華街にでかけます。林森北路といえば日本人には知れ渡っている有名な繁華街です。日本語の並ぶお店のなかに一軒、お茶を売っている店があります。五 年ぐらい前に知った店です。日本人の友人と訪れたとき、車椅子の主人が私に聞きました。「干支は何ですか?」、私「午です」、ご主人「オー同い年です ねー」。

今もお元気かと顔を出してみました。女主人がわざわざご主人を呼び出してくれました。話が弾み、お茶をごちそうになり、長居をして戻ってきました。

[台北通信] 母校を訪れる

e79e2dc3.jpgedf32092.jpg[農暦] 7月22日 [台北の天気] 薄曇り

午後は時間ができました。どこにでかけようか考え、数十年前に追い出された中国語の学校を訪れることにしました。交通網が整備された昨今、便利です、ホテル近くの地下鉄で一本、学校に行けることがわかりました。

「国語日報」という、正しい中国語を伝えていくための、幼児向け新聞を発行している新聞社、そこが主催している言語センター。ここで半年間、月曜から金曜まで、毎晩二時間、休むことなく中国語の学習に精をだしたのです。当時と建物は変っていません。

そのころはビザの取得が結構めんどくさい、そこで毎月日本に帰国してビザなしで行き来していました。そうすると一週間欠席となりますから、先生が堪りませ んでした。一週間分の給料が手にできません。「アナタは正しくない学生です」ということで、私はこの場所を離れた思い出があります。

帰りは思いっきり「西北雨」を浴びせかけられました。

Thursday, August 25, 2005

[台北通信] 携帯電話のローミングサービス

95353ef3.JPG[農暦] 7月21日 [台北の天気] 曇り

台湾で携帯電話の3Gサービスが始まっているはずです。空港を出たところで電源をオンにしてみました。3Gの電波をちゃんと捉えました。台湾大歌大というキャリアです。

ネットワークを手動でローミング先を探すと、三つのキャリアが画面に表示されます。しかし選ぶことができたのは台湾大歌大というところ。最近参入してきたこの会社だけがVodafoneとローミング提携しているようです。

[burikinekoの道具箱でもう少し細かく紹介しています。そちらもご覧になってみてください]

[台北通信] 西北雨

de583c96.jpg[農暦] 7月21日 [台北の天気] 曇り

台北に来てから、午後は毎日激しい雨が降っています。篠つく雨、陣雨(スコール)かと、ホテルの総経理に聴いてみます。違っていました。八月の旧盆過ぎか らおおよそ二週間、台湾北部特有の天気だそうです。「西北雨」(台湾語でサイ バッ ホゥ)というそうです。今年は少し遅れてきたといっていました。

[ホテル前から西北雨を眺めます。青空は一瞬にしてかき消されました]

Wednesday, August 24, 2005

[台北通信] あと何秒?

c4945d4c.jpg[農暦] 7月20日 [台北の天気] 曇り

ホテルで食事をとったあと、久しぶりの台北の街中に出てみます。外は意外と過ごしやすい。夜の町は、湿気はありますが気温が低い。歩いていても汗ばむこともありません。

昨年、すでに設置されていた信号機に加えられた秒数表示、あと何秒で赤に変りますよ、と教えています。便利といえば便利なのですが、意外と長く感じます。待たされているという感じ。変なものです。デジタルにしたことでカウントダウンを無言で数えていたりします。

場所によってこの待ち時間、大きく変ります。30秒と短いものから、90秒というやたら長い交差点もあります。

Tuesday, August 23, 2005

[台北通信] ANA Clubのラウンジ

cf8c7c72.jpg[農暦] 7月19日 [台北の天気] 薄曇り

昨年、台湾の仕事を終えると、オーナーからビジネスクラスの台湾往復券をプレゼントしていただいた。この先、仕事が続くかどうか分かりませんがどうぞお使 いください、ということでした。それからもうじき一年になります。切符の有効期限が切れてしまいます。いくつかの資料を抱え、たった今台北のホテルに着い たところです。今週は台湾からです。

いただいた航空券はANAと提携の航空会社、成田でANAのラウンジが使えます。YBBの無線LAN、軽食と飲み物、一時間少々をここで過ごしました。参考まで。ラウンジ一番奥の、自動ドアの向こう側は喫煙者向けのラウンジになっています。サービス内容は同じでした。

