Wednesday, June 30, 2004

「漢字」 十年後記


1990 年代初頭、勃興期にあった東アジアを肌で感じ、書き綴った旅の記録です。 建築総合雑誌 "at" 1990年5月号から1992年4月号まで二年間にわたって連載されたものを、雑誌社の好意によりWeb Magazineとして再録しました。その後の東アジアを「10年後記」で述べています。写真は北田英治氏 (Oct/30/02)

第一回は東アジアの共通文字「漢字」にまつわる話

十数年前までは中国語をパソコンで扱うことなど、一般の人間にはほとんど考えられなかった。台湾のIBMを訪れた後、日本IBMに中国語を扱いたいのだけ れどと電話を入れたが、当時のIBMは個人ユーザーにはけんもほろろ、相手になどしてもらえなかった。この時からしばらく、決してIBMユーザーにはなる まいと思った。結果、IBMは個人ユーザーの必要性への決断を迫られることになるのだが。

それからしばらくして、友人がモンゴルの留学生を事務所に連れてきた。すでにマッキントッシュではOSレベルで中国語が簡単に扱えるようになっていた。そ んなことで、モンゴル語がパソコンで使えないだろうかということを知りたがった。ちょうどモンゴルはロシアから自立を図っていたとき、それまでの公用語の ロシア語からモンゴル語がパソコンで使える必要があった。

パソコンで外国語を扱う「お助け寺」でならしていたマキ・エンタープライズの野原さんに電話を入れてみる。「もちろん可能ですよ、ですがソフト開発に○○万円はかかります」で、話は終わってしまった。当時のモンゴルではとてつもない金額だった。

野原さんの話の中で興味深いことがあった。世界中には五千から七千という言語が存在し使われているという。今後、パソコンに移植できない言語は間違いなく 淘汰されるだろう・・・。言語はそれを使う人たちの文化を形成する源である。もし、それらの言語が失われるならば、それらの文化も思考構造も精神構造も失 われることになるのだから。

台湾では、戦後蒋介石とともに台湾に移ってきた外省人と呼ばれる人々が入ってくるまで、台湾語が使われていた。 もちろん今でも多くの人たちが使っているが、都市の若者たちは話すことができないという。できても味わいのある語り口にはほど遠いという。

Monday, June 28, 2004

「台湾の安室奈美恵」?張恵妹

話 は遡って去年の蘇州。現地の投資家たちが会議の後にカラオケクラブに招待してくれました。開店間もないこのクラブ、オーナーの台湾の方をTVが取材してい る最中でした。古いかつてのオフィスビルを大胆に改修したもの。実に空間をおおらかに使っています。ゆったりとしたなだらかな階段、中国の故建築などの素 材で飾られた壁、やはり天井から吊るされた中国の古い木造船。なかなかのものです。先日には日本の建築写真雑誌社も訪れたとのこと。

クラブはみ な個室、シックでモダンなしつらえと、ここも手は抜いていません。それにサービスも最高、礼儀を心得たマネジャーがもてなしをしてくれます。接待されたも ので支払いのほどは分かりませんが、昨今の並みの銀座などよりはるかにいいのではないかと・・・(残念ながら銀座情報は得られていませんが)。

「カラオケ」とマネジャーの名刺に刷り込まれていますから、カラオケをします。モニターに一人の歌手のライブが映し出されていました。原色を使ったパッチワークの衣装を重ね着した彼女のフリに惹きつけられました。友人に尋ねると
「張恵妹(zhang hui mei)です。彼女は原住民の酋長の娘さんですよ。台湾の安室奈美恵と呼ばれたこともありました。知っていましたか?」。
そういえばモニターの中の彼女、髪をひっ詰め、小顔で、目が大きく黒くキュートです。安室奈美恵に似ているかもしれません。しかし歌はバラード、音域は下から上まで破綻がありません。このときから彼女のCD探しは始まりました。

時は過ぎてほぼ一年後、安室奈美恵のライブコンサートの下準備で台北に。仕事を終えた帰国前日の夜、時間の許す限りで市内のCD屋を覗きます。張恵妹の手 元に無いCDとライブDVDを購入、中国版の勝手に編集されたものでなく、ちゃんとお上から許可を取ったもの。で、蘇州のクラブで聞いた「聴海」と、なぜ か勝手に編集されていた中国版に勝手に挿入されていた台湾の老歌のライブ「鼓聲若響」と、新盤・リバイバル版に混じって蘇?(su rui)という歌手の歌手生活20周年特別選を見つけました。

