Monday, August 23, 2004

「水滸伝」 百八の星

「水 滸伝」は私の愛読書の一つである。一度読み終えるとまた読みたくなる。大体五年から十年ごとに読み返している勘定になる。手元には異なった四種類の「水滸 伝」がある。一番読みやすく面白く書かれているのはやはり吉川英治本。しかし彼の死により、話は百八の星が梁山泊に集まったところで終わってしまう。これ では「水滸伝」のオチが抜けてしまう・・・

平凡社が出版した駒田信二訳本にはそれがある。そこには自然発生的かつ必然的にできあがってきた組織の最後が描かれている。このお話は組織の形成とその終焉を描いたものなのだ。

「水滸伝」には起承転結という、従来の小説の構成法をなしていない。あるとすれば時代の精神を代弁する百八の星を、非常に柔軟なプラットフォーム上で躍動 させる、ただそれのみ。無頼・豪傑・落ちこぼれ・狼藉者・駄目役人・辺境の山賊・野盗の群れという百八のパターンを組み込んだだけのお話。

これらの星を離合集散させながら梁山泊に一同会したところで最強軍事共同体が形をなし、一段落する。しかしこの後がひどい。時代に迎合してしまう。朝廷に この軍隊を売り込み、官軍に組み込まれてしまう。徽宗の軍となるのだが、辺境の匈奴や地方軍閥の討伐を続けるものの、百八の星は一つ二つと消えていく。そ して星・パターンがプラットフォームから外れていくことで、パターンとプラットフォームの関係はバランスを失い、彼らは自らの役割を終えてしまう。

肝心なのは、個性豊かで才能ある百八の星も、優れたプラットフォームを持たない限り役目が果たせないということ。そして、プラットフォームもまた変化する、変身する、変節するということだ。 [考察-1]

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