Thursday, June 9, 2005

気分は東アジアの旅・水天宮界隈

東アジアの国々を覗きまわろうとはじめた東アジア世紀末研究会が二十年を迎えました。台湾の旅を手始めに、韓国・上海・香港・ベトナム・北朝鮮・日本の中の韓国などなど、いまさらながら当時の仲間たちの元気さが思いおこされます。

近頃、当時のメンバーとはじめたのは、東京がまだ江戸末期の匂いや風情を残している場所を探し回って、その雰囲気を味わいながら会食を持つこと。正確には江戸末期ではなく、高度成長を始める前の東京のこと・・・
東 アジア世紀末研究会でも、かつて一度江ノ島一泊探索の旅をしたことがありました。私は小学校以来の江ノ島、しかしそこに異界の巣食うアメニズムの世界が感 じられたのでした。江戸時代の民間信仰、いまだに引き続いていること、そしてアジアのどこかで味わったような思いにとらわれていたものでした。

前回は浅草界隈を、今回は水天宮界隈。水天宮境内が人工地盤の上に移された、参拝される方の数は少ないとはいえ、台湾のにぎやかな廟の雰囲気をわずかです が感じられました。日本も東アジアの一部なのだと。界隈一帯に超高層ビルもほとんど見当たらず、ということはビル前に狡すっからい広場も、見上げてもどこ までもひらったい壁がそびえる事もなく、表通りには戦前から食通が通った店々が、裏通りには江戸前の惣菜・食材、京都じこみの味などなど、古臭いながら適 度な多様性がうまく点在しています。

この多様性というのが実にいい。かつての東アジアの都市にはこれがあった。今では界隈と呼べる地域を特定することが難しい。どこも似たり寄ったり、はんぺ んか金太郎飴のような趣で溢れ返っています。銀座は銀座にしか、神田は神田で、内藤新宿は内藤新宿にしかない、匂いも風景も風情も異なっていたものが、今 は東京には、いや日本中になくなりそうな気がしています。

わずかながらでもそんな界隈を探し出し、味わうのも東アジアの旅かと思い、しばらく事を進めてみるつもりです。

Friday, June 3, 2005

続続:いまさらですが韓流・・・

韓国ドラマのDVDやVTRテープを送り続けてくれているのは後輩のJunJun。特に興味を引いた「砂時計」は現代韓国史へ興味を引き立ててくれます。十年前のドラマといえ、見ごたえあると感じているのは私だけでしょうか。内容を理解すると今度は背景に流れるBGMへと好奇心が向かいました。ドラマの内容と同じにBGM全体の仕立ては甘く、切なく、ほとんどが短調の曲です。 その中に画面をしめてくれている曲がありました。この曲はなんだと騒ぎ立てたところ、京ネエさんが寝る時間も省みずに探してくれました。ロシア人の男性歌 手Iosif Kobzonが太く朗々と歌い上げる「Cranes」という曲。京ネエさんのメールには


「・・・このサイトでkobzonのcranes熱唱ライブが見られます。kobzonの顔みたってダウンロードできなきゃ同じことですが。・・・」

とありました。興味のある方は覗いてみてください。なかなかの歌です。ただ残念ながらダウンロードできるサイトは見つけられないでいます。どなたかご存知ではないでしょうか・・・

Thursday, May 19, 2005

続:いまさらですが韓流・・・

(停看聴)お借りしたテープの印象をメールしたところ、以下のコメント(JunJun)が届きました

停看聴:
>>送っていただいたビデオおよびDVDをのぞいてみました
>> 結構気に入りました
>> 特に韓国現代史がらみものに興味を引きました
>> 知らなかった!韓国ってつい最近民主化されたんだ!

JunJun:
韓国現代史はいろいろわかっていないことも含めてかなり面白い。
さんざん抑圧されてきた分その反動が映画やドラマの面白さになっている。

停看聴:
>> というわけで
>> ・「砂時計」の大河ドラマはよかった!
>> 女主人公以外の人間はみないい!