「そうか、蘇?はまだ健在なんだ」。そう、十七八年前の台湾で見つけた、圧倒的な歌唱力で台湾のポップス界に君臨した歌手です。「一様的月光」(yi yang de yue guang)「是否」(shi fou)など、高域の音程と張りのある声とが、ほかの歌手とは一つも二つも違っていました。そのCDケースに印刷されたリストには、<蘇?+A-Mei演 唱>とあります。A-Meiは張恵妹の愛称。張恵妹のライブに蘇?を特別招待し、蘇?の持ち歌をデュエットで歌ったものが入っていました。

後日、台湾の若い友人にこの話をすると、張恵妹は蘇?の歌を若いころから愛唱し、尊敬もしていたのだそうです。二人はともに優れた歌唱力・幅広い音域・正 確な音程を持ち合わせています。二人とも歌の種類も豊かで、ポップスからジャズ、老歌(古い歌謡曲)、民謡(張恵妹は阿美族の歌を現代風にアレンジ)、街 歌(蘇?は昔の廃品回収ー酒瓶ーリヤカーを引いて街中を歌いながら流していた歌を)と幅広く歌いこんでいます。また二人とも台湾では少数派、一人は原住民 (の娘さん)もう一人は外省人(の娘さん)なのも縁なんでしょうか。

張恵妹にとって、もしかしたら「台湾の安室奈美恵」といわれることは不本意かもしれないなと思いました。

Thursday, June 24, 2004

携帯電話の個人的有効利用法

安室奈美恵の台湾公演の手伝いをしてほしいという話で、4月の末に日本人スタッフの手助けに出かけてきました。このとき持参した携帯電話が通話以外でも役に立ちました。

海外に出ることが多い私は、渡航先で使える携帯電話を複数台所有しています。そのうちの一台にフィンランドのNOKIA製携帯電話があるのですが、これが結構私のライフスタイルに合っています。何があっているかというと、数字にかかわる扱いが実に適材なのです。

例えば、15分後に荷物を整理してホテルをチェックアウトしなければならない、[1500]と入力して一つのボタンを押すと、いくつかのメニューが選べる 画面になります。そこから[カウントダウンタイマー]を選んで[決定]を押せば、15分後にノキアサウンドが鳴ってくれます。時計を見ながら荷物整理する 必要がなくなります。

例えば、買い物で230台湾元は日本円でいくらだっけとおもったら、[230]と入力してボタンを押し、メニューで[in domestic]を選び[決定]で[794]日本円と表示してくれます。[in foreign]で日本円から台湾元に変換します。

同じように、[730]で朝7時半目覚まし、と日常生活でよく使う数字にうまく対応しているのです。それも簡単な操作で。これは実に助かります。本来なら、携帯電話と計算器と目覚まし時計とを持ち歩かなければならないものを、携帯電話一台で解決してくれるのですから・・・

Thursday, June 17, 2004

たまには東アジア最大の都市・上海を

突 然台湾人の友人から電話が。「今汐見にいます。今晩仕事のことで話しをしたいので会いたい・・・」。で、あわてて片田舎から出かけました。友人は現在上海 で大きな開発計画を、デベロッパーの総経理として仕事をしているとのこと。何しろ一度現場に来て欲しい、そこで話をしたいと強く話を進めてきました。

一週間後には久しぶりの上海、空気は暑く湿度が高く、乱立する超高層の谷間には人々があふれかえる、映画ブレードランナーの現場そのものでした。上海は雨 季、ひたすら仕事への参加を説き続ける会話に聞き疲れてやってきたのがバンド。植民地支配時代の建築遺産が保存された地域。黄浦江を挟んだ向こう岸は新開 発地区・浦東。湿った空気は建物の外形をあいまいにしていました。

Wednesday, June 16, 2004

魔都・上海はいまだ健在

お 世話になったままでご無沙汰していた方々に上海から送った絵葉書、私はかなり気に入っています。1920年代30年代のカレンダーに使われた挿絵、それも 著名な芸術家が手がけたものから選んだそうです。雰囲気がいい、今様でない、どこか色っぽい。面白いことに作者の名前が入っている。絵葉書セットの説明で は、芸術家や収蔵家の手元にあったものらしい。それに改革開放以降、経済活動が活発になるにつれ、芸術作品などを求める機運が出てきているとあります。

余裕といえばそうかもしれませんが、まあこんな絵葉書中国国内で流通するとも思えません。私から絵葉書を受け取った方々、どんな気持ちだったでしょうか。ではでは・・・