JunJun:
そうなんですねえ!みんないいです。
たしかにユン・ヘリンはいまひとつもの足りない。
悪役のイ・ジョンドをやった俳優はうまかった。
主演のチェ・ミンスも硬派でよい。

これだけメッセージ性と内容のあるドラマはめずらしい。

停看聴:
>> キャラクターがはっきりしていて分かりやすい
>> いろいろな映画のパクリ集みたいなのもいい

JunJun:
韓国ものには多かれ少なかれパクリがあるが
結果オーライ以上のものがあるのでけっこうゆるせます。

停看聴:
>> 光州事変を教わった

JunJun:
リアルタイムで当時注目していました。
新聞記事(朝日)の3面にしか載らず写真などもろくになかったけれど
毎日興奮して読んでいたおぼえがあります。
多分市民と軍が直接武力衝突したという意味では天安門事件以上に大きな事件
でしたが情報が乏しくて詳しい状況はわかりませんでした。
一説に行方不明者含めて2000人が犠牲になったといわれています。
そのときに死刑判決をくらった金大中が後に大統領になってしまうという
展開も韓国らしい。

停看聴:
>> ・「幽霊」は設定がよかった!
>> 仮想敵国が日米という発想は日本人にはできない

JunJun:
作品としては不満が残るが韓国の持つ鬱々として晴れない深層心理が
うかがえて興味深い。核爆弾をもってカタストロフとする着想がコワイが
何らかの形でいつかはカタストロフィの到来を望んでいるのですね。
北の核に関していまひとつ韓国が冷静なのはあながちその辺の理由か。

Tuesday, May 17, 2005

いまさらですが韓流・・・

遅ればせながら韓流にはまりました。友人が大量のビデオとDVDを送ってきたのです。寝不足気味ですが、韓国現代史を知ることになりました。
その中で24回にもわたるTV長編連続ドラマ「砂時計」に深く興味をもちました。時代の流れを描いていたからです。「冬の時代」といわれている軍事独裁政 権時代の1970年代から80年代半ばまでの韓国、そこには一回50分すべてを光州事変(事件と呼ばれていますがとうてい事件などとは呼べません)に割い ていたりしていました・・・
登 場人物のキャラクターがはっきりしています。登場するのは地回り、政治暴力団員、右翼政治家、独裁政権の官僚、財界人、軍人、民主派学生、農民。みな時代 の証人です。韓国が歩んできた民主化の歴史は、日本が敗戦のときから与えられた情況、与えられた民主主義から始まったのとは大きく違うんですね。

もうひとつは「幽霊」という映画、韓国の原子力潜水艦「幽霊」が秘密作戦で航海に秘密裏に出航するのですが、実は核ミサイルを積んでいて、艦長はこの状況 を消し去るため自爆するつもりです。一方副艦の狙いは違います。「幽霊」を乗っ取り、艦長を射殺、ミサイルを日本に発射しようとします。

ここには仮想敵国が日米という、日本人にはない発想があります(少なくとも私には思いつきませんでした)。反日教育ではなく、実感として米国・日本にたいする想いを感じ取ることができそうです。

Monday, March 14, 2005

「陰陽五行の教え」ー型の民族 十年後記


森羅万象の一切を、ことごとく陰陽の消長と五行の運行とで説明することができる。中国人はそう考え、国の未来から明日の我が身を陰陽五行の思想に委ねてき た。陰陽は気の二方向、人間呼吸の意味、生命の本源とした。五行は五星と関連づけ、五つの物質に方位、四季、色、音、数字、味覚をあてはめている。陽の原 型文字は易である。易は日月二つの文字が重なって構成されたという伝えがあり、この日月の陰陽が変転して万物を消長させ、事物が変化をきたす。これが易で あるという・・・

[写真:台北で見つけたネオン 中国全土が描かれていた photo:(C)Eiji KITADA]

十年後記を書いていると、その当時のことが目の前に浮かんでくる。東アジアの旅をはじめたのが四十のはじめ、今思うと信じられないくらいにエネルギッシュ に動き回っていた。仕事で入ったお金のほとんどは旅に使われた。次の旅に出たいがために仕事をしていたような気がする。そんなことだから未だにお金には縁 がない。しかし、その分東アジアでの記憶は多く深い。まさに「物より思い出」の時代だった。

時代は移り、アジアの国々も栄枯衰勢を繰り返している。ついこの間まで、台湾での仕事に呼び出され、言い値で仕事をすることができた。今はその面影もな く、代わって大陸の仕事はどうですか?と、話がかかってくる。どちらにしても、十数年前のあの東アジアを深追いした結果だから、ありがたい話である。もし かしたら、「勝間通信」は「上海通信」になっているかも知れない。

Friday, March 11, 2005

FedExからDHLへ

92739c2b.jpgこ れまで何度か、日本国内で入手できないNOKIAの携帯電話などを英国のwebshop、eXpansysで購入していました。問題は送料が割高だったこ とです。ある程度の重量と価格ならば・・・なんですが、小さく軽いものでもそこそこのお金を取られます。それがFedExからDHLへとようやく替わりま した。3月からなのでしょうか。いくらか安くなるはずです。今回の買い物、送料はどのくらいになるのでしょう。ただ、UKから中継地の香港倉庫までは FedExなのかも。

Wednesday, March 9, 2005

凄い名前の法案

海峡問題、というかこのblogでは政治的な発言は避けてきました。私の及ばないところだからです。及ぼそうと考えるなら、私は「本郷義昭」になります。私は現場主義でいきます。評論なんてしたくない。

台湾の普通の方々が私に政治問題を語ることはありませんでした。理由はいくつかあるでしょうが、恐らく係わりたくない、ということだと思います。ところが昨年の秋、台湾の国会議員選挙を間近に控えた11月末のことです。一人の台湾人の方は涙を流さないばかりに、今やらなければならないことは何か、について熱く話してくれました。どちらかというと保身的な方なので、その方の発言にいたく驚かされたものです。

反国家分裂法案という凄い名前の法案が大陸で正式に上程されました。海峡を挟んだ両方に友人のいる私にとっても気になる問題です。「何とかならないのー」なんてのん気なこと言えませんし。

Wednesday, March 2, 2005

livedoor.blogの狙い?

2月21日から新しい投稿には広告を掲載させていただきます。そんな通知を受け取っていましたが、その狙いが何だったのか今日分かりました。鈍感ですね。先ほど投稿した記事のキーワードに関連した商品の紹介を掲載するのがそうでした。

そうして私はまんまと広告に興味を持ってしまいました。一つは「還ってきた台湾人日本兵」の購入案内、もう一つは「2年ぶりに待望の復活を果たした台湾ビール」。うーん、そういうことだったのか・・・ [すぐにリンク切れになるでしょうから、紹介記事を転載しておきます] 
2年ぶりに待望の復活を果たした台湾ビール depart.livedoor.com

約2年振りに復活した台湾ビール。ボトルデザインを一新し、21世紀という新しい時代を意識した商品となりました。中身のビールそのものは懐かしい台湾ビールそのものです。元々モンドセレクションで金賞を5回も受賞するなど、品質の高さには定評があるこの商品。この新しい台湾ビールは懐かしい味と先進的なデザインを兼ね備えたすばらしい商品となりました。 品名 :ビール 原産国 :台湾 原材料 :麦芽・ホップ メーカー :台湾専売局 内容量:330ml アルコール分 :4.5%


「還ってきた台湾人日本兵」 depart.livedoor.com
著者名:河崎 眞澄 著
ページ数:214P
出版社:文藝春秋

昭和四十九年暮れ、インドネシアの密林で元日本兵中村輝夫が発見された。しかし、敗戦も知らず約三十年間も孤独に生き抜いた中村は、台湾の高砂族出身であったがゆえに、日本国からは日本人とは認められなかった。戦前、日本人として教育され、日本兵として出征したにも拘らず?。日本語でものを考え、自らを日本人だと信じていた中村は、その後どうしたか。今、高砂族の人々は日本にどんな想いを抱いているか。丹念な取材で綴る忘れ去られた現代史。

Are you smoking?

昨年秋の台北滞在時のことです。台湾では数年前から公共の場所での喫煙が禁じられています。だからといって喫煙している姿を見受けないかというとそんなことはありません。わたしの老飯店(馴染みのホテル)の餐庁(レストラン)には日本人と台湾人の客が多く、かなりの人たちは喫煙を楽しんでいます。餐庁の柱には「禁煙」のロゴが張り出されていますが、誰も気にする様子はありません。

秋に滞在したホテルの客は違いました。滞在の長かった私の喫煙は陰ながらの非難を受けることになります。・・・
このホテルにもロビーとラウンジに「禁煙」の表示とロゴマークが張られています。私はチェックインのときに聞かれた「おタバコはお吸いになりますか?」に素直に従って喫煙用の部屋に入りました。ですからラウンジが禁煙でも問題はなかったのです。しかしこのラウンジ、行ってみると皆さんゆったりとしてタバコを味わっておられる。フロントに聞いてみます。「よろしーですよー」の返事、私はこの言葉に素直に従って常々喫煙を楽しんでおりました。珈琲を注文しても灰皿がいっしょに差し出されます。「喫煙」のロゴは本音と建前か、ぐらいに思っていました。

このホテル、リピーターが多いようです。ひたすら居続ける私はその顔ぶれを繰り返し眺めることになります。なかには強烈な印象を与える中国系アメリカ人もいました。いわゆる台湾でABCと呼ばれている人種です。America-Born-Chineseの略です。四十台前後、端正な顔つき、清楚な様、米語なまりの中国語、慇懃ですがどこか命令調な話し方。私が滞在してから彼の二度目の台北滞在時にフロントに部屋の注文をつけていました。「禁煙の部屋にしてほしい、ホテル中がタバコくさくて困る」。あいにく彼の希望していた部屋がなく喫煙可の部屋に回されたようです。ラウンジで喫煙している私にも聞こえる大きな声です。いや聞こえるように話しているようでした。

別な日のこと、やはりここを常宿としている道教の修行中と思われる若者がいました。いつも袈裟衣を身にまとっています。朝食でちょくちょく目にしますので、何を食しているのか興味を持ってみてみました。他の客と変わらない普通の食事でした。肉を口にしていました。修行者なら精進料理なのかな、と思っていましたがちがうようでした。

あるとき、やはりラウンジで珈琲を飲みながらタバコをくゆられていたときのこと。この若者も隣のテーブルで珈琲を注文していました。ボーイが珈琲を持ってきたとき、彼はボーイに聞きます。「君はタバコを吸うのかい?」。

彼らにとって、このホテルに訪れると必ず目にする私と私の喫煙姿にうんざりしていたようです。そんな中で気にもしていないような素振りでタバコをすい続けるのには勇気がいりました。「やめなさい!」とのご忠告がどこからかとんできそうですが、そうですね注意しますとしか今はいえません。理由はいずれ話したいと思います。

Friday, February 11, 2005

「白衣民族」ー民族の色」(韓国) 十年後記


韓流が定着したようだ。十年前には信じられないことだ。流れという文字の持つ捉えどころのなさと、急流になったときの力の恐ろしさも感じる。メディアを賑 わしている男優たちも日本の一昔前を思い出させる。韓国自体もそうだろう、その顔つきの端正さに飽き飽きして、彼らもアン・ソンギなどという伊藤雄之助を 軽くしたような男優をもてはやしていた。

女優は違う、私はいたく気に入っている。どこか色っぽいのだ。大人なのだ。「膝と膝の間」などという映画のイ・ボイなど最高だった。彼女の映画のロケ地な どをたどって三十八度線近くまで出かけて行ったりした。今では「冬のソナタ」などがそれに取って代わったようだ。チェ・ジウもいいが、作られた顔つきなの が気に食わない。などと書いていてやはり韓国には思い入れが強かったのに気がついた・・・ [写真:琴を弾く楽士] photo:(C)Eiji KITADA

この原稿を書いたときのことはよく覚えている。映画の主人公オウドがチマチョゴリを脱ぐシーンで、最後に残るのはなんなのか、とても興味を覚えた。ひん しゅくを買うかも知れない話題だが、和服と異なり女性も褌をしていたのではないかと考えたからだ。比較文化論なので誤解の無いよう。

文献をあれこれ探したが、求める答えは見つからなかった。和服を愛用する女性の友人にも尋ねたが、やはり分からないとの返事だった。ただ、女性が下穿きをしていた可能性はあるだろうといっていた。

比較文化論の続きでもう一つ。数年前イスラム圏を旅した女性が、公衆浴場で見た(勿論男女別になっている)イスラム女性の白または黒の衣服の下には、鮮やかな色物がまとってあったそうだ。

Tuesday, February 8, 2005

消えた老眼鏡

酒の席が元で老眼鏡をなくしてしまいました。そこに到る経過は、オーナーとの会食の席から始まりました。記憶を失って気がつくと翌日の昼過ぎ、見知らぬホテルでした。普段の眼鏡が、そして仕事になくてはならない老眼鏡までもが見当たりません。目を細め、辺りに注意を払いながら宿泊先に戻ります。

そこでまずしたことは眼鏡屋さんを探すこと、小売店など不案内な台北市内、ホテルのフロントに尋ねてみます。右手を顎にあて、一寸考えた後にある場所を教 えてくれました。ホテルを出て真っ直ぐに大通りを三つ越えればあるはずです。歩ける距離です、歩き始めます。結構な運動になることに気がつきました。なお かつ途中に何軒か眼鏡屋を見かけました。しかしフロントの教えに従います。きっと素敵な店にちがいないと・・・
たどり着いた先は間口一間、奥行き二間のこじんまりした店。棚に飾られた品数も余りありません。当然ファッション系などありません。店の主人は退屈そうに新聞を読んでいました。目論見は外れました。

私「老眼鏡ありますか?」
店「○×△□・・・」
何か眼鏡の専門的なことを聞いているようです。
私「えっつ?」
店「臨時に使うのか?それともちゃんとしたものか?」
私「臨時です」

引き出しから出てきたのが写真に写っている眼鏡、見掛けはなかなかいい。
私「2.5がほしいのだけど」
店「ないな」
私「では何度のがあるの?」
手にしたのは2.0、掛けてみます。
店主が先ほど読んでいた新聞を目の前のかざして言います。
店「どうだい、見えるかい、違う違うもっと近づけて・・・」
私「フレームの色、別のないですか?なんか女性用みたいで・・・」
薄紫色です。
店「ないない、これだけ」

見えないことにはどうしようもありません、購入することにしました。
店「250元」と気を張っていいます。値切られるとでも思ったのでしょうか。
私「小銭ないのでこれで」千円札を出します。
今度はお釣りがありません、店主、店を出てどこか両替に出かけます。
十分待たされた挙句ようやっと戻ってきました。
その間、手に入れたばかりの老眼鏡で店に置いてあった新聞を眺めていました。
日本円で約八百円強でした。

ホテルに戻りフロントで結果を報告します。意外と評判がいい。私もその気になっていました。これで何とか残りの日々を過不足なく過ごすことができそうです。

日本でもそのまま使い続けているこの老眼鏡、私の周りにも評判がいいようです。次回台湾を訪れる時にはみなから注文をとろうか、贈り物にしようか考えているところです。

Friday, February 4, 2005

いつの間にか台湾にも支店が・・・

昨年十一月の台湾、暇をもてあましてTreo600というスマートフォンを手に入れるまでのあれこれを 紹介しました。このときのWebShopはeXpansysという英国に本社を持つ会社です。台湾に支店がないので香港から購入とあいなったのですが。 と、今日見てみるとなんと台湾にも支店が開かれているではありませんか。あーあのときのやり取りはなんだったんだろうと思わざるを得ません。

Treo600、マルチリンガルに使えてよかったのですが、SMS(ショートメッセージ)で日本語が通りませんでした(同じキャリア同士で使えたという報 告もあがっています)。これからはNOKIA9300が取って代わります。わずか一ヶ月の寿命、それでもそれなりに台湾では役に立ちました。物欲の言い訳 です。

[左側に台湾の国旗を見ることができます]

「悲情城市」の舞台は今

台湾北部の東海岸に金瓜石という取り残された金鉱があります。「悲情城市」の舞台にもなったところです。日本時代の官舎が海岸から競りたった山肌に残されています。

ここが村興しをしていることは聞いていましたが、その様子をNHkが紹介しました。村興しといっても観光客誘致、映画で見るような厳しさはありません。

時代は動く、でしょうか。最後に訪れたのが六年前、様変わりした光景を見るのも一興かもしれませんね。

まもなく農歴の元旦

二月九日は農歴の元旦、東アジアの国々では今でもきっちりお祝いをしています。中国ではすでに大移動の始まりと報道、ここ数週間で数億の人が移動というから驚きです。

その昔、台湾で旧正月を過ごした事があります。帰国するのが面倒だったのでしょうね、おかげでビザが切れてしまい不法滞在となってしまいました。罰金を十分払わされたことは言うまでもありません。

Tuesday, February 1, 2005

確かに「うるせーよ・・・」

NOKIAの702NKがらみで台湾ネタのblogに行き当たりました。JACKPOT's Blogです。その中に「うるせーよ・・・」というお話がありました。ホテルの隣りの部屋から漏れ聞こえる音のことです。私も何度かそんな思いをしたことがあります。最高級ホテルはどうか分かりませんが、ごくごく耳にするものです。もちろん目にすることはできません。
[写真は昨秋滞在のホテルの一室、ふてた片足が写っています] 理由は建物のつくりと空調の方式が・・・
漏 れる場所はほとんどが壁と窓枠との境、ここがいい加減なんですね。古い事務所をホテルに改修していたりするとなおさらです。オフィスビルは外壁がガラス張 りでできていますから、ここを小さな部屋に割って仕切ると後付で壁を窓枠にぶち当てることになる。この仕事がしっかりしていないので、空気が行き来してし まいます。ためしに手をかざしてみるとすぐ分かります。

もう一つは空調、台湾ではがんがん部屋を冷やしますし、噴出す空気の勢いもがんがん。高級なつくりになると、部屋の空気をちゃんとその部屋でリターンさせ るダクトが天井に組み込まれています。これがなかったりいい加減だったりすると、部屋の空気は廊下へと漏れ出てきます。おのずと音も付いてきます。

大昔、馴染みのホテル。十人くらいで日本からやってきてわっせわっせと仕事をしていました。そのうちの一人が合衆国に留学するというので先に帰国すること に。最後の晩、明日は早いから先に休めといって部屋に上がらせます。残った我々、餞別にと彼にお嬢さんをプレゼントすることにしました。カンパを募りま す。ボーイにこれで何とかしてあげてくれと頼みます。しばらくしてプレゼントが届いたとボーイが言ってきました。

残った我々、一斉に彼の部屋の扉にへばりつきます。膝をついて扉の下に耳をつけるもの、枠に耳をつけるもの、七人ほどが一つの扉に固まって耳を立て息を潜 めて寄り添います。脇で見ていると滑稽そのものです。ひどい話ですが、元気だったんですねそのころは。今の若い人は真似をしないように。品位を疑われます から。当然ですね。

Tuesday, January 11, 2005

「体育館の観客席」ーサイゴンの現代建築 十年後記


久しぶりに「東アジアフォトインベントリー」をお届けします。なんと十四年も前の記事ですから、ベトナムの現在とは大きく異なっていることでしょう。あれ から一度も出かけていません。東アジアや東南アジア、日本では一通り順繰りにそれらの国々が流行の一端を担ってきました。食い物・家具や調度品・カラース キームや衣服などなど。恐るべき消費能力を日本は持っていると感じました。消費しては次へ、そしてまた次へ。ともかく十四年前を感じてみてください・・・ [写真:体育館の巧みな通風と採光の処理] photo:(C)Eiji KITADA

十年後記 2001年8月26日

ツアーガイドの仕事は面白そうだ。我々がベトナムの建築家や作品を見たいと希望すると、即、実現させてくれた。日本語を操れないガイドだから駄目といえ ば、即、日本に出稼ぎに来たことのある若者に代えてきた。上海で魯迅の旧居を取材していたときもそうだ。旧居を虱潰しに実測していると、管理事務所からク レームが来た。魯迅生誕100年に向けた映画用に寸法を測っているのではないのか?という。取材拒否である。で、上海のガイドは自分の家に案内してくれ た。戦前の植民地時代のアパートにちがいないのだからいかがですか?で、ご馳走になって戻ってきたこともある。

ツアーガイドが面白そうだというのは、職業柄誰にでもコンタクトを取って、どこにでも入り込んで、これこれこういう人からこれこれの希望があるので是 非・・・、東アジアをノーコンで取材もある身にはうらやましい限りである。自分では結構、取材はいい線いっていると思っているのだが、それでも限界はあ る。ツアーガイドへの希望も、我々のような紳士的な要望だけではないだろうから、ガイドもしたたかになっている。

中国経由で冬の北朝鮮を訪れた際には、大雪で旅客機が欠航、北京に足止めを食らった。女性のガイドは、航空会社が指定したホテルの宿泊費を請求してきた。 わたしは彼女立ち会いのもと、日本側の旅行会社にコレクトコールを入れ、支払いを拒否した。日本と北京であれこれ話をしていたが、結局彼女は要求を取り下 げた。

そのうち、大人数のツアーを仕込むのも疲れてきたので、少人数で動くようになり、ガイドさんとのつき合いもなくなってしまった。それ以降は必要に応じて現場調達。また別のおもしろさを味わうことが出きるようになった。

Monday, January 10, 2005

ビンロウの実

東 南アジアでよく見かけるビンロウ、実を割って石灰を間に挟みこれを口にします。体が熱くなり、ビンロウと石灰が反応して口の中が真っ赤になります。主に肉 体労働者に愛用されていたので、それなりの方々からは忌み嫌われているものです。私は口にしたことがあります。昔携わった超高層の設計の現場で職人から勧 められて試してみました。結構いけるのですが、あとの処理が面倒でその後はほとんど手にしていません・・・
こ の写真は台湾東部の町花蓮の郊外で撮ったものです。先輩の別荘の前の畑で育てていました。オーこれがあのビンロウの実か、と記録に残しました。ビンロウは 車の街道筋に小さなガラス張りの箱の中で売っています。(屋台でもお店でも売っていますが)この屋台はやたら派手です。夜になるとよく分かります。灯りが コウコウ、派手な女性が売り子でいます。ネオンをつける店もあります。この女性はビンロウ西施(中国四大美人の一人です)と呼ばれています。

Friday, January 7, 2005

黄色いトレーシングペーパー

黄 色いトレーシングペーパーです。台湾の仕事はみなこの紙を使いました。というよりか、他にトレペはありません。この黄色いトレペ、若いときからの憧れのも のでした。たわいのない話なのですが、これを使うとなんとなくいいデザインができそうだという風潮がありました。有名建築家がこのトレペを使っている写真 などが紹介されていたからです。薄いので細いホルダーで書くとすぐに穴が開きます・・・
ボ ストン出のBigMomの話によると、アメリカではみな鉛筆を使っていたそうです。鉛筆ですとこのトレペを傷つけることも少なそうです。そんな理由でか分 かりませんが、かれらアメリカ人はロットリングをヨーロッパの田舎物が使う道具だと軽蔑していたともいっていました。ロットリング、使い方を誤るとトレペ に穴を開けてしまうんですよね。しかし考えてみると、鉛筆でスケッチをする習慣ってとてもいいことだと思います。線に強弱もつけられますし、一つの線の中 で太さも変えることができます。

マイルドセブンはヒット商品

台 北の最後の晩に男気のある人からいただいた最後のマイルドセブンライトです。このタバコ、コンビニエンスストアにいくと必ず置いてあります。五十元、日本 円でほぼ170円ということろでしょうか。日本で購入すると二百七十円ですから、いかにタバコにかかっている税金が高いかがわかります。止めましょう、タ バコは身体によくありません・・・
こ のタバコ、二種類のパッケージがあります。一つはボックスの硬い箱のもの、もう一つはソフトパッケージ。私はポケットになじみやすいソフトを購入していま した。しかし注文するのが結構厄介でして、店員は決まってハードケースのものを差し出します。いやいや違うんだ、その左にあるの・・・などと毎回やり取り しなければなりません。一度男気の台湾人に「なんて言えばいいのかなー」と聞いてみました。愛用のタバコとは違うため彼もわからなかったそうです。そこで 一度店で聞いてみたところ、「二号」または「柔包」で手に入るとのこと。試してみましたが、発音が悪いのか、一般的でないのかやはりハードケース物が差し 出されました。

Thursday, January 6, 2005

新年早々お金のことで・・・[航空券編]

手 元に二つの航空会社の切符が残っています。台湾の仕事で再度訪問するための切符です。一枚は東京から台北まで、航空会社は台湾の会社です。もう一枚は台北 から東京に戻るためのもので、日本の大手航空会社のものです。一年オープンは共通、台湾のはノン・エンドース、航空会社の変更はできません。値段を見てみ ましょう・・・

[Jan/7/05:秋山さんからの忠告により、写真表示サイズを少し大きくしてみました いかがでしょうか?]
[Feb/5/05:航空会社名を匿名にしました。実名で記載した会社にご迷惑おかけしました]
急 遽呼び出され、滞在期間もほぼ一ヶ月程度というあいまいな話から始まりましたので、まったくの割引なしのYクラス、いわゆるエコノミー。往復で約十五万五 千円です。それにたいして、台湾の航空会社はビジネスクラスで正規三万三千元、あちらでは条件なしで割引がありますから購入価格二万三千元でした。日本円 で約七万六千円。半値で、それもビジネスクラスを手にすることができます。

数年前もこの手を使って台湾で仕事をしてきました。日本で期日指定のエコノミークラスの往復料金と、台湾で購入するビジネスのオープンチケットがほぼ同じ 価格なのです。たとえ三時間の旅とはいえ、ゆったりとした座席、アテンダントは客一人一人の名前で注文を受けに来ますし、料理の内容も見事なものです。ど こかおかしな価格格差です。もし、リピートの旅を予定されておいででしたら利用されてはいかがでしょうか(日本購入の正規のエコノミーも、利用客が少ない ときなどビジネス席にまわしてくれることもあります)。

[写真でおのおのの切符左下に料金を見ることができます]

Saturday, January 1, 2005

Happy New Year!

昨年は「東アジアは停看聴」をご購読ありがとうございました。
今年は何が起こるやら分かりませんが引き続きよろしくお願いいたします。
なお、三が日はお休みさせていただきます。
(お大尽をクリックすると新年のご挨拶をいたします)